河口浅間神社

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河口浅間神社(かわぐちあさまじんじゃ)は、山梨県南都留郡富士河口湖町河口にある神社式内社名神大社論社で、旧社格県社。全国にある浅間神社の1つ。

「河口浅間神社」は通称で、正式名は「浅間神社」[1]富士山の北麓で御坂山地を背負い、河口湖越しに富士山と対峙して鎮座する。

富士山-信仰の対象と芸術の源泉」の構成資産の一部として世界文化遺産に登録されている。

祭神

祭神は次の1柱[2]

なお社記によれば、天津彦彦火瓊瓊杵尊(木花開耶姫命の夫神)・大山祇神(木花開耶姫命の父神)の両神を相殿に祀るとする伝えもある[3]

歴史

創建

貞観6年(864年)に始まった富士山の噴火鎮祭のため、貞観7年(865年)に浅間神を奉斎したのが始まりという。

日本三代実録』によると、貞観6年(864年)に富士山の貞観大噴火が始まって大被害が発生し[4]、噴火により八代郡の本栖海(本栖湖)と剗の海が埋没したという[5]。そしてこれが駿河国浅間名神(現 富士山本宮浅間大社)の祭祀怠慢とされ、甲斐国でも浅間神を祭祀するべきこととなった[6]。翌貞観7年(865年)、甲斐国八代郡家の南に浅間明神の祠が祀られ官社に列したと記す[7]。また、平安時代中期の『延喜式神名帳』には名神大社として「甲斐国八代郡 浅間神社」の記載がある。

これらの記載に対して、江戸時代の『大日本史』や『甲斐国志』などにより、古くから当社がその論社として論じられてきた。その中で当地は現在都留郡であるが、当時は八代郡に属したと論じられている[8]。ただし、もう1つの有力な論社として笛吹市浅間神社もある(議論の詳細は「浅間神社#甲斐国」を参照)。

概史

当社を中心とする地域は、富士登拝の大衆化と共に御師集落として発展した[9]。しかし江戸時代になると、富士講の流行や吉田御師の発展により徐々に衰退していき、19世紀には衰退の一途を辿った[9]

近代社格制度では、明治4年(1871年)に郷社に列し、大正13年(1924年)に県社に昇格した[10]

戦後の1949年(昭和24年)4月25日には民俗学者柳田国男が訪問する。柳田は当時、山宮と里宮の関係を研究しており、河口湖町出身の中村星湖に案内され当社の山宮や孫見祭を見物した。

境内

本社

社殿

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本殿(富士河口湖町指定文化財、右)と拝殿(左奥)

現在の本殿は、慶長11年(1606年)の焼失により、翌慶長12年(1607年)に領主の鳥居成次が再建したものという[10]。一間社流造で、唐破風付の向拝を備える。昭和40年(1965年)に解体修理が施された[10]。富士河口湖町指定有形文化財に指定されている。

また、拝殿前には「美麗石(ヒイラ石)」と呼ばれる石祠が建てられている。これは『日本三代実録』にいう、浅間明神を初めて祀った古代祭祀の石閣と伝わる[2]

天然記念物

社殿周辺には「七本杉」と呼ばれる7本のスギの神木が生育する。これらはいずれも樹齢1,200年を数え、山梨県指定天然記念物に指定されている。七本杉には、それぞれ「御爾(みしるし)」「産射(うぶや)」「齢鶴(れいかく)」「神綿(しんめん)」「父母(かづいろ)」「天壌(てんじょう)」の名が付けられている(「父母」は2本で1つの名)。

また参道の杉並木のほか、栃の木、樅の木は、それぞれ富士河口湖町指定天然記念物に指定されている。

三つ峠山中

本社から三つ峠に至るまでの間には「母ノ白滝」と称される滝がある(位置)。河口(川口)地区にて宿泊した道者が禊を行った場所であり[11]、河口浅間神社の社有地である[12]。滝のそばには母の白滝神社が鎮座する。

摂末社

境内社

  • 山宮社 - 古くは「奥院」と称された[3]
  • 山の神社
  • 出雲社
  • 諏訪社
  • 合祀社
  • 波多志社 - 祭神:伴真貞。

境外社

  • 母の白滝神社
    • 鎮座地:母の白滝そば
    • 祭神:栲幡千々姫命(木花開耶姫命の姑神)
  • 産屋ヶ崎神社(うぶやがさきじんじゃ)

祭事

祭日

  • 例大祭 (4月25日
    祭事では、木花開耶姫命の御子神夫婦を祀る産屋ヶ崎神社への神幸が行われる。祭儀は御子神夫婦に生まれた孫神・鸕鶿草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)を木花開耶姫命が見舞う体裁を取っている。そのため「孫見祭(まごみさい)」とも称される[2]。古式に則って童女による舞「太々御神楽(だいだいおかぐら)」が奉納される。
  • 鎮火奉謝祭 (7月28日
    貞観6年の大噴火の際、稚児達が浅間神の荒御魂を慰めたことに始まるという[2]。古式に則って童女による舞「太々御神楽」が奉納される。

特殊神事

文化財

国の史跡

  • 史跡「富士山」に包含

重要無形民俗文化財(国指定)

山梨県指定文化財

  • 天然記念物
    • 河口浅間神社の七本杉 - 昭和33年(1958年)6月19日指定。

富士河口湖町指定文化財

  • 有形文化財
    • 本殿 - 昭和49年(1974年)5月14日指定。
    • 黒駒大絵馬
      江戸時代、元禄10年(1697年)の絵馬[13]。作者は狩野邦信(洞元)[14]。甲斐国に伝わる甲斐の黒駒伝承に基づき、金地に漆絵(黒駒)が描かれている[15]。画中の銘に拠れば、後に下総国佐倉藩主となる寺社奉行戸田忠真により寄進されたという[16]。忠真は河口浅間神社の所在する都留郡を支配する谷村藩主・秋元喬知の弟にあたる[17]。なお、河口浅間神社には日本武尊(ヤマトタケル)が東征の際に馬を休めたとする伝承が残り、浅間神社入口に存在した駒形社の神体である雌雄の馬をかたどった駒形社神形も伝来している[18]。昭和57年(1982年)5月27日指定。
  • 天然記念物
    • 河口浅間神社参道の杉並木 - 平成15年(2003年)2月18日指定。
    • 河口浅間神社の栃の木 - 平成15年(2003年)2月18日指定。
    • 河口浅間神社の樅の木 - 平成15年(2003年)2月18日指定。

現地情報

所在地

交通アクセス

  • バス:河口湖駅富士急行河口湖線)から、バス(甲府行き、または大石プチペンション村行き)で「河口局前」バス停下車 (下車後北へ徒歩すぐ)

脚注

  1. 浅間神社(山梨県神社庁)。
  2. 2.0 2.1 2.2 2.3 神社由緒書。
  3. 3.0 3.1 『山梨県の地名』河口浅間神社項。
  4. 『日本三代実録』貞観6年5月25日条。
  5. 『日本三代実録』貞観6年7月17日条。
  6. 『日本三代実録』貞観6年8月5日条。
  7. 『日本三代実録』貞観7年12月9日条。
  8. 『式内社調査報告』浅間神社項。
  9. 9.0 9.1 「富士山」推薦書原案 (PDF) 、富士山世界文化遺産登録推進両県合同会議、2011.07.27
  10. 10.0 10.1 10.2 境内説明板。
  11. 富士吉田市歴史民俗博物館だより (PDF) 、富士吉田市歴史民俗博物館、2008年3月31日
  12. 国指定文化財等データベースより
  13. 『甲斐の黒駒-歴史を動かした馬たち-』(山梨県立博物館、2014年)、p.135
  14. 『甲斐の黒駒-歴史を動かした馬たち-』(山梨県立博物館、2014年)、p.135
  15. 『甲斐の黒駒-歴史を動かした馬たち-』(山梨県立博物館、2014年)、p.135
  16. 『甲斐の黒駒-歴史を動かした馬たち-』(山梨県立博物館、2014年)、p.135
  17. 『甲斐の黒駒-歴史を動かした馬たち-』(山梨県立博物館、2014年)、p.135
  18. 『甲斐の黒駒-歴史を動かした馬たち-』(山梨県立博物館、2014年)、p.142

参考文献

  • 神社由緒書、境内説明板
  • 式内社研究會編『式内社調査報告』第10巻 東海道5(伊豆国・甲斐国)、皇學館大學出版部、昭和56年
  • 谷川健一編『日本の神々-神社と聖地』第10巻東海《新装復刊》、白水社、2000年 ISBN 978-4-560-02510-9(初版は昭和62年)
  • 伴泰『甲斐国河口郷延喜式内名神大社浅間神社正史』、浅間神社、昭和58年
  • 『角川日本地名大辞典 19山梨県』、角川書店、昭和59年 ISBN 978-4040011905
  • 『山梨県の地名』(日本歴史地名大系19)、平凡社、1995年 ISBN 4-582-49019-0 南都留郡河口湖町 河口浅間神社項
  • 全日本郷土芸能協会編『日本の祭り文化事典』、東京書籍、平成18年 ISBN 4-487-73333-2
  • 高橋秀雄・志摩阿木夫編『祭礼行事・山梨県』、おうふう、平成7年 ISBN 4-273-02488-8

関連項目

外部リンク


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