沖縄大学
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沖縄大学 | |
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大学設置 | 1974年 |
創立 | 1961年 |
学校種別 | 私立 |
設置者 | 学校法人嘉数学園 |
本部所在地 |
沖縄県那覇市字国場555番地 東経127度42分0.04秒北緯26.2008583度 東経127.7000111度 |
キャンパス | 本部のみ |
学部 |
法経学部 人文学部 |
研究科 | 現代沖縄研究科 |
ウェブサイト | 沖縄大学公式サイト |
沖縄大学(おきなわだいがく、英語: Okinawa University)
Contents
概要
日本国内の4年制大学としては最も南にある大学である(以前は短期大学を含めた場合は沖縄女子短期大学が最南端であったが、同短期大学が島尻郡与那原町に移転してからは、国内のすべての大学で最南端である)。
沿革
上記で1974年設置と表記しているが、これは日本の文部省(当時)の認可に基づく日本の私立大学としてのもので、大学そのものは、沖縄県がアメリカの施政権下にあった1961年に、琉球政府の認可の下で開学している。
1972年の日本復帰の際に、無認可状態になった。これは当時の人口進学率を根拠に、沖縄県では複数の大学の存続は困難であるとの見方から、文部省に国際大学(宜野湾市)との合併構想があったためだといわれる。
1974年文部省に認可されるまでの無認可期間を「沖大存続闘争」と呼ぶことがある。当時は学生自治会が学生から学費を集め、教員と職員たちに頭割りで給料を支給していたという。この期間の名残で、学長選挙の投票権が、教員だけでなく、職員にも与えられている。「沖大存続闘争」中、沖縄大学内は、国際大学との合併賛成、反対に分かれ、合併反対派が現沖縄大学となった。合併賛成派は、国際大学とともに沖縄国際大学を設立し現在に至る。
- 1961年 沖縄大学設置(琉球政府による設置認可)
- 1974年 沖縄返還後、文部省(当時)により認可
- 1988年 沖縄短期大学(1958年設置)を短期大学部へ移行
- 1994年 留学生別科設置
- 1997年 法経学部法経学科開設(法学科・経済学科を統合)
- 1999年 人文学部開設(国際コミュニケーション学科、福祉文化学科)
- 2001年 沖縄大学短期大学部廃止
- 2005年 大学院現代沖縄研究科を開設
- 2007年 人文学部にこども文化学科を開設
- 2012年 人文学部福祉文化学科に社会福祉専攻、健康スポーツ福祉専攻を設ける
学部
大学院
- 現代沖縄研究科(修士課程)
- 地域経営専攻
- 沖縄・東アジア地域研究専攻
付属機関
- 大学図書館
- 地域研究所
- マルチメディア教育研究センター
大学関係者
歴代学長
教員
- 宇井純 - 名誉教授
出身者
- 上原裕常 - 糸満市長、中退
- 西平賀雄 - 前糸満市長
- 宜保ハルキ - 豊見城市長、2部(夜間主)卒
- 古謝景春 - 前南城市長
- 知花昌一 - 読谷村村議会議員
- なかいま強 - 漫画家
- 山城智二 - 沖縄お笑い団体・演芸集団FECオフィス社長
- SAWA - Sprayボーカル(デビュー時はsinonとしてソロ活動)
- 上原慎也 - サッカー選手
対外関係
国内大学
単位互換協定 協定締結順に掲載
海外大学
国際・学術交流等協定校・派遣校
- オーストラリア
- シドニー工科大学・附属語学学校インサーチ(シドニー)
- ボンド大学・付属英語研修機関大学(クイーンズランド州ゴールド・コースト)
- ニューイングランド大学・付属英語センター(ニューサウスウェールズ州)
- 南クィーンズランド大学・付属英語研修機関(クイーンズランド州トゥーンバ)
- アメリカ合衆国
- 中国
- 台湾
- 韓国
出典
関連項目
- 沖縄尚学高等学校・附属中学校 もとは同一法人であった
- 稚内北星学園大学 日本最北に位置する大学
外部リンク
典拠レコード: