焼畑農業

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フランス領ニューカレドニアリフー島で行われている焼畑(2007年

焼畑農業(やきはたのうぎょう)/ 焼畑農法(やきはたのうほう)は、主として熱帯から温帯にかけての多雨地域で伝統的に行われている農業形態である。通常耕耘施肥を行わず、1年から数年間耕作した後、数年以上の休閑期間をもうけ植生遷移を促す点が特徴である。英語では移動農耕 (shifting cultivation) という語が使われ、火入れをすることは必ずしも強調されない(実際、湿潤熱帯の各地では火入れを伴わない焼畑農耕も見られる[1][2])。英語圏の研究においては、短期の耕作と長期の休閑が繰り返され循環することをもって焼畑が定義されることが多い[3]

概要

文化人類学者福井勝義によれば、「ある土地の現存植生伐採焼却等の方法を用いることによって整地し、作物栽培を短期間おこなった後、放棄し、自然の遷移によってその土地を回復させる休閑期間をへて再度利用する、循環的な農耕である」と定義される[4]

焼畑にはいくつかの機能があると指摘されている。火を使うことについては

  1. 熱帯土壌栄養塩類の溶脱が激しく、やせて酸性ラトソルが主体のため、作物の栽培に適していない。そこで熱帯雨林に火を付けて開拓することで、中和剤や肥料となり、土壌が改良される。
  2. 焼土することで、土壌の窒素組成が変化し、土壌が改良される[5]
  3. 熱による種子や腋芽の休眠覚醒
  4. 雑草、害虫、病原体の防除

また休閑することによって耕作期間中の遷移途中に繁茂する強害雑草である多年生草本が死滅するので、常畑を営む場合に大きな労働コストとなる除草の手間を省くことができる。近年の研究では、このことが一次生産力の高い(雑草がはびこりやすい)湿潤熱帯において焼畑が農法として選択される最大の理由であることが強調されている。

灌漑を利用しない天水農業である。また、広域の山林における人間活動が、野生動物の里地への侵入を低下させる可能性も指摘されている。

ここで、キャッサバヤムイモタロイモ、料理バナナ(プランテン)などの根栽系(栄養繁殖)作物、あるいは、モロコシ、シコクビエ、トウモロコシ、陸稲などを栽培して主食とする。現在でも、焼畑で栽培されるのは主に自給用作物である。

かつては日本でも山間地を中心に行われ、秩父地方では「サス」、奥羽地方では「カノ」、飛騨地方では「ナギ」など種々の地方名で呼ばれてきた。しかし、近年急速に衰退し、現在は宮崎県椎葉村山形県鶴岡市などに限られている。

現状

熱帯の気候に適した農法で区画を決めて焼畑を行い、栽培が終わると他の区画へと移動する。焼畑農業は元の区画が十分な植生遷移を経た後に再び耕作する持続可能的なものである。集落ごと移動し新規の土地を求めることもあるが、これは農地の不足によるものというよりは他の様々な社会的理由によるものであることが示唆されている[6]。近年では人口の増加や定住政策、また商品作物の栽培のために常畑に移行する例も少なくない。

政策によって促された農業移民などの新規農業事業者による商品作物栽培のために、焼畑ではなく常畑設置のための火入れ地拵えの延焼などによる森林火災が進んでいることが、焼畑の責任になることがある[7][8]。また衛星写真でも、循環的な(耕作と休閑を繰り返す)焼畑でなく、常畑や牧場造成のための広範囲のいっせい皆伐による開墾が観察され[9]、森林破壊の証拠としてしばしば取り上げられるが、これらが焼畑と混同され誤って報じられる例が現在でも後を絶たない。

こうした混乱の一因は、「伝統的焼畑」と「非伝統的焼畑」という誤った二項対立に起因するものとも考えられる。というのは、後者の指すものは、実際には「投資家によるプランテーション造成」「農業移民による常畑開墾」など、焼畑ではないものであることがほとんどだからである。ここに見られる誤謬のように、「かつては無垢で自然と共存していた小農(焼畑民)が、現代の社会経済変化を経て環境破壊者に変わってしまった」という、様々な場面で登場する誤った言説は「失楽園物語」と呼ばれることもある[10]

東南アジア

ヘイズと呼ばれる大気現象に発展し、健康被害をもたらしている。これらの主要因はアブラヤシ農園造成やパルプ材抽出のための泥炭地の開発に伴う火入れであると指摘されているが、焼畑によるものであるという誤った報道がなされることも少なくない。 平地出身の焼畑を行わない農民が火入れ地拵えのために伐採後に火をつけたとき、周囲に延焼し、大量の煙を発生させることもある。 現在はインドネシアで発生したヘイズシンガポールマレーシア等の大都市を包み、住民の健康被害をもたらしたり、視界不良による交通障害を起こしたりする深刻な煙害をもたらすことがある。特に、2000年代に入ってからは、インドネシアを中心に、(焼畑農業とは無関係な)森林の更地化(商工業用地化・住宅用地化)の過程で伐採行為の省力化を目的に、樹木にガソリン灯油などをかけて焼却する行為が横行し、社会問題化している。ところが、これらは焼畑が原因ではないことが明らかであるにも関わらず、とくに日本語の翻訳記事などでは「焼き畑」が原因と誤って記載されることが横行しており、混乱をきたしている[11]

日本における焼畑農業

日本列島においては縄文時代中期・後晩期段階での粗放的な縄文農耕が存在したと考えられており[12]、遺跡からは蕎麦、麦、緑豆などの栽培種が発見され、かつては縄文後期に雑穀・根菜型の照葉樹林文化が渡来したという研究者もいる[13]が、近年の成果から縄文前期に遡ると指摘する研究者もいる。宮本常一野焼き山焼き後の山菜採りから進化した農法ではないか、と考察している[14]

古代の段階では畿内周辺においても行われている。 中世近世においても焼畑は水田耕作の困難な山間部を中心に行われた。近世以前は山中を移動して生活する人々が多数存在したが、時代が下るに連れ定住し焼畑を中心に生計を立てる集落が増えた[15]

近世においては江戸時代中後期の徴税強化や山火事等の保安上の理由、山林資源への影響から禁止・制限が行われた。かつて焼畑はは西日本全域、日本海沿岸地域を中心に日本全域で行われていたが、明治32年に施行された国有林施業案の影響により焼畑を営む戸数は激減した[16]

東北地方では昔から焼畑を主な生業とする集落が多く[17]、現在でも火野(かの)カブと呼ばれる焼畑によるカブの栽培が行われており、山形県鶴岡市温海かぶでは、林業における伐採と植栽のサイクルに沿った持続可能性を有する栽培方法が江戸時代から続けられている[18]

日本ではヒエアワソバダイズアズキを中心にムギサトイモダイコンなども加えた雑穀栽培型の焼畑農業が一般的である。 焼畑の造成はキオロシと呼ばれる樹木の伐採作業から始められる。耕作地を更地にした後、しばらく乾燥させ火を入れる。その後に播種するが、1年目はソバ、2年目はアワ、といったように輪作される事が多い[19]。耕作期間は3- 5年で、その後植林し、15 - 20年間放置して地力を回復させる。

脚注・出典

  1. Thurston, H.D. (1997). Slash/mulch systems: sustainable methods for tropical agriculture. Westview Press. 
  2. 佐藤廉也 「アフリカから焼畑を再考する」『焼畑の環境学―いま焼畑とは』 佐藤洋一郎監修、思文閣出版、2011年、427-455頁。
  3. 福井(1983), 238頁。
  4. 福井 (1983), 239頁
  5. Araki, S (1993). “Effect on soil organic matter of the chitemene slash-and-burn practice used in northern Zambia in Mulongoy”, in K. and Mercks, R.: Soil Organic Matter Dynamics and Sustainability of Tropical riculture. John Wiely & Sons., 367-375. 
  6. 佐藤(2011): 444-450.
  7. アマゾン先生(アマゾン自然館・館長:山口 吉彦)”. 『アマゾン自然館』web. 月山あさひ博物村. . 2015-9-25閲覧.
  8. 砂漠化とは?”. 『エコ忍法の環境用語/環境問題最新ニュース』web. エコ忍法の環境用語. 2012年7月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。. 2015-9-25閲覧.
  9. アマゾンの衛星写真(google map)
  10. O'Brien, William E. (October 2002). “The nature of shifting cultivation: stories of harmony, degradation, and redemption”. Human Ecology 30(4): 483-502. 
  11. 例えばAFPの日本語版記事など http://www.afpbb.com/articles/-/3101411 同記事で「ヤシ油やパルプ材のプランテーション用の土地」の開墾が原因であると書かれていながら、「焼き畑」が原因であるとしている点に注意。なお、英語版の同記事には「焼畑」とは一言も書かれていない。
  12. 『縄文時代の考古学三 大地と森の中で―縄文時代の古生態系ー』 小杉康,谷口康浩,西田泰民,水ノ江和同,矢野健一、同成社、2009年。
  13. 佐々木高明 『縄文以前』 日本放送協会、1971年。
  14. 宮本 2011, pp. 227-228.
  15. 宮本 2011, pp. 213-218.
  16. 宮本 2011, pp. 229-230.
  17. 湯川 1991, pp. 24-25.
  18. 豊かなむらづくり全国表彰事業:一霞集落”. 東北農政局. . 2015閲覧.
  19. 湯川 1991, pp. 54-62,152.

参考文献

  • 福井勝義 「焼畑農耕の普遍性と進化─民俗生態学的視点から」『山民と海人―非平地民の生活と伝承』第5巻、大林太良ほか編、小学館〈日本民俗文化大系〉、1983年、235-274頁。
  • 宮本常一 『山に生きる人々』 河出書房新社、2011。ISBN 9784309411156。
  • 湯川洋司 『変容する山村:民俗再考』 日本エディタースクール出版部、1991。ISBN 4888881782。

関連項目

外部リンク