河津町
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河津町(かわづちょう)は、日本の東海地方東端部の、静岡県賀茂郡に属する町である。伊豆半島の先端部(南端部)に近い東側地域の一角を占め、太平洋に面する。
サクラの一栽培品種であるカワヅザクラ(河津桜)の発祥地および観光地として全国的に知られており、花見の季節には必ず紹介される。
Contents
地勢
町域の81%は山林と原野で占められ、市街地は天城山南東の山稜を源流とする河津川下流の平地に広がる。東部は相模灘(太平洋)に面する。
歴史
年表
先史時代
- 縄文時代晩期(約2,300年前) - 笹原地区にて集落の形成期/笹原地区の南小学校を中心とする地域に残る姫宮遺跡の最下層が、この頃に営まれていた[1]。この集落は、縄文時代から弥生時代へ移り変わる時期の数少ない遺跡で、さらに古墳時代、奈良時代を経て、平安時代まで存続した[1]。
- 4世紀頃(古墳時代前期) - 河津町笹原字比咩宮ひめみやにて、姫宮神社の創建[2](遺物推定)/姫宮遺跡の4世紀頃の層から祭祀遺物が出土する[2]。
古代
- 天平21年(749年、奈良時代) - 行基が、谷津村にて仙洞山那蘭陀寺(せんとうさん ならんだじ 南禅寺の前身)を開山する(伝承)[3][4]。本尊は行基が自ら彫った薬師如来像であったという。
- 康和元年(1099年、平安時代) - 実道法師が、那蘭陀寺(南禅寺の前身)を再興し[4]、広大な境内に七堂伽藍が整備されて、本堂に幾つもの仏像を安置する大寺院となる。
中世
- 永享4年(1432年、南北朝時代) - 那蘭陀寺(南禅寺の前身)の裏山が山津浪(山崩れ)を起こし、寺は堂宇はことごとく大破、仏像群は埋没し、これが元で廃寺となる[3][4]。
- 天文10年(1541年、戦国時代) - 南禅和尚(正光院)が、谷津の那蘭陀寺跡地の土中から仏像群を掘り起こし、建立した仏堂に納めると、人々はこれを「南禅堂」と呼ぶようになる[3][4]。これが現存する南禅寺(なぜんじ)の興りであるという[3][4]。
安土桃山時代
江戸時代
明治時代
- 明治5年9月15日(新暦換算:1872年10月17日) - 国が修験道廃止令を発布したのに伴い、河津郷でも谷津の南禅堂(南禅寺の前身)などが荒廃し始める/南禅堂は無住寺となり、平安時代から伝わる仏像群と文化11年(1814年)に再建された本堂を残すのみとなって廃れてしまう。
- 1873年(明治6年) - 梨本村にて、工部省深川工作分局管轄の梨本村不熔白煉化石製造所(官営模範工場であるところの耐火煉瓦製造所で、現在の「煉瓦の洞遺跡」)が操業を開始する。
- 1875年(明治8年) - 賀茂郡の筏場村に矢野村が編入し、新たな筏場村が発足する。
- 1876年(明治9年)4月18日 - 第二次府県統合により、足柄県の相模国が神奈川県に、伊豆国が静岡県に編入される。これをもって足柄県は廃止される。
- 1883年(明治16年)10月31日 - 梨本村不熔白煉化石製造所が、稲葉来蔵に貸与される。翌年に払い下げられる(?)。
- 1887年(明治20年)某月某日 - 浜村(2年後の下河津村浜、現在の河津町浜)にて、宮内庁御料局静岡支庁河津出張所(帝室御料地である天城山国有林の管理運用を担う機関)の開所[5]。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 全国で町村制が施行され、河津では、河津下郷9か村(見高村、浜村、笹原村、田中村、沢田村、峰村、谷津村、縄地村、逆川村)が合体(新設合併)して下河津村を発足し、河津上郷6か村(梨本村、大鍋村、小鍋村、湯ヶ野村、下佐ヶ野村、川津筏場村)が合体(新設合併)して上河津村を発足する。
- 1890年(明治23年) - 河津郷七抱七楠(かわづごう ななかかえ ななくすのき 古来、河津郷にあったという、7抱えもある7本のクスノキの巨木)のうち杉桙別命神社の大楠1本以外の6本が、明治の中頃[* 2]までに全て伐採されてしまった。
- 1892年(明治25年) - 小学校令に基づき、上河津・見高・田中・峰・逆川・縄地に尋常小学校を置く。
日清戦争後
日露戦争後
- 1906年(明治39年) - 湯ヶ野を震源とする地震(M5.7程度)の発生。
- 1910年(明治43年)2月 - 河津川水力電気株式会社の設立。
- 1911年(明治44年)1月1日 - 河津川水力電気株式会社の開業[6]。
大正時代
- 某月某日 - 河津各区に区長を置く。
- 9月某日 - 河津川水力電気株式会社 梨本発電所の建設。
- 1915年(大正4年)
- 某月某日 - 下田・大仁間にて路線バスの開通。
- 5月某日 - 河津川水力電気株式会社 梨本発電所の創立。
- 1917年(大正6年) - 田中・峰・逆川・縄地・見高の尋常小学校及び下河津高等小学校を併合して下河津尋常高等小学校とする。本校は笹原に置き、見高・見高入谷・縄地・逆川に分校を置く。
第一次世界大戦後
- 1926年(大正15年)
昭和時代
太平洋戦争前
- 1927年(昭和2年)4月 - 下河津村の村長助役以下役場員が、村会で衝突し、総辞職する。
- 1932年(昭和7年)10月 - 下田・片瀬間(白浜・下河津経由)で路線バスの開通。
- 1933年(昭和8年)6月 - 伊豆循環道路東海岸線伊東・下田間の完成。
- 1935年(昭和10年) - 上河津村立実業補習学校の廃校と、同村立信農青年学校の設立・開校。
- 1936年(昭和11年)
太平洋戦争中
太平洋戦争後
- 1947年(昭和22年)
- 1948年(昭和23年)
- 1952年(昭和27年)
- 某月某日 - 下河津第一小学校が「下河津小学校」へ、下河津第二小学校が「見高小学校」へ改称。
- 某月某日 - 上・下河津両村に教育委員会が発足。
- 1955年(昭和30年)頃の2月某日 - カワヅザクラ(河津桜)の発見/田中地区の飯田勝美が、河津川沿いの雑地に生えていた珍しいサクラの若木を発見して自宅の庭先に定植し、稼業の屋号から「小峰桜」と呼んで育て始める。これがのちの学術調査で雑種起源の知られていなかった栽培品種と判明し、「カワヅザクラ(河津桜)」と命名されることになり、やがては河津の名を全国に知らしめる一大観光資源へと育ってゆく。
- 1958年(昭和33年)
- 1959年(昭和34年) - 沢田にわかば保育園の開園。
- 1961年(昭和36年)12月10日 - 伊豆急行電鉄(伊東・下田間)が全線開通し、当地域初の鉄道駅として河津駅が開業する。
- 1962年(昭和37年)
- 1963年(昭和38年)
- 1965年(昭和40年)
- 1966年(昭和41年)1月 - 飯田勝美宅の「小峰桜」(のちのカワヅザクラ:河津桜)が初めて開花する/これを見留めたのち、飯田勝美は亡くなった。
- 1968年(昭和43年) - この頃から、飯田勝美の「小峰桜」(のちのカワヅザクラ:河津桜)が、町民有志の手で少しずつ町内に増殖されるようになる。
- 1969年(昭和44年)
- 1974年(昭和49年)
- 1975年(昭和50年)4月某日 - 河津町がカワヅザクラ(河津桜)を「町の木」に指定[8]/原木が町内にあることから[8]。町民有志らによる植栽が河津川河口などから町内全域に広がる[10]。
- 1976年(昭和51年)8月18日 - 伊豆半島南部を集中豪雨が襲い、鉢の山を震源とする河津地震(M5.4)が発生する[11]/豪雨は天城山で降水量509mmを記録した。
- 1978年(昭和53年)1月14日 - 伊豆大島近海地震(M7.0)の発生/河津町内の被害甚大。伊豆急は復旧までに5ヶ月を、天城線バスは半年を要した。
- 1980年(昭和55年) - 河津西中学校と河津南中学校が統合し、河津中学校が設立・開校する。
- 1981年(昭和56年)
- 1982年(昭和57年)
- 1983年(昭和58年)4月1日 - 峰地区にて、下田地区消防組合河津分署が業務を開始[12]。
- 1984年(昭和59年) - B&G河津海洋センターのグランドオープン。
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 静岡県全域で消防相互応援協定が締結される[14]/災害時応援協定の一種で、対象は全ての災害。
平成時代
- 某月某日 - 踊り子温泉会館のグランドオープン。
- 某月某日 - サンシップ今井浜のグランドオープン。
- 某月某日 - 小規模授産所「いずみ」の開所。
- 1997年(平成9年)
- 1998年(平成10年)
- 1999年(平成11年)2月 - 第9回河津桜まつりの開催[15]/期間中の観光入込客数が初めて100万人を超える[15][16]。
- 2001年(平成13年)某月某日 - 峰地区にて、河津バガテル公園の開園[15]。
- 2002年(平成14年)
- 2004年(平成16年)
- 2005年(平成17年)2月 - 第17回河津桜まつりの開催[15]/この年、観光用トイレの新設と仮設トイレの増設によるトイレ環境の充実が完了[15]。
- 2012年(平成24年)9月30日 - サンシップ今井浜の閉館。
- 2003年(平成15年)12月某日 - 下田市・河津町・南伊豆町の法定合併協議会の解散。
- 2005年(平成17年)2月23日 - 観光庁の「観光のカリスマ百選」に、地域おこしを精力的に牽引する河津町長・櫻井泰次が選出される[16][18]。
- 2009年(平成21年)2月1日 - 峰地区にて、峰温泉大噴湯公園のグランドオープン。
- 2010年(平成22年)2月1日 - 河津桜観光交流館のグランドオープン[19]。
- 2013年(平成25年)
行政区域の変遷
人口
総人口:7410人 男:3,592人 女:3818人 (2018年1月1日現在)[21]
河津町(に相当する地域)の人口の推移 | |
総務省統計局 国勢調査より |
行政
歴代町長
- 先代 - 相馬 宏行(そうま ひろゆき):2014年(平成26年)4月20日就任。
- 元 - 櫻井 泰次(さくらい たいじ)[15]:1986年(昭和61年)就任[15]、2010年(平成22年)退任[16]。全6期[16]。七滝温泉ホテル社長[15]。河津町の地域おこしの功労者で、2005年(平成17年)2月23日には観光庁の「観光のカリスマ百選」に選出されてもいる[16][18]。
役場等
役場
税務
町民サービス施設
姉妹都市
警察
消防・防災・救急救命
- 下田地区消防組合 - 伊豆半島南部の1市4町(下田市と、賀茂郡の河津町・西伊豆町・松崎町・南伊豆町)を管轄する[12]消防組合。1982年(昭和57年)4月1日に半島東南部地域(河津町、下田町〈現・下田市〉、南伊豆町)を管区として発足[12]。2013年(平成25年)4月1日には西伊豆町と松崎町が加入したことで半島南部全域を管区に収める消防広域化が実現した。
- 下田消防本部 - 下田地区消防組合の本部。
立法
町議会
選挙区
司法
裁判所
- 静岡地方裁判所下田支部 - 下田市4-7-34に所在。下田市と、賀茂郡5町(東伊豆町、河津町、南伊豆町、松崎町、西伊豆町)を管轄[26][27]。
- 静岡家庭裁判所下田支部 - 所在地と管轄区域は上に同じ。
- 下田簡易裁判所 - 所在地と管轄区域は上に同じ。河津町を管区に含む簡易裁判所。
検察庁
医療
- 河津浜病院 - 河津町川津筏場1512-7に所在。
- 伊豆今井浜病院 - 河津町見高178に所在。
- ほか
郵便事業
- 河津郵便局 - 河津町笹原299-5に所在。
- 上河津郵便局 - 河津町下佐ケ野80-1に所在。
経済
産業
平成17年度の国勢調査では次のような結果が出ている。
区分 | 人数 |
---|---|
第一次産業 | 計 629 |
農業 | 574 |
林業 | 14 |
漁業 | 41 |
第二次産業 | 計 600 |
鋼業 | 0 |
建設業 | 470 |
製造業 | 130 |
第三次産業 | 計 3043 |
電気・ガス・熱供給・水道業 | 19 |
情報通信業 | 12 |
運輸業 | 167 |
卸売・小売業 | 765 |
金融・保険業 | 44 |
不動産業 | 36 |
飲食店・宿泊業 | 787 |
医療・福祉 | 369 |
教育・学習支援業 | 149 |
複合サービス業 | 100 |
サービス業 | 465 |
公務 | 130 |
地域
教育機関
中学校
- 河津町立河津中学校[28]
小学校
- 河津町立西小学校
- 河津町立東小学校
- 河津町立南小学校[29]
幼稚園
- 河津町立さくら幼稚園[30]
保育所
2017年(平成29年)4月1日時点で、河津町内の認可保育所数は5、認可保育所待機児童数は0名。
金融機関
- 静岡銀行 河津支店 - 河津町浜119-1に所在。
- 三島信用金庫 河津支店 - 河津町峰497-15に所在。
- 伊豆太陽農業協同組合 - 1990年(平成2年)10月1日設立。
- 下河津支店 - 河津町笹原341に所在。
- 上河津支店 - 河津町湯ヶ野141-9に所在。
マスメディア
地域新聞
河津町独自の地域新聞は無い。
放送局
- 河津中継局 - 河津町(峯山)に所在。放送区域は一部を除く河津町域。
- NHK河津見高浜テレビ中継局 - 河津町見高今井(片瀬山)に所在。放送区域は一部を除く河津町域。
交通
鉄道
道路
【高速道路】
【国道】
【県道】
バス
名所旧跡・行事等
- ※外部リンク “観光施設”. 伊豆・河津温泉郷. 河津桜観光協会. . 2018閲覧.リンク先に河津町の観光地図あり。個別の解説もクリックすることで開く。
- カワヅザクラ(河津桜)
- 早咲きの桜
- 河津七滝(ななだる)
- 伊豆山中の七つの滝 ■右列に関連画像あり
- 河津七滝ループ橋(七滝高架橋) ■右列に画像あり
- 天城トンネル(天城山隧道)
- 小湊一号隧道、小湊二号隧道 - 扁額には「小湊一号隧道」「小湊二号隧道」とあるが、道路標識には「小湊第1隧道」「小湊第2隧道」とある。 ■右列に画像あり
- 河津温泉郷
- 河津バガテル公園
- 峰温泉
- かわづカーネーション見本園
- かわづ花菖蒲園
- 今井浜海水浴場
- 河津浜海水浴場
- 南禅寺(なぜんじ) - 行基開創伝説のある古刹。平安前期の薬師如来坐像、平安中期の地蔵菩薩立像、十一面観音立像、天部形立像(一対)、梵天立像、帝釈天立像(いずれも静岡県指定文化財)を始め、二十数体にも及ぶ多数の平安時代の仏像を安置。
- 伊豆ならんだの里 河津平安仏像展示館 - 2013年(平成25年)に開館[20]。
地域にゆかりのある著名人
名誉町民
- 石原忍 - 1879年(明治12年)9月25日、東京府(現・東京都)生まれ。医学者(眼科医、軍医)。帝国大学名誉教授。河津町名誉町民受章者(1957年〈昭和32年〉)、文化功労者(1961年〈昭和36年〉)。
出身著名人
- 稲葉時太郎 - 峰村(のちの下河津村峰、現在の河津町峰)の人。峰温泉の復興功労者。[7] cf. 関連事象の年表での記載位置:1926年
- 飯田勝美 - 生年不詳。河津桜原木の発見者・定植者。cf. 関連事象の年表での記載位置:1955年、1966年、1968年、1974年、1975年
- 篠崎真吾 - 元ロッテリア社長、公認会計士
- 935. (クミコ) - 1972年(昭和47年)10月30日、河津町生まれ。歌手(音楽ユニット「&[AND]」のボーカル)。
地域にゆかりのある異邦人等
- 川端康成 - 1899年(明治32年)6月14日生まれ。大阪府出身。 小説家、文芸評論家。小説『伊豆の踊子』の中で湯ヶ野が舞台の一つとして描かれた。由来地には記念碑がある。cf. 関連事象の年表での記載位置:1925年、1965年
大使
河津町を舞台にした作品
文学・記録・漫画
- 井伏鱒二 - 河津川筋、南豆荘の将棋盤
- 川端康成 - 伊豆の踊子
- 中島敦 - 蕨・竹・老人
- 梶井基次郎 - 冬の蠅
- 荻原井泉水 - かっぱの甕
- 石坂洋次郎 - 奥伊豆参り、忘れ得ぬ人々
- 三島由紀夫 - 真夏の死
- 西村京太郎 - 伊豆・河津七滝に消えた女、河津・天城連続殺人事件
- 吉村達也 - 天城大滝温泉殺人事件
ドラマ
- テレビ東京『孤独のグルメ Seasen3』第3話「静岡県賀茂郡河津町の生ワサビ付きわさび丼」 - 2013年(平成25年)7月24日放映。七滝地区の名物「わさび丼」が取り上げられた[16]。視聴者の反響は大きく、新商品の開発にもつながった[16]。
脚注
注釈
出典
- ↑ 1.0 1.1 “姫宮遺跡について”. 宮崎商会. . 2018閲覧.
- ↑ 2.0 2.1 “姫宮神社について”. 宮崎商会. . 2018閲覧.
- ↑ 3.0 3.1 3.2 3.3 “河津”. トラベル.jp. . 2018閲覧.
- ↑ 4.0 4.1 4.2 4.3 4.4 “伊豆ならんだの里 仏像展示館”. 宮崎商会. . 2018閲覧.
- ↑ 5.0 5.1 稲葉修三郎 (2013年6月). “連載 歴史の散歩道 天城のみちすがら 第6話 天城のお山 天城山国有林(一)”. 広報かわづ 2013年6月 No.490. 河津町. . 2018閲覧.
- ↑ 6.0 6.1 静岡県史年表
- ↑ 7.0 7.1 “峰温泉大噴湯公園”. 花といで湯の町、河津. 河津町役場. . 2018閲覧.
- ↑ 8.0 8.1 8.2 8.3 8.4 8.5 8.6 8.7 河津町役場. “町の概要”. 公式ウェブサイト. 河津町. . 2018閲覧.
- ↑ 9.0 9.1 河津町役場. “伊豆の踊り子文学碑”. 公式ウェブサイト. 河津町. . 2018閲覧.
- ↑ 老木化「河津桜」どうする 植え替えに河川法の壁、新景観を模索静岡新聞、2017/10/5
- ↑ “3-15 伊豆半島東部の群発地震(1976年5月-10月”. 東京大学地震研究所 地震移動観測室・地震活動研究部門. . 2016閲覧.
- ↑ 12.0 12.1 12.2 12.3 12.4 12.5 12.6 12.7 “下田地区消防組合の概要 - 消防年報 (PDF)”. 公式ウェブサイト. 下田地区消防組合 (2016年8月). . 2018閲覧.
- ↑ 13.0 13.1 白馬村役場 (2012年12月11日). “今年 河津町と白馬村は姉妹都市提携30周年を迎えます!”. 公式ウェブサイト. 白馬村. . 2018閲覧.
- ↑ 14.0 14.1 14.2 “応援協定 - 消防年報 (PDF)”. 公式ウェブサイト. 下田地区消防組合 (2016年4月1日). . 2018閲覧.
- ↑ 15.00 15.01 15.02 15.03 15.04 15.05 15.06 15.07 15.08 15.09 15.10 15.11 15.12 15.13 15.14 15.15 15.16 15.17 15.18 15.19 15.20 15.21 15.22 15.23 “櫻井泰次”. 公式ウェブサイト. 観光庁 (2012年9月13日). . 2018閲覧.
- ↑ 16.00 16.01 16.02 16.03 16.04 16.05 16.06 16.07 16.08 16.09 16.10 16.11 16.12 16.13 16.14 16.15 “1本の桜の木がもたらした地域おこしの奇跡”. かんばるchubu 観光地域づくり編. 一般社団法人中部経済連合会 (2018年2月). . 2018閲覧.
- ↑ “小さな旅 (PDF)”. 公式ウェブサイト. 衛星テレビ広告協議会 (CAB-J) (2013年1月). . 2018閲覧.
- ↑ 18.0 18.1 『観光カリスマ百選』選定委員会 (2005年3月18日). “『観光カリスマ百選』選定結果について (PDF)”. 公式ウェブサイト. 内閣府. . 2018閲覧.
- ↑ “河津桜観光交流館”. 伊豆・河津温泉郷. 河津桜観光協会. . 2018閲覧.
- ↑ 20.0 20.1 “河津平安の仏像展示館”. 公式ウェブサイト. 伊豆ならんだの里 河津平安の仏像展示館. . 2018閲覧.
- ↑ http://www.town.kawazu.shizuoka.jp/
- ↑ “岸重宏氏が同日より河津町長に就任しました”. 河津町 (2017年11月26日). . 2017閲覧.
- ↑ “下田税務署(静岡県)”. 全国の税務署一覧. 管轄ナビ. . 2018閲覧.
- ↑ “静岡県・河津町消防団”. 公式ウェブサイト. 日本消防協会 (2009年1月). . 2018閲覧.
- ↑ “消防団 - 消防年報 (PDF)”. 公式ウェブサイト. 下田地区消防組合 (2016年4月1日). . 2018閲覧.
- ↑ “静岡県内の管轄区域表”. 公式ウェブサイト. 裁判所. . 2018閲覧.
- ↑ “静岡地方裁判所下田支部 静岡家庭裁判所下田支部 下田簡易裁判所”. 公式ウェブサイト. 裁判所. . 2018閲覧.
- ↑ http://www.town.kawazu.shizuoka.jp/kurashi/educational-institutions/
- ↑ http://www.town.kawazu.shizuoka.jp/kurashi/educational-institutions/
- ↑ http://www.town.kawazu.shizuoka.jp/kurashi/educational-institutions/
- ↑ 公式、伊豆88遍路 第35番札所、御朱印さんぽ
関連項目
外部リンク
- [{{#property:P856}} 公式ウェブサイト]
- 河津町観光協会
- 河津七滝観光協会WEBサイト
典拠レコード: