珠洲市
珠洲市(すずし)は、石川県の北東部、能登半島の先端に位置する市。
Contents
地理
- 島: 見附島(軍艦島)
隣接している自治体
歴史
語源
- 「スズ」の地名
「須須神社社伝縁起 第一」に高倉宮・金分宮の2社からなることが出ており、高倉宮主神ニニギノミコトが来臨した折、鈴を以てこの地を鎮める、とある。鈴の万葉仮名が須須・須受で、その佳名が珠洲。 スズの地名はそこからとったもの。 金分宮の主神が美穂須須見命(ミ・ホ・スス・ミ・ノ・ミコト)で、稲穂の豊かな実りを象徴している。豊かな稲穂を振って音を立てる様子が鈴である。 大伴家持が天平21年(749)都の妻に贈るため真珠を願う歌を詠むが、そこには「珠洲の海人の沖つ御神にい渡りて…」とあり、半島先端部の広い範囲が珠洲(真珠のような洲)と意識されていたようである。
沿革
古代
- 第10代崇神天皇の時代(紀元前97年 - 紀元前29年):須須神社創建の伝承
- 珠洲郡の名の初出は713年(和銅6年)の「平城京出土木簡」 表(越前国珠洲郡月次里) 裏(庸舟木部 申 六斗)
- 718年(養老2年)5月2日:越前国から羽咋郡、能登郡、鳳至郡、珠洲郡の四郡を分立して能登国成立。
珠洲郡には若倭(わかやま)、日置、草見、大足(おおまめ)、余戸(あまるべ)の5つの郷
- 733年(天平5年)「出雲国風土記」「高志(こし)の都都(つつ=珠洲)の三崎を、国の余(あまり)ありやと見れば、国の余ありと詔(の)りまいて(中略)引き来(き)縫(ぬ)える前は、三穂(みほ)の崎なり」国引き神話の中に、神が能登半島の先端(珠洲市)から引いてきて縫い付けたのが島根県の先端(美保関町)であると書かれている。
- 741年(天平13年)12月10日:越中国に併合。
- 748年(天平20年):大伴家持が能登巡行。珠洲も巡行。
「珠洲のうみに朝びらきして漕ぎくれば長浜のうらに月照りにけり」という和歌が万葉集に掲載
- 757年(天平宝字元年):再び分立し能登国成立。
- 859年(貞観元年):渤海國入覲使・孝愼等104人珠洲郡来着
≪遺跡≫
- 三崎地域を中心に製塩遺跡が分布。同地域の森脇遺跡は、製塩土器片のおびただしい堆積層
- 永禅寺山古墳群
- 鈴内横穴古墳群
- 岩坂横穴古墳群
≪参考≫
- 「和名類聚抄」の珠洲郡・若倭(わかやま)郷が現在の飯田・蛸島・若山・正院付近と比定。
- 「和名類聚抄」の珠洲郡・日置郷が現在の三崎・狼煙と比定。
- 「和名類聚抄」の珠洲郡・草見郷が現在の珠洲飯田と能都町松波の間と比定。
- 「和名類聚抄」の珠洲郡・大足(おおまめ)郷が現在の大谷付近と比定。
- 「和名類聚抄」の珠洲郡・余戸(あまるべ)郷が現在の能都町松波・小木・宇出津付近と比定。
中世
- 平安時代に入ると荘園開発が進み12世紀半ばには能登最大級の荘園である摂関家九条家領の若山荘が成立し、事実上の支配権は日野家がその領主になる。荘園内にある法住寺や春日神社を庇護し支配権を確立。鎌倉時代に入ると地頭職も定められるが形骸化し、引き続き日野氏の支配が続く。
- 珠洲焼の製造・・・12世紀後半頃から15世紀末頃に石川県珠洲市付近で生産された、中世の日本を代表する陶磁器のひとつ
- 1185年(文治元年)、平時忠能登大谷浦配流
- 承久年間(1219年~1221年):珠洲郡の編成8庄141町5反
- 室町時代に入ると将軍家と姻戚関係を結ぶことでさらに日野家の権力が広大。
- 室町時代中期になると、能登守護畠山氏の代官請負(守護請)となり、守護代・遊佐氏がその管理を行うようになり支配下に。
- 1506年(永正3年):能登の他全国各地で一向衆が蜂起する。能登の一揆軍には「鈴の三崎の鬼次郎」の名がある。
- 1546年(天文15年):畠山氏能登一国徳政令発布
- 1550年(天文19年):能登国内乱起きる
- 1576年(天正4年):上杉謙信能登侵攻
- 1577年(天正5年):上杉謙信七尾城攻略
- 1578年(天正6年):長連龍能登侵攻
- 1581年(天正9年):前田利家 能登一国を与えられる
- 1582年(天正10年):能登各地で検地施行 領内の大社寺保護
- 1585年(天正13年):能登各地に開墾奨励
- 天正以後(1573年~1592年):1郡6郷1庄とし、その村数112ケ村中垣内127処
6郷は西海郷・木郎郷・直郷・飯田郷・正院郷・三崎郷、1庄は若山庄
- 1596年(慶長元年):仁江、谷内浜で製塩が行なわれていた記録。
江戸
- 藩政時代における郡の行政は金沢算用所内に、郡奉行所及改作奉行所があってこれを掌り10村を合わせて十村組とし組に十村役1人を村に肝煎役、山廻り役等の村役人が配される。
- 十村役に恒方三代若山家・延武家・真頼三代家・黒丸家・宗玄家等
- 1627年(寛永4年):能登奥郡(珠洲郡・鳳至郡)の年貢・塩の算用を担う奥両郡算用場が飯田に置かれる
- 1665~71年(寛文5~11年):能登奥郡(珠洲郡・鳳至郡)の塩生産高の年間平均が約19万6000俵
- 1729年(享保14年):能登半島で大地震
- 1833年(天保4年):庄内沖地震により発生した津波により被害
- 1858年(安政5年):松波百姓一揆
- 北前船航路 珠洲岬付近は難所のひとつ、多くの船が海難に遭う
- 珪藻土を切り出した七輪の製造開始
明治・大正
- 1871年(明治4年):廃藩置県と同時に従前の十村役を郷長に改め翌年大区小区制の実施と共に1郡を3大区となし、大谷、飯田、松波に区会所を設けられ、藻寄行蔵、池田実、坂本推孝がそれぞれ区長に任ぜられた。
当時珠洲郡の村数112か村、村高総計35,398石、その戸数8,243戸を算した。
- 1878年(明治11年):郡区町村編制法が布かれ、鳳至、珠洲2郡に1郡役所を輪島に設けられたが、のち珠洲郡役所を飯田村に分設し郡に郡長を任じ数村毎に1戸長を置き当初は民選により次いで官選に改めた。
- 1883年(明治16年):禄剛埼灯台設置
- 1899年(明治22年):市制及び町村制の施行とともに、珠洲郡80か村を1町19か村に統合し、旧村名を以て大字名とし町村に町村長を大字に区長を民選することになった。
- 1907年頃(明治40年頃):1町10か村に再編
昭和
- 1940年頃(昭和15年頃):小木村、宝立村、木郎村(改称松波町)、正院村が町に昇格
- 1954年(昭和29年)7月15日:珠洲郡の宝立町、飯田町、正院町と、上戸村、若山村、直村、蛸島村、三崎村、西海村の3町6か村が合併し、石川県下5番目に市制施行して珠洲市誕生[1]。発足時には、面積246.94k㎡、人口38,157人、世帯数7,264戸であった。この合併の際には当時の珠洲郡5町6か村のうち、小木町と松波町は合併に参加しなかった。
- 1964年(昭和39年)9月:国鉄能登線 松波 - 蛸島間開通 全線開通
- 1965年(昭和40年):蛸島事件
- 1968年(昭和43年):能登半島国定公園の指定。
- 1969年(昭和44年):能登の揚浜製塩用具が、国の重要有形民俗文化財に指定
- 1971年(昭和46年):木ノ浦海岸が海中公園に指定。
- 1975年(昭和50年)4月:カーフェーリ「かもめ」飯田港~佐渡(小木港)就航(78年4月、運行中止)
- 1975年(昭和50年)10月30日 :珠洲市議会全員協議会において「原子力発電所、原子力船基地等の調査に関する要望書」を議決
- 1982年(昭和57年)7月:飯田港 - 姫川港(新潟県糸魚川市)にカーフェリー「たまひめ」・飯田港 - 富山港に高速艇「スワロー」就航
- 1983年(昭和58年)5月26日:日本海中部地震により発生した津波により被害
- 1983年(昭和58年)12月16日 :市議会において、珠洲市長の谷又三郎が原発推進を表明
- 1984年(昭和59年)2月29日:珠洲市内における最大積雪深141cm(昭和38年豪雪の95cm・昭和56年豪雪の71cmを超える豪雪に)
- 1984年(昭和59年)3月5日:電力3社が原発立地調査を珠洲市に申し入れ
- 1985年(昭和60年)1月:前年に続く大雪・珠洲市総合福祉センター屋根落下等の被害
- 1985年(昭和60年)6月 - 7月:波状的な集中豪雨により死者1人、被害総額12億6千万円余りを被る
- 1986年(昭和61年)6月14日:市議会で原発誘致を議決
- 1988年(昭和63年)3月:JR西日本能登線が第3セクター移管・のと鉄道開業(蛸島 - 穴水)
平成
- 1989年(平成元年)5月12日 :関西電力が高屋地区での立地可能性調査に着手
- 1989年(平成元年)5月22日 :建設反対派住民が市役所内で座り込みを始め、その後40日間続けられる
- 1989年(平成元年)6月16日 :関西電力が立地可能性調査を一時見合わせることを表明
- 1993年(平成5年)2月7日:能登半島沖地震(震度5、マグネチュード6.6)被害総額は約42億円。珠洲市に被害集中。
- 1996年(平成8年)9月:第16回全国豊かな海づくり大会開催
- 1997年(平成9年):ナホトカ号重油流出事故によ珠洲市沿岸も被災。
- 2003年(平成15年)12月5日:市内の高屋町ならびに三崎町寺家で計画があった珠洲原子力発電所の計画凍結を申し入れ。
- 2005年(平成17年)3月:のと鉄道能登線廃線
- 2005年(平成17年)8月:ボーイスカウト環日本海大会開催
- 2006年(平成18年)8月: 第14回日本ジャンボリー開催
- 2007年(平成19年)3月25日 9時42分:能登半島地震発生。この地震で市内の正院町で震度5強、大谷町で震度5弱、また同じく三崎町で震度4を観測した。内陸部を中心として被害。真浦の八世乃洞門が崩れた。
- 2008年(平成20年):能登の揚浜式製塩の技術が、国の重要無形民俗文化財に指定。
- 2009年(平成21年)4月6日:市が応募し総務省が行う「アナログ放送終了リハーサル」に参加することとなった。
- 2009年(平成21年):奥能登のあえのことがユネスコの無形文化遺産に登録。
- 2010年(平成22年)7月24日:地上アナログ放送が完全停波。
- 2011年(平成23年):国連食糧農業機関(FAO)の世界農業遺産に、「能登の里山里海」が認定
- 2011年(平成23年)11月7日:公認ゆるキャラ「みつけたろう」の発表
- 2014年(平成26年)4月27日:大谷道路全線開通
- 2014年(平成26年)7月13日:ラポルトすずにて市制60周年記念式典を開催
- 2017年(平成29年)9月3日:奥能登国際芸術祭2017を開催
- 2018年(平成30年)8月4日:第17回日本スカウトジャンボリー開催
人口
珠洲市(に相当する地域)の人口の推移 | |
総務省統計局 国勢調査より |
行政
市長
代 | 人 | 氏名 | 就任 | 退任 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
若木伸二郎 | 1954年(昭和29年)7月15日 | 1954年(昭和29年)8月28日 | 市長職務執行者、旧飯田町長 | ||
1 | 1 | 岡村理一郎 | 1954年(昭和29年)8月29日 | 1958年(昭和33年)8月28日 | |
2 | 1958年(昭和33年)8月29日 | 1962年(昭和37年)8月28日 | |||
3 | 1962年(昭和37年)8月29日 | 1966年(昭和41年)8月28日 | |||
4 | 2 | 鍵主圭吾 | 1966年(昭和41年)8月29日 | 1970年(昭和45年)8月28日 | |
5 | 1970年(昭和45年)8月29日 | 1974年(昭和49年)8月28日 | |||
6 | 3 | 黒瀬七郎 | 1974年(昭和49年)8月29日 | 1978年(昭和53年)8月28日 | |
7 | 1978年(昭和53年)8月29日 | 1981年(昭和56年)3月25日 | [2] | ||
8 | 4 | 谷又三郎 | 1981年(昭和56年)4月29日 | 1985年(昭和60年)4月28日 | |
9 | 5 | 林幹人 | 1985年(昭和60年)4月29日 | 1989年(平成元年)4月28日 | |
10 | 1989年(平成元年)4月29日 | 1993年(平成5年)4月28日 | |||
11 | 1993年(平成5年)4月29日 | 1996年(平成8年)5月31日 | [3] | ||
田畑良幸 | 1996年(平成8年)5月31日 | 1996年(平成8年)7月13日 | 助役、市長職務執行者 | ||
12 | 6 | 貝蔵治 | 1996年(平成8年)7月14日 | 2000年(平成12年)7月13日 | |
13 | 2000年(平成12年)7月14日 | 2004年(平成16年)7月13日 | |||
14 | 2004年(平成16年)7月14日 | 2006年(平成18年)5月1日 | [4] | ||
木之下明 | 2006年(平成18年)5月2日 | 2006年(平成18年)6月10日 | 助役、市長職務執行者 | ||
15 | 7 | 泉谷満寿裕 | 2006年(平成18年)6月11日 | 2010年(平成22年)6月10日 | |
16 | 2010年(平成22年)6月11日 | 2014年(平成26年)6月10日 | |||
17 | 2014年(平成26年)6月11日 | 2018年(平成30年)6月10日 | |||
18 | 2018年(平成30年)6月11日 | 現職 |
- 市長 - 泉谷満寿裕(いずみや ますひろ)
市議会
- 議長 - 三盃 三千三
- 副議長 - 中板 秀一郎
会派名 | 議員数 | 所属党派 |
---|---|---|
同志会 | 9 | 自由民主党・無所属 |
新生すず | 3 | 同上 |
無会派 | 2 | 同上 |
計 | 14 | ※2017年3月現在 |
経済
産業
- 農業(水稲、松茸栽培、木炭、その他)
- 漁業、水産加工業
- 畜産業(肉牛の地域ブランドの一角である能登牛の飼育)
- 窯業(珪藻土を原材料としたコンロ・七輪製造)、珠洲焼製作。
- 製網業(主に建設工事用ネットなど)
- 繊維加工業(編レース加工など)
- 製塩業(流下式製塩法、揚げ浜式製塩法)
- 酒造業(代表銘柄「宗玄」:宗玄酒造)
- 電気業(北陸電力珠洲太陽光発電所、日本風力開発珠洲第1・第2風力発電所)
特産品
姉妹都市・提携都市
国内
海外
- ペロータス( ブラジル リオグランデ・ド・スル州)
- 1963年(昭和38年)9月姉妹都市提携
地域
町
警察
消防
- 奥能登広域圏事務組合消防本部
- 珠洲消防署
- 大谷分遣所
- 珠洲消防署
教育
- 高等学校 - 石川県立(1校)
- 中学校 - 珠洲市立(2校)
- 緑丘中学校
- 三崎中学校
- 義務教育学校 - 珠洲市立(2校)
- 大谷小中学校
- 宝立小中学校
- 小学校 - 珠洲市立(7校)
- 上戸小学校
- 飯田小学校
- 若山小学校
- 直小学校
- 正院小学校
- 蛸島小学校
- みさき小学校
- 特別支援学校(1校)
- 石川県立七尾特別支援学校珠洲分校
閉校・統合した教育機関
- 珠洲実業高等学校
- 大谷中学校
- 宝立中学校
- 西部小学校
- 日置小学校
- 上黒丸小学校(現・若山小学校)
- 宝立小学校
- 大谷小学校
- 本小学校(現・みさき小学校)
- 栗津小学校(現・みさき小学校)
- 小泊小学校(現・みさき小学校)
文化交流
マスメディア
交通
鉄道
市内に鉄道路線はなく、JTB時刻表によると、能登飯田バス停が中心駅の扱いとなっている。最寄駅は鳳珠郡穴水町に在る穴水駅。
2005年3月31日までのと鉄道能登線が走っており、以下の駅が市内にあったが、同年4月1日に廃止された。
バス
道路
船舶
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
名所・旧跡・観光スポット
- 須須神社
- 白山神社本殿 - 国の重要文化財
- 黒丸家住宅 - 国の重要文化財
- 平時忠卿及び其の一族の墳
- 見附島(軍艦島)
- 珠洲岬
- 葭ヶ浦温泉
- 禄剛崎 - 禄剛埼灯台
- 岬自然歩道 - 美しい日本の歩きたくなるみち500選
- 仁江海岸 - 日本の夕陽百選
- 能登半島仁江海岸の塩田 - 人と自然が織りなす日本の風景百選
- 鉢ヶ崎海岸 - 日本の渚百選
- 垂水の滝(逆さ滝)
- 珠洲焼資料館
- 珠洲市陶芸センター
- ゴジラ岩
- 木ノ浦ビレッジ
祭事・催事
- 飯田町燈籠山祭り
- 7月20-21日 飯田町 春日神社の祭礼。
- 高さ16mにおよぶ燈籠山をはじめ、総漆塗りの8基の山車を深夜まで曳きまわし、キャーラゲが響き渡る。
- 宝立七夕キリコ祭り
- 8月7日、宝立町鵜飼。
- 高さ14mにおよぶキリコを宝立鵜飼地区の若連中が担ぐ。三崎町寺家のキリコは16mと日本最大と称されるが、現在「担ぐキリコ」としては同祭りで使われるキリコは日本最大と言える。祭り終盤には、花火をバックにキリコが海へ入り松明を廻る「海中乱舞」が行われる。
- 春日野の秋祭り
- 9月6-7日 宝立町春日野
- 初日、キリコが各地区を練り歩く。2日目は神輿渡御が行われ、入り宮の後に獅子舞が奉納される。
- 鵜島の曳山祭り
- 9月15,16日。宝立町鵜島地区。
- 五台の七尾型曳山が引き出される。昭和30年代までは塩田の砂浜で、でか山を曳かれていたが、砂浜の侵食とともに小型化され、現在では、国道で曳かれるようになった。
- 奥能登のあえのこと (ユネスコ世界無形遺産)
- 12月4,5日頃。
- 高倉彦神社の早船狂言
- 9月11日 蛸島町
- 神社境内の狂言舞台で新成人により演じられる。200年以上の歴史があると伝えられている。
- 珠洲焼まつり
- 10月 珠洲市陶芸センター
出身有名人
- 灰外達夫(木工芸家、人間国宝)[5][6]
- 西のぼる (挿絵、装画)
- 井道千尋(将棋女流棋士)
- 中居殉也(プロ野球選手)
- 駿馬赤兎(大相撲力士)
- 坂口靖幸(大相撲力士)
- 寺井重三(洋画家 現一水会委員・日展参与)
- 橋本ときお(児童文学作家)
- 本郷友恵(バレーボール選手、元全日本代表)
珠洲市を舞台とした作品
- 映画
- テレビゲーム
- 『双界儀』 - スクウェア・エニックスのPS用ゲームソフト。および、これを原作とした小説と漫画。
その他
市の歌
- 珠洲市民の歌 - 作詞: 梅木 勝吉、補作: 高橋掬太郎、作曲: 飯田 三郎
アナログテレビジョン放送終了リハーサル
2009年、珠洲市は、総務省が2011年7月24日を最終期日とするテレビジョン放送の完全デジタル化に際し、その影響を前もって把握するために実施するアナログ放送終了リハーサルの実施地域に応募し、4月に選定された。[7]
これに伴い、隣の能登町にある市をカバーする中継局と市内にあるすべての中継局で、全国の期日よりも1年前倒ししてアナログテレビジョン放送が完全に終了することとなった。2010年7月24日、大きな混乱もなくアナログ放送は完全停波した。[8][9]
原子力発電所誘致問題
珠洲市では、1975年に市議会全員協議会から国へ『原子力発電所、原子力船基地等の調査に関する要望書』が提出され、1976年に関西電力・北陸電力・中部電力の電力会社3社が珠洲原子力発電所の構想を提起したことから、原発建設について推進派と反対派の激しい対立が起こった。自由民主党[10]との関係が深い歴代市長や市議会議員の多数は「電源開発協議会」設置や市議会での誘致決議を行い、石川県知事(当時)の中西陽一と協調して原発誘致を図ったが、反対派は総評系労働組合や日本社会党の地方支部、それに市外の反原発運動団体などの支援を受けて「珠洲原発反対連絡協議会」を結成して対抗した。1993年は市長選で推進派の現職が小差で当選したが、反対派は投票の無効を訴えて提訴し[11]、1996年には最高裁判所判決で選挙無効が確定するなどの混乱が続いた。
要望書提出から28年後の2003年12月5日、各電力会社の社長(北陸:新木富士雄、中部:川口文夫、関西:藤洋作)3人は珠洲市役所を訪れ、「電力需要の低迷」「国際競争の激化」に加え「反対運動による立地確保の困難さ」を理由[12]に、珠洲市長(当時)の貝蔵治に対して原発計画の凍結を申し入れた[13][14][15][16]。2005年には市による電源開発協議会、次いで反対連絡協議会が解散し、珠洲市における原発誘致問題は沈静化した[17]。
脚注
- ↑ 山口恵一郎 『日本地名辞典 市町村編』 東京堂出版、1980年10月。ISBN 978-4490101355
- ↑ 個人的な負債問題で辞職
- ↑ 最高裁での選挙無効確定により失職
- ↑ 健康上の問題により辞職
- ↑ 木工芸の灰外達夫氏が死去 人間国宝
- ↑ 灰外達夫氏死去=人間国宝の木工芸家―74歳
- ↑ 地デジ完全移行への「リハーサル」地域、石川県珠洲市に決定 - 総務省 - マイコミジャーナル 2009年4月6日
- ↑ 石川・珠洲市などでアナログ放送終了 地デジに移行 - ANNニュース 2010年7月24日
- ↑ 全国に先駆け地デジ完全移行 石川・珠洲市 - 日テレNEWS24 2010年7月24日
- ↑ 珠洲市が含まれる衆議院選挙区は、1958年から1993年までの中選挙区の石川2区(当初は定数3、1986年からは定数2)と1996年から2005年までの小選挙区の石川県第3区で全ての議席を自由民主党が独占していた。同党は2009年の第45回衆議院議員総選挙で初めて民主党に敗れた。
- ↑ 選挙無効を主張する根拠の一つは、投票総数が投票者数より16票多かった事だった。
- ↑ 珠洲原発計画を断念 関西、中部、北陸の3電力 - 47NEWS 2003年11月27日
- ↑ 3電力、珠洲原発断念を表明 「凍結」市長に伝える - 47NEWS 2003年12月5日
- ↑ 珠洲原子力発電所計画の凍結について (PDF) - 北陸電力プレスリリース 2003年12月5日
- ↑ 珠洲原子力発電所計画の凍結について - 関西電力プレスリリース 2003年12月5日
- ↑ 珠洲原子力発電所計画の凍結について - 中部電力プレスリリース 2003年12月5日
- ↑ 北野進『珠洲原発阻止へのあゆみ 選挙を闘いぬいて』(2005年、七つ森書館)
関連項目
外部リンク