済生会
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略称 | 済生会 |
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設立年 | 1911年 |
種類 | 社会福祉法人 |
本部 | 東京都港区三田1丁目4番28号 |
総裁 | 秋篠宮文仁親王 |
重要人物 | 会長:有馬朗人 |
ウェブサイト | www.saiseikai.or.jp |
済生会(さいせいかい、英語: Social Welfare Organization Saiseikai Imperial Gift Foundation, Inc.)とは、日本の慈善事業団体である。正式名称は、社会福祉法人恩賜財団済生会(おんしざいだんさいせいかい)。名称は明治天皇の勅語に由来し、恩賜財団の文字は小さくして2段の組文字にするのが公式な表記である。ただし登記上はこのような表記ができないので一行で表記している。
日本最大の社会福祉法人であり、青森・秋田・山梨・岐阜・徳島・高知・沖縄の7県を除く40都道府県で、病院や診療所などの医療機関99施設と老人や障害者などの福祉施設280施設を開設・運営しており、約59,000人の職員が働く。運営する施設のうち、病院及び診療所は、医療法第31条の公的医療機関として位置づけられている。
もともとの設立の趣旨は経済的に恵まれない人々に医療を提供することであり、現在も社会福祉法に基づく無料低額診療事業を行う。近年では茨城県立こども病院や大阪府立千里救命救急センターのように、公立病院の運営を済生会が受託したり、指定管理者として管理している施設もある。
歴史
- 1911年(明治44年)2月11日、明治天皇の『済生勅語』によって、皇室よりの下付金150万円と朝野の寄付金を合わせて創設される。天皇の意向により、「恩賜」と「財団」は1行に書かずに、済生会よりも小さい文字で2行に組み文字にすることとなっている[1]。
- 同年5月30日、「恩賜財團濟生會」設立認可。8月21日、財団発足。初代総裁に伏見宮貞愛親王、初代会長に桂太郎(総理大臣)。組織の運営は内務省が管理し、具体的な事業計画は地方自治体に委託する形式をとった。
- 1912年、東京に深川診療所・本所診療所開設。
- 1913年、横浜市西区岡野町に第一号病院として『神奈川縣病院』(現:済生会神奈川県病院)開設。のち横浜大空襲により焼失し、戦後移転。
- 同年、第二代会長に徳川家達就任。
- 1915年、本部直営の基幹病院として「恩賜財團濟生會芝病院(現・東京都済生会中央病院)」開設。初代院長として北里柴三郎が就任。
- 1952年、社会福祉法人として認可。現在は、厚生労働省が所轄している。
「済生会」の由来
- 創設に際し、「生活困窮者を済う(すくう)」「医療で地域の生(いのち)を守る」「会(かい)を挙げ、医療・福祉の切れ目ないサービス」からとられた[2]。
役員
- 総裁:秋篠宮文仁親王
- 会長:有馬朗人
- 理事長:炭谷茂
歴代総裁
拠点
- 本部
- 東京都港区三田一丁目4番28号三田国際ビルヂング21階
- 直轄施設として 東京都済生会中央病院を運営する。
- 支部
- 青森・秋田・山梨・岐阜・徳島・高知・沖縄の7県を除く40都道府県
脚注
- ↑ “恩賜(おんし)財団の表記”. 済生会. . March 03, 2013閲覧.
- ↑ “三つの目標 すべてのいのちの虹になりたい”. 社会福祉法人 恩賜財団 済生会. . 2017閲覧.
外部リンク
- 社会福祉法人 恩賜財団 済生会 公式サイト (日本語)