津島雄二

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津島 雄二(つしま ゆうじ、1930年1月24日 - )は、日本政治家衆議院議員(11期)、厚生大臣(76・90代)、衆議院予算委員長自由民主党税制調査会長などを歴任。元大蔵官僚

現在は田辺総合法律事務所弁護士第一東京弁護士会所属)、税理士新生銀行顧問。旧姓は志摩、上野。妻は作家太宰治(本名:津島修治)の長女・津島園子。

長男は自民党衆議院議員の津島淳

来歴・人物

東京府出身。

1976年の初当選以来、宏池会大平正芳鈴木善幸宮澤喜一派)に属していたが、1994年に下記の自民党離党に伴い離脱。

1994年、自社さ連立政権構想に反対し、海部俊樹を説得し、非自社さ連立の統一候補へと担ぎ上げる。内閣総理大臣指名選挙では非自民連立の統一候補となった海部俊樹を支持し、自民党を離党する。高志会を経て7月に自由改革連合に参加後、新進党には加わらず、無所属を経て1995年3月、自民党に復党。

復党後は平成研究会小渕派)に加入。2005年11月4日、旧橋本派の後継会長に就任し、津島派を率いる。保守本流派閥と呼ばれた旧橋本派(竹下派→小渕派)の領袖に外様(元宮沢派)で出戻り(離党歴)という経歴を持つ津島が就任したことは自民党派閥の変化の一つとされている(ただし、宏池会も保守本流である)。平成研究会の人材不足の中、窮余の策として衆院の当選回数最多であった津島に白羽の矢が立ったのであった。このような事情と就任時75歳と高齢であったことから、会長とはいえ総裁候補という見方は全くなかった。

2006年には自民党税制調査会会長に就任。地方選出ながらふるさと納税には慎重な姿勢を示していた。

2008年11月19日元厚生事務次官宅連続襲撃事件に関し、「厚生労働行政を批判してきた野党マスコミの論調に原因の一端がある」との認識を示し、「厚生労働省の仕事の成果を評価できないような論評ばかり行われている。その結果、理不尽な行為につながったとすれば本当に残念だ」と述べた(この事件は後の捜査政治的な目的のテロではないことが結論付けられたが、当時はマスコミなどを中心に年金テロとの見方が多かった)。

2009年7月19日第45回衆議院議員総選挙に出馬しない意向を表明し、7月21日衆議院解散に伴い、政界を引退した(後継として息子のが出馬)。こうした動きは週刊文春から「出世レースの敗北により転身した雇われマダム」「園子夫人頼みの平成無責任男」などと酷評された[1]。なお、平成研の後任会長には額賀福志郎が就任した[2]

経歴

政策

家族・親族

旧姓志摩(父方姓)、上野(母方姓、3歳から)。

は作家太宰治(本名:津島修治)の長女・津島園子である。衆議院議員の津島淳は長男。元衆議院議員の津島恭一は遠戚にあたる。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
太田静子
 
太宰治
 
津島美知子
 
津島文治
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
太田治子
 
津島佑子
 
津島園子
 
津島雄二
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
津島淳
 
 
  • そのほかにも、津島康一義従兄)など遠縁の著名人が多数いるが、ここでは津島雄二の親族に該当する者を中心に図示した。

所属していた団体・議員連盟

脚注

  1. 「主役になれない男」が引退 津島元厚相の老後は弁護士 週刊文春 2009年7月30日閲覧
  2. 津島派会長引退、後継は額賀元財務相中心に 読売新聞 2009年7月19日閲覧
  3. 『大蔵省権力人脈』(栗林良光, 講談社文庫, 1994年3月)
  4. mネット通信 117号 2006年1月12日

関連項目

外部リンク


議会
先代:
野呂田芳成
日本の旗 衆議院予算委員長
2002年
次代:
藤井孝男
先代:
稲垣実男
日本の旗 衆議院社会労働委員長
1988年 - 1989年
次代:
丹羽雄哉
公職
先代:
丹羽雄哉
戸井田三郎
日本の旗 厚生大臣
第85代:2000年
第72代:1990年
次代:
坂口力
下条進一郎
党職
先代:
橋本龍太郎
平成研究会会長
第4代:2005年 - 2009年
次代:
額賀福志郎
先代:
与謝野馨
自由民主党税制調査会長
第33代:2006年 - 2009年
次代:
野田毅


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