独裁者
独裁者(どくさいしゃ)とは、絶対的権力を行使する支配者。独裁者により支配される体制を独裁制と呼ぶ。
用語
「独裁」の語源は、古代ローマで非常時に元老院より任命された官職の「独裁官」である[1]近代迄は、「独裁」は否定的な意味を持たず、またこの用語が使用される事は稀であった。
「独裁」を現代の意味で初めて使用したのはフランソワ・ノエル・バブーフである。以後、「独裁」は抑圧的で残虐な支配や、権利の濫用などに対する批判的な用語として、圧倒的に使用されるようになった。
なお類似用語の「専制」の語源は古代ギリシャ語で「違法な支配」の意味を持ち、支配者と非支配者の身分は問わないため、古代の王と平民や、皇帝と被支配民族などの関係も含まれる。しかし「独裁」は通常、支配者と非支配者の身分が基本的には同一である。
概要
独裁は、しばしば法の支配による手順を無視した形での、国家の非常事態宣言、市民の選挙や自由権の停止、法令による規制、政治的抑圧などが実施され、更には一党制や個人崇拝となる場合もある[2] [3]。
軍事政権や一党独裁制、あるいは個人的支配下の文民政府などを含め、多様で相違のある多数の統治形態が「独裁」と呼ばれている。「独裁」の政治的立場は、右翼または左翼など特定の立場には限らない。
具体的に誰を「独裁者」と呼ぶかは、常に多数の議論がある。歴史上の著名な支配者は多くの場合、支持者からは「指導者」や「英雄」などと呼ばれているが、被支配者など批判的立場からは「独裁者」や「専制君主」などと呼ばれている事が多い。かつて独裁政権や植民地支配に対抗した「指導者」「英雄」が、権力を得た後に独裁的政治を行うケースも見られる。また支配者の側からは、現在は非常時における必要な緊急対応であり、国民や民族などの自由、財産、安全などを防衛し、更にパクス・ロマーナのような平和な状態を目指していると説明されるが、批判者からは伝統的な合議制、寛容、多様性あるいは法の支配などを軽視または無視した強権的・独善的な「独裁者」と批判される場合が多い。
歴史
歴史上、「独裁者」と呼ばれる支配者は多数存在するが、上記の通り「独裁者」の客観的な定義は困難なため、以下では自身が民主主義などを否定し、「独裁」などを提唱した主要な例を記載する。
共和政ローマの官職の一つ独裁官は、国家の非常事態に任命され、6ヶ月間に限り国政を一人で操ることができた。しかし紀元前44年、ガイウス・ユリウス・カエサルは自らを終身独裁官に任命したことにより実質上共和政は変質し、後に一人支配が常となる元首政(プリンキパトゥス、いわゆる帝政ローマ)が誕生する礎となった。ただしローマ皇帝は形式上は君主ではなく市民であり、共和国の守護者とされた。
近代以降では、フランス革命後のマクシミリアン・ロベスピエールらが恐怖政治を行った。その後、ナポレオン・ボナパルトが軍事政権を樹立し、国民投票によりフランス皇帝となった。ただしこれらも名目上はフランス革命の理念の防衛であり、フランス皇帝は従来の王とは異なり共和国を支配するものとされた。またフランソワ・ノエル・バブーフは完全平等主義のための「階級独裁」を提唱した。
1875年、カール・マルクスは著作『ゴータ綱領批判』で、ブルジョワ社会での議会制民主主義は少数であるブルジョアジー勢力にのみ政治参加が認められており、多数であるプロレタリアートに政治参加の道が開かれておらず、そのためプロレタリアートは疎外状態にあるとして、資本主義社会から共産主義社会へ移行する過渡期においてプロレタリア独裁が必要とした。その後、マルクス・レーニン主義を掲げる多くの社会主義国の憲法や、コミンテルン系の多くの共産党の綱領などには、党による「独裁」が明記された(党の指導性、一党独裁制)。
20世紀初頭、ファシズムを提唱したベニート・ムッソリーニは、ローマ進軍後にヴィットーリオ・エマヌエーレ3世からの勅令で組閣して連立政権の首相となり、選挙法改正(選挙で25%以上の得票率を得た第一党が議会の議席の3分の2を獲得する)と総選挙により独裁体制を確立し、更に労働組合の解散、言論出版取締令、首相に代わる新しい役職である頭領(ドゥーチェ)への就任、国家ファシスト党以外の政党の総選挙参加禁止、などを実施した。ただし形式上は国王、憲法、議会、野党は存続しており、政体は立憲君主制のまま、国名はイタリア王国のままである。
国家社会主義(ナチズム)を提唱したアドルフ・ヒトラーは、著作『我が闘争』で民主主義は衆愚政治であり、ドイツ民族には強い指導者が必要と主張した。首相就任後、ドイツ国会議事堂放火事件を理由に共産党員らを予防拘禁し、全権委任法の可決により政府が立法権を握り、政党禁止法により国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)以外の政党を禁止し、独裁体制を確立した。その後、国民投票により大統領職を兼ねた新しい役職である総統に就任した。ただし形式的にはヴァイマル憲法は存続しており、政体は共和制、国名はドイツ国のままである。
第二次世界大戦終結後の国際連合による世界人権宣言は、全ての人の自由権、公正な裁判を受ける権利、表現の自由、平等な普通選挙による参政権などを明記した[4]。ただし国際人権規約の自由権規約では、同様の自由権と同時に、制限的な「非常事態における例外条項」も併記された。
議論
哲学者のプラトンは、民主政は衆愚政治に陥る可能性があると批判し、著書『国家』で哲人王による独裁政治が理想と主張した[注釈 1]。
哲学者のジャン=ジャック・ルソーは著作『社会契約論』で、人民の一般意志には統治者も人民も服従すべきと記した。
哲学者のジョン・スチュワート・ミルは著作『自由論』で、「多数が一人を黙らせることは、一人が多数を黙らせることに等しい」と「多数派の横暴」を指摘した。
政治学者のカール・シュミットは、著作『政治的なものの概念』で、議会制民主主義を利権集団と批判し、「例外状態」で決断を下すものが主権者、と記した。また独裁制と専制政治の違いは「具体的例外性」の有無とし、独裁政は例外的事態だが、その具体的例外性を失えば専制政治に転化する、と記した。
脚注
注釈
- ↑ ただし後世においては『法律』において微修正し、寡頭制的な要素による政治を理想とした。
出典
- ↑ dictator – Definition from the Merriam-Webster Online Dictionary
- ↑ Papaioannou, Kostadis; vanZanden, Jan Luiten (2015). “The Dictator Effect: How long years in office affect economic development”. Journal of Institutional Economics 11 (1). doi:10.1017/S1744137414000356 .
- ↑ Olson, Mancur (1993). “Dictatorship, Democracy, and Development”. American Political Science Review 87 (3).
- ↑ 世界人権宣言