河合町

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ファイル:Nisiyamato NewTown.jpg
西大和ニュータウン(西大和ショッピングデパート近辺)2008年1月

河合町(かわいちょう)は奈良県城郡の町。奈良盆地西部に位置する(奈良県全体では北西部に位置する)。

地理

西大和開発株式会社が1960年代から「西大和ニュータウン」を開発し、隣町の上牧町にまたがる大規模な住宅地を形成している[1]

人口

河合町(に相当する地域)の人口の推移
総務省統計局 国勢調査より

奈良県統計 河合町の人口

  • 2007年10月1日現在 : 19,202人
  • 人口増加率(2002年→2007年) : -3.3%

歴史

古代の大和国広瀬郡の地であり、延喜式内廣瀬神社が鎮座し、川合大塚山古墳群・馬見丘陵古墳群など遺跡も豊富である。

沿革

  • 1889年明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、広瀬郡川合村・長楽村・穴闇村・池部村・沢村・佐味田村・山坊村・大輪田村・城内村・西穴闇村・寺戸村・大野村・薬井村の区域をもって河合村が発足。
  • 1892年(明治25年)2月12日 - 広瀬郡河合村の一部(大字沢・大野・寺戸)が箸尾村に編入。
  • 1897年(明治30年)4月1日 - 広瀬郡河合村の所属郡が北葛城郡に変更。
  • 1971年昭和46年)7月1日 - 村章を制定[2]
  • 1971年(昭和46年)12月1日 - 河合村が町制施行して河合町となる。

2003年に河合町・王寺町上牧町斑鳩町三郷町平群町安堵町の7町を合併し、西和市とする計画があったが、王寺町・斑鳩町の住民投票で反対多数となり合併はされなかった。

町域の変遷

明治22年 明治29年 昭和46年 現在
奈良県
広瀬郡 北葛城郡
河合村 河合町

地区

  • 636-0053 池部(いけべ)
  • 636-0053 池部(いけべ)1丁目〜3丁目
  • 636-0091 泉台(いずみだい)1丁目〜3丁目
  • 636-0093 大輪田(おおわだ)
  • 636-0051 川合(かわい)
  • 636-0082 薬井(くすりい)
  • 636-0063 久美ケ丘(くみがおか)1丁目〜2丁目
  • 636-0062 佐味田(さみた)
  • 636-0092 城内(じょうない)
  • 636-0081 星和台(せいわだい)1丁目〜2丁目
  • 636-0071 高塚台(たかつかだい)1丁目〜3丁目
  • 636-0052 長楽(ちょうらく)
  • 636-0072 中山台(なかやまだい)1丁目〜2丁目
  • 636-0054 穴闇(なぐら)
  • 636-0055 西穴闇(にしなぐら)
  • 636-0056 西山台(にしやまだい)
  • 636-0073 広瀬台(ひろせだい)1丁目〜3丁目
  • 636-0061 山坊(やまのぼう)
  • 636-0057 彩りの杜(いろどりのもり)

行政

  • 町長:岡井 康徳(1991年5月1日付で就任、現在6期目)[3]

なお、衆議院議員選挙の選挙区は「奈良県第2区[4]、奈良県議会議員選挙の選挙区は「北葛城郡選挙区」(定数:3)となっている[5]

町役場

ファイル:Ikebe Station and Kawai Town Hall entrance.jpg
池部駅(右)と町役場正門(左)
ファイル:Kawai Town Office 201611b.jpg
町役場正門、左右の石に阿吽一対の獅子

河合町役場は奈良県北葛城郡河合町池部1丁目1番1号に所在する。近鉄田原本線池部駅下車徒歩1分。同一敷地内には、老人福祉センター(森本千吉旧邸・役場旧庁舎)、セミナーハウスなどがある。

町役場の敷地は、もともと「豆山荘」(まめやまそう[6])と呼ばれる邸宅地であり、日本庭園池泉回遊式庭園)がある[7][8]。役場の正門は大正時代に建築された木製瓦葺[6]の屋敷門で[7]、「河合町役場」と墨書された木の看板がかけられており[6][6]、門の両脇には阿吽一対のライオンのレリーフを施した石が配置されている[7][6]。門から庁舎まではゆるやかな上り坂となっており、庭園を通って庁舎に入ることになる[6]。「町役場の門とは思えない」光景はメディアにしばしば取り上げられ[7][8][6]、また町の側もその珍しさを自任している[6]。『河合町史』には「全国でも珍しい存在」との記載があり[6]、町が選定した人気のある名所「河合八景」の一つにも「役場の古い門」が選ばれている[9]

「豆山荘」は、田原本線の前身となった鉄道を敷設した大和鉄道の創業者・森本千吉によって、大正時代(阿吽のライオンには大正12年(1923年)の文字が刻まれている)に作られた邸宅である[7][8][10]。1937年に森本が没したのちは、地元財界人の吉川京松が譲り受けて管理していた[7][8][10]。「豆山」とは、馬見丘陵一帯をさす通称である[7][8]。1948年、中学校建設に伴って村役場の移転が必要となった際、当時の村長は吉川に「豆山荘」に役場を移転する要望を出した[10]。吉川は快諾し、同年町に「豆山荘」を譲渡した[7][8][10]。以後、「豆山荘」森本千吉旧邸(現在は老人福祉センター)が村役場として使用されるようになった[11]

1971年に町制が施行され河合町が発足すると、新庁舎が建設された[7][10]1975年完成[12])。この際に「豆山荘」の建物や庭の一部は撤去されており、往時の1/2~1/3程度の規模になっている[8]

正門は役場の開庁・閉庁時間に合わせて開閉するが[8][6](車の通行可能な入口は別に設けられている)、庭園は散策可能である[10]

姉妹都市・提携都市

海外

姉妹都市
河合町の地場産業「貝ボタン」の原材料として、マーシャル諸島からのタカセガイ(サラサバテイラ)やクロチョウガイを使用している縁。その関係は明治時代にさかのぼる。「相互の産業振興と文化交流を推し進める」ため、マーシャル諸島共和国の首都マジュロとの姉妹都市協定を河合町から打診した。
河合町では、町民の中学生(2年生ならびに3年生)を対象に、夏休み期間中のマジュロ市への短期ホームステイプログラムを実施している。詳細は、当該時期の町報に記載されている。

国内

提携都市

経済


金融機関

日本郵政グループ

(※2014年6月現在)

  • 河合郵便局(川合)
  • 西大和星和台郵便局(星和台) ★
  • 西大和高塚台郵便局(高塚台)
  • 大輪田簡易郵便局(大輪田)
  • 池部簡易郵便局(池部)
  • 佐味田簡易郵便局(佐味田)

※ ★印はゆうちょ銀行ATMのホリデーサービス実施局。

町内全域の集配業務は王寺郵便局(北葛城郡王寺町王寺)が担当している。

このほかに近畿郵政研修センター(高塚台)がある。

教育

小学校

中学校

高等学校

短期大学

福祉

保育園

県の施設

交通

鉄道

なお、西日本旅客鉄道(JR西日本):関西本線大和路線)が法隆寺駅 - 王寺駅間で河合町大輪田を通過しており、通過区間内には変電所が設けられている。

バス

  • 奈良交通
  • 河合町巡回ワゴン「豆山すな丸号」

このほか、町東部では川西町コミュニティバス「川西こすもす号」の保田公民館前停留所も利用可能で、近鉄橿原線結崎駅へ向かうことができる。

道路

有料道路

県道

名所・旧跡・観光・祭事・催事

名所・旧跡

祭事

  • 砂かけ祭(廣瀬大社)毎年2月11日

主な出身者

脚注

  1. 西大和開発株式会社は現存しない。
  2. 図典 日本の市町村章 p164
  3. 歴代町村長 河合町ホームページ
  4. 2017年の区割変更により3区から変更となった
  5. 選挙区と定数 奈良県選挙管理委員会
  6. 6.0 6.1 6.2 6.3 6.4 6.5 6.6 6.7 6.8 6.9 “まだまだ勝手に関西遺産 レトロな門 役場へカモ~ン”. 朝日新聞(大阪本社版・夕刊). (2016年10月26日). http://www.asahi.com/articles/ASJB43QRGJB4PTFC00B.html . 2016閲覧. 
  7. 7.0 7.1 7.2 7.3 7.4 7.5 7.6 7.7 7.8 近代化遺産ある記 vol.16 河合町役場庭園(旧豆山荘)”. ええ古都なら. 南都銀行. . 2016閲覧.
  8. 8.0 8.1 8.2 8.3 8.4 8.5 8.6 8.7 河合町役場”. ええ古都なら. 南都銀行. . 2016閲覧.
  9. 河合八景”. 河合町. . 2016閲覧.
  10. 10.0 10.1 10.2 10.3 10.4 10.5 河合町役場庭園”. 河合町. . 2016閲覧.
  11. 河合町の歴史年表 (PDF)”. 河合町. . 2016閲覧.
  12. 沿革”. 河合町. . 2016閲覧.
  13. 姉妹(友好)提携情報”. 自治体国際化協会. . 2016閲覧.

外部リンク