涅槃

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涅槃図(19世紀)

涅槃(ねはん、संस्कृतम्: निर्वाणnirvāṇa(ニルヴァーナ)、पालि: निब्बानnibbāna(ニッバーナ))とは、仏教において、煩悩を滅尽して悟り智慧菩提)を完成した境地のこと[1][2]。涅槃は、生死を超えた悟りの世界であり、仏教の究極的な実践目的とされる[1][注釈 1]般涅槃(はつねはん)や大般涅槃ともいう[1][注釈 2]。この世に人として現れた肉体を指すこともある[1]仏教以外の教えにも涅槃を説くものがあるが、仏教の涅槃とは異なる[1]

原語・漢訳・同義語

原語は: nirvāṇa(ニルヴァーナ)、: nibbāna

「涅槃」はこれらの原語の音写である[1][2][注釈 3]。音写はその他に泥曰(ないわつ)、泥洹(ないおん)、涅槃那、涅隸槃那などがある[1]

: nirvāṇaは、滅、寂滅、滅度、寂、などと漢訳される[1]。。「涅槃」は、解脱、択滅(ちゃくめつ)、離繋(りけ)などと同義とされる[1]

解釈

涅槃の解釈は大乗仏教部派仏教で異なり[1]、大乗と部派の各々の内部にも、後述のように異なる説がある。

部派仏教

部派仏教では、涅槃とは煩悩を滅し尽くした状態であるとしている[1]。部派仏教でいう涅槃には有余涅槃(有余依涅槃)と無余涅槃(無余依涅槃)の2つがある[1][注釈 4]。有余涅槃は、煩悩は断たれたが肉体が残存する場合を指す[1]。無余涅槃は、全てが滅無に帰した状態を指す[1]。無余涅槃は灰身滅智(けしんめっち)の状態である[1][注釈 5]

説一切有部などでは、涅槃は存在のあり方であるとして実体的に考えられたが、経量部などでは、涅槃は煩悩の滅した状態を仮に名づけたものであって実体のあるものではないとされた[1]

大乗仏教

大乗仏教では、・楽・・浄の四徳を具えない部派仏教の涅槃を有為涅槃とするのに対して、この四徳を具える涅槃を無為涅槃とし、無為涅槃を最上のものとする[1]。大乗仏教では、涅槃を積極的なものと考える[1]

唯識宗では、本来自性清浄涅槃・有余依涅槃・無余依涅槃・無住処涅槃の四種涅槃を分ける[1]地論宗摂論宗では、性浄涅槃・方便浄涅槃の二涅槃を分ける[1]天台宗では、性浄涅槃・円浄涅槃・方便浄涅槃の三涅槃を分ける[1]

釈迦牟尼仏の肉体の死としての涅槃

涅槃、般涅槃、大般涅槃の語は、この世に人として現れた仏(特に釈迦牟尼仏)の肉体の死を指すこともある[1]。『総合仏教大辞典』は、これは無余依涅槃を意味しているようだとしている[1]

仏典における扱い

ダンマパダ

南伝のパーリ語教典を訳した中村元は、において、

安らぎ - Nibbāna(= Nirvāṇa 涅槃)声を荒らげないだけで、ニルヴァーナに達しえるのであるから、ここでいうニルヴァーナは後代の教義学者たちの言うようなうるさいものではなくて、心の安らぎ、心の平和によって得られる楽しい境地というほどの意味であろう。

としている。

脚注

注釈

  1. 涅槃が仏教の究極的な実践目的であるところから、法印の一つに涅槃寂静がある[1]
  2. 「般」は: pari音写であり、完全という意味[1]
  3. 各言語では次のように表記される。。
  4. 有余涅槃・無余涅槃は、パーリ語の sa-upādisesa-nibbāna, anupādisesa-nibbāna で、このうち、「余」にあたるウパーディセーサ(upādisesa)は、「生命として燃えるべき薪」「存在としてよりかかるべきもの」を意味する。
  5. 灰身滅智(けしんめっち)とは、身は焼かれて灰となり、智の滅した状態をいう。

出典

参考文献

  • 総合仏教大辞典編集委員会(編) 『総合仏教大辞典』下巻、法蔵館、1988-01。

関連項目

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