渡辺えりか
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渡辺 えりか | |
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プロフィール | |
リングネーム |
渡辺 えりか 橋本 真弥 ラウンドガール |
本名 | 渡辺 えりか |
身長 | 158cm |
体重 | 65kg |
誕生日 | 1978年4月28日 |
死亡日 | 2018年4月20日(39歳没) |
出身地 | 北海道北見市 |
所属 | JWP女子プロレス |
スポーツ歴 | 柔道 |
デビュー | 1998年1月23日 |
引退 | 2006年1月22日 |
渡辺 えりか(わたなべ えりか、旧戸籍名:秋田 えりか(あきた えりか)、旧姓:渡辺、1978年4月28日 - 2018年4月20日)は、日本の元女子プロレスラー。北海道北見市出身。JWP女子プロレスに所属していた。本名(旧姓の方)、橋本 真弥(はしもと まや)、ならびにマスクウーマンラウンドガールとしての活動で知られる。
経歴・戦歴
1998年1月23日、神奈川・川崎市体育館において、対春山香代子戦でデビュー。2月14日、「橋本真也に顔が似ている」という理由だけで「橋本真弥」に改名。当時から大食いとして知られ、1999年4月のTBSテレビ『金曜テレビの星!』の大食い王座決定戦で見事優勝する。8月の「マスクウーマン・フェスティバル」では「ラウンドガール」として登場。しかし同年11月29日、頭部負傷を理由に引退してしまう。
引退・結婚後しばらくして2001年にレフェリーとして再びリングに上がり、11月28日にフリーとして現役復帰。2002年6月16日に再びJWP所属となった。以後、渡辺えりかならびにラウンドガールとして活動。また、ラウンドガールの特異なキャラクターを活かし、休憩後のインフォメーション「えりりんの部屋」でも活躍した。
2005年5月15日の後楽園ホール大会で松尾永遠を破り、念願のJWPジュニア王者となったが、同年12月3日の江本敦子戦(於:新宿FACE[1])後に心臓の病気を理由に引退を表明。2006年1月7日にラウンドガール、1月22日(於:東京キネマ倶楽部[1])に渡辺えりかでそれぞれ引退試合を行った。
2013年9月に胃がんが判明。肝臓などに転移している状態で闘病中であったが、2018年4月20日、東京都内の病院で死去。39歳没[2]。
得意技
- チョップ
- 払い腰
- エルボードロップ
- スピアー
- ジャベ
- タニア/相手の両腕、両足を自分の両脇に抱えるバックブリーカー。リバースゴリースペシャルとほぼ同じだが、頭の上でなく肩の上に相手をかつぎ上げる。
- トルニージョR/相手の片足を片腕で取っての、スタンドでの変形ドラゴン・スリーパー
- えりりんロック/相手の腕を取りひっくり返して入るクルスフィックスホールド
- カスティゴアルクェヨ/ビクトル投げから首も決めにいく
- えりりんカッター/いわゆるSTO
タイトル歴
入場テーマ曲
- 「For the Heroes」(春畑道哉)
- 「ライク・ア・ヴァージン」(マドンナ)<ラウンドガール>
脚注・出典
- ↑ 1.0 1.1 “渡辺えりか選手お疲れ様でした!”. 松田靖幸のブログ(仮) (2006年1月23日). . 2014閲覧.
- ↑ 女子プロレス元JWPの渡辺えりかさん死去 がんと戦い39歳で - デイリースポーツ online 2018年4月20日