法師宗

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法師宗(ほっししゅう)は、齋藤豊吉齋藤千代によって設立された、法華系の新宗教である。

設立者

教義

大乗仏教の教えにのっとり、法師宗の行法によって、在家、出家の区別なく、子孫自らが先祖を供養し心を立て直し、家庭、国土を安穏にし、全ての人々を悟りへと導いていくことによって、世界平和を実現することを本誓願とする。

沿革

法華経を信仰する齋藤豊吉、千代夫妻が昭和19年(1944年)岩手県一関市に設立した教団。

初代総裁は豊吉・二代総裁を千代が務めた。教団ではこの二人を齋藤両祖師と呼んでいる。

また、先祖供養のあるべき姿を極めた宗教家・西田無学(教団では「常不軽無学大師(じょうふきょうむがくだいし)」と呼ぶ)を、民衆が法華経を実践する在家仏教を確立し、読経時に使う法華経の教典を編纂(へんさん)した教団の始祖として崇拝する。

東京で生活を営んでいた豊吉・千代夫妻は自らが信じる先祖供養の在り方を、新天地で布教する決意で、昭和19年4月8日豊吉の郷里・岩手県一関市に疎開。二人で新たな布教を始めた。教団では、この日を「立教開宗の日」と呼んでいる。

両師は先祖供養を通じて法華経を実践する教えの源泉を探し求め昭和25年、それが西田無学であること、その法灯を継承し、教えの根本を護持しているのが無学の高弟・増子正学(本名、増子酉治)であることを突き止めた。

そして、その門をたたいて幾度となく法論を重ねた。その折り、西田常不軽無学大師が「自らの死後、東北から法華経を実践する夫婦が来訪する。その夫婦に法華経実践の後継者である《証》を託すように」と遺言されていたこ とを明かされた。

奇しくも西田常不軽無学大師三十三回忌にあたる同年、大師亡きあと護り続けてきた本流としての《証》を増子正学より両師に託された。

この年、衆生済度の誓願をもって、同志一堂に会し、明けて26年法華経の広宣流布(るふ)者「法師(ほっし)」の育成を目的とする「法師会(ほっしかい)教団」を設立(第一回教典発行、増子正学師編纂、昭和28年に宗教法人)。平成10年(1998年)に「法師宗(ほっししゅう)」に改称した。

「在家、出家の区別なく 、全ての人を平等に悟りへと導いていく」大乗仏教の教えにのっとって、子孫自らが先祖を供養し、日々の暮らしの中で法華経を実践することの大切さを説いている。

 参考書籍  「現代にっぽん新宗教百科」柏書房 2011年9月15日初版発行

外部リンク


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