琉球電力公社
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琉球電力公社 | |
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事業内容 | 電力事業 |
監督官庁 | 琉球列島米国民政府 |
本社所在地 | 浦添市勢理客557番地1 |
電話番号 | 08-8-1141 |
※1969年のデータ |
琉球電力公社(りゅうきゅうでんりょくこうしゃ、Ryukyu Electric Power Corporation)とは、米国民政府布令に基づく公社で、沖縄電力株式会社の前身の組織である。
概要
従来は民間・米軍ともに、発電機を利用して細々と電気の需要をまかなっていた。この状況を打開すべく、米軍は浦添村(現、浦添市)牧港に牧港火力発電所を建設することになった。これにより、米軍の需要は全て満たされることになり、余剰の電力を民間にも供給することになった。
1954年に米国民政府は牧港火力発電所から発電した電力を供給する機関として「琉球電力公社」を設立し、発電と送電業務を担当することになった。なお、配電業務は民営の配電会社が行うことになっていた。
その後急速に電力需要が高まったため、アメリカ製の発電船を導入し急場をしのぐ一方、新しい発電所の建設を進めた。そして1965年に念願の金武火力発電所が完成した。
これを機に、これまで米軍に委託していた電力系統の管理を全面的に担うことになった。
1972年5月15日の日本復帰に伴い解散し、日本政府および沖縄県出資による特殊法人の沖縄電力株式会社(後に民営化)に引き継がれた。
沿革
- 1952年9月 立法院で電気事業法(1952年立法第39条)が制定される。
- 1953年4月 牧港火力発電所運転開始。
- 1954年2月 琉球電力公社設立。
- 1954年10月 牧港火力発電所の所有権を琉球電力公社が取得(米軍に管理を委託)。
- 1955年6月 発電船ジャコナ号を連結し、運転開始。
- 1956年5月 発電船インピーダンス号を連結し、運転開始。
- 1958年7月 米軍との間に電力施設の管理・運営・維持に関する契約を締結。
- 1960年8月 立法院で農山漁村電気導入促進法(1960年立法第92号)が制定される。
- 1963年2月 発電船インピーダンス号のドック入りにより、節電のための灯火管制実施。
- 1965年6月 金武火力発電所運転開始。
- 1965年7月 米軍より全島電力系統の運営を引き継ぐ。
- 1967年11月 沖縄本島北部電化実施計画を発表(1970年に工事完了)。
- 1968年1月 発電船インダクタンス号を連結し、運転開始。
- 1969年6月 北谷火力発電所運転開始。
- 1970年7月 発電船ジャコナ号廃止。
- 1971年5月 発電船インダクタンス号廃止。
- 1972年5月 本土復帰に伴い解散。
歴代理事
年代 | 理事長(アメリカ側) | 理事(アメリカ側) | 理事(琉球側) | 理事(琉球側) | 理事(琉球金融機関) |
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1955 | L.A.Westenberger USCAR公益事業部長 |
S.T.Baron USCAR経済財政部長 |
神村孝太郎 琉球政府副主席 |
宮里勝 琉球政府内政局長 |
富原守保 琉球銀行総裁 |
1956 | 〃 | 〃 | 〃 | 〃 | 〃 |
1957 | Roderick M.Gillies USCAR副民政官 |
E.R.Moss USCAR公益施設課長 |
〃 | 〃 | 〃 |
1958 | 〃 | Samuel C.Oglesby USCAR経済開発部長代行 |
〃 | 〃 | 〃 |
1959 | 〃 | 〃 | 〃 | 〃 | 〃 |
1960 | 〃 | 〃 | 瀬長浩 琉球政府副主席 |
新里善福 琉球政府工務局長 |
宝村信雄 琉球開発金融公社総裁 |
1961 | Edward K.Shultz USCAR副民政官 |
〃 | 〃 | 〃 | 〃 |
1962 | 〃 | 〃 | 〃 | 〃 | 〃 |
1963 | 〃 | 〃 | 〃 | 志村恵 琉球政府工務局長 |
〃 |
1964 | Williame J.Andrewe USCAR副民政官付特別補佐官 |
Walter F.Pinckert USARYISエンジニアグループ発電部長 |
金城清輝 琉球電力公社総裁 |
久手堅憲次 琉球政府経済局長 |
〃 |
1965 | Peter J..Accorti USCAR公益事業局長 |
〃 | 〃 | 〃 | 〃 |
1966 | Harrington W.Cocran USCAR公益事業局長 |
Katsuyoshi Kadoda FBポストエンジニア施設課長 |
屋田甚助 琉球電力公社総裁 |
〃 | 〃 |
1967 | 〃 | 〃 | 〃 | 〃 | 〃 |
1968 | 〃 | 〃 | 〃 | 〃 | 照屋照男 琉球開発金融公社総裁 |
1969 | 〃 | 〃 USARYISファシリティエンジニア施設課長 |
〃 | 砂川恵勝 琉球政府通商産業局長 |
〃 |
1970 | Harry W. Lombard USCAR公益事業局長 |
〃 | 〃 | 〃 | 〃 |
1971 | 〃 | 〃 | 〃 | 喜久川宏 琉球政府通商産業局長 |
〃 |
その他の電気事業者
琉球電力公社のほかにも、電気事業を行う中小規模の電気事業者が数多く存在した。
(役職名・市町村名は当時のもの)
配電会社
- 沖縄配電
- 松岡配電
- 中央配電
- 沖縄本島中部地域を供給区域とする配電会社で、城間盛善(元琉球政府行政主席情報局長)と安田善次(安田商事代表)が中心となって1953年に設立された。翌年から供給を開始した。1976年に沖縄電力と合併。
- 東部配電
- 与那原地区を供給区域とする配電会社で、嶺井元奉によって1955年に設立された。当初は「与那原配電」という名称であった。その後周辺地域に供給区域を広げていき、1957年に「東部配電」となった。しかし、同社の供給地域は過疎地帯であるため、経営的に厳しくなり、1965年に沖縄配電に吸収合併された。
- 比謝川配電
- 名護配電
- 元々名護町営の電気事業であったが、1957年に民営化された。発起人である岸本永幸(名護町議会議長)が社長に就任した。その後周辺地域にも供給地域を拡大していった。1976年に沖縄電力と合併。
離島の電力会社
- 久米島電力
- 琉球政府の農漁村電化事業のモデルケースとして計画され、1956年に設立された。発起人である柴岡周智が社長に就任した。発電所は琉球電力公社が建設し、久米島電力に貸与した。1971年に琉球電力公社に移管された。
- 宮古電力
- 元々平良市営の電気事業であったが、市営という性格上、供給地域は平良市内に限られた。そのため、宮古地区の他の町村民から民営化が叫ばれるようになり、1959年に「宮古電力」となった。1971年に琉球電力公社に移管された。
- 八重山電力
- 1959年に設立された電力会社で、従来の石垣市と石垣電灯の電気事業を引き継いだ。1972年に琉球電力公社に移管された。
その他の小規模電気事業者
- 宜野座村
- 久志村(現在の名護市)
- 伊江村(伊江島)
- 伊是名村農業協同組合(伊是名島)
- 伊平屋村(伊平屋島、野甫島)
- 渡嘉敷村(渡嘉敷島)
- 座間味村(座間味島、阿嘉島、慶留間島)
- 与那城村(平安座島、宮城島、伊計島)
- 与那国町(与那国島)
- 勝連村(浜比嘉島)
- 粟国村(粟国島)
- 渡名喜村(渡名喜島)
- 竹富町(西表島、竹富島、波照間島、黒島、小浜島)
- 知念村(久高島)
- 北大東村農業協同組合(北大東島)
- 南大東村(南大東島)
- 多良間村(多良間島)
- 池間漁業協同組合(池間島)
- 今帰仁村(古宇利島)
参考文献
- 沖縄電力編『沖縄電力の現状 昭和48年』沖縄電力株式会社、1973年
- 古堅哲『うるまの灯 沖縄の電力事業史』日本電気協会、1980年
- 沖縄電力社史編纂委員会編『沖縄電力十五年史』沖縄電力株式会社、1989年