王将戦
テンプレート:Infobox 棋戦 王将戦(おうしょうせん)は、スポーツニッポン新聞社及び毎日新聞社主催の将棋の棋戦で、タイトル戦(竜王戦・名人戦・叡王戦・王位戦・王座戦・棋王戦・王将戦・棋聖戦)のひとつ。その名の通り、駒の「王将」から命名された。1950年に一般棋戦として創設され、翌1951年(1期)にタイトル戦に格上げされた。七番勝負の勝者は王将のタイトル称号を得る。
Contents
方式
一次予選・二次予選・挑戦者決定リーグによって挑戦者を決定する。挑戦者は王将と七番勝負を戦い、先に4勝した棋士が新たな王将となる。
持ち時間は、一次予選及び二次予選が3時間、挑戦者決定リーグが4時間、王将戦七番勝負が2日制(封じ手採用)の8時間。
一次予選
シード者と二次予選から出場する棋士を除く、順位戦B級1組以下の棋士によりトーナメント形式で行われる。各組のトーナメント勝者が二次予選に進む。予選通過枠は毎年異なる。
二次予選
トーナメント形式で18人[1]から挑戦者決定リーグ進出者3人を選ぶ。参加者は
- 前期挑戦者決定リーグ陥落者(3人、二次予選2回戦からの参加)
- タイトル保持者
- 順位戦A級の棋士
- 永世称号者[2]
- 一次予選通過者
挑戦者決定リーグ
二次予選通過者3人とシード者(前期挑戦者決定リーグ残留者と王将戦敗者)4人の計7人で、総当たりのリーグ戦を行う。成績最上位者が複数出た場合は、原則シード順位で上位の2人によるプレーオフが行われる。成績上位者4人が、次年度の王将戦の挑戦者決定リーグのシード権を得る。勝ち星が並んだ場合は前期挑戦者決定リーグ残留者の順位が優先される。二次予選通過者同士で勝ち星が並んだ場合はリーグ残留の場合は翌年は同順位[3]、4位で並んだ場合は残留者決定プレーオフが行われる[4]。
王将戦七番勝負
王将と挑戦者が七番勝負を戦う。七番勝負は全国各地の旅館や料亭などで催される。2012年からは第1局を静岡県掛川市の掛川城(二の丸茶室)で行うことが恒例となっている[5]。
方式の遍歴
期 | 王将戦七番勝負 (2日制) |
挑戦者決定リーグ | 二次予選 | 一次予選 | ||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
持ち 時間 |
被挑戦者 | 持ち 時間 |
出場 人数 |
シード条件 | 同率首位時 プレーオフ 進出者 |
残留条件 | 持ち 時間 |
出場人数→ リーグ進出人数 |
シード条件 | 二次予選 進出者 |
出場資格 | |
第1回 | 10時間 | 名人 | 7時間 | 5名 | 順位戦A級上位5名 | 該当者全員で プレーオフ トーナメント |
- | 実施せず | ||||
1 | 王将か名人 (三番勝負) | |||||||||||
2 | 7名 | 第1期王将を含む 順位戦A級上位4名 |
リーグ4位以内 降格ライン上に 同率の者が複数いる場合 該当者全員で 残留者決定トーナメント |
不明 | 16名→4名 | 順位戦A級下位6名 | 10名 | 順位戦B・C級 の棋士全員 | ||||
3 | 8名 | 4名 ・七番勝負敗者 ・前期リーグ残留者3名 |
16名→3名 | 順位戦A級 | 16名から 二次シード数を 差し引いた数 | |||||||
4~12 | 王将 | 16名[6]→4名
|
シード以外の 棋士全員 | |||||||||
13~17 | ・順位戦A級 ・前期リーグ陥落者 | |||||||||||
18 | 9時間 | 6時間 | ||||||||||
19~30 | ・順位戦A級 ・前期リーグ陥落者 ・タイトル保持者 ・永世称号者 | |||||||||||
31~33 | 7名 | 18名[7]→3名 | 18名から 二次シード数を 差し引いた数 | |||||||||
34~40 | 5時間 | |||||||||||
41~42 | 8時間 | |||||||||||
43~ | 4時間 | 順位上位2名 の直接対決 |
リーグ4位以内 降格ライン上に 同率の者が複数いる場合 順位上位の者が残留 順位も同じ場合のみ 残留者決定戦 |
3時間 |
永世称号など
永世王将
永世称号である「永世王将」は、王将位を通算10期以上保持した棋士に与えられる。2017年3月現在、永世王将の棋士は大山康晴。永世王将の資格を持つ棋士は羽生善治。なお、大山は1973年、王将失冠(無冠)により、特例的に現役で永世王将を名乗っていた。
贈王将
阪田(坂田)三吉は、関根金次郎13世名人と激戦を繰り返したことで知られ、『王将』というタイトルで数多くの舞台や映画、歌のモデルになったが、没後の昭和30年(1955年)に日本将棋連盟により「名人位」とともに「王将位」を追贈されている。
エピソード
王将戦は、将棋史における代表的なエピソードが生まれている棋戦でもある。
- 1950年、名人戦の契約を朝日新聞社に奪われた毎日新聞社が、王将戦を創設した。
- 後に王将戦の観戦記者になった倉島竹二郎は、「王将戦」という棋戦名は、当時流行していた北条秀司による戯曲「王将」に由来しているのではと、推測している[8]。また、棋戦創設当時は、非常に違和感がある棋戦名だっとも回想している[9]。
- 王将戦は、発足当初に「指し込み制」が適用されていて、升田幸三による陣屋事件や「名人に香車を引いて」などの舞台となった(後述)。
- 大山康晴は、永世王将就位・十五世名人襲位後の1979年度(第29期)に56歳で加藤一二三から王将位を奪還し、1981年度(第31期)まで王将位を防衛していた。58歳のタイトル保持は、2018年時点において史上最高齢となっている。
- 1993年度(第43期)第5局(1994年2月)は青森県三沢市で行われたが、対局者や副立会人を乗せた飛行機が天候不良によって三沢空港に着陸できず羽田空港へ引き返したために2日制が時間的に不可能になってしまい、持ち時間各5時間の1日制で行われた。
- 1994年度(第44期)の七番勝負では、羽生善治の七冠独占を谷川浩司がフルセットの末に阻止した。谷川は七番勝負の途中に阪神・淡路大震災で被災していた。
- 1995年度(第45期)は、羽生が4勝0敗ストレートで谷川から奪取し、ついに七冠独占を達成した。
- 1994年度の羽生の挑戦後、羽生は2009年度(第58期)まで16年連続で七番勝負に登場した(挑戦者として4回、王将として12回)。2009年度に羽生が久保利明に敗れて失冠し、2010年度(第59期)の挑戦者決定リーグで羽生が3勝3敗の3位に終わった(1位は豊島将之)ことで連続が途切れた。
- 上記の2010年度の挑戦者となった豊島将之は、王将戦挑戦者の最年少記録を更新(20歳)。同時に、全タイトル戦を通じて初の平成生まれの挑戦者となった。
- 2014年度(第64期)第5局(2015年3月)は新潟県佐渡市で行われたが、荒天により佐渡汽船のフェリーが欠航したため前日のうちに佐渡島に渡ることができなかった[10]。最終的に日程が短縮され、初日午後より対局開始・持ち時間各7時間・2日目に夕食休憩有りという変則2日制での対局となった[11]。
- 2017年度(第67期)は、王将位保持者である久保利明と挑戦者の豊島将之がいずれもA級順位戦史上初の6人によるプレーオフに出場することになったことで、王将戦七番勝負の最中に順位戦プレーオフを最大5局挟む異例の過密スケジュールとなった。プレーオフの第1局も久保と豊島の対戦となり、豊島が久保戦も含めプレーオフで3局連続勝利するも、4局目で羽生善治に敗れた。久保はプレーオフで豊島に敗れるも、王将戦は4勝2敗でタイトルを防衛した。
- 番ごとの勝者は『スポーツニッポン』紙面掲載用に記念撮影を行なう。パティシエに扮してロールケーキをつくったり、安来節を踊ったり、海岸で将棋を指したりとユニークな写真が多く、「勝者罰ゲーム」の異名を持つ[12][13][14][15]。
歴代七番勝負・挑戦者決定リーグ
創設~第42期
回 | 年度 | 被挑戦者 | 勝敗 | 挑戦者 | 挑戦者決定リーグ[16] | ||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 1950 | 木村義雄 | ○●○○●○ | 丸田祐三 | 大山 | 升田 | 丸田◎ | 塚田正 | 高島一 | ||||||
期 | 年度 | 被挑戦者 | 勝敗 | 挑戦者 | 被挑戦者決定戦 | 挑戦者決定リーグ | |||||||||
王将 | 勝敗 | 名人 | A級上位5名 | ||||||||||||
1 | 1951 | 木村義雄 | ●●○●●*□● | 升田幸三 | 実施せず(木村、王将・名人独占) | 丸田 | 升田◎ | 大山 | 坂口 | 塚田正[17] | |||||
期 | 年度 | 被挑戦者 | 勝敗 | 挑戦者 | 王将 | 勝敗 | 名人 | シード(A級上位4名)[18] | 二次予選突破者 | ||||||
2 | 1952 | 大山康晴 | ○●●○●○○ | 丸田祐三 | 升田幸三 | ○●● | 大山康晴 | 丸田◎ | 塚田 | 板谷四 | 高島一▼ | 小堀 | 山本武▼ | 山中▼ | |
期 | 年度 | 被挑戦者 | 勝敗 | 挑戦者 | 王将 | 勝敗 | 名人 | リーグ残留者 | 二次予選突破者 | ||||||
3 | 1953 | 大山康晴 | ○○●千○●○ | 升田幸三 | 実施せず(大山、王将・名人独占) | 升田◎ | 丸田▼ | 小堀▼ | 塚田正▼ | 板谷四▼ | 原田 | 高柳 | 二上 |
期 | 開催 年度 |
王将戦七番勝負 | 挑戦者決定リーグ | |||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
前期王将 | 勝敗 | 挑戦者 | リーグ残留者 | 二次予選突破者 | ||||||||
4 | 1954 | 大山康晴 | ○千●千○○○*○● | 松田茂行 | 升田▼ | 原田▼ | 高柳▼ | 二上▼ | 大野源 | 花村 | 松田茂◎ | 灘 |
5 | 1955 | 大山康晴 | ●●●*●● | 升田幸三 | 松田茂▼ | 大野源▼ | 花村 | 灘 | 升田◎ | 丸田 | 高島一▼ | 松下▼ |
6 | 1956 | 升田幸三 | 千○○●●○千○● | 大山康晴 | 大山◎ | 花村▼ | 丸田 | 灘 | 松田茂 | 原田▼ | 松下▼ | 加藤一▼ |
7 | 1957 | 升田幸三 | ○○●●○●● | 大山康晴 | 大山◎ | 松田茂▼ | 丸田 | 灘▼ | 塚田正▼ | 大野源 | 高島一 | 有吉▼ |
8 | 1958 | 大山康晴 | ○○○*●○●○ | 高島一岐代 | 升田▼ | 丸田 | 高島一◎ | 大野源 | 五十嵐 | 灘▼ | 松浦卓▼ | 廣津 |
9 | 1959 | 大山康晴 | ○●○千○●○ | 二上達也 | 高島一▼ | 廣津 | 丸田 | 大野源 | 二上◎ | 加藤一 | 加藤博▼ | 清野▼ |
10 | 1960 | 大山康晴 | ●●○○○○ | 二上達也 | 二上◎ | 丸田▼ | 大野源▼ | 加藤一 | 高島一 | 灘▼ | 北村昌▼ | 芹沢 |
11 | 1961 | 大山康晴 | ○○○*○ | 加藤一二三 | 二上 | 高島一▼ | 芹沢▼ | 加藤一◎ | 升田 | 灘▼ | 加藤博 | 佐藤大▼ |
12 | 1962 | 大山康晴 | ○●●●○● | 二上達也 | 加藤一▼ | 升田 | 二上◎ | 加藤博 | 松田茂 | 灘▼ | 有吉 | 山田▼ |
13 | 1963 | 二上達也 | ●●●*● | 大山康晴 | 大山◎ | 有吉 | 松田茂 | 升田 | 丸田▼ | 五十嵐▼ | 灘▼ | 芹沢▼ |
14 | 1964 | 大山康晴 | ○○●○○* | 加藤博二 | 二上▼ | 松田茂▼ | 升田 | 有吉 | 大野源▼ | 加藤博◎ | 山田 | 大内▼ |
15 | 1965 | 大山康晴 | ●○●●○○○ | 山田道美 | 加藤博▼ | 升田 | 山田◎ | 有吉 | 丸田▼ | 灘▼ | 芹沢▼ | 内藤 |
16 | 1966 | 大山康晴 | ○○●○○ | 加藤一二三 | 山田 | 升田▼ | 有吉▼ | 内藤 | 大野源▼ | 丸田 | 加藤一◎ | 加藤博▼ |
17 | 1967 | 大山康晴 | ○○●○●○ | 加藤一二三 | 加藤一◎ | 山田▼ | 丸田▼ | 内藤 | 松田茂▼ | 二上 | 加藤博▼ | 高島弘 |
18 | 1968 | 大山康晴 | ○○○○* | 内藤國雄 | 加藤一 | 内藤◎ | 二上 | 高島弘▼ | 塚田正▼ | 丸田▼ | 加藤博▼ | 大友 |
19 | 1969 | 大山康晴 | ○●○○○ | 二上達也 | 内藤 | 加藤一 | 二上◎ | 大友▼ | 升田▼ | 山田▼ | 有吉▼ | 大内 |
20 | 1970 | 大山康晴 | ○●●○●○○ | 中原誠 | 二上 | 加藤一▼ | 大内▼ | 内藤▼ | 升田 | 中原◎ | 西村 | 森安秀▼ |
21 | 1971 | 大山康晴 | ●○○○●●○ | 有吉道夫 | 中原 | 升田▼ | 西村▼ | 二上▼ | 有吉◎ | 内藤 | 米長 | 星田▼ |
22 | 1972 | 大山康晴 | ●●●●* | 中原誠 | 有吉▼ | 中原◎ | 内藤 | 米長 | 二上▼ | 板谷進▼ | 吉田▼ | 勝浦 |
23 | 1973 | 中原誠 | ○●●○○○ | 米長邦雄 | 大山 | 米長◎ | 内藤 | 勝浦▼ | 原田 | 高島弘▼ | 西村▼ | 石田和▼ |
24 | 1974 | 中原誠 | ○●○○●●○ | 米長邦雄 | 米長◎ | 大山 | 内藤 | 原田▼ | 丸田▼ | 二上▼ | 関根茂▼ | 板谷進 |
25 | 1975 | 中原誠 | ○○●○○ | 有吉道夫 | 米長 | 内藤 | 大山 | 板谷進▼ | 二上▼ | 熊谷▼ | 有吉◎ | 桐山▼ |
26 | 1976 | 中原誠 | ○●●○○○ | 大山康晴 | 有吉▼ | 大山◎ | 米長 | 内藤▼ | 加藤一 | 花村▼ | 板谷進▼ | 森雞 |
27 | 1977 | 中原誠 | ○●○●○千○ | 有吉道夫 | 大山▼ | 米長 | 加藤一 | 森雞▼ | 有吉◎ | 勝浦▼ | 西村 | 淡路▼ |
28 | 1978 | 中原誠 | ○●●●● | 加藤一二三 | 有吉▼ | 米長 | 加藤一◎ | 西村▼ | 大山 | 二上 | 大内▼ | 石田和▼ |
29 | 1979 | 加藤一二三 | ●●○●○● | 大山康晴 | 中原 | 米長 | 大山◎ | 二上▼ | 内藤▼ | 有吉▼ | 大内 | 勝浦▼ |
30 | 1980 | 大山康晴 | ●○○○○ | 米長邦雄 | 加藤一 | 中原▼ | 米長◎ | 大内 | 板谷進▼ | 勝浦▼ | 佐藤義▼ | 小林健 |
31 | 1981 | 大山康晴 | ●○●●○千○○ | 中原誠 | 米長 | 加藤一 | 大内▼ | 小林健 | 中原◎ | 勝浦▼ | 森安秀▼ | |
32 | 1982 | 大山康晴 | ○●●●● | 米長邦雄 | 中原 | 米長◎ | 加藤一 | 小林健 | 内藤▼ | 森安秀▼ | 谷川▼ | |
33 | 1983 | 米長邦雄 | ○○●○○ | 森雞二 | 大山▼ | 中原 | 小林健▼ | 加藤一▼ | 桐山 | 森雞◎ | 青野 | |
34 | 1984 | 米長邦雄 | ●○●●● | 中原誠 | 森雞 | 青野▼ | 中原◎ | 桐山▼ | 谷川 | 加藤一 | 有森▼ | |
35 | 1985 | 中原誠 | ●●千●○○● | 中村修 | 米長邦 | 加藤一 | 谷川▼ | 森雞▼ | 高橋▼ | 中村修◎ | 塚田泰 | |
36 | 1986 | 中村修 | ●○○●○○ | 中原誠 | 中原◎ | 米長 | 加藤一▼ | 塚田泰 | 谷川▼ | 有吉▼ | 森雞 | |
37 | 1987 | 中村修 | ●○●○○●● | 南芳一 | 中原 | 塚田泰▼ | 米長 | 森雞▼ | 高橋▼ | 南◎ | 島 | |
38 | 1987 | 南芳一 | ○○○○* | 島朗 | 中村修▼ | 中原 | 米長 | 島◎ | 谷川 | 塚田泰▼ | 加藤一▼ | |
39 | 1989 | 南芳一 | ●○○○●●● | 米長邦雄 | 島▼ | 中原 | 米長◎ | 谷川 | 加藤一▼ | 中村修 | 屋敷▼ | |
40 | 1990 | 米長邦雄 | ○●○●●● | 南芳一 | 南◎ | 中原 | 谷川▼ | 中村修▼ | 屋敷 | 淡路▼ | 森下 | |
41 | 1991 | 南芳一 | ○●●●● | 谷川浩司 | 米長 | 屋敷▼ | 森下▼ | 中原 | 谷川◎ | 羽生▼ | 森内 | |
42 | 1992 | 谷川浩司 | ○○○○* | 村山聖 | 南▼ | 米長 | 中原 | 森内▼ | 羽生 | 屋敷▼ | 村山聖◎ |
第43期~現在
期 | 開催 年度 |
王将戦七番勝負 | 挑戦者決定リーグ | ||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
前期王将 | 勝敗 | 挑戦者 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | ||||
43 | 1993 | 谷川浩司 | ○○●○●○ | 中原誠 | 村山聖 | 米長▼ | 羽生 | 中原◎ | 森内▼ | 郷田 | 畠山成▼ |
44 | 1994 | 谷川浩司 | ○○●●○●千○ | 羽生善治 | 中原 | 村山聖 | 郷田 | 羽生◎ | 有吉▼ | 塚田泰▼ | 森内▼ |
45 | 1995 | 谷川浩司 | ●●●●* | 羽生善治 | 羽生◎ | 郷田▼ | 中原 | 村山聖 | 有吉▼ | 森内 | 丸山▼ |
46 | 1996 | 羽生善治 | ○○○○* | 谷川浩司 | 谷川◎ | 中原 | 村山聖 | 森内▼ | 高橋▼ | 丸山 | 藤井猛▼ |
47 | 1997 | 羽生善治 | ○○●○○ | 佐藤康光 | 谷川 | 村山聖▼ | 丸山 | 中原 | 高橋▼ | 森内▼ | 佐藤康◎ |
48 | 1998 | 羽生善治 | ●○○○○ | 森下卓 | 佐藤康 | 谷川 | 丸山 | 中原▼ | 中村修▼ | 森下◎ | 屋敷▼ |
49 | 1999 | 羽生善治 | ○○○○* | 佐藤康光 | 森下 | 丸山 | 佐藤◎ | 谷川▼ | 中原▼ | 郷田 | 久保▼ |
50 | 2000 | 羽生善治 | ○●○○○ | 谷川浩司 | 佐藤康 | 森下▼ | 郷田▼ | 丸山▼ | 中原 | 谷川◎ | 久保 |
51 | 2001 | 羽生善治 | ●●○●○● | 佐藤康光 | 谷川 | 中原▼ | 久保 | 佐藤康◎ | 郷田 | 米長▼ | 森内▼ |
52 | 2002 | 佐藤康光 | ●●●●* | 羽生善治 | 羽生◎ | 久保 | 郷田 | 谷川▼ | 森内 | 藤井猛▼ | 森下▼ |
53 | 2003 | 羽生善治 | ●千○●●○● | 森内俊之 | 佐藤康 | 郷田▼ | 森内◎ | 久保 | 谷川 | 米長▼ | 森下▼ |
54 | 2004 | 森内俊之 | ●●●●* | 羽生善治 | 羽生◎ | 久保 | 谷川▼ | 佐藤康 | 丸山 | 郷田▼ | 阿久津▼ |
55 | 2005 | 羽生善治 | ○○○●●●○ | 佐藤康光 | 森内 | 久保 | 佐藤康◎ | 丸山 | 郷田▼ | 深浦▼ | 行方▼ |
56 | 2006 | 羽生善治 | 千●○○○●千●○ | 佐藤康光 | 佐藤康◎ | 丸山 | 森内 | 久保 | 谷川▼ | 藤井猛▼ | 郷田▼ |
57 | 2007 | 羽生善治 | ○○●○○ | 久保利明 | 佐藤康 | 丸山 | 森内 | 久保◎ | 深浦▼ | 谷川▼ | 藤井猛▼ |
58 | 2008 | 羽生善治 | ○●●○●○○ | 深浦康市 | 久保 | 佐藤康 | 森内 | 丸山▼ | 深浦◎ | 高橋▼ | 郷田▼ |
59 | 2009 | 羽生善治 | ●○●●○● | 久保利明 | 深浦 | 久保◎ | 佐藤康 | 森内 | 渡辺明▼ | 三浦▼ | 豊島▼ |
60 | 2010 | 久保利明 | ○●○○●○ | 豊島将之 | 羽生 | 佐藤康 | 深浦▼ | 森内▼ | 渡辺明 | 三浦▼ | 豊島◎ |
61 | 2011 | 久保利明 | ●●●○● | 佐藤康光 | 豊島 | 佐藤康◎ | 羽生 | 渡辺明 | 森内▼ | 三浦▼ | 広瀬▼ |
62 | 2012 | 佐藤康光 | ●●○●● | 渡辺明 | 久保▼ | 豊島 | 渡辺明◎ | 羽生 | 郷田▼ | 深浦 | 飯島▼ |
63 | 2013 | 渡辺明 | ○○●●○●○ | 羽生善治 | 佐藤康 | 深浦 | 豊島▼ | 羽生◎ | 谷川▼ | 郷田 | 久保▼ |
64 | 2014 | 渡辺明 | ○○●●○●● | 郷田真隆 | 羽生 | 佐藤康 | 郷田◎ | 深浦 | 屋敷▼ | 三浦▼ | 豊島▼ |
65 | 2015 | 郷田真隆 | ○●●○○○ | 羽生善治 | 渡辺明▼ | 羽生◎ | 佐藤康▼ | 深浦 | 糸谷 | 森内▼ | 久保 |
66 | 2016 | 郷田真隆 | ●●●○○● | 久保利明 | 羽生▼ | 久保◎ | 糸谷 | 深浦▼ | 渡辺明 | 豊島 | 近藤誠▼ |
67 | 2017 | 久保利明 | ●○○○●○ | 豊島将之 | 郷田 | 糸谷 | 豊島◎ | 渡辺明 | 佐藤天▼ | 深浦▼ | 斎藤慎▼ |
68 | 2018 | 久保利明 | 豊島 | 郷田 | 糸谷 | 渡辺明 |
過去の制度
指し込み制[19]
創設当初の七番勝負では「三番手直り」の指し込み制を採用した。これは、3勝差がついた時点で王将戦の勝負が決定し、次の対局から香落ちと平手戦で交互に指し(半香落ちの手合割)、必ず第7局まで実施するシステムである。当時、将棋連盟内では升田幸三を筆頭に、名人が指し込まれる可能性があると慎重論があったが、最終的に主催側の提案通りに施行する事となった。これは、「名人が指し込まれることはあり得ない」と当時の名人である木村義雄自身が発言したことによるものであったとされる。
皮肉なことに、1951年度の第1期王将戦で、升田八段(当時)が木村王将・名人を4勝1敗で指し込むこととなった。升田は香落ち戦となる第6局の対局を拒否し、事態を重く見た連盟から一時は1年間の対局禁止の裁定も下された(直後に取り消される)。この「陣屋事件」は将棋界のみならず、世間の大きな注目を集めた。さらに1955年度の第5期王将戦では升田が大山康晴王将・名人に対し3勝0敗で指し込みを果たすと、1956年1月19日・20日の第4局で香落ちの升田が大山名人に勝ち、「名人が香を引かれて負ける」事態が起こった。なお、升田は続く第5局(平手番)でも勝ち、対戦成績を5勝0敗とするが、体調を崩し対局に耐えられなくなったとして第6・7局は中止となった。
また実際に起こることは無かったものの、一方の棋士が最初に3連勝した後に4連敗した場合でも最初に3連勝した段階で勝負が決定しているため、4連敗の中に香落ち戦が含まれるとはいえ、負け越した棋士が七番勝負の勝者となる可能性があった。
指し込み制は、1959年度の第9期から香落ち戦を1局だけ指すようになった。1965年度の第15期からは四番手直りに改められ、またどちらかが4勝した時点で対戦が終了することになったため、香落ち戦が指されることはなくなった。しかし、死文化しているものの、王将戦の指し込み制そのものは現在も規則に残っている。つまり、王将戦で4勝差がつく(7番勝負のため、4-0 のストレート勝ちでしか起こりえない事になっている)と実際に香落ち戦が指されることはないものの、「指し込み」は記録される。
記録
第67期まで。第1回を含む。第2期被挑戦者決定戦をリーグ残留、リーグ参加に含む。リーグ残留は第2期から。
挑戦者決定リーグ記録 | ||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
氏名 | 王将在位 | 七番勝負出場 | リーグ残留 (王将在位を含む) |
リーグ参加 (王将在位を含む) | ||||
通算 | 連続 | 通算 | 連続 | 通算 | 連続 | 通算 | 連続 | |
大山康晴 | 20 | 9 | 26 | 21 | 30 | 25 | 34 | 34 |
羽生善治 | 12 | 6 | 18 | 16 | 24 | 24 | 26 | 26 |
中原誠 | 7 | 6 | 13 | 7 | 28 | 17 | 32 | 32 |
谷川浩司 | 4 | 4 | 7 | 6 | 14 | 8 | 24 | 17 |
久保利明 | 4 | 2 | 6 | 3 | 15 | 12 | 18 | 15 |
米長邦雄 | 3 | 2 | 8 | 3 | 22 | 22 | 25 | 23 |
升田幸三 | 3 | 2 | 5 | 3 | 11 | 5 | 18 | 9 |
南芳一 | 3 | 2 | 5 | 5 | 5 | 5 | 6 | 6 |
佐藤康光 | 2 | 1 | 8 | 2 | 18 | 18 | 19 | 19 |
郷田真隆 | 2 | 2 | 3 | 3 | 10 | 5 | 18 | 8 |
渡辺明 | 2 | 2 | 3 | 3 | 7 | 5 | 9 | 9 |
中村修 | 2 | 2 | 3 | 3 | 4 | 3 | 7 | 6 |
木村義雄 | 2 | 1 | 2 | 2 | 0 | 0 | 2 | 2 |
加藤一二三 | 1 | 1 | 5 | 2 | 16 | 7 | 23 | 11 |
森内俊之 | 1 | 1 | 2 | 2 | 10 | 8 | 19 | 11 |
二上達也 | 1 | 1 | 5 | 2 | 11 | 5 | 18 | 6 |
有吉道夫 | 0 | 0 | 3 | 1 | 7 | 4 | 17 | 5 |
丸田祐三 | 0 | 0 | 2 | 1 | 7 | 5 | 16 | 6 |
豊島将之 | 0 | 0 | 2 | 1 | 5 | 3 | 8 | 6 |
内藤國雄 | 0 | 0 | 1 | 1 | 10 | 5 | 14 | 12 |
深浦康市 | 0 | 0 | 1 | 1 | 6 | 4 | 11 | 6 |
松田茂役 | 0 | 0 | 1 | 1 | 4 | 2 | 8 | 4 |
加藤博二 | 0 | 0 | 1 | 1 | 3 | 2 | 8 | 5 |
高島一岐代 | 0 | 0 | 1 | 1 | 2 | 1 | 8 | 5 |
森雞二 | 0 | 0 | 1 | 1 | 4 | 2 | 7 | 5 |
森下卓 | 0 | 0 | 1 | 1 | 3 | 2 | 7 | 3 |
村山聖 | 0 | 0 | 1 | 1 | 5 | 5 | 6 | 6 |
山田道美 | 0 | 0 | 1 | 1 | 3 | 3 | 6 | 4 |
島朗 | 0 | 0 | 1 | 1 | 2 | 2 | 3 | 3 |
丸山忠久 | 0 | 0 | 0 | 0 | 8 | 4 | 11 | 6 |
灘蓮照 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 3 | 10 | 5 |
大野源一 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 3 | 8 | 4 |
大内延介 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 2 | 7 | 4 |
塚田正夫 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 2 | 6 | 4 |
屋敷伸之 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 6 | 4 |
勝浦修 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 6 | 3 |
塚田泰明 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 2 | 5 | 4 |
原田泰夫 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 1 | 5 | 2 |
西村一義 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 1 | 5 | 2 |
板谷進 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 5 | 3 |
高橋道雄 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 5 | 2 |
小林健二 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 3 | 4 | 4 |
花村元司 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 2 | 4 | 3 |
芹沢博文 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 4 | 2 |
三浦弘行 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 3 |
藤井猛 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 2 |
糸谷哲郎 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 3 | 3 | 3 |
高島弘光 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 3 | 2 |
桐山清澄 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 3 | 2 |
森安秀光 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 2 |
廣津久雄 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 2 | 2 | 2 |
板谷四郎 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 2 | 2 |
小堀清一 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 2 | 2 |
高柳敏夫 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 2 | 2 |
大友昇 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 2 | 2 |
青野照市 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 2 | 2 |
五十嵐豊一 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 2 | 1 |
松下力 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 2 |
石田和雄 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 1 |
淡路仁茂 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 1 |
坂口允彦 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 |
山本武雄 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 |
山中和正 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 |
松浦卓造 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 |
清野静男 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 |
北村昌男 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 |
佐藤大五郎 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 |
星田啓三 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 |
吉田利勝 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 |
関根茂 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 |
熊谷達人 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 |
佐藤義則 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 |
有森浩三 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 |
畠山成幸 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 |
阿久津主税 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 |
行方尚史 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 |
広瀬章人 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 |
飯島栄治 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 |
近藤誠也 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 |
佐藤天彦 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 |
斎藤慎太郎 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 |
テレビ中継
王将戦のテレビ中継は、以前はニコニコ生放送などでも放送されていたが、同棋戦の後援に囲碁・将棋チャンネルが入った関係で、第65期より同チャンネルの独占配信となっている[20]。スカパー!の同チャンネルでの放送のほか、ネット配信の「将棋プレミアム」では七番勝負の完全生中継、挑戦者決定リーグの生中継(第65期は一部対局、第66期からは同リーグの全対局が対象)などが行われている。
脚注
- ↑ 第55期と第59期は17人で、第63期は19人で行われた。
- ↑ 現役で永世称号を名乗っていた中原誠永世十段(のちに十六世名人)や米長邦雄永世棋聖は、順位戦B級1組在籍時やフリークラス転出後も二次予選からの出場だったが、十七世名人資格者である谷川浩司九段は、順位戦B級1組へ降級した後の第65期にて一次予選から出場している。
- ↑ 第50期、第51期の成績を参照。
- ↑ 第54期、第59期の成績を参照。
- ↑ 第67期王将戦第1局/上 10年連続開催へ意欲 振り駒を務める松井市長「大変光栄」/静岡 - 毎日新聞・2017年12月20日
- ↑ 第11・19・20・22・29期は15名が出場
- ↑ 第34・48・55・59期は17名、第63期は19名が出場
- ↑ 「昭和将棋風雲録」(講談社)P.222
- ↑ 「昭和将棋風雲録」(講談社)P.222
- ↑ 王将戦 天候不良で佐渡に到着できず…第5局異例の日程変更 - スポーツニッポン・2015年3月11日
- ↑ 「第64期王将戦七番勝負第5局」開始時刻等決定のお知らせ - 日本将棋連盟・2015年3月12日
- ↑ 返事 2014-08-11 22:48 - 伊奈めぐみ
- ↑ 罰ゲーム映像配信中 【ニコ生放送中】 第64期王将戦 渡辺明王将 対 郷田真隆九段 http://nico.ms/lv206765503 #nicoch2587372 #王将戦 #将棋 #shogi - Twitter 田中誠
- ↑ 王将戦“もう一つ”の見どころ 将棋とかけ離れた「勝者の写真」 - スポーツニッポン 2016年2月2日
- ↑ 吉田剛撮影 佐藤棋聖 勝利翌日、海岸でまた一局? - スポーツニッポン
- ↑ A級上位5名によるリーグ戦、最上位者が名人に挑戦
- ↑ 高柳敏夫が病欠のため、塚田正夫が繰り上げ参加
- ↑ A級1位の升田は王将位のためリーグから除外
- ↑ 河口俊彦「将棋界奇々快々」(日本放送出版協会)
- ↑ 将棋プレミアム、第65期王将戦七番勝負を完全「独占」生中継と発表。ニコ生などでは放送されないようです - 将棋ワンストップ・ニュース 2015年12月22日