浜崎あゆみ
浜崎 あゆみ | |
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基本情報 | |
出生名 | 濱﨑 歩(読み同じ) |
別名 |
浜崎くるみ(旧芸名) 浜﨑あゆみ(旧芸名) ayumi hamasaki ayu(あゆ) CREA |
生誕 | 1978年10月2日(46歳) |
出身地 | 日本 福岡県福岡市早良区 |
学歴 | 堀越高等学校中退 |
ジャンル |
J-POP・ポップ ダンス・エレクトロニック ポップ・ロック |
職業 |
シンガーソングライター・歌手 作詞家・作曲家 女優・モデル |
活動期間 |
1993年 - 1997年(モデル・女優) 1998年 - (歌手) |
レーベル | avex trax |
事務所 | エイベックス・マネジメント |
共同作業者 | Max Matsuura(プロデュース) |
公式サイト | ayumi hamasaki official site |
浜崎 あゆみ(はまさき あゆみ、1978年10月2日 - )は、日本の女性歌手・シンガーソングライター。かつては女優、モデルとしても活動していた。本名は濱﨑 歩(読み同じ)[1]。愛称はあゆ、ayu。公式の英語表記はayumi hamasakiであり作詞のクレジットとしてオリジナル曲の多くに用いられている。ロゴマークの角ばったAは「あゆみ」のイニシャルから。福岡県福岡市早良区出身。エイベックス・マネジメント所属。レコードレーベルはavex trax。
概要
モデルや女優としての活動を経て事務所を移籍、1998年4月8日に1stシングル「poker face」でソロ歌手としてデビュー[1][2]。歌手デビュー後の楽曲については、オリジナル曲は全て自身で作詞し、「CREA」名義でいくつか作曲も手がけている。楽曲のみならず衣装、ミュージックビデオ、雑誌グラビア、CDジャケットのレイアウトやライブ演出といったビジュアルアートに至るまで、本人による徹底した非常に厳しいチェックを行っている[3]。
2012年発売のベストアルバム『A SUMMER BEST』のリリースによりシングル・アルバムの総売上枚数が5000万枚を突破、B'z、Mr.Childrenに続き、史上3組目、5年5か月ぶりの記録を達成。総売上枚数が5000万枚を越えたのはソロアーティスト並びに女性アーティストとしては史上初の快挙であった[4]。
影響
1999年1月発売のデビューアルバム『A Song for ××』が約150万枚を売り上げて歌手としてブレイクを果たすと女子中高生を中心に彼女のファッションやメイクを真似する若者たちが増え、マスコミなどから「女子高生のカリスマ」と呼ばれるようになった[2]。ファッションリーダーとしてネイルアート、大きなサングラス、豹柄などの流行を生み出し社会現象となった。のちにベストジーニストやネイルクイーンでは殿堂入りも果たしている[5][6]。
2001年3月期において、所属レコード会社エイベックス社の売上高・利益の4割を稼ぎ出し、同年秋にアルバムの発売延期の情報が流れただけで株価が下落するなど、同社の経営状態を左右するほど看板歌手としての浜崎の存在感は高まり、浜崎頼りの同社の経営体質の弱点を揶揄する「あゆ依存」という言葉も生まれたほどであった[7]。 また、2004年にエイベックスの経営方針を巡って当時の専務松浦勝人と依田巽会長が争った際には、浜崎あゆみの言動が大きな影響を与えた(詳細は「エイベックスお家騒動」参照)。
来歴
1978年 - 1997年 キッズモデル、アイドル時代
幼少の頃に父親が蒸発、母子家庭で育った[8]。小学生の頃にSOSモデルエージェンシー福岡にスカウトされ、「浜崎くるみ」の芸名で福岡中央銀行のポスターや地元商業広告に登場。その後、東京のサンミュージック(現:サンミュージックプロダクション)を紹介され、所属することとなる。都営地下鉄浅草線浅草駅のホームに掲示されているタレント養成所の広告には、加藤晴彦とともにこの頃の写真が掲載されていた。
1993年、テレビ朝日系テレビドラマ『ツインズ教師』でドラマ初出演し、女優としてデビュー。1994年、芸名を「浜﨑あゆみ」(『崎』の異体字『﨑』)に改名し、同年4月に堀越高等学校芸能活動コースに入学。「渚のシンドバット」「未成年」や「闇のパープル・アイ」等テレビドラマ・映画、Vシネマで女優として出演。またグラビアアイドルとしての活動や"AYUMI"名義でアルバム「NOTHING FROM NOTHING」のリリース(1995年)なども行った。
その後、エイベックスの松浦勝人と知り合い、1996年末にサンミュージックとの契約が切れた後、ボイストレーニングのためニューヨークへと渡り、エイベックスからの歌手デビューへの準備が始まった。
1998年 - 2000年 歌手デビュー、女子高生のカリスマへ
1998年4月8日発売の1stシングル「poker face」で「浜崎あゆみ」としてデビュー。多くの化粧品会社、製菓メーカーなどとタイアップし、テレビ・雑誌などのメディアによる「浜崎あゆみ」への注目度が上がった。
1999年1月1日発売の1stアルバム『A Song for ××』でオリコンチャート1位を初獲得、約150万枚を売り上げた。同年4月14日発売の7thシングル「LOVE 〜Destiny〜 / LOVE 〜since1999〜」でシングル初のオリコンチャート1位を獲得する。同年8月11日発売の10thシングル「A」が初のミリオンセラーとなった。同年12月31日、『第50回NHK紅白歌合戦』に初出場を果たす。この頃から女子高生を中心とした若者のカリスマ的存在となる。
2000年4月より初めてのコンサートツアーに挑むも、左耳の疾患(内耳性突発難聴)により一部の公演を延期した。16thシングル「SEASONS」で136万枚を超える大ヒットとなり、アルバムも3枚のミリオンセラーを記録した。同年11月、全日本有線放送大賞でグランプリを受賞した。以降、2001年と2002年のALL JAPANリクエストアワード、2003年のベストヒット歌謡祭でもグランプリを受賞し、4連覇を達成している。2000年12月13日発売の19thシングル「M」では、CREAとして初めて作曲を手掛け、ミリオンセラーを達成した。同年12月31日に、初のカウントダウンライブを開催。
2001年 - 2003年 A BEST発売、レコード大賞3連覇
2001年3月28日、自身初のベストアルバム『A BEST』を発売。宇多田ヒカルのアルバムとの同日発売で注目を集めた。夏には東京、大阪、名古屋、福岡の4大ドームツアーを行った。9月27日発売の24thシングル「Dearest」で日本レコード大賞受賞、以降2002年、2003年で史上初の3連覇を果たす。前年に続いて史上初二年連続CD総売り上げ200億円を突破した。12月12日には『songnation』に参加し、小室哲哉の作曲、自身の作詞のもとアメリカ同時多発テロ事件チャリティシングル「a song is born」をglobeのKEIKOとの共作でリリースした。
2002年には『タイム』誌アジア版3月25日号の表紙を飾り、第一回MTV ASIA AWARDSで特別名誉賞を受賞。2002年4月24日発売の26thシングル「Free & Easy」は雑誌『Free & Easy』とのコラボレーション企画であり、同時に雑誌の別刊『浜崎共和国』を発売する。
7月24日発売の27thシングル「H」が、日本のシングルCDの売り上げが全体的に低迷しはじめた2002年において唯一、オリコン・日本レコード協会でのシングルミリオンセラーを記録した。9月26日発売の28thシングル「Voyage」に合わせて6年ぶりに女優として演じた短編映画『月に沈む』が公開。10月12日、初のレギュラー及び総合司会を務める番組『ayu ready?』がスタートした。
2003年3月12日発売のバラードベスト『A BALLADS』ではファン投票により選曲された。また、5thアルバム『RAINBOW』の初回盤購入者がインターネット上のみで聴くことができたインスト楽曲に、10万人以上のメッセージを読んだ、浜崎あゆみ自身が詞をつけて完成させた「RAINBOW」が収録された。10月、シングル30枚発売記念スペシャルライブ『A museum 〜30th single collection live〜』が行われた。12月17日、初のミニアルバム『Memorial address』を発売し、ボーナストラック以外の収録曲全てに対しプロモーション・ビデオが作られるなど、この頃からプロモーション・ビデオの製作に力を入れるようになった。
2004年 - 2006年 エイベックスお家騒動、歌手業専念期
2004年3月20日、総合司会を務めていた番組『ayu ready?』の放送が終了。この頃からCM等のキャラクターの多くを降板し、歌手業に専念している。7月末、エイベックスお家騒動が起こる(→諸騒動、エイベックス参照)。2005年には愛・地球博開会式第三部にて『a song is born』を披露。2006年6月21日発売の40thシングル「BLUE BIRD」ではソロ歌手および女性ボーカルでは史上初のシングル総売上2,000万枚を達成する。この年のNHK紅白歌合戦では、11月29日に発売された8thアルバム『Secret』より「JEWEL」を選曲し、初めてアルバム曲を披露することになった。
2007年 - 2009年 A BEST 2発売、歌手デビュー10周年
2007年2月28日、『A BEST 2 -BLACK-』『A BEST 2 WHITE-』が発売された。オリコンチャート1位および2位を初登場で独占。また、自身初のアジアツアー(香港、台湾、上海)を開催。7月18日発売の41stシングル「glitter/fated」のDVDには香港の俳優・余文楽(ショーン・ユー)と共演したショートフィルムが収録。12月5日には、初のデジタル・ダウンロード規格のみシングル「Together When...」を発表。
2008年4月8日にデビュー10周年記念を迎え、それを記念してシングル・コレクション・アルバム『A COMPLETE 〜ALL SINGLES〜』発売等、10周年記念の活動を行った。2009年3月25日発売の10thアルバム『NEXT LEVEL』では、日本人アーティストとしては初となるUSBメモリ形態を発売した。
2010年 - 2012年 50thシングル
2010年、シングル50枚目の発売に向けて、作曲者を槇原敬之や、デビュー曲「poker face」などの作曲を手がけた星野靖彦や、活動再開をしたばかりの小室哲哉を作曲として迎え、3作連続シングルリリースし、『ayumi hamasaki Rock'n'Roll Circus Tour FINAL 〜7days Special〜』と題して、代々木体育館で7日間ツアーファイナルを開催した。8月より、日本のアーティストとしては初のデジタル3Dでのライブコンサート映画『A3D ayumi hamasaki ARENA TOUR 2009 A 〜NEXT LEVEL〜』が公開。12月には、浦田直也との共作「Dream ON」をリリース。浜崎が自分以外のアーティストの作品を手掛けるのは今回が初となった。
2012年8月8日、ベストアルバム『A SUMMER BEST』をリリース。このベストアルバムのリリースによりシングル、アルバムの総売上枚数が5000万枚を突破し、B'z、Mr.Childrenに続き、史上3組目、5年5か月ぶりの記録を達成した。総売上枚数が5000万枚を越えたのはソロアーティスト並びに女性アーティストとしては史上初の快挙であった[9]。
2013年 - 2015年 歌手デビュー15周年
2013年4月8日にデビュー15周年を迎え、それを記念して、2012年11月8日から2013年3月8日までの毎月8日に5ヶ月連続でリリースを行った。同年にはデビュー15周年を記念して『ayumi hamasaki 15th Anniversary TOUR 〜A BEST LIVE〜』を開催。
2014年11月23日、15年連続で出場し、史上最多となる6回のトップバッターを務めたNHK紅白歌合戦から卒業することを自身のツイッターにて発表した[10]。
2015年4月22日、法務省の特別矯正監を務める杉良太郎の呼びかけで、刑務所や少年院へ慰問し講演、歌唱などを通じて受刑者の改善更生を図ることを目的とした同省初の「矯正支援官」に就任[11]。
2016年 - A BEST発売から15年、歌手デビュー20周年
2016年3月28日、『A BEST』のリマスター版である『A BEST -15th Anniversary Edition-』を発売した。また、年末恒例となっていたカウントダウンライブの会場である国立代々木競技場第一体育館が、2017年春より約2年間の耐震補強工事のため使用ができず、同会場にてのカウントダウンライブが17年目である本年度の公演をもって一旦終了となった[12]。
2018年4月にデビューから20周年を記念して、全国アリーナツアー『ayumi hamasaki ARENA TOUR 2018 〜POWER of MUSIC 20th Anniversary〜』が開催された[13]。
人物
名字の「浜崎」(濱﨑)の正しい読み方は「はまざき」ではなく、「はまさき」である。
趣味・嗜好
2007年から初の日本国外での公演(台北、香港、上海)を含むライブツアーを本格的に行い、東アジア地域への進出も果たしている。歌手デビュー前にボイストレーニングのために渡米しているが、デビュー当時は英語は不得意とコメントしておりテンプレート:どこ、ほとんどの歌詞は日本語であった。しかし、2002年以降は英語詞を含めた楽曲も多く発表している。2006年にCNNの日本特集『Japan now』期間中に放送された対談番組『Talk Asia』では、短時間ではあったが英語を披露している。
犬、特に小型犬が好きで、チワワやダックスフントなどを飼っている。仕事場に連れてきており、ライブツアーのMC中にステージに登場したり、ミュージックビデオに出演することもあった。
婚約(結婚)・離婚
2011年1月1日、カウントダウンライブ終了直後、ツイッターおよび自身のファンクラブのブログにて、オーストリア出身のモデル・俳優のマニュエル・シュワルツ(50thシングル「L」収録のウェディングソング「Virgin Road」を含む3部作のミュージックビデオで共演していた男性)と結婚することを発表[14][15]。同日、アメリカ合衆国ネバダ州ラスベガスにて挙式した[16][17]。ただし、日本国内での婚姻手続きをしていなかったため、戸籍上は未婚のままであった[18]。のち2012年1月16日、ファンクラブのブログにて彼との離婚の意向を発表し、翌日、離婚申請が受理された[19][20]。
2013年12月12日、自身のファンクラブのブログにてロサンゼルス在住の男性と婚約を発表[21]。2014年3月3日、代理人として本人の母親が都内の区役所に婚姻届と米国の結婚証明書を提出した[22]。しかし、2016年9月11日、公式ファンクラブサイトのブログにて離婚する意向を発表した[23][24]。
内耳性突発難聴
2000年、初のコンサートツアーの第二幕直前に多忙なスケジュールの積み重ね等の理由によって、左耳の疾患(内耳性突発難聴)を患い、一部公演を延期した。医者からは「すぐ治療にとりかかるべきだ」と告げられていたが、ツアーを強行した。後に左耳の聴覚が弱くなる後遺症を負ったことを公表した。その後も定期健診は受けるが、治療のための休養をとらなかった。そのため、2008年1月4日、自身のファンクラブのブログにおいて、以前から抱えていた左耳の疾患(内耳性突発難聴)が悪化し、2007年末頃には医者から「治療の術はない」と、左耳の聴覚が完全に失われ治らなくなったことを告白した。
その他の疾患
2008年12月24日、過労による貧血で高所から落下。右手に全治3週間の重傷を負い、出演予定だった音楽番組の出演を急遽辞退。その後の自身のカウントダウンライブや初のトップバッターで登場するNHK紅白歌合戦の出演も危ぶまれたが、緊急手術後、医者の条件付出演を行った[25]。
2011年9月16日、滞在先の米国で急性咽頭炎を発症し、体調不良で帰国する航空機に搭乗できなかったため、生放送の音楽番組の出演を急遽取りやめた[26]。出演については意欲的であり、手配の際の心情を自身のTwitter及びファンクラブ公式ブログに書き込みをしている。「出演に間に合うまで各地の航空会社搭乗券を探している」という内容の発言等、謝罪をしている。
暴言騒動
2002年1月末、インターネット掲示板を発端として、ライブ会場で「浜崎あゆみが身障者の少女を罵倒した」という動画付きの噂が流れた。新聞報道にまで拡大し[27][28][29]、公式サイトやファンHPが荒らしに遭った。avexの会長兼社長(当時)の依田巽も声明文を発表。一方、本人の声明文でなかったことなどから大炎上に繋がる。雑誌『Free & Easy』とのコラボレーション雑誌『浜崎共和国』において「自分がデマを撒かれたことよりも、そのデマにファンが迷ったり辛い思いをしたのなら、その方がよっぽど辛い」とのコメントを発表している。なお、この事件の影響でこの年の『ayumi hamasaki ARENA TOUR 2002 A』ではスポンサーがつかない事態となり(浜崎のライブでスポンサーがつかなかったのはこの時のみである)、2003年1月に発売された問題の『ayumi hamasaki COUNTDOWN LIVE 2001-2002 A』のDVDはアンコールの大部分が(ラストの「Endless sorrow "gone with the wind ver."」以外)カットされている。なお、カウントダウンライブを行った国立代々木競技場での身体障害者用車椅子スペースは、緊急時すぐ避難できるよう、アリーナの左右入り口と指定されているため、暴言騒動となった「前列の障害者を罵倒」の信憑性はないと言える。DVDに収録されている終了際の浜崎あゆみのMCでは、浜崎自身の友達が本公演を見に来ていることを告げており、問題の動画は本公演での浜崎自身のMCを部分的に編集したものであることがわかる。
エイベックスお家騒動
2004年7月30日、当時エイベックス専務の松浦勝人は、会長であった依田巽と経営方針が決裂し別会社を設立することを表明した[30]。その直後、浜崎自身もマスコミに対し「彼の存続と共に浜崎あゆみの行方も決めさせて頂きたいと思っております。」と歌手デビューの際に世話になり自身のプロデューサーである松浦に追従し移籍する考えを明らかにした。当時、エイベックスの売り上げの40%を稼いでいた浜崎の表明が決定的な打撃となり、株は暴落、株主からの抗議が殺到し、また、エイベックス社内は混乱に陥った。8月3日、浜崎の表明を大きく受け、経営陣は方向転換を余儀なくされ、松浦は執行役員として復帰(後に社長就任)し、移籍の懸念等は解消された[31]。松浦と対立した依田は代表辞任に追い込まれた。このお家騒動を理由にこの年の日本レコード大賞など一連の賞レースを辞退し、以降賞レースからは距離を置くようになる。これについてはエイベックス・グループの内紛劇(クーデター騒動)も参照されたい。
渋谷ゲリライベント
2009年4月7日午後3時ごろ「渋谷109」前のイベントスペースで自身の書籍宣伝を行った[32]。しかし、ゲリラであったにもかかわらず、数千人の見物客が集まり、その一部が車道にはみ出すなどして交通を混乱させた。その後、道路使用許可を取っていないことが発覚し、道路交通法違反の疑いで関係先が家宅捜索を受けた[33]。その後、所属事務所と広告代理店は、略式命令を出された[34]。
その他
東京都内屈指の高級住宅街「田園調布」にある大豪邸を10億円で購入所持し、その内容がメディアに公開された。ちなみに売り物件情報によると地上3階建ての邸内にパーティルーム60畳、ゲストルーム50畳、ベッドルーム37畳を備えた坪170万〜180万円ぐらいの金額かつ約280坪あることから、土地だけで5億円近い値がつくという。
作品
- 参照: 浜崎あゆみのディスコグラフィ
受賞記録
- 音楽賞
- 日本レコード大賞
- 大賞 (2001年「Dearest」、2002年「Voyage」、2003年「No way to say」)
- 日本ゴールドディスク大賞
- アーティスト・オブ・ザイヤー(2001年、2002年、2004年)
- 日本有線大賞
- 大賞(2001年、2002年)
- 全日本有線放送大賞→ALL JAPANリクエストアワード→ベストヒット歌謡祭
- グランプリ(2000年、2001年、2002年〈ポップス部門〉、2003年〈ポップス部門〉)
- ワールド・ミュージック・アワード
- Best-selling Artist/Japan(2001年、2005年)、Best-selling Artist/Asia(2002年)
- Best Pops Singer/Japan(2003年)
- その他の受賞
- ベストドレッサー賞(2000年)
- ベストジーニスト一般選出部門(2000年、2001年、2003年 - 2005年)
- ネイルクィーン(2001年 - 2003年)殿堂入り
- バービーアワード(2001年)第1回受賞
- 第14回日本メガネベストドレッサー賞(2001年) - サングラス部門
- 世界で最も美しい顔100人(2013年) - 60位
ライブ(イベント含む)
「A」はすべてロゴ表記
期間 | ライブ(イベント)タイトル |
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1998年3月15日・26日 | Velfarre Openinng |
1999年5月8日 | ayumi hamasaki SECRET LIVE at AKASAKA BLITZ |
2000年4月28日 - 6月3日 | ayumi hamasaki concert tour 2000 A 第1幕 |
2000年6月21日 - 8月9日 | ayumi hamasaki concert tour 2000 A 第2幕 |
2000年12月9日 | UC SPECIAL LIVE ayumi hamasaki limited stage 2000 winter |
2000年12月30日・31日(1月1日) | ayumi hamasaki countdown live 2000-2001 A |
2001年6月22日 - 7月7日 | ayumi hamasaki DOME TOUR 2001 A |
2001年12月30日・31日(1月1日) | ayumi hamasaki COUNTDOWN LIVE 2001-2002 A |
2002年4月27日 - 6月15日 | ayumi hamasaki ARENA TOUR 2002 A |
2002年6月29日・30日 | ayumi hamasaki OPEN AIR LIVE 2002 A |
2002年7月6日 - 28日 | ayumi hamasaki STADIUM TOUR 2002 A |
2002年8月3日 - 9月1日 | a-nation'02 avex summer festa |
2002年12月30日・31日(1月1日) | ayumi hamasaki COUNTDOWN LIVE 2002-2003 A |
2003年3月18日 - 5月27日 | ayumi hamasaki LIMITED TA LIVE TOUR |
2003年7月19日 - 8月31日 | a-nation'03 avex summer festa |
2003年10月9日 - 31日 | A museum 〜30th single collection live〜 |
2003年12月30日 - 2004年4月25日 | ayumi hamasaki ARENA TOUR 2003-2004 A |
2004年7月31日 - 8月29日 | a-nation'04 |
2004年12月30日・31日(1月1日) | ayumi hamasaki COUNTDOWN LIVE 2004-2005 A |
2005年2月1日 - 4月24日 | ayumi hamasaki ARENA TOUR 2005 A 〜MY STORY〜 |
2005年7月30日 - 8月28日 | a-nation'05 powered by ウイダーinゼリー |
2005年12月30日・31日(1月1日) | ayumi hamasaki COUNTDOWN LIVE 2005-2006 A |
2006年3月11日 - 6月11日 | ayumi hamasaki ARENA TOUR 2006 A 〜 (miss) understood〜 |
2006年7月29日 - 8月27日 | a-nation'06 powered by ウイダーinゼリー |
2006年12月30日・31日(1月1日) | ayumi hamasaki BEST of COUNT DOWN LIVE 2006-2007 A |
2007年3月10日 - 6月10日 | ayumi hamasaki ASIA TOUR 2007 A 〜Tour of Secret〜 |
2007年7月28日 - 8月26日 | a-nation'07 powered by ウイダーinゼリー |
2007年12月30日・31日(1月1日) | ayumi hamasaki COUNTDOWN LIVE 2007-2008 Anniversary |
2008年4月5日 - 11月2日 | ayumi hamasaki ASIA TOUR 2008 〜10th Anniversary〜 |
2008年7月26日 - 8月31日 | a-nation'08 powered by ウイダーinゼリー |
2008年12月30日・31日(1月1日) | ayumi hamasaki PREMIUM COUNTDOWN LIVE 2008-2009 A |
2009年4月12日 - 10月22日 | ayumi hamasaki ARENA TOUR 2009 A 〜NEXT LEVEL〜 |
2009年8月1日 - 8月30日 | a-nation'09 powered by ウイダーinゼリー |
2009年12月30日・31日(1月1日) | ayumi hamasaki COUNTDOWN LIVE 2009-2010 A 〜Future Classics〜 |
2010年4月10日 - 7月25日 2010年10月2日 - 10月11日 |
ayumi hamasaki ARENA TOUR 2010 A 〜Rock'n'Roll Circus〜 ayumi hamasaki Rock'n'Roll Circus Tour FINAL 〜7days Special〜 |
2010年8月7日 - 8月29日 | a-nation'10 powered by ウイダーinゼリー |
2010年12月30日・31日(1月1日) | ayumi hamasaki COUNTDOWN LIVE 2010-2011 A 〜do it again〜 |
2011年5月9日 - 7月27日 2011年9月30日 - 10月13日 2011年10月18日・19日 |
ayumi hamasaki 〜POWER of MUSIC〜 2011 A ayumi hamasaki 〜POWER of MUSIC〜 2011 A FINAL Chapter ayumi hamasaki 〜POWER of MUSIC〜 2011 A LIMITED EDITION |
2011年7月30日 - 8月28日 | a-nation 10th Anniversary for Life Charge & Go! ウイダーinゼリー |
2011年12月29日 - 31日(1月1日) | ayumi hamasaki COUNTDOWN LIVE 2011-2012 A 〜HOTEL Love songs〜 |
2012年4月7日 - 10月11日 | ayumi hamasaki ARENA TOUR 2012 A 〜HOTEL Love songs〜 |
2012年8月26日 | a-nation stadium fes. Charge Go! ▶ ウイダーinゼリー |
2012年9月17日 | 氣志團万博2012「房総ロックンロール・オリンピック」 |
2012年12月29日 - 31日(1月1日) | ayumi hamasaki COUNTDOWN LIVE 2012-2013 A 〜WAKE UP〜 |
2013年4月13日 - 7月28日 | ayumi hamasaki 15th Anniversary TOUR 〜A BEST LIVE〜 |
2013年9月1日 | a-nation stadium fes. powered by ウイダーinゼリー |
2013年12月29日 - 31日(1月1日) | ayumi hamasaki COUNTDOWN LIVE 2013-2014 A |
2014年5月30日 - 7月6日 | ayumi hamasaki PREMIUM SHOWCASE 〜Feel the love〜 |
2014年8月31日 | a-nation stadium fes. powered by inゼリー |
2014年10月18日 | 『a-nation singapore』Premium Showcase at MasterCard® Theatres, Marina Bay Sands |
2014年12月29日 - 31日(1月1日) | ayumi hamasaki COUNTDOWN LIVE 2014-2015 A Cirque de Minuit 〜真夜中のサーカス〜 |
2015年4月11日 - 7月5日 | ayumi hamasaki ARENA TOUR 2015 A Cirque de Minuit 〜真夜中のサーカス〜 |
2015年8月22日 - 8月30日 | a-nation stadium fes. |
2015年9月29日 - 11月24日 | ayumi hamasaki TA LIMITED LIVE TOUR |
2015年12月29日 - 31日(1月1日) | ayumi hamasaki COUNTDOWN LIVE 2015‒2016 A 〜M(A)DE IN TOKYO〜 |
2016年5月14日 - 7月18日 | ayumi hamasaki ARENA TOUR 2016 A 〜M(A)DE IN JAPAN〜 |
2016年8月2日 2016年8月28日 |
a-nation island FEVER a-nation by SANKYO a-nation stadium fes. |
2016年9月30日 - 11月17日 | ayumi hamasaki TA LIMITED LIVE TOUR 2016 -BLACK and WHITE- |
2016年12月29日 - 31日(1月1日) | ayumi hamasaki COUNTDOWN LIVE 2016-2017 A『Just the beginning -20-』 |
2017年5月13日 - 7月13日 2017年9月6日 - 11月28日 2017年12月2日 - 2018年2月20日 |
ayumi hamasaki『Just the beginning -20- TOUR 2017』 ayumi hamasaki Just the beginning 第2章 ~sacrifice〜 ayumi hamasaki Just the beginning 第3章 |
2017年8月27日 | a-nation stadium fes. |
2018年4月7日 - 7月22日 | ayumi hamasaki ARENA TOUR 2018 ~POWER of MUSIC 20th Anniversary ~ |
- バックバンドメンバー
- 音楽監修:小林信吾
- ドラム:浜崎大地
- ベース:斉藤光隆
- ギター:野村義男
- キーボード:友成好宏、宮崎裕介
- コーラス:山崎陽子、浅野ヨンエ、ティム・ウェラード
- 元メンバー
- コーラス:濱田美和子、川村ゆみ、miccie
- ベース:エンリケ
出演
テレビ
- ayu ready?(2002年 - 2004年、フジテレビ)
- スーパーテレビ情報最前線(日本テレビ)
- 「噂の歌手の正体見た浜崎あゆみ…光と影」(2000年5月22日)
- 「浜崎あゆみ…光と影 25歳の絶望と決断」(2004年4月12日)
以下、浜崎くるみ名義
以下、浜崎 歩名義
- バトルスピリッツ 龍虎の拳(1993年、フジテレビ、単発アニメ) - ユリ・サカザキ 役(声優)
以下、浜﨑あゆみ名義
- 新・西遊記 第11話「未来を見通す家なき子」(1994年、日本テレビ)
- 湘南リバプール学院 第24話「アイドルにはなれない」(1995年、フジテレビ) - 入江さやか 役
- 未成年(1995年、TBS) - 田畑瞳 役
- 火曜サスペンス劇場「名無しの探偵シリーズ11・ガラスの少女」(1995年、日本テレビ) - 川久保奈美 役
- 土曜ワイド劇場「少女Aの殺人・女子高校生が父に殺意を抱く時…スキャンダルが名門校を揺らす!」(1996年、テレビ朝日) - 高杉いずみ 役
- 闇のパープル・アイ(1996年、テレビ朝日) - 森島由佳 役
- 土曜ワイド劇場「同居人カップルの殺人推理旅行4・嘘をつく女 熊本阿蘇〜財産を狙って欲望が渦巻く」(1996年、テレビ朝日) - 野村舞 役
- きっと誰かに逢うために第9回(1996年、テレビ東京)
- NHK紅白歌合戦出場歴
出演順は「(紅組出演順)/(紅組出場者数)」で表す。
年/放送回 | 回 | 曲目 | 出演順 | 対戦相手 |
---|---|---|---|---|
1999年(平成11年)/第50回 | 初 | 「Boys & Girls」 | 14/27 | 野猿 |
2000年(平成12年)/第51回 | 2 | 「SEASONS」 | 15/28 | L'Arc〜en〜Ciel |
2001年(平成13年)/第52回 | 3 | 「Dearest」 | 14/27 | ゴスペラーズ |
2002年(平成14年)/第53回 | 4 | 「Voyage」 | 15/27 | ポルノグラフィティ |
2003年(平成15年)/第54回 | 5 | 「No way to say」 | 16/30 | 森山直太朗 |
2004年(平成16年)/第55回 | 6 | 「Moments」 | 18/28 | ゴスペラーズ |
2005年(平成17年)/第56回 | 7 | 「fairyland」 | 17/29 | 氷川きよし |
2006年(平成18年)/第57回 | 8 | 「JEWEL」 | 16/27 | スキマスイッチ |
2007年(平成19年)/第58回 | 9 | 「Together When...」 | 18/27 | 槇原敬之 |
2008年(平成20年)/第59回 | 10 | 「Mirrorcle World」 | 1/26 | 布施明 |
2009年(平成21年)/第60回 | 11 | 「Rule」 | 1/25 | EXILE |
2010年(平成22年)/第61回 | 12 | 「Virgin Road」 | 1/22 | EXILE |
2011年(平成23年)/第62回 | 13 | 「progress」 | 1/25 | NYC |
2012年(平成24年)/第63回 | 14 | 2012 A SPECIAL メドレー(Aはロゴ表記) 「Dearest」「evolution」「SURREAL」 |
1/25 | NYC |
2013年(平成25年)/第64回 | 15 | 「INSPIRE」 | 1/25 | Sexy Zone |
映画
- A3D ayumi hamasaki ARENA TOUR 2009 A 〜NEXT LEVEL〜(2010年、3D映画)
- A3D II ayumi hamasaki Rock'n'Roll Circus Tour FINAL 〜7days Special〜(2011年、3D映画)
以下、浜﨑あゆみ名義
- すももももも(1995年、パル企画) - 栗子 役
- 麗霆゛子!! 総長最後の日(1995年、パル企画) - 最上みさき 役
- 渚のシンドバッド(1995年、東宝) - 相原果沙音 役
- 学校II(1996年、松竹) - 青山由香 役
- 湘南爆走族 帰ってきた伝説の5人(1997年、徳間ジャパンコミュニケーションズ) - 津山よし子 役
ラジオ
出典
- ↑ 1.0 1.1 “浜崎あゆみ“再婚”25歳UCLA医大生と”. 日刊スポーツ. (2013年12月14日) . 2014閲覧.
- ↑ 2.0 2.1 “浜崎あゆみが歌手デビューから女子高生のカリスマになるまで - 読めるモ編集部”. Yomerumo(ヨメルモ) byGMO (2014年2月27日). . 2014閲覧.
- ↑ 日本テレビの情報ドキュメンタリー番組「スーパーテレビ情報最前線」(2000年)。
- ↑ “浜崎あゆみ BARKSアーティスト”. BARKS. . 2015閲覧.
- ↑ “倖田来未3人目のネイルクイーン殿堂入り”. 日刊スポーツ. (2008年11月17日) . 2014閲覧.
- ↑ “ベストジーニスト 草なぎ殿堂入り、あゆ返り咲き”. スポーツ報知. (2003年10月1日)
- ↑ “財務で読む気になる数字:“浜崎あゆみ依存”解消で「健全になった」、音楽ビジネスの特殊性 - Business Media 誠”. アイティメディア株式会社 (2008年4月21日). . 2014閲覧.
- ↑ 『ROCKIN’ON JAPAN 4月号』、ロッキング・オン、2001年。
- ↑ “浜崎あゆみ、ソロ初の総売上5000万枚超え「ファンのみんなの記録」”. オリコンスタイル. オリコン (2012年8月15日). . 2014-3-4閲覧.
- ↑ “浜崎あゆみ紅白出場せず「卒業」ツイート”. 日刊スポーツ. (2014年11月23日) . 2015-2-9閲覧.
- ↑ “あゆ、法務相初「矯正支援官」就任”. スポーツ報知. (2015年4月23日) . 2015-5-7閲覧.
- ↑ “浜崎あゆみ、“聖地”代々木改修前最後の年越しライブ 17年連続も「泣きそう」”. オリコン (2016年11月8日). . 2017-1-1閲覧.
- ↑ “浜崎あゆみデビュー20周年ツアー、野村義男も祝福”. 日刊スポーツ (2018年4月8日). . 2018閲覧.
- ↑ “浜崎あゆみ Twitterで結婚を発表”. Twitter (2011年1月1日). . 2011年1月1日閲覧.
- ↑ “浜崎あゆみが電撃結婚! オーストリア人俳優と交際4ヶ月”. eltha. オリコン (2011年1月1日). . 2014-3-4閲覧.
- ↑ “浜崎あゆみさん、ラスベガスで結婚”. 読売新聞 (2011年1月2日). 2011年1月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。. 2011年1月2日閲覧.
- ↑ “元旦挙式の浜崎あゆみ 「彼がわたしのLast Angel」”. 産経新聞 (2011年1月2日). . 2011年1月2日閲覧.
- ↑ “浜崎あゆみ、婚約者“お披露目” 米男性と手をつないでラブラブ帰国”. スポーツニッポン. (2013年12月16日) . 2014閲覧.
- ↑ “浜崎あゆみさんの離婚が成立” (2012年1月17日). . 2012年1月17日閲覧.
- ↑ “浜崎あゆみ:離婚成立…結婚生活たった2カ月”. 毎日jp. 毎日新聞. (2012年1月18日). オリジナルの2012年1月19日時点によるアーカイブ。 . 2014-3-4閲覧.
- ↑ “浜崎あゆみ、10歳年下米国人と“婚約” ハイテンションで幸せ報告”. eltha. オリコン (2013年12月13日). . 2014-3-4閲覧.
- ↑ “浜崎あゆみが「ひな祭り婚」母が代理で婚姻届提出”. 東京スポーツ. (2014年3月3日) . 2014閲覧.
- ↑ “浜崎あゆみ離婚表明「それぞれの道へ進むことに…」”. 日刊スポーツ. (2016年9月12日) . 2018閲覧.
- ↑ “浜崎あゆみ離婚へ 結婚3年、10歳下の米国人院生とすでに別居中”. goo ニュース . 2016閲覧.
- ↑ “右手手術の浜崎あゆみ、カウントダウンライブ及びNHK紅白出場へ”. オリコンスタイル. オリコン (2008年12月29日). . 2014-3-4閲覧.
- ↑ “あゆ無念…咽頭炎で帰国困難、米国で静養”. デイリースポーツ. (2011年9月16日). オリジナルの2014年11月24日時点によるアーカイブ。
- ↑ OP編原田 (2002年2月5日). “浜崎あゆみ ネット上の噂を否定”. OOPSニュース. . 2008年11月9日閲覧.
- ↑ “浜崎あゆみ 差別発言 騒動で糸井重里氏がHPで代弁”. サンケイスポーツ. (2002年2月14日)
- ↑ “あゆ暴言”. 東京スポーツ. (2002年2月25日)
- ↑ “当社人事に関する重要なお知らせ(速報)” (プレスリリース), エイベックス, (2004年8月1日) . 2008年11月9日閲覧.
- ↑ “辞任取締役の復帰に関するお知らせ” (プレスリリース), エイベックス, (2004年8月3日) . 2008年11月9日閲覧.
- ↑ “BARKS 浜崎あゆみが渋谷の街にぶらり登場、109前は武道館公演規模の人だかり”. . 2010年8月9日閲覧.
- ↑ スポニチ (2009年8月28日). “あゆ渋谷イベントで担当者ら11人書類送検”. . 2010年8月9日閲覧.
- ↑ スポニチ (2010年1月15日). “東京簡裁 あゆ事務所などに罰金5万円の略式命令”. 2010年1月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。. 2010年8月9日閲覧.
外部リンク
- 公式ウェブサイト
- テンプレート:MySpace
- 浜崎あゆみ - 公式YouTubeチャンネル
- テンプレート:LINE Add Friends
- テンプレート:LINE LIVE
- ayumi hamasaki official fanclub "Team Ayu" - 公式ファンクラブサイト
- 浜崎あゆみオフィシャルブログ 『A DIARY ~7days Limited~』 - Ameba Blog{{#invoke:WikidataCheck|wikidatacheck|property=P3502|value=ayu-ameba-blog|category=Ameba Blog ID|namespaces=0}}