生田村 (神奈川県)
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生田村 | |
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廃止日 | 1938年10月1日 |
廃止理由 |
編入合併 稲田町、向丘村、宮前村、生田村 → 川崎市 |
現在の自治体 | 川崎市 |
廃止時点のデータ | |
地方 | 関東地方 |
都道府県 | 神奈川県 |
郡 | 橘樹郡 |
団体コード | 当時存在せず |
隣接自治体 |
神奈川県 川崎市 橘樹郡稲田町、向丘村 東京府 南多摩郡稲城村 |
外部リンク | 当時存在せず |
生田村(いくたむら)は、1889年(明治22年)4月1日から1938年(昭和13年)10月1日まで存在した神奈川県橘樹郡の村。
概要
神奈川県橘樹郡北部の村。西部は現在の神奈川県川崎市多摩区南部、麻生区東部にあたる。
地理
- 川 : 五反田川
歴史
村名の由来
旧村名より。旧生田村は上菅生村の「生」、五反田村の「田」を合わせて「生田村」となった。
沿革
- 戦国時代 - 金程村の地名が見られる。
- 江戸時代 - 以下の5村が成立。
- 上菅生村(旗本本多氏・斎藤氏・市川氏の3給→幕府領)
- 五反田村(旗本本多氏・市岡氏の相給→幕府領) - 1690年(元禄3年)に上菅生村から分村。
- 金程村(旗本椿井氏知行)
- 高石村(旗本加賀美氏知行)
- 細山村(旗本椿井氏知行)
- 1868年(明治元年)
- 旧暦6月17日 - 神奈川府の管轄となる。
- 旧暦9月21日 - 神奈川府が神奈川県に改称。
- 1874年(明治7年) - 大区小区制の施行により、上菅生村、五反田村、高石村、細山村、金程村が第5大区第7小区になる。
- 1875年(明治8年) - 上菅生村、五反田村が合併して(旧)生田村が成立。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、(旧)生田村、金程村、高石村、細山村が合併して生田村が成立。
- 1938年(昭和13年)10月1日 - 川崎市に編入。同日生田村廃止。
- 1972年(昭和47年)4月1日 - 川崎市が政令指定都市に指定され、旧村域が多摩区になる。
- 1982年(昭和57年)7月1日 - 川崎市多摩区から麻生区を分区。金程、高石、細山の全域と、生田の一部(分区と同時に東百合丘を起立)が麻生区となる。
交通
鉄道路線
百合ヶ丘駅は、当時は未開業。
道路
現在の町名
川崎市多摩区
- 旧生田村(一部) : 生田、東生田、西生田、南生田、三田、東三田、栗谷、枡形、長沢
川崎市麻生区
- 旧生田村(一部) : 東百合丘(一部)
- 旧金程村 : 金程
- 旧高石村 : 高石、百合丘、東百合丘(一部)
- 旧細山村 : 細山、多摩美、千代ヶ丘、向原