泉区 (仙台市)
いずみく 泉区 | |
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地方 | 東北地方 |
都道府県 | 宮城県 |
市 | 仙台市 |
団体コード | 04105-0 |
面積 |
146.61km2 |
総人口 |
214,057人 (推計人口、2018年6月1日) |
人口密度 | 1,460人/km2 |
隣接自治体 隣接行政区 |
仙台市(青葉区、宮城野区) 富谷市、黒川郡大和町 |
外部リンク | 仙台市泉区役所HP |
泉区(いずみく)は、宮城県の仙台市を構成する5区のうちのひとつ。名前は、区の北西に位置する泉ヶ岳に由来する。
Contents
概要
高度成長期から丘陵部の宅地開発が徐々に進められ、仙台市のベッドタウンとして発展し、泉市(1971年(昭和46年)に市制施行)の時代に石巻市を抜いて人口が県内第2位まで到達した。1988年(昭和63年)、仙台市に編入合併され、1989年(平成元年)に仙台市の政令指定都市移行に伴い泉区となった。泉市が名称や範囲をそのままに泉区に変更されることはすでに合併時の取り決めであり、新たな区名の公募や審議はなかった(このため、既存の政令市の区名称と重複しない名称を方針としていた他区とは異なり、既存の横浜市泉区と重複することが確定)。
中心部は、江戸時代の奥州街道(仙台・松前道)の宿場町・七北田宿を基礎に発展した。泉市時代にその西側の田圃を造成し、泉市役所やイズミティ21などの施設が建設されたが、仙台市と合併後の1992年(平成4年)、仙台市営地下鉄南北線が泉中央駅まで延伸されたことで大きく発展し、泉中央副都心計画によって商業施設が集約した。当初はロードサイド店舗の集積であったが、富谷市などさらなる郊外とのバスが発着する泉中央駅バスターミナルの存在によりターミナル化が進み、中小オフィスビルも建設されて、小都市圏を構成するに至っている。1997年(平成9年)には、サッカー旧JFL・ブランメル仙台(現Jリーグ・ベガルタ仙台)のホームスタジアムである仙台スタジアム(現・ユアテックスタジアム仙台)が完成し、試合開催日には1万数千人もの観客が小都市圏外からも流入する。
区内にある商業施設や企業の営業所などの名称では、商圏や企業体が大きい場合に「仙台泉」と「仙台」を付加する傾向がある。
東北楽天ゴールデンイーグルスの練習場と合宿所(イーグルス泉グラウンド、犬鷲寮)もある。
地理
仙台市の北部にある。区の西半分が山地で西北に泉ヶ岳を擁し、そこから流れる七北田川(ななきたがわ)が区の中心を西から東に貫く。東半分は低い丘陵で、七北田川の北側は松島丘陵、南側は七北田丘陵と呼ばれる。この両丘陵の間を七北田川に沿って河岸段丘による平地が東西に広がる。
七北田川沿いの平地において市街化区域に指定されているのは、泉中央副都心周辺(仙台市地下鉄南北線・泉中央駅~八乙女駅)から国道4号・仙台バイパス沿いの間くらいで、それ以外は田圃などとなっている。用途地域指定されている面積は、七北田川沿いの平地より両岸の丘陵上が数倍広く、泉区の市街地は「工」の字型となっている。
山岳
- 小屋森山 (386.0m)
- 座禅堂山 (370.1m)
- 屏風岳 (290.3m)
- 杭城山 (256m)
- 堂城山 (252.3m)
河川
- 高柳川
- 萱場川
- 西田中川
歴史
経済
- 工業団地
- 泉パークタウンインダストリアルパーク(明通地区)
- 泉パークタウンソフトパーク(紫山地区・泉パークタウン第5住区内)
- 仙台泉インターシティ
- 商業施設
郵便
- 泉郵便局(集配局・ゆうゆう窓口設置局)
- 泉西郵便局(集配局・ゆうゆう窓口設置局)
- 泉加茂郵便局
- 泉黒松郵便局
- 泉向陽台郵便局
- 泉松陵郵便局
- 泉住吉台郵便局
- 泉高森郵便局
- 泉中央駅内郵便局
- 泉長命ケ丘郵便局
- 泉鶴が丘郵便局
- 泉七北田郵便局
- 泉南光台南三郵便局
- 泉南光台郵便局
- 泉根白石郵便局
- 泉南中山郵便局
- 泉八乙女駅前郵便局
- 泉館郵便局
- 泉市名坂簡易郵便局
南光台・黒松地区などは、青葉区にある仙台北郵便局の集配区となる。
金融機関
県内の金融機関だけでなく山形や岩手などの銀行も泉区内に進出している。
- 七十七銀行
- 仙台銀行
- 杜の都信用金庫
- 宮城第一信用金庫
- 秋田銀行
- 荘内銀行
- 山形銀行
- 岩手銀行
- 東邦銀行
- きらやか銀行
- 北日本銀行
- 古川信用組合…2016年に仙台市初出店として、泉中央地区に支店を設置。
- 東洋証券仙台支店…泉中央に設置。
イオン銀行と東北労働金庫(及びゆうちょ銀行)は、銀行代理店制度による有人窓口を区内に展開している。
地域
- 昭和30年代前半から黒松団地が造成される。以後、国道4号仙台バイパス開通、東北自動車道開通、都市計画道路整備などによって住宅団地開発が促進された。大規模な団地は、黒松団地、南光台団地、将監団地(県住宅供給公社)、向陽台団地、鶴が丘ニュータウン、松森団地、泉パークタウン(三菱地所)、長命ケ丘ニュータウン(大和ハウス工業)、加茂団地、住吉台ニュータウン(オリックス不動産)、泉ビレジ(東急不動産)、いずみ中山ニュータウン(泉中山)、みずほ台などがある。人口も団地開発に伴い年々増加し、仙台市のベッドタウンとして発展する。
- 現在も泉パークタウン紫山、将監ニュータウン(将監殿一〜五丁目)などの団地が造成されている。
コミュニティセンター
- 市民センター・コミュニティセンターも多数設置されている。
- 市民センター数13館(市民の自主活動および生涯学習の拠点施設)
- コミュニティセンター数15館(地域の各種活動のための拠点施設)
主な医療機関
教育
以下のとおり、児童館や児童センター、コミュニティセンター、集会所、学校などが多く充実している。
児童館・児童センター・保育所園
- 児童館数:7館
- 児童センター数:17館
- 保育所園数:20園(公立9 私立11)
小学校
中学校
- 仙台白百合学園中学校(※中高併設)
高等学校
- 仙台白百合学園高等学校(※中高併設)
大学・短期大学
私立
特別支援学校
交通
鉄道
中心となる駅:泉中央駅
バス
道路
高速道路
- 泉IC - 仙台宮城IC(距離約13.7km)の中間地点(長命ヶ丘団地付近)に、一般道路の混雑緩和および仙台都市圏環状自動車専用道路(東北自動車道、仙台北部道路、仙台東部道路、仙台南部道路によって形成される外側環状道路)の利便性向上のため、従来よりIC設置を望む声があったが、2006年4月より旧泉検札所を利用したPA接続スマートIC社会実験がスタートし(泉PA・実験期間2006/4/26〜2007/3/31、実験時間6〜22時→12/10より24時間運用、事務局:仙台市建設局道路部[2])、2007年4月1日より恒久化された。
一般国道
- 仙台バイパスの苦竹IC(宮城野区)以北は4車線(片側2車線)であるが、特に将監トンネル入口(泉区七北田) - 苦竹ICは朝夕の慢性的な渋滞発生区間である。そのため渋滞の緩和・バイパス機能の回復のため片側3車線への拡幅を望む声があり、1989年に苦竹IC - 鶴ヶ谷交差点間(4.6km)は事業化された。その後2007年3月20日には苦竹IC - 山崎交差点間(2.2km)が3車線化され開通したが、2010年現在、鶴ヶ谷交差点までの3車線化工事は未完成である。それ以北についても事業化されていない。
県道
マスメディア
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
施設
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レジャー
- 温泉(福岡・根白石付近)
- 憩の森キャンプ場
- 仙台市泉ヶ岳キャンプ場
- 水の森公園キャンプ場
スキー場
ゴルフ場
- 泉国際ゴルフ倶楽部
- 泉パークタウンゴルフ倶楽部
- ニューワールドゴルフクラブ
観光
祭り
- 泉区民ふるさと祭
- 天空のゆりガーデン
出身人物
- 大友愛(バレーボール選手)
- 佐々木主浩(元プロ野球 横浜ベイスターズ選手)
- サンドウィッチマン(お笑いコンビ)
- 志村雄彦 - プロバスケットボール選手(仙台89ers所属)
- 鈴木京香(女優)
- 松田大地 - プロバスケットボール選手(仙台89ers所属)
- 羽生結弦(フィギュアスケート選手)
その他
仙台市との合併に至る世論については次のとおりである。 なお、今となっては既に合併から20年以上経過しており、世代交代や他地域からの流入もあって以下に記するような昔の旧泉市に固執する住民は皆無である。
仙台市との合併に際しその是非を問う会議が泉市内の各地域で開催され、マスメディアはその過熱ぶりを報道し、最終的には住民投票を行うほど市民の世論が二分した。初期の対立軸は、マイホームを求めて主に仙台市から移住してきた新住民と、地元商店街の商店主・旧奥州街道沿いの住民・営農者などの旧住民で、新住民は泉市への帰属意識は薄く通勤通学する仙台市との合併賛成、旧住民は泉市への帰属意識(地域コミュニティ)が強いために併合され泉市らしさが無くなることへの抵抗感による合併反対という対立構図であった。
しかし、その単純な対立構図はより理由が鮮明になり熱を帯びていった。当時、仙台市においてもバブル景気によって地価が上昇しており、泉市が合併で仙台市となればネームバリューで、さらに政令指定都市ともなればもっと地価が高騰するであろうという予見から不動産業のみならず利益を得たい企業側関係者は合併の強力推進派となった。他方、合併によって泉市よりも高い旧仙台市の基準の地方税や水道使用料金などを課せられると知った旧住民は、合併によるメリットよりもデメリットが大きいと町内会やビラで訴え新住民への浸透を図った。マスメディアの事前調査では、住民投票の行方は合併派と反対派は拮抗してまったく分からなくなった。
旧仙台市は東北の中心的役割を内外ともに誇示するため、政令指定都市の名目は絶対に必要な条件であった(これについては、仙台市のみがそれを欲していたわけでなく、21世紀を目前に東北各市からも関西・中部・九州の大都市圏に匹敵する東北都市圏を仙台市が牽引して作るべきだという意見が多かった。時節柄、首都機能移転構想にも多大な影響を受けている)。しかし、当時の政令都市化の要件である人口80万人には満たなかったため、このままでは単独での政令指定都市化は難しいと判断され、隣接の名取市や泉市との合併を模索していた。
名取市は仙台空港やJRの交通インフラがすでに整備されており、仙台市と合併する旨味は特に持ち合わせていなかったが、泉市は急激な人口増加により交通や下水道などの生活インフラが立ち遅れていた。仙台市は、当時水田が広がっていた現在の泉中央副都心を中心に、仙台市営地下鉄南北線の泉中央駅延伸、将監トンネル(県道仙台泉線)や都市計画道路・北四番丁大和町線(県道大衡仙台線)の早期建設など道路整備、七北田公園(仙台スタジアム建設)や泉運動公園の整備(シェルコムせんだい建設)、上下水道整備、コミュニティセンターの建設などのインフラ整備、さらに泉市で初の地方博覧会(グリーンフェア仙台)の開催を提案した。
熱を帯びた議論やビラ合戦の末、住民投票条例制定の直接請求において泉市の有権者の43%にあたる37,775人の署名が集まり[3]、「市民投票に関する条例案」が泉市議会に議員提案されたが、1987年(昭和62年)11月4日の昭和62年11月臨時会で否決された[4]。しかし、僅差だったことを理由に泉市長の職権で「市民意向投票実施規則」が制定され、同年11月29日に住民投票が実施された[5][4]。投票結果、投票率74%、賛成33,331票(得票率52.6%)、反対29,703票(同46.9%)、無効・その他354票(同0.6%)となり、合併賛成派の僅差の勝利になった[5]。合併反対派は、市民の世論が半々であるのに拙速に合併協議を進めているとしてリコール運動を始めた。両市は3月末日としていた当初予定を前倒しし1988年(昭和63年)3月1日に泉市を仙台市に編入合併した[3]。そして1989年(平成元年)4月1日、仙台市の政令指定都市移行と同時に旧泉市が泉区となった。
合併経緯からか泉区は仙台市の他区と比べて特別的扱いが多いと見られている。なお、この公共事業をバーターにした当時の仙台市長(石井亨元市長)はのちにいわゆるゼネコン汚職事件で逮捕された。
泉区の特例
- 住所を記している住居表示板は合併後2回更新されている(泉市→泉区〔ローマ字併記無し〕→泉区〔ローマ字付き〕)。泉市の時代からの緑色をそのまま使っている。
- 住所は、泉市○○→仙台市○○→仙台市泉区○○と変遷されている。
- 泉市時代からの引き継ぎで、他の区では制定されていない「区の木・花・鳥」が唯一制定されている。
- 泉区役所(本庁舎)は、旧泉市役所をそのまま活用しているため、敷地面積が他の区役所よりも広い(現在は、旧泉市役所庁舎であった、区役所本庁舎の東側に区役所東庁舎が設置されている)。
- 泉区役所は、泉中央駅から徒歩数分の立地にあり、これまでは区役所前~泉中央駅を結ぶ「歩行者専用道路」(途中から広場になり、さらにペデストリアンデッキに変化する)でしか接続されていなかったが、泉中央駅の改築により、区役所の敷地内に地下鉄入り口が新設された。
- 泉市時代から仙台市地下鉄が八乙女まで通っていた。
町名等
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