水道橋駅
水道橋駅(すいどうばしえき)は、東京都千代田区神田三崎町二丁目にある東日本旅客鉄道(JR東日本)と、文京区後楽一丁目にある東京都交通局(都営地下鉄)の駅である。
Contents
乗り入れ路線
JR東日本と都営地下鉄の計2社が乗り入れ、接続駅となっている。また、各路線ごとに駅番号が付与されている。
JR東日本の駅に乗り入れている路線は中央本線であるが、当駅には緩行線を走る中央・総武線各駅停車のみが停車する。また、特定都区市内制度における「東京都区内」および「東京山手線内」に属しており、各路線ごとに駅番号が付与されている。
都営地下鉄三田線は、目黒駅方面の電車において東急目黒線と直通運転を実施している。
歴史
駅名の由来は神田上水のかけひ(すなわち、水道の通る橋)が近くにあったことによる。砲兵工廠用の駅であった。
- 1906年(明治39年)
- 1909年(明治42年)10月12日:線路名称制定により中央東線(1911年から中央本線)の所属となる。
- 1949年(昭和24年)6月1日:日本国有鉄道発足。
- 1972年(昭和47年)6月30日:都営地下鉄6号線の駅が開業。
- 1978年(昭和53年)7月1日:都営6号線を三田線に改称。
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化により、中央本線の駅はJR東日本の駅となる。
- 2001年(平成13年)11月18日:JR東日本でICカード「Suica」の利用が可能となる。
- 2006年(平成18年)7月4日:JRの発車メロディを読売ジャイアンツ応援歌の「闘魂こめて」に変更。
- 2007年(平成19年)3月18日:東京都交通局でICカード「PASMO」の利用が可能となる。
- 2015年(平成27年)4月1日:東京都交通局の駅業務が東京都営交通協力会委託となる。
駅構造
JR東日本の駅(東口)と東京都交通局の駅(A2出入口)は、外堀通りの横断歩道を挟んで100m程離れている。
JR東日本
相対式ホーム2面2線を有する高架駅。改札口は東口と西口の2か所である。快速線はホームの南側を通るが、壁で仕切られている。
また、東口改札内、西口券売機前、改札内、2番線ホーム上の御茶ノ水寄りにはコインロッカーも設置されている。なお、コインロッカーを使う際に改札を通るための入場料はかからない。窓口にて申告すれば利用が可能。
千葉方面ホームにはエスカレーターが設置されているが、2015年12月16日に踏み段が破損する事故が発生して使用中止となった。現在は稼働している。[2]。
東口には1番線、2番線共にエレベーターがあるが西口には構造上、エレベーターやエスカレーターがないので注意が必要。
みどりの窓口は東口のみに設置されている。指定席券売機は東口・西口両方に設置。
のりば
番線 | 路線 | 方向 | 行先 |
---|---|---|---|
1 | 中央・総武線(各駅停車) | 西行 | 四ツ谷・新宿・中野・三鷹方面 |
2 | 東行 | 御茶ノ水・秋葉原・千葉方面 |
(出典:JR東日本:駅構内図)
- 2番線では接近放送の後に「東京方面へは、御茶ノ水駅でお乗り換えです。」との放送が流れる。
- 当駅は東京ドームシティの最寄り駅でもあるため、プロ野球やコンサートやプロレス、ボクシングなどのイベントが行われたりする際は西口が、TOKYO DOME CITY HALLでイベントやコンサートが行われる際は東口がそれぞれ混雑する。東京ドームシティ内にはウインズ後楽園・offt後楽園などの場外勝馬投票券発売所もあるため、中央競馬のGI競走開催週にも混雑する。そのため、混雑しているとき、またはそれが予想されるときには、あらかじめ帰りの乗車券を購入する、もしくはICカードを一定金額以上チャージするように案内している。
- 開業100周年を記念して、2006年7月4日から発車メロディが、最寄りの東京ドームを本拠地とする読売ジャイアンツの球団応援歌である『闘魂こめて』に変更された。1番線がサビの部分、2番線が歌い出しの部分である。これは同年シーズン終了までの使用予定だったが、シーズン終了後も継続されている。
- 1977年9月3日、王貞治が通算756本のホームラン世界新記録を達成したのを記念して、当駅で記念入場券が発売された。王の一本足打法のイラストに王のサインが描かれた図柄で、当駅の入場券(当時60円)と当駅から青梅までの乗車券(当時440円)がセットされて500円であったが、売り出し初日に5時間半で売り切れ、後の増刷分も含めて20万組も売れ、1億円もの売り上げとなり、発行組数の記念入場券新記録を達成した。またこの入場券は翌1978年に「第1回記念きっぷ大賞」で国鉄部門第4位となった。
- 売店は西口と東口それぞれの改札外にNEWDAYSがある。かつては東口にも改札内にキヨスクとNEWDAYS MINIがあったが、前者は2000年代中頃に、後者は2010年にエレベーター設置工事の影響で閉鎖した。キヨスク跡にはヒロタや東京カレンといった洋菓子店が後に出店したが、いずれも長続きしなかった。西口の改札外にあったKIOSKは改修工事の影響で2016年に閉鎖した。2番線にも1店舗キヨスクが設置されていたが、2007年にJR東日本の首都圏域内で発生した店員不足の影響で休業となり、そのまま再開せずに閉店、撤去された。
- 総武緩行線御茶ノ水駅終着終電の夜間留置および非常時の折り返しのため、御茶ノ水寄りに両渡り線が設置されている。なお、年末年始の終夜運転では、当駅始発千葉行きが設定される。
- Suidobashi-Sta-E.JPG
東口(2016年6月2日)
- Suidobashi-Sta-W-Gate.JPG
西口改札口(2016年6月2日)
東京都交通局
駅業務は2015年4月1日より、東京都営交通協力会が受託している(ただし駅務区に関する業務を除く)。
日比谷駅務管理所水道橋駅務区として、大手町駅 - 千石駅間を管理していたが、2016年4月1日付で東京都交通局が行った駅管区制移行のため日比谷駅に設置された、日比谷駅管区に管理される被管理駅となった。
開業より1999年のATC化までは春日寄りに非常渡り線があったが、現在は撤去された。
のりば
番線 | 路線 | 行先 |
---|---|---|
1 | I 都営三田線 | 白金高輪・目黒・MG 東急線方面 |
2 | 巣鴨・高島平・西高島平方面 |
- Suidobashi Station of Mita Line.jpg
駅入口(2008年9月10日)
- Toei-Suidobashi-Sta-Gate.JPG
改札口(2016年6月2日)
- Toei-Suidobashi-Sta-Platform.JPG
ホーム(2016年6月2日)
利用状況
- JR東日本 - 2017年度の1日平均乗車人員は83,531人である[利用客数 1]。
- JR東日本では川口駅に次いで第54位。
- 都営地下鉄 - 2017年度の1日平均乗降人員は48,084人(乗車人員:23,723人、降車人員:24,361人)である[利用客数 2]。
年度別1日平均乗降人員
各年度の1日平均乗降人員は下表の通りである(JRは除く)。
年度 | 都営地下鉄 | |
---|---|---|
1日平均 乗降人員 |
増加率 | |
1974年(昭和49年) | 42,338 | |
1975年(昭和50年) | 42,644 | 0.7% |
1976年(昭和51年) | 48,870 | 14.6% |
1977年(昭和52年) | 49,390 | 1.1% |
1978年(昭和53年) | 46,731 | −5.4% |
1979年(昭和54年) | 45,888 | −1.8% |
1980年(昭和55年) | 42,173 | −8.1% |
1981年(昭和56年) | 40,437 | −4.1% |
1982年(昭和57年) | 39,780 | −1.6% |
1983年(昭和58年) | 39,733 | −0.1% |
1984年(昭和59年) | 32,030 | |
1985年(昭和60年) | 39,379 | |
1986年(昭和61年) | 39,053 | −0.8% |
1987年(昭和62年) | 40,346 | 3.3% |
1988年(昭和63年) | 46,525 | 15.3% |
1989年(平成元年) | 45,600 | −2.0% |
1990年(平成 | 2年)46,395 | 1.7% |
1991年(平成 | 3年)47,141 | 1.6% |
1992年(平成 | 4年)47,522 | 0.8% |
1993年(平成 | 5年)47,990 | 1.0% |
1994年(平成 | 6年)47,987 | 0.0% |
1995年(平成 | 7年)||
1996年(平成 | 8年)36,267 | |
1997年(平成 | 9年)43,314 | |
1998年(平成10年) | 42,199 | −2.6% |
1999年(平成11年) | 32,257 | |
2000年(平成12年) | 40,235 | |
2001年(平成13年) | 35,500 | |
2002年(平成14年) | 38,739 | |
2003年(平成15年) | 38,421 | −0.8% |
2004年(平成16年) | 38,025 | −1.0% |
2005年(平成17年) | 38,564 | 1.4% |
2006年(平成18年) | 39,178 | 1.6% |
2007年(平成19年) | 41,362 | 5.6% |
2008年(平成20年) | 43,164 | 4.4% |
2009年(平成21年) | 43,281 | 0.3% |
2010年(平成22年) | 41,836 | −3.3% |
2011年(平成23年) | 40,591 | −3.0% |
2012年(平成24年) | 42,743 | 5.3% |
2013年(平成25年) | 44,074 | 3.1% |
2014年(平成26年) | 44,540 | 1.1% |
2015年(平成27年) | 45,690 | 2.6% |
2016年(平成28年) | 46,667 | 2.1% |
2017年(平成29年) | 48,084 | 3.0% |
年度別1日平均乗車人員(1900年代 - 1930年代)
各年度の1日平均乗車人員数は下表の通りである。
年度 | 日本鉄道 / 国鉄 |
出典 |
---|---|---|
1906年(明治39年) | [備考 1] | |
1907年(明治40年) | 588 | [東京府統計 1] |
1908年(明治41年) | 857 | [東京府統計 2] |
1909年(明治42年) | 1,010 | [東京府統計 3] |
1911年(明治44年) | 1,403 | [東京府統計 4] |
1912年(大正元年) | 1,593 | [東京府統計 5] |
1913年(大正 | 2年)1,551 | [東京府統計 6] |
1914年(大正 | 3年)1,416 | [東京府統計 7] |
1915年(大正 | 4年)1,133 | [東京府統計 8] |
1916年(大正 | 5年)1,533 | [東京府統計 9] |
1919年(大正 | 8年)3,938 | [東京府統計 10] |
1920年(大正 | 9年)6,652 | [東京府統計 11] |
1922年(大正11年) | 2,790 | [東京府統計 12] |
1923年(大正12年) | 10,416 | [東京府統計 13] |
1924年(大正13年) | 11,538 | [東京府統計 14] |
1925年(大正14年) | 12,880 | [東京府統計 15] |
1926年(昭和元年) | 14,734 | [東京府統計 16] |
1927年(昭和 | 2年)15,475 | [東京府統計 17] |
1928年(昭和 | 3年)16,746 | [東京府統計 18] |
1929年(昭和 | 4年)19,418 | [東京府統計 19] |
1930年(昭和 | 5年)19,133 | [東京府統計 20] |
1931年(昭和 | 6年)18,009 | [東京府統計 21] |
1932年(昭和 | 7年)18,823 | [東京府統計 22] |
1933年(昭和 | 8年)20,537 | [東京府統計 23] |
1934年(昭和 | 9年)22,050 | [東京府統計 24] |
1935年(昭和10年) | 22,684 | [東京府統計 25] |
年度別1日平均乗車人員(1953年 - 2000年)
年度 | 国鉄 / JR東日本 |
都営地下鉄 | 出典 |
---|---|---|---|
1953年(昭和28年) | 54,733 | 未開業 | [東京都統計 1] |
1954年(昭和29年) | 57,870 | [東京都統計 2] | |
1955年(昭和30年) | 63,084 | [東京都統計 3] | |
1956年(昭和31年) | 70,262 | [東京都統計 4] | |
1957年(昭和32年) | 71,609 | [東京都統計 5] | |
1958年(昭和33年) | 75,414 | [東京都統計 6] | |
1959年(昭和34年) | 76,264 | [東京都統計 7] | |
1960年(昭和35年) | 80,590 | [東京都統計 8] | |
1961年(昭和36年) | 82,867 | [東京都統計 9] | |
1962年(昭和37年) | 92,484 | [東京都統計 10] | |
1963年(昭和38年) | 99,512 | [東京都統計 11] | |
1964年(昭和39年) | 102,625 | [東京都統計 12] | |
1965年(昭和40年) | 103,820 | [東京都統計 13] | |
1966年(昭和41年) | 106,701 | [東京都統計 14] | |
1967年(昭和42年) | 107,299 | [東京都統計 15] | |
1968年(昭和43年) | 107,748 | [東京都統計 16] | |
1969年(昭和44年) | 91,910 | [東京都統計 17] | |
1970年(昭和45年) | 88,838 | [東京都統計 18] | |
1971年(昭和46年) | 85,596 | [東京都統計 19] | |
1972年(昭和47年) | 83,866 | [備考 2]9,808 | [東京都統計 20] |
1973年(昭和48年) | 90,140 | 17,756 | [東京都統計 21] |
1974年(昭和49年) | 96,890 | 20,427 | [東京都統計 22] |
1975年(昭和50年) | 95,943 | 21,863 | [東京都統計 23] |
1976年(昭和51年) | 99,482 | 23,819 | [東京都統計 24] |
1977年(昭和52年) | 100,003 | 24,644 | [東京都統計 25] |
1978年(昭和53年) | 99,652 | 24,132 | [東京都統計 26] |
1979年(昭和54年) | 99,522 | 23,783 | [東京都統計 27] |
1980年(昭和55年) | 90,967 | 22,040 | [東京都統計 28] |
1981年(昭和56年) | 87,466 | 21,006 | [東京都統計 29] |
1982年(昭和57年) | 83,830 | 20,562 | [東京都統計 30] |
1983年(昭和58年) | 81,713 | 20,526 | [東京都統計 31] |
1984年(昭和59年) | 82,732 | 20,811 | [東京都統計 32] |
1985年(昭和60年) | 82,044 | 20,430 | [東京都統計 33] |
1986年(昭和61年) | 83,430 | 20,333 | [東京都統計 34] |
1987年(昭和62年) | 86,090 | 21,157 | [東京都統計 35] |
1988年(昭和63年) | 95,244 | 22,641 | [東京都統計 36] |
1989年(平成元年) | 93,759 | 23,031 | [東京都統計 37] |
1990年(平成 | 2年)97,997 | 23,669 | [東京都統計 38] |
1991年(平成 | 3年)101,399 | 24,494 | [東京都統計 39] |
1992年(平成 | 4年)103,397 | 24,692 | [東京都統計 40] |
1993年(平成 | 5年)103,592 | 24,964 | [東京都統計 41] |
1994年(平成 | 6年)101,570 | 24,875 | [東京都統計 42] |
1995年(平成 | 7年)99,238 | 23,984 | [東京都統計 43] |
1996年(平成 | 8年)97,321 | 22,732 | [東京都統計 44] |
1997年(平成 | 9年)94,031 | 22,025 | [東京都統計 45] |
1998年(平成10年) | 92,923 | 21,831 | [東京都統計 46] |
1999年(平成11年) | [JR 1]90,774 | 20,814 | [東京都統計 47] |
2000年(平成12年) | [JR 2]89,320 | 20,662 | [東京都統計 48] |
年度別1日平均乗車人員(2001年以降)
年度 | JR東日本 | 都営地下鉄 | 出典 |
---|---|---|---|
2001年(平成13年) | [JR 3]86,599 | 20,178 | [東京都統計 49] |
2002年(平成14年) | [JR 4]85,564 | 20,001 | [東京都統計 50] |
2003年(平成15年) | [JR 5]87,238 | 19,639 | [東京都統計 51] |
2004年(平成16年) | [JR 6]86,519 | 19,472 | [東京都統計 52] |
2005年(平成17年) | [JR 7]87,040 | 19,661 | [東京都統計 53] |
2006年(平成18年) | [JR 8]86,980 | 19,965 | [東京都統計 54] |
2007年(平成19年) | [JR 9]88,449 | 20,888 | [東京都統計 55] |
2008年(平成20年) | [JR 10]88,258 | 21,658 | [東京都統計 56] |
2009年(平成21年) | [JR 11]87,458 | 21,607 | [東京都統計 57] |
2010年(平成22年) | [JR 12]83,952 | 20,800 | [東京都統計 58] |
2011年(平成23年) | [JR 13]82,133 | 20,176 | [東京都統計 59] |
2012年(平成24年) | [JR 14]83,706 | 21,264 | [東京都統計 60] |
2013年(平成25年) | [JR 15]85,320 | 21,903 | [東京都統計 61] |
2014年(平成26年) | [JR 16]83,263 | 22,084 | [東京都統計 62] |
2015年(平成27年) | [JR 17]82,879 | 22,605 | [東京都統計 63] |
2016年(平成28年) | [JR 18]83,351 | 23,064 | [東京都統計 64] |
2017年(平成29年) | [JR 19]83,531 | 23,723 |
- 備考
駅周辺
- 日本大学(東口白山通り側 法学部・経済学部)
- 駿河台大学お茶の水キャンパス(東口沿線 法科大学院)
- 専修大学神田キャンパス(西口専大通り側)
- 中央大学後楽園キャンパス
- 東洋学園大学本郷キャンパス
- 東京アニメーター学院(西口方面)
- LEC東京リーガルマインド大学千代田キャンパス(LEC大学)(東口白山通り側)
- 東京歯科大学水道橋病院
- 東京歯科大学短期大学(2017年度開学)
- 研数学館(本館・B館)
- TAC (予備校)
- 大原学園(大原大学院大学・大原簿記学校他)
- 桜蔭中学校・高等学校
- 東京都立工芸高等学校
- 東京都教職員研修センター
- 東京都東部学校経営支援センター
- 東京都教育相談センター
- 昭和第一高等学校(通称:SDH)
- 東洋高等学校
- 神田女学園中学校・高等学校
- 東京ドームシティ
- 神田川
- 神田上水
- 水道橋(駅名の由来となった橋梁)
- 小石川後楽園
- 東京都道405号外濠環状線(外堀通り)
- 東京都道301号白山祝田田町線(白山通り)
- 神田古書店街(東口)
- ホテルメトロポリタンエドモント
- 東京しごとセンター
- 東京都戦没者霊苑
- 小石川大神宮
- 東京都水道歴史館
- 全逓会館(旧:日本郵政公社労働組合中央本部)
- 文京後楽郵便局
- 西神田郵便局
- 鶴屋産業・紀州鉄道本社
- 芳文社
- 東京地下鉄・後楽園駅(丸ノ内線・南北線)
- 都営地下鉄・春日駅(三田線・大江戸線)
- トヨタ自動車東京本社
バス路線
路線バス
- 水道橋駅前
東京ドームホテル・ミーツポート(水道橋北詰)
高速バス
- 東京ドームホテル
- 池袋・新宿・秋葉原線:前橋バスセンター行/秋葉原駅東口行(日本中央バス)
- 岩手きずな号:盛岡駅・厨川駅・八幡平駅・久慈駅方面行/田町駅東口・芝浦車庫行(フジエクスプレス・岩手県北自動車)
- 空港連絡バス:羽田空港/成田空港(東京空港交通)
隣の駅
脚注
記事本文
- ↑ 「停車場設置」『官報』1906年10月1日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ↑ JR水道橋駅エスカレーターが吸い込み口に入らず破損、緊急停止FNNニュース2015年12月17日16時55分配信(2015年12月18日閲覧)
利用状況
- JR・地下鉄の1日平均利用客数
- JR東日本の1999年度以降の乗車人員
- ↑ 各駅の乗車人員(1999年度) - JR東日本
- ↑ 各駅の乗車人員(2000年度) - JR東日本
- ↑ 各駅の乗車人員(2001年度) - JR東日本
- ↑ 各駅の乗車人員(2002年度) - JR東日本
- ↑ 各駅の乗車人員(2003年度) - JR東日本
- ↑ 各駅の乗車人員(2004年度) - JR東日本
- ↑ 各駅の乗車人員(2005年度) - JR東日本
- ↑ 各駅の乗車人員(2006年度) - JR東日本
- ↑ 各駅の乗車人員(2007年度) - JR東日本
- ↑ 各駅の乗車人員(2008年度) - JR東日本
- ↑ 各駅の乗車人員(2009年度) - JR東日本
- ↑ 各駅の乗車人員(2010年度) - JR東日本
- ↑ 各駅の乗車人員(2011年度) - JR東日本
- ↑ 各駅の乗車人員(2012年度) - JR東日本
- ↑ 各駅の乗車人員(2013年度) - JR東日本
- ↑ 各駅の乗車人員(2014年度) - JR東日本
- ↑ 各駅の乗車人員(2015年度) - JR東日本
- ↑ 各駅の乗車人員(2016年度) - JR東日本
- ↑ 各駅の乗車人員(2017年度) - JR東日本
- JR・地下鉄の統計データ
- 東京府統計書
- 東京都統計年鑑
- ↑ 昭和28年 (PDF) - 11ページ
- ↑ 昭和29年 (PDF) - 9ページ
- ↑ 昭和30年 (PDF) - 9ページ
- ↑ 昭和31年 (PDF) - 9ページ
- ↑ 昭和32年 (PDF) - 9ページ
- ↑ 昭和33年 (PDF) - 9ページ
- ↑ 昭和34年
- ↑ 昭和35年
- ↑ 昭和36年
- ↑ 昭和37年
- ↑ 昭和38年
- ↑ 昭和39年
- ↑ 昭和40年
- ↑ 昭和41年
- ↑ 昭和42年
- ↑ 昭和43年
- ↑ 昭和44年
- ↑ 昭和45年
- ↑ 昭和46年
- ↑ 昭和47年
- ↑ 昭和48年
- ↑ 昭和49年
- ↑ 昭和50年
- ↑ 昭和51年
- ↑ 昭和52年
- ↑ 昭和53年
- ↑ 昭和54年
- ↑ 昭和55年
- ↑ 昭和56年
- ↑ 昭和57年
- ↑ 昭和58年
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