生の哲学
生の哲学(せいのてつがく、独: Lebensphilosophie、仏: philosophie de la vie、 英: philosophy of life)は、デカルト的心身二元論的な知性や理性に限定された我々の存在を超克、それより先んじて非合理的な我々の生そのものへとアプローチしていく精神史の思潮のひとつ。シュレーゲルよりも後では反形而上学的要素が強い。19世紀後半~20世紀前半に盛んになった。
Contents
歴史
生の哲学の特殊事情
生の哲学は哲学のひとつの立場ともいうが、当初この動向は、ニーチェ、キルケゴールなどの文学的な体裁を借りた思想的エッセイとして現れ、彼らは生前中ほとんど正当な哲学者としてはみなされておらず[1]、ヴィルヘルム・ディルタイの『体験と詩作』(1905)やゲオルグ・ジンメルの数多くの哲学的エッセイなどにその影響を残すにとどまっていた。
キルケゴールは、カール・ヤスパース、カール・バルト、パウル・テリッヒ、マルティン・ハイデッガーらの評価によって初めて、そうした哲学の立場があったものとして20世紀に至ってようやく広く承認を受けるに至ったのであり、その点の事情は、ニーチェも同様である。したがって、生の哲学の歴史は、時系列で並んでいるものではないといえる。
前史
Lebensphilosophieは、近代以前では、「人生哲学」と呼ばれるものであり、「どのようにして、良く生きるか」という古代時代からしばしば論じられてきたテーマのひとつを指してきた。
この語に特別な意味をあたえた一人が、フリードリヒ・シュレーゲルであり、「生の哲学に関する講義」(1828年)においてである。反革命キリスト者として、キリスト教の神の恣意の顕現としての生を肯定的に捉えた。キリスト教神学的生の哲学なのである。同時代のドイツ大詩人シラーも生の哲学について言及するなど、1800年前後から次第に関心がもたれ始めた。このように生の哲学の前史は19世紀ドイツのロマン主義に遡ることができる。
生の哲学の成立と発展・現在
19世紀、 ショーペンハウアー、ニーチェなどを通して生の哲学が神学内性を脱し、ひとつの骨のある思想の一潮流となった。 ドイツでは、ヴィルヘルム・ディルタイ、ゲオルク・ジンメル、ヘルムート・プレスナー、ルートヴィヒ・クラーゲス、オスヴァルト・シュペングラーらによって発展し、その影響は、アンリ・ベルクソン、オルテガ・イ・ガセット、カール・ジョエルらに及んだ。
その後、生の哲学は、ドイツ哲学では、現在、実存哲学と実存主義にほとんど吸収され尽くしてしまったが、その哲学史における影響は極めて大きなものであったとされている。
20世紀、生への思想的アプローチはフランス哲学で主に語られ、ポストモダン主義などと相まって、現代フランス哲学ではこの流れを汲む者も少なくない。また、 プラグマティズムなど20世紀の思想に与えた影響は少なくない。ただ、例えばドイツ観念論のような哲学の流派のかたちはなしていない[2]。
解説
生の哲学の哲学における地位
『生の哲学』というタイトルの本は、ディルタイやジンメルのほか、ハインリヒ・リッケルトが執筆しているが、ディルタイの著作はヘルマン・ノールが編纂した講義録である[3]。また、オットー・フリードリッヒ・ボルノウの『生の哲学』(玉川大学出版部)もあるが、ボルノウは哲学というよりは、教育哲学で活躍したので、教育学よりの批評になっている。
生の概念
19世紀の前半までは生そのものは、偶然的で否定的な要素として哲学外の事として扱われていた。カントやドイツ観念論を初めとする当時の「本流」の哲学は認識論、実在論などをあくまで理性を中心に見据えて理論を展開しており、基本的に生そのものは構想から外れているといえる。このことを近代哲学の完成者とされるゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲルの哲学を例にとってみてみよう。彼は、直接的な意識から始まり、弁証法によって相矛盾する対立を止揚しながら、即自から対自、存在から絶対的知識へ発展して現象の背後にある物自体を認識し、主観と客観が統合された絶対的精神になると説く。そして、人類の歴史は、絶対精神が弁証法的に発展し、自由を獲得する過程でもあり、理性が自然を克服し、原始的な宗教から啓示宗教が支配する社会を経て自由な国家が成立することによって歴史は終わるとした。その哲学大系においては、歴史の流れの中にある人間の生のみならず、真・善・美といった価値でさえ理性によって最終的に担保されるものであったのである。そこでは生とは、絶対的存在(あるいは神)の体現としての固定的なものにならざるを得ず、「生の哲学」で展開される動的な生とは性質の違うものである。この時代の生の哲学の源流はむしろ当時の哲学の本流とみなされていなかった反啓蒙・反カント主義者たち(ハーマンやヤコービなど)であり、彼らの思想は理性よりも人間本来のもっている信仰や感情の能力の優位を唱え、生そのものを直接的に捉えようとするきっかけを作るものであった。
生の哲学における「生」とは、このような本流哲学に対抗する概念であって極めて文化闘争的なものであり、「生物」としての人間の生といった限られた意味をもつにすぎないものではない。むしろ理性に対する生の優位、つまり理性とは、理性によっては捉えることのできない非合理的な生を実現するための「道具」にすぎないものであるという価値を含んだものなのである。そこでは、生を脅かすものは「病」であるとされたのである。
「生」とはどのようなものかについては、論者によって差があり、ショーペンハウアーはただ生きんとして生きる盲目的な暗い意志としていたが、当初ショーペンハウアーを絶賛していたニーチェは彼とは反対にすべてを我がものとし、支配し、超え出て、より強くならんとする権力への意志とし、ディルタイは歴史の流れの中にある客観的精神体としており、それぞれニュアンスに違いがあるが、合理的な理性に対する、非合理な生の優位を主張する点でおおまかな一致をみることができる。
このような生の哲学における非合理主義は、合理的な「学としての哲学」を拒むものとして非難の対象となり、新カント派は生の哲学を批判した。このような流れの中で、論理性・実証性を重視し、いいかげんな概念を用いる哲学や形而上学を批判する論理実証主義も生まれた。
以上に対しては、生の哲学の問題意識を受け止めつつ、学と生の両者の対立を克服しようとしたフッサールの現象学がある。
脚注
関連項目
関連人物
- アルトゥル・ショーペンハウアー
- フリードリヒ・ニーチェ
- アンリ・ベルクソン
- ゲオルク・ジンメル
- ヴィルヘルム・ディルタイ
- ヘルムート・プレスナー
- ホセ・オルテガ・イ・ガセット
- カール・ジョエル
- ルートヴィヒ・クラーゲス
- オスヴァルト・シュペングラー