浪江町

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浪江町(なみえまち)は、日本福島県浜通り北部にある双葉郡(1896年以前は標葉郡)に属する。

町内東部の請戸漁港 (cf.) は、福島県の最東端にあたる。

2011年平成23年)3月11日東日本大震災で被災。揺れや津波による被害に加えて、震災により発生した福島第一原子力発電所事故の影響を受けて、同月15日以降、仮役場が同県内の二本松市に設置され、多くの住民が移動・避難した。避難民と避難所は他にも散在している。2017年3月31日に全域避難指示は解除されたが、2017年8月現在も「帰還困難地域」が町内の大半を占め、町内の居住人口は事故前より大幅に減少している[1]

参照: #歴史

地理

請戸川の流域を主な範囲とし、沿岸部は太平洋に面する。請戸川に沿って、国道114号が内陸部と連絡し、途中で国道399号国道459号が分岐する。交通の大動脈は太平洋に沿って走る国道6号やJR常磐線で、町役場も国道114号が国道6号に接続する沿岸付近にある。

山地

西に位置するものから順に列挙する。

  • 津島五山(つしまござん。阿武隈山系[2][3]
    • 日山(ひやま。標高1,057m。異称:天王山[てんのうざん])[2][3]
    • 高太石山(こうたいしやま、こうだいしやま。標高863.7m。異称:弘太師山[こうだいしやま])[2][3]
    • 中ノ森山(なかのもりやま。標高803m。異称:大曾根山[おおそねやま])[2][3]
    • 大ノ姿山(おおのすがたやま。標高722m。異称:足利立添山[あしかがたちぞえやま])[2][3]
    • 熊ノ森山(くまのもりやま。標高565m。異称:湯舟山[ゆぶねやま])[2][3]
  • 手倉山(てくらやま。標高631m)[2]
  • 戸神山(とがみやま。標高430m)[2]
  • 十万山(じゅうまんやま。標高448.4m)[2]

川・谷・水系

  • 請戸川(うけどがわ)[4]
  • 高瀬川(たかせがわ)、高瀬川渓谷(たかせがわけいこく)[5]
  • 大柿ダム(おおがきダム)[6]
  • 金ヶ森溜池(かながもりためいけ)[7]

隣接する自治体

cf. 福島県の市町村全図 :≪外部リンク≫ 地図上検索”. (公式ウェブサイト). 福島県. . 2011閲覧.

歴史

近世以前

現在の浪江町を含む浜通り北部は、古代の令制国としては陸奥国の一部であった。中世以降は相馬氏の地盤であり、江戸時代相馬中村藩が治めていた。

施設誘致の歴史

太平洋戦争後の1955年昭和30年)に人口約28,000人を数えた浪江町も、過疎財政難に悩まされ、その打開が必要であった。1960年昭和35年)頃、福島県原子力発電所誘致するに当たり、浪江町も候補地となった。最終的には同じ浜通りの双葉郡双葉町大熊町に跨る地域に決まり、福島第一原子力発電所東京電力)として開所する。それまで農業の出来ない冬には出稼ぎに行っていた大熊町双葉町など福島の海岸地帯の住民は原発関連の仕事をすることで一年中、地元で働けるようになったため安定的な働き口とかなりの補助金を与えてくれた“福の神”とされていた[8]

折りしも、1969年昭和44年)に発足を控えていた宇宙開発事業団ロケット発射場の候補地を探しており、浪江町の方から手を挙げたものの、「原子力発電所の近郊に発射場を建設するのは危険」と判断され、この構想も消滅した[9]

ロケット発射場の次は「子供の村」構想への参画を目指したが、これも頓挫した。しかし、福島第一原子力発電所建設の経済波及効果は浪江町にもあり、1970年昭和45年)に約21,000人で底を打った人口は1970年代末には23,000人に回復し、作業員向けの宿泊施設、バー、スナックなどが建てられた[10]

浪江町が何か誘致できる施設が無いかを調べていたところ、東北電力が浪江町と小高町(現在の南相馬市小高区)に跨る地域に原子力発電所の誘致を持ちかける。当時、東北電力は女川原子力発電所の建設計画も進めており、「女川町へ原発と付随する交付金雇用等を取られてしまう」という対抗心もあって、浪江町議会は賛成した。当時は公害に対する批判的な世論が芽生え始めた時期でもあり、地元の自民党支持層は分裂。自民党の原発誘致反対派は他党と組まず、長らく反対運動を続けることになる。1982年昭和57年)の雑誌対談で示された概要図では原子炉は4基となっていた[11](のちの浪江・小高原子力発電所計画。こちらは東日本大震災後の2013年に中止が発表された)。上述の宿泊施設、浪江町による水道などの社会資本投資は原子力発電所建設を見越した先行投資でもあったため、1980年代末時点で17人まで減ったものの団結力を高め、予定地に共同登記をしていた反対運動による遅延は、これら商工業者に莫大な損失を強いるものとなった[12]。原子力発電所の建設が進まないなか、近隣自治体に新地発電所原町火力発電所などが建設されていった[13]

年表

近世以前
近代以降
ファイル:VOA Herman - April 12 2011 Namie-09.jpg
東北地方太平洋沖地震に伴い発生した津波に呑まれて倒壊した浪江町の民家。2011年平成23年)4月12日撮影。
ファイル:VOA Herman - April 12 2011 Namie-08.jpg
津波に洗われて塩害など深刻なダメージを被った農地にトラクターが埋没している。4月12日撮影。
ファイル:VOA Herman - April 12 2011 Namie-04.jpg
福島第一原子力発電所事故の影響で人の姿が消えた浪江町の中心部。4月12日撮影。
ファイル:VOA Herman - April 12 2011 Namie-11.jpg
避難した飼い主に解き放たれたか、自力で逃げ出したか、人影の無い道を歩く飼育牛。4月12日撮影。
震災以降

行政区域の変遷(市町村制施行以後)

cf. 浪江町(双葉郡)(福島県)の住所・地名の読み仮名”. 市町村.com. . 2011閲覧.

行政

歴代町長

歴代 氏名 就任年月日 退任年月日 備考
1 石井登 1956年昭和31年) 1960年(昭和35年) 1期
2 石川正義 1960年(昭和35年) 1964年(昭和39年) 2期
3 1964年(昭和39年) 1968年(昭和43年)
4 上田鉄三郎 1968年(昭和43年) 1972年(昭和47年) 1期
5 上田善三郎 1972年(昭和47年) 1975年(昭和50年) 1期
6 石井潔 1975年(昭和50年) 1979年(昭和54年) 2期
7 1979年(昭和54年) 1983年(昭和58年)
8 紺野富夫 1983年(昭和58年) 1987年(昭和62年) 1期
9 叶幸一 1987年(昭和62年) 1991年平成3年) 4期
10 1991年(平成3年) 1995年(平成7年)
11 1995年(平成7年) 1999年(平成11年)
12 1999年(平成11年) 2003年(平成15年)
13 横山藏人 2003年(平成15年) 2007年(平成19年) 1期
14 馬場有[28] 2007年(平成19年)12月16日 2011年(平成23年) 在任中、東日本大震災が発生
3期目在任中死去
15 2011年(平成23年) 2015年(平成27年)
16 2015年(平成27年) 2018年(平成30年)6月27日

経済

産業

水産業

  • 施設:請戸漁港(うけど ぎょこう。第三種漁港。所在地:請戸地区[2]。福島第一原発事故の風評被害により浜通りの水産業は厳しい状況が続いているが、請戸漁港では2018年1月7日、漁船の出初式が7年ぶりに行われた[29]

工業

医薬品

  • エスエス製薬福島工場が北幾世橋に所在する。東日本大震災以後は操業停止し、再開の見通しは立っていない[31]

産物

地域

人口

17,981人。平成28年6月末現在

浪江町(に相当する地域)の人口の推移
総務省統計局 国勢調査より

郵便

  • 浪江郵便局(集配局)
  • 津島郵便局(集配局)
  • 請戸郵便局
  • 大堀郵便局
  • 苅野郵便局
  • 幾世橋郵便局
  • 大柿簡易郵便局

交通

空港

最寄りの空港は仙台空港(宮城県名取市岩沼市)。

鉄道路線

路線バス

道路

教育

以下の各校は原発事故によりすべて避難し、町外に仮設校舎を設置している。

高等学校

中学校

小学校

原発事故の影響で休校中の学校

以下の各校は原発事故により休校中。

中学校

  • 浪江町立浪江東中学校
  • 浪江町立津島中学校

小学校

  • 浪江町立苅野小学校
  • 浪江町立大堀小学校
  • 浪江町立幾世橋小学校
  • 浪江町立請戸小学校

出身著名人

姉妹都市

脚注

  1. cf. 写真で見る東日本大震災”. (公式ウェブサイト). 南相馬市役所. . 2011閲覧.
  2. 10km以上、20km未満。
  3. 住所 :二本松市針道字蔵下22。
  4. 町長,YouTube(2011-04-02)
  5. 20km以上、30km未満。
  6. 1ヶ月程度かけて住民を圏外へ退避させるべき区域。
  7. 30km以上、40km未満。
  8. 緊急時には速やかに圏外へ退避できるよう、常に準備をしておくべき区域。
  9. 浪江町での動員数。
  10. 所在地は、地図でおおまかな地域が示されたのみであり、番組の企画上、あくまで「西部にある某所」。

出典

  1. 浪江町公式ホームページトップに記載された「居住人口」の項目より。2018年1月末時点での居住人口は計338世帯490人(2018年2月14日閲覧時点)。
  2. 2.0 2.1 2.2 2.3 2.4 2.5 2.6 2.7 2.8 2.9 関連リンク-観光協会
  3. 3.0 3.1 3.2 3.3 3.4 3.5 うつくしま電子事典”. (公式ウェブサイト). 福島県教育委員会. . 2011閲覧.
  4. 水土里ネット請戸川”. (公式ウェブサイト). 請戸川土地改良区. . 2011閲覧.
  5. 高瀬川渓谷”. (公式ウェブサイト). 浪江町観光協会. . 2011閲覧.
  6. 大柿ダムの紹介”. 水土里ネット請戸川(公式ウェブサイト). 請戸川土地改良区. . 2011閲覧.
  7. 福島県双葉郡浪江町の地域情報”. onMap(地域情報検索エンジン). . 2011閲覧.
  8. http://japan.hani.co.kr/arti/international/26747.html,2017年3月9日
  9. 9.0 9.1 恩田(1991)、45頁。
  10. 恩田(1991)、182頁。
  11. 初期の経緯については、『原子力工業』 1982年1月
  12. 「第8章 凱歌」恩田(1991)、223頁。
  13. 恩田(1991)、223頁。
  14. 座談会「立地政策にもの申す」『原子力工業』 1982年1月号。
  15. 震度データベース検索”. (公式ウェブサイト). 気象庁 (2011年3月10日). . 2011閲覧.
  16. “【浪江町の津島避難】線量情報なく町民孤立 国と県、予測伝えず”. 福島民報(ウェブサイト) (福島民報社). (2011年12月11日). http://www.minpo.jp/pub/topics/jishin2011/2011/12/post_2755.html . 2015閲覧. 
  17. “県内で避難住民の受け入れ進む 浪江町は二本松市に臨時役場”. 福島民友ネット(ウェブサイト) (福島民友新聞社). (2011年3月16日). http://www.minyu-net.com/news/news/0316/news7.html . 2011閲覧. 
  18. “東日本大震災 図説集”. 毎日jp (毎日新聞社). (2011年4月10日). オリジナル2012年7月10日時点によるアーカイブ。. https://archive.is/eeRn . 2011閲覧. :被災状況全図。
  19. “20キロ圏外に「計画的避難区域」 葛尾や浪江・飯舘”. asahi.com (朝日新聞社). (2011年4月11日). http://www.asahi.com/politics/update/0411/TKY201104110293.html . 2011閲覧. 
  20. “福島第一10キロ圏内、初の不明者捜索開始”. YOMIURI ONLINE (読売新聞社). (2011年4月14日). http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110414-OYT1T00554.htm . 2011閲覧. 
  21. 警戒区域の設定について”. 浪江町 - 福島県二本松市(公式ウェブサイト). 二本松市 (2011年4月22日). . 2011閲覧.
  22. 福島第1原発:警戒区域、22日午前0時から…20キロ圏”. 毎日jp. 毎日新聞社 (2011年4月21日). 2012年7月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。. 2011閲覧.
  23. [1]2017年8月7日閲覧。
  24. 同年10月9日、総理府告示第190号「町村の廃置分合」
  25. 同年4月30日、総理府告示第221号「町村の廃置分合」
  26. 同日、総理府告示第94号「町の境界変更」
  27. 同日、総理府告示第110号「町の境界変更」
  28. 馬場有 - 政治家情報”. ザ選挙(ウェブサイト). VoiceJapan. . 2011閲覧.
  29. 浪江請戸漁港 7年ぶり出初め式…自分たちの漁場で再開を『毎日新聞』朝刊2018年1月3日
  30. “前代未聞の間引き運転、JR西も翻弄した巨大震災”. MSN産経ニュース(ウェブサイト) (産業経済新聞社). (2011年3月27日). http://sankei.jp.msn.com/economy/news/110327/biz11032712010006-n2.htm . 2011閲覧. 
  31. 福島工場の操業停止とエスカップの生産見通しについて - エスエス製薬ホームページ
  32. 公共交通再編(コミュニティバス運行)概要”. 福島県二本松市(公式ウェブサイト). 二本松市. . 2011閲覧.
  33. 2014年4月に再開

参考文献

  • 恩田勝亘 『原発に子孫の命は売れない―舛倉隆と棚塩原発反対同盟23年の闘い』 七つ森書館、1991-10。ISBN 978-4-8228-9109-1。

関連項目

外部リンク