渋谷暴動事件
渋谷暴動事件 | |
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場所 | 東京都渋谷区 |
日付 | 1971年(昭和46年)11月14日 (日本標準時) |
武器 | 火炎瓶、鉄パイプ |
死亡者 | 1名(警察官) |
犯人 | 革命的共産主義者同盟全国委員会 |
渋谷暴動事件(しぶやぼうどうじけん)とは、1971年(昭和46年)11月14日に日本の東京都渋谷区において発生した暴動事件である。暴動鎮圧にあたっていた機動隊員1人が死亡した。
Contents
事件概要
1971年11月10日に沖縄県で打たれた沖縄返還協定批准阻止のゼネラル・ストライキ(「11.10ゼネスト」または「沖縄ゼネスト」)に呼応して、渋谷・四谷などで行なわれた「沖縄返還協定批准阻止闘争」の中で、革命的共産主義者同盟全国委員会(中核派)は「渋谷に大暴動を」と武装蜂起を呼びかけていた[1]。
11月14日、渋谷では全国から応援派遣された機動隊員が大盾を構えて厳戒態勢をとっていたが、中核派の学生らはスーツ姿で群衆に紛れこんでこれをかわし[1]、突如白ヘルメットを被って機動隊や渋谷駅前派出所を火炎瓶等で襲撃した。
神山派出所周辺では関東管区機動隊新潟中央小隊(新潟中央警察署)27人が警備に当たっていたが、中核派の学生ら約150人が一斉に火炎瓶を投げてこれに襲い掛かった。襲撃を受けた小隊は、火炎瓶を浴びた隊員が転げまわり、その火を同僚が消火器で漸く消し止める有様で、一時後退を余儀なくされた。ガス筒発射器(ガス銃)を装備した最後尾に隊員2人が留まり、後退する小隊を支援しようとした。うち1人は所持していた3発のガス弾を撃ち尽くしてから脇道を走って逃れることができたが、もう1人の21歳の巡査Aは「殺せ!殺せ!」と叫ぶ中核派に取り囲まれ、鉄パイプで乱打されて失神状態に陥った。中核派はさらに巡査Aにガソリンを掛けた上で、「投げろ!」という号令を合図に火炎瓶を次々と投擲した。立ち上がった火柱の高さは5メートルにもなったという[1]。
体勢を立て直した隊員らが戻ると、巡査Aは真っ黒になってうずくまっていた。顔の識別が難しいほどの全身火傷を負った巡査Aは、新潟から父と兄が駆け付けてきた数時間後の翌15日21時25分に死亡[1]。他3人が重傷を負った。
事件後、中核派は機関紙で「遂にやった! 憎むべきガス銃の射手をせん滅したのだ!」と誇示した[1][2]。
やりきれない思いを抱く巡査Aの兄は、弔問に訪れた後藤田正晴警察庁長官に対し「誰が悪かったのでしょう」「弟を虫けらのように扱った学生は許せない。でも、学生の暴徒化は予想できたはず。どこかで折り合いをつけられなかったのか」と尋ねたが、後藤田は黙ったままだったという[1]。
捜査・容疑者の処罰
警察はこの事件に絡んで暴動を煽った中核派委員長を逮捕した(破壊活動防止法違反により懲役3年執行猶予5年)。
巡査Aの殺害事件については、大坂正明・星野文昭・荒川碩哉・奥深山幸男ら中核派の学生7人(17~25歳)を犯人と特定した[1]。その内、大坂を除く6名が1972年から1975年8月までに逮捕・起訴された。1987年、星野に無期懲役[3]、荒川に懲役13年(2000年7月に満期出所)が確定した。奥深山は一審懲役15年で控訴中の1981年に精神疾患のために公判停止になった。奥深山の支援者などの弁護側は公判停止の長期化は迅速な裁判を侵害しているとして免訴を求めていたが、検察側は病状安定後の公判再開を目指していた。なお奥深山は2010年1月に「病状安定」の鑑定結果が出ており、今後における公判再開の見込みが報じられていたが、2017年2月7日、入院先の群馬県内の病院で病死した[4]。他、徳島刑務所に収監中の星野が冤罪を主張し再審請求を行なっている[3][5]。
大坂の逃亡と逮捕
暴動の実質的リーダー(「軍団長」)として学生を率いていたとみられる千葉工業大学生の大坂正明は事件後に逃亡し、全国指名手配された[1][6][7]。
以降大坂は捜査を逃れて潜伏を続けることを余儀なくされるが、事件は大坂の家族の人生をも暗転させた。姉は退職を余儀なくされただけでなく、婚約も破談になった。事件が起こるまで大坂が活動家となっていたことを知らなかった父親は、大坂を勘当したうえで実家にあった大坂の私物をすべて焼却し(これにより大坂の指紋照合が困難になった)、家も引き払った。「(大坂)を東京になんかやるんじゃなかった」と後悔の言葉を口にしていた父親は、事件の数年後に他界した[1]。
大坂の足取りは、1973年11月を最後に途絶えていたが[8]、共犯者である奥深山の公判中を理由に刑事訴訟法254条2項の規定で公訴時効が停止しており(事件当時の殺人罪の公訴時効は15年であったが、2010年に殺人罪の公訴時効が撤廃される)、殺人・放火・傷害・凶器準備集合・公務執行妨害容疑で指名手配、捜査が続いていた。
- 2012年3月に警視庁公安部が、東京都立川市の中核派秘密アジトへ家宅捜索で押収した暗号文書を解読した結果、大坂は中核派革命軍のメンバーであり、2012年2月まで別の秘密アジトに潜伏していたことや、群馬県内の病院で治療を受けていたことが報道された[1][9]。
- 2016年1月には、大坂が2007年から2008年夏頃まで、東京都北区の賃貸マンションにある中核派の非公然アジトに潜伏していた可能性があることが分かった[10]。
- 2016年11月1日から、捜査特別報奨金対象事件となり、大坂の逮捕に繋がる情報に300万円の懸賞金がかけられた[11]。捜査特別報奨金対象事件としては最古の事件である。
- 2017年5月18日、潜伏先の広島県広島市安佐南区の中核派アジトを大阪府警察に捜索を受けた時に公務執行妨害容疑で現行犯逮捕され、6月7日、親族とのDNA型照合で本人と特定され、殺人罪などで再逮捕された[12]。裁判員制度で審理される最古の事件と目される一方で、検察は裁判員に危害が及ぶ恐れがあるとして裁判員審理の除外を請求している。
- 弁護士は「容疑者は100%無実」として釈放を求めた[13]が、警視庁公安部が逮捕後に共犯者や目撃者ら全国の100人以上の関係者に対して改めて行った聴取では、大坂の逮捕容疑を否定する供述はなかったという[6]。
- 大坂正明の逮捕時に中核派アジトで同居していた中核派活動家は指名手配犯の大坂を匿った犯人蔵匿罪で逮捕・起訴され、懲役1年8ヶ月の実刑判決が言い渡された[14]。
出典
- ↑ 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 1.5 1.6 1.7 1.8 1.9 “ストーリー:若者たちの半世紀(その2止) 警官と活動家、死と生 - 毎日新聞” (ja-JP). 毎日新聞 . 2018閲覧.
- ↑ 激しい暴動では、しばしば機動隊が行うガス弾の「水平撃ち」により負傷者が出ており、ガス弾の射手は新左翼から憎悪の対象となっていた。
- ↑ 3.0 3.1 “1日も早く再審開始を 沖縄闘争のえん罪訴え集会”. 共同通信社. Yahoo!ニュース. (2003年11月15日). オリジナルの2003年12月15日時点によるアーカイブ。 . 2018閲覧.
- ↑ 奥深山被告が入院先で病死 渋谷暴動事件、公判停止中 中核派の活動家 産経新聞 2017年2月14日
- ↑ “星野文昭 絵画展 会見”. 琉球朝日放送. (2017年4月17日) . 2018閲覧.
- ↑ 6.0 6.1 “学生リーダー格「軍団長」か、暴動呼びかけなど積極参加 大坂容疑者を起訴”. 産経新聞 (2017年6月29日). . 2017閲覧.
- ↑ INC., SANKEI DIGITAL (2017年6月8日). “「同僚の仇」思い継承…警察46年の追跡実る 渋谷暴動事件” (ja-JP). 産経ニュース . 2018閲覧.
- ↑ “渋谷・警官殺害 大坂容疑者か 名前名乗らず黙秘”. 毎日新聞 (2017年5月23日). . 2018閲覧.
- ↑ “「渋谷暴動」容疑者、首都圏のアジトに潜伏か”. 日本経済新聞 (2013年2月8日). . 2018閲覧.
- ↑ “警視庁が東京・北区の中核派アジト捜索 渋谷暴動事件の大坂容疑者潜伏か”. 産経新聞 (2016年1月18日). . 2018閲覧.
- ↑ 渋谷暴動事件 有力情報に「捜査特別報奨金」 最大300万円 産経新聞 2016年11月1日
- ↑ “渋谷暴動事件、大坂正明容疑者を逮捕 警視庁、事件から46年ぶり”. 産経新聞 (2017年6月7日). . 2018閲覧.
- ↑ “渋谷暴動事件の大坂正明容疑者を起訴 東京地検”. 産経新聞. (2017年6月28日) . 2017閲覧.
- ↑ “「中核派」活動家に実刑=渋谷暴動、大坂被告かくまう-大阪地裁”. 時事通信 (2018年4月27日). . 2018閲覧.
関連項目
- 日本の新左翼
- 革命的共産主義者同盟全国委員会(中核派)
- 日大紛争
- 東峰十字路事件
- 沖縄ゼネスト警察官殺害事件
- 福島菊次郎 - 写真家。当時の騒動の様子を撮影。作品の一部が『DAYS JAPAN』2010年3月号に「首都騒乱」の題で掲載されている。