王子ホールディングス
王子ホールディングス株式会社(おうじホールディングス、英名:Oji Holdings Corporation)は、王子製紙などの企業を傘下に持つ、王子グループの持株会社である。売上高ベースでは日本国内における製紙業界では最大手。三井グループと第一勧銀グループに属する[1]。
2012年(平成24年)10月に、王子製紙(3代目)が社名を変更して王子ホールディングスは発足。これにあわせて会社分割により事業部門を王子製紙(4代目)を始めとする子会社へ移管し、王子グループは持株会社制に移行した。
Contents
概要
2012年10月、経営の効率化、各事業における経営責任の明確化および意思決定の迅速化を推進することを目的に、王子製紙グループは純粋持株会社制に移行した。このグループを束ねる持株会社が王子ホールディングスである。傘下の企業群は、「産業資材カンパニー」「印刷情報メディアカンパニー」「機能材カンパニー」「資源環境ビジネスカンパニー」および「コーポレートマネジメントグループ独立事業会社群」「シェアードサービス会社群」の6グループに分類される[2]。
持株会社制への再編の際、王子製紙(3代目)が事業部門を会社分割で切り離した上で王子ホールディングスに社名を変更する形をとった。会社の設立は1949年(昭和24年)8月であり、初代王子製紙(大王子製紙)の継承会社の一つ苫小牧製紙として発足、王子製紙工業、王子製紙(2代目)、新王子製紙、王子製紙(3代目)、王子ホールディングスと社名は推移している。
売上高は約1兆3400億円(連結、2014年度)[3]。2013年の紙・パルプ関連売上高を基準とすると、紙パルプ業界において日本国内首位、世界でも第6位の規模を持つ[4]。
沿革
会社設立と新工場建設
王子ホールディングスは1949年(昭和24年)8月1日、過度経済力集中排除法に基づいて解体された王子製紙(初代、以下初代王子製紙)の後継会社の一つとして、苫小牧製紙株式会社(とまこまいせいし)の社名で設立された[5]。社名のとおり、初代王子製紙が運営していた苫小牧工場(北海道苫小牧市、現・王子製紙苫小牧工場)を継承し、拠点とした。工場は1か所のみであるが、複数工場を継承した他の後継会社、十條製紙(現:日本製紙)・本州製紙よりも生産量は多く、生産量で発足時より国内トップの製紙会社であった(1949年の生産高シェアは17.2%)[6]。当時の主力製品は新聞用紙である[7]。
この1社1工場・(実質的に)単一品種生産という体制は経営の面から問題視され、会社設立当初から本州に第2の拠点建設が計画された。工場用地として選ばれたのは愛知県春日井市の陸軍造兵廠鳥居松製造所跡地で、1952年(昭和27年)に春日井工場(現・王子製紙春日井工場)として操業を開始した。新工場では始め包装用紙、次いで上質紙などの印刷用紙の生産を開始する[8]。1962年(昭和37年)には塗工紙部門に参入した[9]。
春日井工場建設中の1952年(昭和27年)6月、「財閥商号使用禁止等の政令」の廃止を受けて苫小牧製紙から王子製紙工業株式会社に社名を変更した[10]。「工業」を付したのは初代王子製紙が清算会社として存続していたためだが、1960年(昭和35年)11月に同社が清算事務を終結させたため同年12月、工業を外して王子製紙株式会社(2代目)に社名を変更した[11]。
製紙会社との合併推進
1968年(昭和43年)3月、初代王子製紙の後継会社である王子製紙・本州製紙・十條製紙の3社は合併覚書に調印し、合併を発表した。原料高製品安という構造不況からの脱却、資本自由化の流れの中での国際競争力の強化を目的とした大型合併であったが、公正取引委員会(公取委)が合併否認に動くとみられたため、同年9月公取委への事前審査を取り下げた。事前審査取り下げの後も合併へ向けた動きを続けると発表していたが、結局合併が実現することはなかった[12]。
3社の合併が不成功に終わった後、王子製紙は業務提携を推進した。まず1968年(昭和43年)、旧王子系の北日本製紙と提携。次いで1971年(昭和46年)中越パルプ工業と提携、1974年(昭和49年)には旧王子系の日本パルプ工業と共同で白板紙の事業を立ち上げた。このうち北日本製紙とは業務提携から合併へと進み、1970年(昭和45年)同社と合併した[13]。この時期の既存工場では、春日井工場においてティッシュペーパー「ネピア」の生産が開始(1971年(昭和46年))されている[14]。
オイルショック後の1979年(昭和54年)3月、提携していた日本パルプ工業と合併した。合併により工場配置が全国的になること、低付加価値品(新聞用紙・包装用紙のクラフト紙)の比率が高い王子製紙と高付加価値品(上質紙・塗工紙)の比率が高い日本パルプ工業が合併すると幅広いラインナップにより経営体質の強化を図ることができる、などを合併の理由に挙げている[15]。工場は日南工場(宮崎県日南市、現・王子製紙日南工場)と米子工場(鳥取県米子市、現・王子製紙米子工場)が追加され、既存の苫小牧・春日井工場や江別工場(北海道江別市で旧・北日本製紙、現・王子エフテックス江別工場)とあわせて計5工場となった。
1984年(昭和59年)、東洋パルプに資本参加し同社の再建を引き受けることになった。最終的に累積欠損の解消に至ったが、経営強化には合併が必要と判断されたことから1989年(平成元年)4月、王子製紙は東洋パルプと合併した[16]。合併により工場は呉工場(広島県呉市、現王子マテリア呉工場)が加わり計6工場に増加した。
神崎製紙・本州製紙との合併
1993年(平成5年)10月、業界第8位(1991年度)[17]で旧王子製紙から独立した経緯を持つ製紙会社・神崎製紙と合併した。幅広い製品を手がける王子製紙と、高付加価値紙主体の神崎製紙が合併すると、相互補完により企業体質強化を図ることができる、といった理由を挙げている。合併に伴い、王子製紙(2代目)から新王子製紙株式会社(英文社名:NEW OJI PAPER CO., LTD.[18])に社名を変更した[19]。合併で神崎工場(兵庫県尼崎市、現・王子イメージングメディア神崎工場)と富岡工場(徳島県阿南市、現・王子製紙富岡工場)が加わり計8工場に増加。新会社は、同年4月に業界第3位[17]の十條製紙と第5位[17]の山陽国策パルプが合併して発足した日本製紙に次ぐ、売上高ベースで業界2位(1994年度)の製紙会社となった[20]。
その3年後の1996年(平成8年)10月、今度は業界第3位(1994年度[20])の本州製紙と合併した。新王子製紙が主力とする洋紙と、本州製紙が主力とする板紙の需要変動は必ずしも一致しないため経営リスクが分散できること、その他にも国際競争力の強化、取引先との価格交渉力の強化、といった点を合併の効果として挙げている[21]。合併に伴い、社名を新王子製紙から王子製紙株式会社(3代目)に復した。また、日本製紙を上回り再び国内トップの製紙会社に復帰した[21]。合併で釧路工場(北海道釧路市、現・王子マテリア釧路工場)・富士工場(静岡県富士市、現・王子マテリア富士工場)など計10か所の製紙工場が追加された。
事業の再編
本州製紙との合併により、段ボールを生産する計23か所の段ボール事業部を同社から継承した。しかしこれら段ボール事業部は1998年(平成10年)、関東王子段ボールを始めとする地域別の新会社7社に分離した[22]。この時段ボール事業本部(2000年以降パッケージングカンパニー)は王子製紙に残ったままであった[23]が、2001年(平成13年)段ボール7社と王子製紙パッケージングカンパニーを統合して王子コンテナーが発足した[24]。王子製紙は1998年(平成10年)段ボールメーカーのチヨダコンテナーに資本参加していた[25]が、この王子コンテナーとチヨダコンテナーは2005年(平成17年)に合併し、王子チヨダコンテナーとなった[24](現・王子コンテナー)。また同年同じく段ボールメーカーの森紙業グループを傘下に収めている[26]。
段ボール事業と同様に、合併により紙器加工事業も加わった。同事業については1999年(平成11年)生産拠点であった富士加工事業所を分離して新会社を設立、さらに同年、旧本州製紙傘下の紙器メーカーとこの新会社、および王子製紙の販売部門を統合して王子パッケージングを発足させた[27]。
本州製紙から継承した段ボール原紙部門については、まず2001年(平成13年)にグループのメーカー3社(北陽製紙・高崎三興・中央板紙)と共同で、共同販売会社の王子板紙を立ち上げた[28]。続いて翌2002年(平成14年)、王子板紙とこれらのグループ会社、それに王子製紙の段ボール原紙製造部門を統合して、製販を一元化した王子板紙が発足した[29](現・王子マテリア)。
家庭用紙部門については、本州製紙系列であったホクシーが傘下に加わっていた。2003年(平成15年)に、製販一元化を目的に王子製紙の家庭用紙製造部門とホクシーを、家庭用紙販売会社のネピアに統合し、王子ネピアを発足させた[29]。
特殊紙・フィルム部門については、2004年(平成16年)王子製紙の同部門を子会社の富士製紙に統合、王子特殊紙を発足させた[29](現・王子エフテックス)。
北越製紙へのTOB
2006年(平成18年)7月、王子製紙篠田和久社長は業界5位の北越製紙(現・北越紀州製紙)との経営統合を目指す方針を発表した。北越製紙を傘下とし生産力強化を図るためで、8月中旬から北越製紙の株式50.1%の取得を目指して株式公開買い付け (TOB) を実施するとした。しかし北越製紙は王子製紙の経営統合提案を拒否、三菱商事からの出資(出資比率約24%)を受け入れて三菱商事グループに入ると発表した[30]。三菱商事は当初からTOBに応じない方針を表明、さらにTOB阻止を目的に業界2位の日本製紙グループ本社も北越製紙の株式約9%を取得した。その結果、王子製紙は北越製紙へのTOB成立が困難と判断、8月末に北越製紙との経営統合断念を発表するに至った[31]。
国外への進出
1985年(昭和60年)のプラザ合意による円高ドル安を背景に、本格的な国外進出が始まった。1988年(昭和63年)、カナダの製材会社であるキャンフォーと合弁でハウサウンド・パルプ・アンド・ペーパー(Howe Sound Pulp and Paper、略称:HSPP)を設立。HSPPは西海岸ブリティッシュコロンビア州にパルプから一貫製造する新聞用紙工場を建設し、1991年(平成3年)から日本へむけて新聞用紙を輸出した[32]。なお、HSPPの株式は2001年(平成13年)同社へ売却を決定[33]しており、現在は傘下ではない。
神崎製紙との合併により、同社が1986年(昭和61年)アメリカ合衆国に設立したカンザキ・スペシャルティ・ペーパーズ (Kanzaki Specialty Papers) と、1990年(平成2年)ドイツに設立したカンザン・スペシャル・パピエール (Kanzan Spezialpapiere) の感熱紙メーカーが海外事業に加わった[34]。情報用紙部門ではこれらの他、ノーカーボン紙生産で1996年(平成8年)タイに[35]、感熱紙生産で2001年中国にそれぞれ進出した[36]。タイの感熱紙事業はアジア進出第1号であったが、次いで段ボールの生産で1997年(平成9年)中国に、1999年ベトナムに進出した[37]。
2002年(平成14年)、プロクター・アンド・ギャンブル (P&G) グループから中国蘇州市のティッシュペーパーを生産する製紙会社を買収した。同社は王子製紙にとり中国での製紙工場の第1号となった[38]。翌2003年(平成15年)、中国南通市での大型製紙工場の建設・2006年(平成18年)の生産開始を発表する[39]。この「南通プロジェクト」を担当する江蘇王子製紙有限公司の設立は4年後の2007年(平成19年)に遅れた[40]が、2010年(平成22年)末に工場は操業を開始した[41]。
同じく2010年、マレーシア最大の板紙・段ボールメーカーであるGSペーパー&パッケージング (GS Paper & Packaging) を買収、傘下に収めた[42]。
純粋持株会社制への移行
2011年(平成23年)11月王子製紙は、各事業における権限と責任を明確化し意思決定を迅速化することを目的として、事業持株会社制から純粋持株会社制に移行すると発表した[43][44]。前述の通り、王子製紙では板紙・家庭用紙・特殊紙などの部門は事業子会社として傘下に置き、新聞用紙や印刷・情報用紙部門を王子製紙本体で手がける体制(事業持株会社制)を採っていた。しかし自社で手がける事業が日本国内の需要減少で苦戦が続いていることから、この事業も事業子会社に移管し、経営判断を迅速化して収益改善を目指すこととなった[44]。
純粋持株会社制への移行は2012年(平成24年)10月1日付で実施。王子製紙(3代目)が王子ホールディングスに社名を変更するとともに、下に示す、会社分割により事業部門および一部の間接部門を事業子会社へ移管する再編を行った[45]。
- 白板紙・包装用紙事業などを王子板紙(あわせて王子マテリアへ社名変更)へ移管。
- 新聞用紙・洋紙事業などを王子製紙分割準備(あわせて王子製紙(4代目)へ社名変更)へ移管。
- イメージングメディア事業を王子イメージングメディアへ移管。
- 資源環境ビジネス、原燃料資材調達事業を王子グリーンリソースへ移管。
- その他間接部門を子会社へ移管。
再編にあわせて、一部の子会社でも社名が変更された。
年表
- 1949年(昭和24年)
- 1952年(昭和27年)6月1日 - 王子製紙工業株式会社に社名変更[47]。
- 1953年(昭和28年)6月1日 - 春日井工場が操業開始[48]。
- 1960年(昭和35年)12月1日 - 王子製紙株式会社(2代目)に社名変更[49]。
- 1970年(昭和45年)9月1日 - 北日本製紙と合併[50]。
- 1971年(昭和46年)11月 - 春日井工場のティッシュ工場が操業開始[50]。
- 1979年(昭和54年)3月1日 - 日本パルプ工業と合併[51]。
- 1989年(平成元年)4月1日 - 東洋パルプと合併[52]。
- 1993年(平成5年)10月1日 - 神崎製紙と合併、新王子製紙株式会社に社名変更[53]。
- 1996年(平成8年)10月1日 - 新王子製紙と本州製紙が合併、王子製紙株式会社(3代目)に社名変更[54]。
- 1998年(平成10年)10月1日 - 段ボール事業部を7つの新会社に分離[55](現・王子チヨダコンテナーの前身)。
- 2002年(平成14年)10月1日 - 段ボール原紙製造部門を王子板紙(現・王子マテリア)に統合[29]。
- 2003年(平成15年)4月1日 - 家庭紙製造部門を王子ネピアに統合[29]。
- 2004年(平成16年)10月1日 - 特殊紙・フィルム事業部門を王子特殊紙(現・王子エフテックス)に統合[29]。
- 2006年(平成18年)7月23日 - 業界第5位の北越製紙(現・北越紀州製紙)との経営統合、および同社株式の公開買い付け (TOB) を発表[30]。しかし8月末に経営統合断念を発表、不成立に[31]。
- 2007年(平成19年)
- 2010年(平成22年)4月 - マレーシアのGSペーパー&パッキングを買収[42][29]。
- 2012年(平成24年)10月1日 - 純粋持株会社制へ移行、王子製紙(3代目)から王子ホールディングス株式会社に社名変更。事業部門は王子製紙(4代目)や王子マテリア、王子イメージングメディアなどに移管。
生産拠点の推移
純粋持株会社である王子ホールディングスは生産拠点を持たないが、苫小牧製紙時代から純粋持株会社制への移行直前までの生産拠点をここで一括して示す。
工場名 | 所在地 | 前所属 | 移管先 | 現在名 |
---|---|---|---|---|
苫小牧工場 | 北海道苫小牧市王子町2丁目 | 初代王子製紙 (1949年8月継承) |
王子製紙(4代目) (2012年10月移管) |
王子製紙苫小牧工場 |
春日井工場 | 愛知県春日井市王子町 | なし (1953年6月操業開始) |
王子製紙春日井工場 | |
米子工場 | 鳥取県米子市吉岡 | 日本パルプ工業 (1979年3月合併) |
王子製紙米子工場 | |
日南工場 | 宮崎県日南市大字戸高 | 王子製紙日南工場 | ||
富岡工場 | 徳島県阿南市豊益町吉田 | 神崎製紙 (1993年10月合併) |
王子製紙富岡工場 | |
神崎工場 | 兵庫県尼崎市常光寺4丁目 | 王子イメージングメディア (2012年10月移管) |
王子イメージングメディア神崎工場 | |
呉工場 | 広島県呉市広末広2丁目 | 東洋パルプ (1989年4月合併) |
王子マテリア (2012年10月移管) |
王子マテリア呉工場 |
釧路工場 (洋紙部門) |
北海道釧路市大楽毛3丁目 | 本州製紙 (1996年10月合併) |
なし (2012年9月までに操業停止) |
|
富士工場 | 静岡県富士市平垣 | 王子板紙 (2011年10月移管) |
王子マテリア富士工場第一工場 | |
江戸川工場 | 東京都江戸川区東篠崎 | 王子板紙 (2006年10月移管) |
王子マテリア江戸川工場 | |
岩渕工場 | 静岡県富士市中之郷 | 王子特殊紙 (2004年10月移管) |
王子エフテックス東海工場岩渕製造所 | |
中津工場 | 岐阜県中津川市中津川 | 王子エフテックス中津工場 | ||
滋賀工場 | 滋賀県湖南市朝国 | 王子エフテックス滋賀工場 | ||
江別工場 | 北海道江別市王子 | 北日本製紙 (1970年9月合併) |
王子エフテックス江別工場 | |
名古屋工場 | 愛知県春日井市王子町 | なし (1999年6月春日井工場から独立) |
王子ネピア (2003年4月移管) |
王子ネピア名古屋工場 |
徳島工場 | 徳島県阿南市辰巳町 | なし (1998年12月操業開始) |
王子ネピア徳島工場 | |
釧路工場 (板紙部門) |
北海道釧路市大楽毛3丁目 | 本州製紙 (1996年10月合併) |
王子板紙 (2002年10月移管) |
王子マテリア釧路工場 |
松本工場 | 長野県松本市笹賀 | 王子マテリア松本工場 | ||
大分工場 | 大分県大分市小中島 | 王子マテリア大分工場 | ||
佐賀工場 | 佐賀県佐賀市久保田町大字久保田 | 王子マテリア佐賀工場 | ||
富士宮事業所 | 静岡県富士宮市小泉 | 新富士製紙 (2001年10月移管[58]) |
王子エフテックス東海工場富士宮製造所 | |
熊野事業所 | 和歌山県新宮市蓬莱 | なし (2000年12月閉鎖[59]) |
||
名古屋化学事業所 (硫酸アルミニウム生産) |
愛知県名古屋市港区築地町 | なし (1998年10月春日井工場へ移転・統合[60]) |
本社
本社は東京都中央区銀座4丁目7-5に位置する。これが「本館」で、ほかにも「1号館」と称するビルが銀座5丁目12-8に存在する[61]。1号館は、1996年(平成8年)に合併した本州製紙の本社ビルを合併後に改装したものである[62]。
市場情報
王子ホールディングスは2013年時点で東京証券取引所市場第一部(東証1部)に株式を上場している(証券コードは3861)。1949年(昭和24年)12月に上場を開始した[63]。
かつては以下の証券取引所にも上場しており、東証を含めて国内8か所で上場していた。
- 大阪証券取引所市場第一部(大証1部):1949年12月上場[63]、2013年(平成25年)7月東証に統合
- 札幌証券取引所(札証):1950年(昭和25年)4月上場[63]・2005年(平成17年)12月10日上場廃止[64]
- 福岡証券取引所(福証):1952年(昭和27年)2月上場[63]・2005年12月9日上場廃止[64]
- 名古屋証券取引所市場第一部(名証1部):1949年12月上場[63]・2005年12月5日上場廃止[64]
- 京都証券取引所(京証):1950年(昭和25年)5月上場・2001年(平成13年)3月上場廃止[63]
- 新潟証券取引所(新証):1950年3月上場・2000年(平成12年)3月上場廃止[63]
- 広島証券取引所(広証):1950年10月上場・2000年3月上場廃止[63]
脚注
- ↑ 六大企業集団の無機能化 - 同志社大学学術情報検索システム内にあるPDFファイル。筆者は経済学者の田中彰。
- ↑ “王子ホールディングスの体制について”. 王子ホールディングス. . 2015閲覧.
- ↑ 「王子製紙第91期有価証券報告書 (PDF) 」、p1
- ↑ “製紙産業の現状 世界の主要企業”. 日本製紙連合会. . 2015閲覧.
- ↑ 王子製紙(編)『王子製紙社史』本編(以下「社史本編」と略記)、王子製紙、2001年、pp.75-78
- ↑ 王子製紙(編)『王子製紙社史』合併各社編(以下「社史合併各社編」と略記)、2001年、p341
- ↑ 社史本編、p79
- ↑ 社史本編、pp82-85
- ↑ 社史本編、pp112-113
- ↑ 社史本編、p85
- ↑ 社史本編、pp107-108
- ↑ 社史本編、pp116-117
- ↑ 社史本編、pp145-149
- ↑ 社史本編、pp128-129
- ↑ 社史本編、pp186-188
- ↑ 社史本編、pp287-290
- ↑ 17.0 17.1 17.2 「紙・パルプ大手、7社が減収減益 大昭和製紙は2期連続で経常赤字」、1992年5月30日付朝日新聞朝刊
- ↑ 「王子製紙第72期有価証券報告書」
- ↑ 社史本編、pp343-346
- ↑ 20.0 20.1 「製紙大手6社、販売量伸ばす 4社が増収 今年3月期決算」、1995年05月31日付朝日新聞朝刊
- ↑ 21.0 21.1 「生き残りへ体質強化 海外植林、重点に 新王子・本州製紙の合併」、1996年3月30日付朝日新聞朝刊
- ↑ 社史本編、pp436-437
- ↑ 社史本編、pp436-437,480-481
- ↑ 24.0 24.1 “会社概要・沿革”. 王子コンテナー. . 2012閲覧.
- ↑ 社史本編、pp434-435
- ↑ 「(情報ファイル)王子製紙が森紙業を買収」、2005年04月27日付朝日新聞朝刊
- ↑ 社史本編、p438
- ↑ 「段ボール原紙を共同で販売へ 王子製紙グループ」、2000年12月26日付朝日新聞朝刊
「王子製紙が共販会社 グループ板紙3社と共同 来年7月発足」、2000年12月26日付日刊工業新聞 - ↑ 29.0 29.1 29.2 29.3 29.4 29.5 29.6 「王子製紙第87期有価証券報告書」、p5
- ↑ 30.0 30.1 「王子製紙、北越製紙に統合提案 敵対TOBも、三菱商事と争奪戦」、2006年07月24日付朝日新聞朝刊
- ↑ 31.0 31.1 「王子製紙、北越買収断念を発表 自前で設備増強へ」、2006年08月30日付朝日新聞朝刊
- ↑ 社史本編、pp275-278
- ↑ 「王子製紙、加の合弁を再建 相手企業と合意、資産移転など実施」、2001年2月9日付日刊工業新聞
- ↑ 社史本編、pp376-377
- ↑ 社史本編、p377,451
- ↑ 「王子製紙が中国進出(情報ファイル)」、2001年4月4日付朝日新聞朝刊
- ↑ 社史本編、pp451-452
- ↑ 「王子製紙、P&Gから中国蘇州のティッシュ工場買収」、2002年10月29日付日刊工業新聞
- ↑ “中国における製紙工場建設の計画について”. 王子製紙 (2003年6月10日). . 2012閲覧.
「(経済TODAY)生産量世界一の紙大国・中国に活路 王子、大工場を建設」、2009年10月21日付朝日新聞朝刊 - ↑ 40.0 40.1 “中国南通プロジェクトにおける合弁会社設立に関するお知らせ (PDF)”. 王子製紙 (2007年10月29日). . 2012閲覧.
- ↑ 「王子製紙第87期有価証券報告書」、p15
- ↑ 42.0 42.1 「(情報フラッシュ)王子製紙、マレーシア社を傘下に」、2010年3月13日付朝日新聞朝刊
- ↑ “会社分割による純粋持株会社制移行に関するお知らせ (PDF)”. 王子製紙 (2011年11月4日). . 2012閲覧.
- ↑ 44.0 44.1 “王子製紙、12年10月に純粋持ち株会社に”. 日本経済新聞 (2011年11月4日). 2012年11月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。. 2012閲覧.
- ↑ “持株会社制移行に伴う会社分割および商号変更に関するお知らせ (PDF)”. 王子製紙 (2012年5月14日). . 2012閲覧.
- ↑ 社史本編、p532(年表)
- ↑ 社史本編、p533(年表)
- ↑ 社史本編、p84
- ↑ 社史本編、p536(年表)
- ↑ 50.0 50.1 社史本編、p541(年表)
- ↑ 社史本編、p546(年表)
- ↑ 社史本編、p555(年表)
- ↑ 社史本編、p559(年表)
- ↑ 社史本編、p562(年表)
- ↑ 社史本編、p437
- ↑ 「特種東海HDと王子製紙が提携」、2007年06月20日付朝日新聞朝刊
- ↑ 「王子・三菱製紙が提携 市場飽和と原料高、背景」、2007年11月21日付 朝日新聞朝刊
- ↑ 紙業タイムス社『紙パルプ 企業・工場データブック』2010、テックタイムス、2009年、p77
- ↑ 社史本編、pp422-423
- ↑ 社史本編、p412
- ↑ “王子グループ|会社情報 事業所一覧”. 王子ホールディングス. . 2012閲覧.
- ↑ 社史合併各社編、p339,458
- ↑ 63.0 63.1 63.2 63.3 63.4 63.5 63.6 63.7 『会社年鑑』2006上巻、日本経済新聞社、2005年、p712
- ↑ 64.0 64.1 64.2 「王子製紙第82期有価証券報告書 (PDF) 」、p28
関連項目
- 日本の企業一覧 (パルプ・紙)
- 紙の博物館 - 王子製紙の企業博物館
- 王子ホール - 本社ビルにあるコンサートホール
- 江戸川漁業被害 - 1958年(昭和33年)に江戸川工場で発生した公害
- 札幌交響楽団 名曲シリーズ(森の響フレンドコンサート)に特別協賛
外部リンク
- 王子ホールディングス株式会社 (日本語)