水前寺清子
水前寺 清子 | |
---|---|
出生名 | 林田 民子(はやしだ たみこ) |
別名 | チータ |
生誕 | 1945年10月9日(79歳) |
出身地 | 日本、熊本県熊本市中央区 |
学歴 | 洗足学園中学校・高等学校卒業 |
ジャンル | 演歌、歌謡曲 |
職業 | 歌手、女優 |
担当楽器 | 歌唱 |
活動期間 | 1964年10月15日 - |
レーベル |
日本クラウン (1964年 - 1980年、1989年 - ) RVC→BMGビクター (1981年 - 1988年) |
事務所 | 水清企画 |
公式サイト | chita365.net |
水前寺 清子(すいぜんじ きよこ、1945年10月9日 - )は、日本の女性演歌歌手、女優。本名は林田 民子(はやしだ たみこ)。身長158㎝、血液型O型。
Contents
人物
熊本県熊本市中央区の子飼商店街で生まれ、小学校まで同地で過ごす[1]。熊本市立碩台小学校→洗足学園中学校・高等学校卒業。愛称「チータ」はデビュー前からの物で、小柄であったため「ちいさいたみちゃんの気持ちを忘れないように」と作詞家の星野哲郎が命名したものである[2]。動物のチーターとは直接の関係はないが、着物の柄などにチーターの意匠を用いることがある。芸名の水前寺は故郷・熊本市の水前寺成趣園から、清子は故郷・熊本の武将加藤清正から、それぞれ取ったもの。過去には長年にわたってサンミュージックプロダクションに所属していた。
見得を切りながらの歌唱は「ん-にゃっ!」という語尾ひねりによって物まねされることが多いが、本人の癖はそれほど強くない。しかし、自らの物まねを意識してあえてひねることもある。
15歳時に出場した「コロムビア歌謡コンクール」に出場し2位になる。そのときに星野哲郎が水前寺に声を掛けたことが後のデビューのきっかけになった。その後、歌謡コンクールを主催したコロムビアで11回もレコーディングをしたものの、レコードデビューすることはできなかった[3]。そこで、水前寺はクラウンレコードに移籍し、畠山みどりが歌う予定だった「袴を履いた渡り鳥」を畠山のキーのままで「涙を抱いた渡り鳥」とタイトルを変更した上で念願のデビューを果たした[4]。
1970年からは民放ドラマ史上最高の視聴率56.3%を記録したTBSのドラマ「ありがとう」に主演し、山岡久乃演じる母と娘(水前寺)の日常生活、石坂浩二との恋を演じた。プロデューサーの石井ふく子はこのドラマを構想以来、水前寺がTBSに歌の仕事に来るたびに局内の女子トイレで待ち構えて口説き、歌手しかやらないという水前寺をついに出演させた[5]。しかし水前寺が歌手活動に専念したいとの意向で第3シリーズをもって降板し、第4シリーズは主演が佐良直美に交代となった。
1994年にサントリーフーズよりC.C.レモンという清涼飲料水が発売になり、そのCMソング「C.C.レモン」(商品と同名タイトル)を歌ったことで話題になる。
ロアッソ熊本応援イメージソング 「HIKARI 〜輝く未来へ〜」を歌った縁から、J2・ロアッソ熊本のファンであることを自ら公言している。
「NHK紅白歌合戦」には1965年(16回)から1986年(37回)まで22回連続出場していた。その内紅組の司会を4回務めたことがあり、1960年代後半 - 1980年代にかけて、紅組内ではムードメーカー的存在であることが多かったが、トリを飾ったのは1983年(第34回)のわずか1回だけである。しかしながら、全盛を極めていた時代の紅白の象徴的な歌手であり、様々なエピソードが残されている(詳細は後述)。
また、健康日本21推進ウオーキング実行委員長、社団法人日本ウオーキング協会理事の役職も務めており、本業よりもそうした方面での活動も多くなっている。
2011年6月14日に広島で行ったコンサートでステージ中央の階段から落ち、左ひざをはく離骨折する大けがを負った。当日はそのまま公演を続けたが、翌15日に病院で診察を受けたところ、左ひざの骨折だけでなく、じん帯損傷も判明。担当医には「治るまでかなりの時間がかかる。絶対安静」と言われたという。自身のブログでは「大丈夫です。何とかいつものように、あちこちと動けるように努力してま〜す。あまり心配しないでください」とつづっている。
これまでに制作した衣装や着物などを自宅内に全て保管しておりごみ屋敷状態になってると、2015年10月5日放送の『私の何がイケないの?』で紹介されて、捨てずに整理する方法を提案されてから総勢13名が作業にあたり綺麗に片付いた[6]。
和田アキ子とは、1970年代に確執が囁かれ、水前寺が和田のレギュラー番組から出演オファーがあった際、「アコが嫌いだから出演しない」とオファーを断り、それを聞き和田が涙をこぼしたと『女性自身』(1974年2月9日号)に報じられた。水前寺は2016年11月4日放送のフジテレビ『ダウンタウンなう』で、「週刊誌に(番組に)出てくれないんで、一晩中泣いたと書かれたんですよ。その時に、私はあの方が元気いいところを知ってましたんで、『泣くタマか!』と言ったのは覚えています。売られたケンカは買います。この事件は、(喧嘩を)売られたと思いましたから。私が全く知らないところでこういうことがあって、『一晩泣いた。どうしてくれるんですか?』って言われたんで。『泣くタマか』って言ったのは、今でも本当に申し訳なかったと思います。アッコちゃんは、本当に今はとってもよくしてくださるし、優しいです」と語った[7][8]。
略歴
- 前史…水前寺の父、林田壽は熊本市内で化粧品・洋品店を経営していたが、過大投資が祟って破綻し、一家は夜逃げ同然に「あさかぜ」で上京、歌のうまい民子に将来を託した。
- 1964年10月15日 『涙を抱いた渡り鳥』でデビュー。
- 1965年 NHK紅白歌合戦に初出場。以降、1986年まで22回連続出場。
- 1968年 『三百六十五歩のマーチ』が100万枚の大ヒット。翌1969年3月開催の第41回選抜高等学校野球大会の入場行進曲にも採用となる。
- 1969年 『真実一路のマーチ』で第11回日本レコード大賞大衆賞受賞。
- 1970年 ドラマ『ありがとう』(TBS) 主演
- 1981年 『有明けの海』で古賀政男記念音楽大賞、日本作詩大賞に入賞。
- 1989年 バックバンドのサックス奏者だった6歳下の小松明と結婚。2月28日、水前寺公園の中の出水神社で挙式。
- 2000年 熊本市に老人ケアハウス「水清庵」を設立。また「水前寺清子一座」を旗揚げ、全国公演。
- 2005年 期間限定再集結聖飢魔IIのミサにゲスト出演し、聖飢魔IIの演奏で『三百六十五歩のマーチ』をデーモン閣下と歌唱。
- デビュー前、芸名は「東京マリ」にしようと自分で考えていた(もともとポップス歌手志望だった)が、演歌歌手としてデビューすることになり、恩師である星野哲郎やレコード会社ディレクターの提案によって芸名が「水前寺清子」になった。また、星野の葬儀では弔辞を読み上げた。
NHK紅白歌合戦でのエピソード
水前寺は1960年代半ば - 1980年代まで紅組トップバッター2回、紅組トリ1回、紅組司会4回、1981年よりチームリーダー制が敷かれてからは紅組リーダー4回(1983年は盟友である同期デビューの都はるみにその座を禅譲している)をそれぞれ務めた。
- 1968年、第19回紅白で初の紅組司会を務める。冒頭の選手宣誓で「昭和43年」を「昭和33年」と言い間違えた。またこの頃は大抵、着流しやパンツルックなど、ボーイッシュな衣装でテレビに出ることが多かった彼女が芸者姿で司会をした。水前寺は「当日ドキドキで精神安定剤を飲んだらスーッと気持ちが落ち着いてきたから、『こりゃいいや』と思ってもう1錠飲んだらヘロヘロになっちゃって。選手宣誓の時、昭和43年を34年と言っちゃった」と話している。
- 1971年、2回目の紅組司会を務めたが、紅組トリおよび大トリとなった美空ひばりの曲紹介を拒否したことで、後日謝罪の記者会見を行い波紋を呼んだ。翌1972年の紅組司会は佐良直美に変更となるも、その翌1973年は水前寺が同年3回目の紅白司会を務めている。
- 1979年、4回目の司会を務めた紅白では、歌手としてよりも司会の方に重点を置く意思で司会に臨んだ。そのため、紅組出場歌手の意思を取りまとめるべく、特に初出場で緊張の極度にいる歌手に対しては激励の言葉をかけ続けたり、各歌手のいい部分を最大限すくい上げようと司会者面談をいつも以上に念入りに行うなど、努力を惜しまなかった。
- 1982年の入場行進は、それまでの五十音順での行進という鉄則を破って、意表をつく組み合わせでの入場となった。この時に同期の都はるみと共に入場した相手は当時のトップアイドル、近藤真彦・田原俊彦だった。
- 1983年、「あさくさ物語」で出場19回目にして初の紅組トリを務める。しかしこの年、紅白の直前に、最大の理解者であった父親が死去。彼女のたった1回の紅組トリは、終始涙を浮かべての悲しみを押し殺してのステージとなった。紅組司会の黒柳徹子は「天国のお父ちゃん、聞こえますか?」と曲紹介時に述べた(黒柳の言葉を聞いた水前寺は父親に届いたと思ったという)。なお、水前寺は11月20日の時点で紅組トリ担当を知らされていたが、関係者や親族にもそのことを明かしてはならないとの注文がNHK側から付けられていたために、病床の父親にもその事実を告げることができなかったことが心残りとなっていると言い、この事実を父親に告げていれば、紅白本番の時まで父親は生きていてくれたのかもと思っていると話す[9]。そして同年から1985年まで設けられた個人賞「銀杯」を獲得している(優勝チームの個人賞は「金杯」で、白組の沢田研二が獲得)。
- トリ担当は1回限りだが、出場した他の回でもトリの有力候補に挙がったことは幾度もあったとされる。紅組司会についても実際選出回以外でも有力候補に挙がった回があると言われる。
- 佐良直美や森昌子が歌手兼司会で出演した回では、当人の歌手出番の代理曲紹介を行ったこともある。
- 1987年、紅白改革の嵐に巻き込まれる形で、出場22回にして落選という挫折を味わう。その際、番組側から水前寺に対し、「辞退した」と公に発表することを許可されたが、「(落選という)結果を正面から受け入れようと思いました。辞退は逃げだと思います」とこれを拒み落選をそのまま公表した。1990年代に入り、紅白でも懐メロが本格的に解禁されて再出場の機会は幾度となくあるものの、落選後は1度も出場できていない。紅白が50回を迎えた時のインタビューでは「今ではテレビで見る立場になってしまいましたが、お声がかかったり時代の流れに乗ればいつでも出るし待ってます」とコメントしている[10]。ただし、紅白の事前番組(『思い出の紅白・感動の紅白』など)にはコロッケらとほぼ毎年出演している。また、2009年11月に読売テレビ制作・日本テレビ系列『情報ライブ ミヤネ屋』にゲスト出演した際、紅白に初出場を果たした歌手が記者会見で「親孝行になった」と発言する姿が印象的だと話し、紅白を「若い歌手に是非出てほしい番組」と推奨していた。
- 自身のブログでは、「紅白はヒット曲が出ない限りは出場しない。今は半卒業状態」だと綴っていた。
その他のエピソード
- TBSのドラマ「ありがとう」に出演を拒んだ理由として、「私は歌手であり、女優をやったら歌が売れなくなってしまうから」と本人が語っている。しかし、石井ふく子の熱心な説得により出演し、結果的に高視聴率を獲得し、シリーズ化されるほどの人気を博した。しかし、「その後、歌が売れなくなった」と、本人は自虐的に語っている。
- 実母の介護経験から、熊本市に老人ケアハウス「水清庵」を設立した。切っ掛けは、仲の良かった母親が認知症を患って、最初に水前寺の名前を忘れてしまいショックだった事と語っており、その時の経験を生かせないかと思い、設立を決意したという。
- 夫である6歳下の小松明は、現在、水前寺のマネージメントに専念しているという。子どもはいないが夫婦仲は良く、自分の仕事よりも水前寺のマネージメントに徹して平身低頭で売り込む姿から、『水前寺清』と業界内で形容されているという。皮肉にも、この事が知られることとなったのは、同じく夫がマネージメントに乗り出した水前寺と同期で仲の良い小林幸子の独立騒動が切っ掛けであった。
- デビュー時から現在まで一貫して世田谷区桜新町に在住。毎年4月の「さくらまつり」には毎年出演している。
音楽
シングル
# | 発売日 | タイトル | 作詞 | 作曲 | 編曲 |
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1960年代 | |||||
1 | 1964年 10月 |
涙を抱いた渡り鳥 | 有田めぐむ | いづみゆたか | |
2 | 1964年 12月 |
娘田原坂 | 星野哲郎 | いづみゆたか | |
3 | 1965年 2月 |
花の都の渡り鳥 | 星野哲郎 | 叶弦大 | 安田彫花 |
4 | 1965年 5月 |
女黒田節 | 星野哲郎 | 叶弦大 | 重松岩雄 |
5 | 1965年 7月 |
娘ざかり | 中山大三郎 | 関野幾生 | 福田正 |
6 | 1965年 8月 |
女ごころの流し唄 | 星野哲郎 | 北原じゅん | |
7 | 1965年 10月 |
人生舞台 | 阿蘇健 | 叶弦大 | 安田彫花 |
8 | 1965年 11月 |
ゆさぶりどっこの唄 | 星野哲郎 | 北原じゅん | |
9 | 1966年 3月 |
その一言を待ってます | 星野哲郎 | 米山正夫 | 小杉仁三 |
10 | 1966年 4月 |
女三四郎 | 並木ひでを | 北原じゅん | 福田正 |
11 | 1966年 5月 |
俺は天下のご意見番 | 良池まもる | 北原じゅん | |
12 | 1966年 6月 |
人情一枚 | 星野哲郎 | 叶弦大 | 福田正 |
13 | 1966年 11月 |
いっぽんどっこの唄 | 星野哲郎 | 富侑栄 | 安田彫花 |
14 | 1967年 5月 |
いのち知らずにゃ敵がない | 星野哲郎 | 安藤実親 | |
15 | 1967年 8月 |
どうどうどっこの唄 | 星野哲郎 | 安藤実親 | |
16 | 1967年 9月 |
いつでも君は[11] | 星野哲郎 | 米山正夫 | 小杉仁三 |
17 | 1967年 10月 |
みそこなっちゃいけないよ | 大矢弘子 | 叶弦大 | 安藤実親 |
18 | 1968年 1月 |
おしてもだめならひいてみな | 星野哲郎 | 首藤正毅 | 安藤実親 |
19 | 1968年 3月 |
男でよいしょ | 星野哲郎 | 安藤実親 | |
20 | 1968年 6月 |
艶歌[12] | 星野哲郎 | 安藤実親 | |
21 | 1968年 8月 |
神様の恋人 | 星野哲郎 | 鈴木邦彦 | 小杉仁三 |
22 | 1968年 9月 |
ひとりでよいしょ | 星野哲郎 | 安藤実親 | |
23 | 1968年 11月 |
三百六十五歩のマーチ[13] | 星野哲郎 | 米山正夫 | 小杉仁三 |
24 | 1969年 1月 |
人生男節 | 大矢弘子 | 野田ひさ志 | - |
25 | 1969年 2月 |
男じゃないか | 星野哲郎 | 叶弦大 | 安藤実親 |
26 | 1969年 5月 |
にんげんどっこの唄 | 星野哲郎 | 安藤実親 | |
27 | 1969年 8月 |
敦賀とてもすきすき | 星野哲郎 | 山崎正清 | |
28 | 1969年 8月 |
赤いトランク | 大矢弘子 | 安藤実親 | |
29 | 1969年 10月 |
真実一路のマーチ | 星野哲郎 | 米山正夫 | 小杉仁三 |
30 | 1969年 12月 |
東京でだめなら | 星野哲郎 | 首藤正毅 | 安藤実親 |
1970年代 | |||||
31 | 1970年 3月 |
空手道 | 星野哲郎 | 安藤実親 | |
32 | 1970年 5月 |
1+1の音頭[14] | 星野哲郎 | 鈴木邦彦 | |
33 | 1970年 5月 |
ありがとうの歌[15] | 大矢弘子 | 叶弦大 | 小杉仁三 |
34 | 1970年 7月 |
三度笠だよ人生は | 星野哲郎 | 安藤実親 | |
35 | 1970年 10月 |
だめでもともと | 星野哲郎 | 米山正夫 | 小杉仁三 |
36 | 1970年 11月 |
大勝負 | 関沢新一 | 安藤実親 | |
37 | 1971年 2月 |
あゝ恋唄 | 星野哲郎 | 安藤実親 | |
38 | 1971年 4月 |
ねんがら子守唄 | 星野哲郎 | 安藤実親 | 小杉仁三 |
39 | 1971年 7月 |
ああ男なら男なら | 星野哲郎 | 安藤実親 | |
40 | 1971年 9月 |
浪花太鼓 | 星野哲郎 | 米山正夫 | 小杉仁三 |
41 | 1971年 10月 |
青空浪人の唄[16] | 関沢新一 | 安藤実親 | |
42 | 1971年 12月 |
苦労買います | おおがみとおる 関沢新一 |
安藤実親 | |
43 | 1971年 12月 |
おどんが国は[17] | 川添一郎 | 米山正夫 | 小杉仁三 |
44 | 1972年 2月 |
この手にとまれ | 星野哲郎 | 市川昭介 | 小杉仁三 |
45 | 1972年 3月 |
柔の道[18] | 関沢新一 | 安藤実親 | |
46 | 1972年 9月 |
いつかは逢えるだろう | 阿久悠 | 戸河万吉 | 竹村次郎 |
47 | 1972年 10月 |
大逆転のマーチ | 星野哲郎 | 安藤実親 | 小山恭弘 |
48 | 1972年 10月 |
昭和放浪記 | 阿久悠 | 小林亜星 | 小杉仁三 |
49 | 1972年 12月 |
指言葉の歌 | 星野哲郎 | 鈴木邦彦 | 小杉仁三 |
50 | 1973年 6月 |
かあさん | 阿久悠 | 小林亜星 | 小杉仁三 |
51 | 1973年 8月 |
大恋愛 | 大兼佳也 | 猪俣公章 | 坂下晃司 |
52 | 1973年 11月 |
望郷の詩 | 藤田まさと | 遠藤実 | 斉藤恒夫 |
53 | 1974年 1月 |
どこかでありがとう[19] | 星野哲郎 | 安藤実親 | 原田良一 |
54 | 1974年 4月 |
ハナハナハナ | 星野哲郎 | 米山正夫 | 小杉仁三 |
55 | 1974年 5月 |
人生ブルース | なかにし礼 | 浜圭介 | - |
56 | 1974年 7月 |
幸せ正面だーれ[20] | 関沢新一 | 市川昭介 | 馬場良 |
57 | 1974年 8月 |
てっぺんまごころ | 星野哲郎 | 安藤実親 | |
58 | 1974年 10月 |
花の散りぎわ | なかにし礼 | 浜圭介 | - |
59 | 1974年 12月 |
あたしのものよ[21] | 松山善三 | 平尾昌晃 | - |
60 | 1975年 2月 |
大成功 | 関沢新一 | 安藤実親 | |
61 | 1975年 4月 |
みつばちマーヤの冒険[22] | 伊勢正三 | 小山恭弘 | |
62 | 1975年 6月 |
同窓会 | 星野哲郎 | 山路進一 | |
63 | 1975年 8月 |
君は青空を見たか | 平岩弓枝 | 米山正夫 | 小杉仁三 |
64 | 1975年 10月 |
浮草 | 寺山修司 | 猪俣公章 | - |
65 | 1975年 11月 |
明日がござる[23] | 平岩弓枝 | 米山正夫 | 小杉仁三 |
66 | 1976年 3月 |
しあわせ橋 | 星野哲郎 | 米山正夫 | 小杉仁三 |
67 | 1976年 3月 |
鬼面児 | 星野哲郎 | 安藤実親 | |
68 | 1976年 7月 |
にっぽん流行歌 | 関沢新一 | 島津伸男 | |
69 | 1976年 10月 |
お父さん | 星野哲郎 | はやし・こば | |
70 | 1977年 2月 |
お前のふるさとどこなんだ | 杉紀彦 | 中村千里 | - |
71 | 1977年 3月 |
花染め音次郎 | 杉紀彦 | 米山正夫 | - |
72 | 1977年 11月 |
虚空太鼓 | 星野哲郎 | 島津伸男 | 池多孝春 |
73 | 1978年 2月 |
春らんまん | 浅木しゅん | 安藤実親 | - |
74 | 1978年 3月 |
我がふるさと | 安永貞利 | 小川寛興 | - |
75 | 1978年 4月 |
岬にて[24] | 有馬三恵子 | 米山正夫 | - |
76 | 1978年 7月 |
九州よかとこ | 星野哲郎 | 安藤実親 | |
77 | 1978年 8月 |
肥後の駒下駄 | 星野哲郎 | 島津伸男 | 小町昭 |
78 | 1979年 2月 |
カラスの歌 | 星野哲郎 | 鏑木創 | |
79 | 1979年 5月 |
船橋手拍子音頭 | 福田克彦 星野哲郎 |
市川昭介 | 小杉仁三 |
80 | 1979年 5月 |
夢一番 | 星野哲郎 | 安藤実親 | 小杉仁三 |
81 | 1979年 8月 |
オアシス音頭 | 星野哲郎 | 市川昭介 | 小杉仁三 |
82 | 1979年 9月 |
昭和艶歌 | 星野哲郎 | 市川昭介 | 馬場良 |
1980年代 | |||||
83 | 1980年 4月 |
あなたの光はどんな色 | 伊藤アキラ | 鈴木キサブロー | 馬飼野俊一 |
84 | 1981年 2月 |
さすらい情話 | 藤公之介 | 猪俣公章 | 斉藤恒夫 |
85 | 1981年 8月 |
有明の海 | 中山大三郎 | 京建輔 | |
86 | 1982年 7月 |
命坂 | 白鳥園枝 | 遠藤実 | 京建輔 |
87 | 1983年 1月 |
花が咲いたらまた来るよ | 水木かおる | 山路進一 | 京建輔 |
88 | 1983年 8月 |
あさくさ物語 | なかにし礼 | 森田公一 | 京建輔 |
89 | 1984年 4月 |
涙のマーチ | 星野哲郎 | 十勝遙 | 馬飼野俊一 |
90 | 1984年 8月 |
浪花節だよ人生は | 藤田まさと | 四方章人 | 薗広昭 |
91 | 1985年 4月 |
人生夢三味線 | 山田孝雄 | 四方章人 | 池多孝春 |
92 | 1985年 10月 |
松五郎愛歌 | なかにし礼 | 岡千秋 | 京建輔 |
93 | 1986年 4月 |
男三百六十度 | 伍路りょう | 泉みどり | |
94 | 1987年 2月 |
玄海恋歌 | 荒木とよひさ | 佐孝康夫 | |
95 | 1988年 2月 |
今日から一歩 | たかたかし | 浜口庫之助 | 竜崎孝路 |
96 | 1989年 8月 |
こころの港 | 星野哲郎 | 原譲二 | 鈴木操 |
1990年代 | |||||
97 | 1990年 8月 |
青空 | 星野哲郎 | 三島大輔 | 前田俊明 |
98 | 1991年 1月 |
曼陀羅華 | 池浦利彦 | 小杉仁三 | |
99 | 1991年 11月 |
ハーモニー[25] | つのだひろ | 梅垣達志 | |
100 | 1991年 11月 |
三百六十五歩のマーチ[26] | 星野哲郎 | 米山正夫 | 松井忠重 |
101 | 1992年 3月 |
いまさら歌舞伎 | 石坂まさを | - | |
102 | 1993年 1月 |
人生一路 | 星野哲郎 | 安藤実親 | 小杉仁三 |
103 | 1993年 7月 |
どすこい!!太郎[27] | 麻倉弥生 | 山崎一稔 | |
104 | 1993年 9月 |
結婚行進曲 | 星野哲郎 | 吉田正 | 小杉仁三 |
105 | 1993年 12月 |
おんな富士[28] | 中谷純平 | 三島大輔 | 池多孝春 |
106 | 1994年 3月 |
勝 | 星野哲郎 | 船村徹 | 南郷達也 |
107 | 1995年 2月 |
ブンブンビート阿波踊り[29] | サンディー | 久保田麻琴 | |
108 | 1995年 7月 |
自慢じゃないが女だよ | 中山大三郎 | 小杉仁三 | |
109 | 1996年 6月 |
Oh!演歌だよ | 間寛平 | 円広志 | 湯川徹 |
110 | 1996年 8月 |
尾張宗春音頭 | 山本孝之 神坂薫 |
中村典正 | 中村兼志 |
111 | 1997年 7月 |
C.C.レモン[30] | じんましんや | 佐藤直紀 | |
112 | 1997年 10月 |
母・子守唄 | 星野哲郎 | 三木たかし | 竜崎孝路 |
113 | 1998年 3月 |
おんなの街道 | 星野哲郎 | 安藤実親 | |
114 | 1998年 12月 |
女の花道 | 関沢新一 | 安藤実親 | |
115 | 1999年 7月 |
甲子園の詩[31] | 阿久悠 | 三木たかし | - |
2000年代 | |||||
116 | 2000年 8月23日 |
関東春雨傘 | 米山正夫 | 小杉仁三 | |
117 | 2000年 11月1日 |
いきてゆく物語[32] | サンプラザ中野 | パッパラー河合 | |
118 | 2002年 10月23日 |
涙をふいて[33] | 康珍化 | 鈴木キサブロー | J.Rover |
119 | 2003年 8月21日 |
だめでもともと音頭 | 星野哲郎 | 原譲二 | 丸山雅仁 |
120 | 2003年 11月21日 |
キッカケサンバ[34] | 箭内道彦 | ヒダテモトハラ 藤巻浩 |
藤巻浩 |
121 | 2006年 5月10日 |
春雷 | 星野哲郎 | 三木たかし | 若草恵 |
122 | 2008年 11月5日 |
よいしょ・こらしょ | 川内康範 | 浜圭介 | 船山基紀 |
123 | 2009年 8月26日 |
日本人だね演歌だね | 荒木とよひさ | 弦哲也 | 桜庭伸幸 |
2010年代 | |||||
124 | 2010年 1月1日 |
HIKARI 〜輝く未来へ〜[35] |
タケル | 矢賀部竜成 | |
125 | 2012年 5月16日 |
てっぺん! | さいとういんこ | 矢賀部竜成 | |
126 | 2013年 4月3日 |
春の華 | 里村龍一 | 安藤実親 | 丸山雅仁 |
127 | 2014年 9月3日 |
人情 | さいとう大三 | 叶弦大 | 京建輔 |
アルバム
オリジナル・アルバム
- 想い出の軍歌を唄う(1968年)
- 麦と兵隊~水前寺清子戦時歌謡を唄う 哀歓の戦時歌謡集(1968年)
- 戦友~水前寺清子哀愁の軍歌を唄う(1969年)
- 大利根月夜~水前寺清子 巷の唄ベスト12(1970年)
- ねんがら子守唄~水前寺清子 こころの故里を唄う(1971年5月)
- お控えなすって!チータです~水前寺清子 任侠歌謡を唄う(1972年)
- 時は流れる(1974年)
- 股旅(1978年)
- 徒然歌枕(1981年)
- やぁ!チータ(1984年)
- チータのカモナ・マイ・ハウス(1988年)※水前寺音楽出版より発売された自主制作アルバム。
- 水前寺清子歌手生活30周年特別企画 ありがとう30年(1994年10月21日)
ライブ・アルバム
- 素晴らしい冒険 チータ! -Suizenji Kiyoko Live In Tokyo-(1970年)
- 2枚組。1970年、新宿厚生年金ホールにて収録。
- 水前寺清子 リサイタル〜演歌人生応援歌(1982年12月)
- 1982年10月13日、郵便貯金ホールにて収録。
ベスト・アルバム
- 泣いて笑ってひとり旅 あなたをゆさぶるチータの声(1967年)※ナレーションを含むベスト・アルバム
- 水前寺清子 ゴールデン・ヒット〜"涙を抱いた渡り鳥"から"艶歌"まで(1968年)
- 人生の応援歌(1977年)
- GOLDEN☆BEST 水前寺清子 RCAイヤーズ(2013年6月26日)
- 水前寺清子の世界(2013年11月2日)
出演
NHK紅白歌合戦出場歴
年度/放送回 | 回 | 曲目 | 出演順 | 対戦相手 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
1965年(昭和40年)/第16回 | 初 | 涙を抱いた渡り鳥 | 20/25 | 村田英雄(1) | |
1966年(昭和41年)/第17回 | 2 | いっぽんどっこの唄 | 20/25 | 村田英雄(2) | |
1967年(昭和42年)/第18回 | 3 | どうどうどっこの唄 | 01/23 | 舟木一夫 | トップバッター(1) |
1968年(昭和43年)/第19回 | 4 | 男でよいしょ | 21/23 | 坂本九 | |
1969年(昭和44年)/第20回 | 5 | 真実一路のマーチ | 07/23 | 三田明 | |
1970年(昭和45年)/第21回 | 6 | 大勝負 | 01/24 | 村田英雄(3) | トップバッター(2) |
1971年(昭和46年)/第22回 | 7 | ああ男なら男なら | 24/25 | 水原弘 | トリ前(1) |
1972年(昭和47年)/第23回 | 8 | 昭和放浪記 | 22/23 | 布施明 | トリ前(2) |
1973年(昭和48年)/第24回 | 9 | いっぽんどっこの唄(2回目) | 19/22 | 三波春夫(1) | |
1974年(昭和49年)/第25回 | 10 | てっぺんまごころ | 14/25 | 北島三郎 | |
1975年(昭和50年)/第26回 | 11 | 大勝負(2回目) | 10/24 | 村田英雄(4) | |
1976年(昭和51年)/第27回 | 12 | 鬼面児 | 16/24 | 村田英雄(5) | |
1977年(昭和52年)/第28回 | 13 | 虚空太鼓 | 14/24 | 北島三郎(2) | |
1978年(昭和53年)/第29回 | 14 | 肥後の駒下駄 | 14/24 | フランク永井 | |
1979年(昭和54年)/第30回 | 15 | 涙を抱いた渡り鳥(2回目) | 15/23 | 三波春夫(2) | |
1980年(昭和55年)/第31回 | 16 | 三百六十五歩のマーチ | 19/23 | 三波春夫(3) | |
1981年(昭和56年)/第32回 | 17 | 有明けの海 | 06/22 | 三波春夫(4) | |
1982年(昭和57年)/第33回 | 18 | 大勝負(3回目) | 06/22 | 三波春夫(5) | |
1983年(昭和58年)/第34回 | 19 | あさくさ物語 | 21/21 | 細川たかし(1) | トリ |
1984年(昭和59年)/第35回 | 20 | 浪花節だよ人生は | 09/20 | 細川たかし(2) | |
1985年(昭和60年)/第36回 | 21 | 人生夢三味線 | 15/20 | 細川たかし(3) | |
1986年(昭和61年)/第37回 | 22 | 男三百六十度 | 15/20 | チェッカーズ |
(注意点)
- 対戦相手の歌手名の( )内の数字は、その歌手との対戦回数、備考のトリ等の次にある( )はトリ等を務めた回数を表す。
- 曲名の後の(○回目)は、紅白で披露された回数を表す。
- 出演順は「(出演順) / (出場者数)」で表す。
テレビドラマ
- 天と地と(NHK系、1969年) - 八重 役
- ありがとう(TBS系、1970年-1973年(第1-3シリーズ)) - 主演・四方光 / 古山新(十新)/ 志村愛 役
- 女と味噌汁 その18(TBS系、1971年)
- おれは男だ!(日本テレビ系、1971年)第18話「若い生命をぶっつけろ! 」
- 天下御免(NHK、1971年)ナレーション
- 青春をつっ走れ 第16話(フジテレビ、1972年) - 水町清子 役
- ほうねんまんさく(フジテレビ、1974年)主演
- 東海道姉ちゃん仁義(フジテレビ、1974年)主演
- あたしのものよ(TBS系、1974-1975年)
- 明日がござる(TBS系、1975年) - 世渡集子 役
- バケタン家族(NET、1976年)
- 大江戸捜査網 第269話「涙の花嫁衣裳」(12ch、1976年) - おきよ 役
- 銭形平次 第691回「涙の重さ」(フジテレビ、1979年)
- 遠山の金さん 第1シリーズ 第66話「姓は女医、名は酔いどれ芸者!」(テレビ朝日、東映、1983年) ※高橋英樹版
- 暴れん坊将軍II 第43話「鉄火意気地のおんな河岸」(テレビ朝日、1984年) - おけい 役
- 必殺仕事人意外伝 主水、第七騎兵隊と闘う 大利根ウエスタン月夜(ABC、松竹、1985年) - お鹿 / イエローディーア 役
- 木曜ドラマストリート「心はロンリー、気持ちは「…」IV」(フジテレビ、1986年)
- まんが道・青春篇(NHK 銀河テレビ小説、1987年) - 須賀照江 役
- 春日八郎物語(テレビ東京、1993年)
- 肥後のカミナリ 北里柴三郎(テレビ熊本、1994年)
- 痛快大名 徳川宗春~吉宗に挑んだ男(テレビ東京、1996年) - 瓦版屋
- 教習所物語(TBS系、1999年(スペシャル)、2000年(連ドラ)) - 小鳥遊美幸 役
- 土曜ワイド劇場「法医学教室の事件ファイル16・監察医VS鑑識官 ふたりの熱い闘い」(テレビ朝日、2002年) - 中根祐美子 役
- お義母さんといっしょ(フジテレビ、2003年) - 荒巻よし江 役
- VICTORY!〜フットガールズの青春〜(フジテレビ、2003年)
- ナースマンがゆく(日本テレビ、2004年) - 高沢留美子 役
- 月曜ミステリー劇場「警察庁・内偵監察官 桜沢葵の事件簿」(TBS、2005年) - 主演・桜沢葵 役
- 課外授業 ようこそ先輩(NHK、2005年10月26日)
- 火曜ドラマゴールド「大女優殺人事件」(日本テレビ、2007年) - 坂東都季子 役
- 新美味しんぼPART2(フジテレビ、2007年)
- 新・京都迷宮案内5 第10シリーズ 第1話(テレビ朝日、2008年1月17日) - 佐竹律子 役
- 水戸黄門 第40部 第6話「肝っ玉母さん 猛烈告白・松島」(TBS、2009年8月31日) - 紀代 役
- サザエさん アニメ&ドラマで2時間半SP(2013年12月1日、フジテレビ) - (特別出演)
- 戦力外捜査官 第7話(日本テレビ、2013年2月22日) - 北里スエ子 役
その他のテレビ番組
- 夜のヒットスタジオ(フジテレビ)
- NTV紅白歌のベストテン 紅組初代キャプテン
- 九州土曜プレゼント(NHK九州・沖縄ブロック放送)
- チータ55号(TBS系)
- 飛べ!孫悟空(TBS、1977年-1979年) - イタチ女王 役(声の出演)
- ワイド!スクランブル(初代メイン司会、テレビ朝日、1996年-1998年)
- BSふれあいステージ(司会、NHK衛星第2テレビジョン)
- 渋谷らいぶステージ(司会、NHK衛星第2テレビジョン)
- 昭和歌謡大全集(司会、テレビ東京系列、年2回、不定期放送)
- DO YOU?サタデー(司会、BSフジ、2016年4月 - 2017年3月25日)[36]
- 水前寺清子情報館(司会、BSフジ、2017年4月29日 - )
他多数
映画
- 座頭市鉄火旅(1967年) - お春 役
- わが命の唄 艶歌(1968年) - 眉京子 役
- コント55号と水前寺清子の神様の恋人(1968年) - 鶴田きよ / 水前寺清子 / 煙草屋のソメ子 役
- コント55号と水前寺清子のワン・ツー・パンチ三百六十五歩のマーチ(1969年) - 水前寺亭清奴 / 鶴田清子 役
- 三度笠だよ人生は(1970年) - 松浦政子 役
- コント55号水前寺清子の大勝負(1970年) - 庄司清子 役
- あまから物語 おんなの朝(1971年) - 長谷部キヨ 役
- おしゃれ大作戦(1976年) - TVショーの歌手 役
- 山下少年物語(1985年) - 山本先生 役
- デコトラの鷲 其の五 火の国熊本親子特急便(2008年) - 竹原珠代 役
ラジオ
- 元気印! チータdeマーチ (AMラジオ各局)
- 歌謡大行進(文化放送)
- 野村邦丸のごきげん!二重丸◎(文化放送)
- おはよう!ニッポン全国消防団(ニッポン放送) - 番組開始1年目から年1回、1ヶ月間出演(2016年除く)
CM
- ペプシコーラ (水前寺自身の談によれば、コカ・コーラを愛飲しておりペプシコーラはそれまで飲んだことがなかった。撮影スタジオにはコカ・コーラが用意されていたといい、それ以後水前寺はペプシコーラのファンになったという[37])
- 明治製菓(現・明治) ストロベリーチョコレート
- エスエス製薬 エスタック、新エスエスブロン液
- 協和発酵 ダイヤ焼酎(現在はニッカウヰスキーが製造し、アサヒビールから発売)
- カネボウ カップしるこ(現在はクラシエフーズから発売)
- カゴメ バーベキューソース
- ユニ・チャーム 愛犬元気
- サントリー C.C.レモン(CMソング。のちに、出演してるバージョンもあり)
- マンダム GATSBY(歌)※三百六十五歩のマーチの替え歌
- 高橋酒造 ロアッソ熊本応援ボトル ※挿入歌『HIKARI』も歌っている ※熊本県限定
- コナミ がんばれゴエモン2 奇天烈将軍マッギネス
- 『きっかけはフジテレビ』初代キャンペーンキャラクター(2002年)
- テレビ熊本(ナレーション)※熊本県限定
脚注
- ↑ これまでに訪れた所 熊本県 - NHK ここはふるさと旅するラジオ(2014年4月19日閲覧)
- ↑ 星野が死去した際、本人がそうコメントした。
- ↑ 自然化粧品 サビーナ 水前寺清子さんスペシャルインタビュー
- ↑ 合田道人『紅白歌合戦の真実』幻冬舎、2004年
- ↑ 『お宝TVデラックス』での石井・水前寺両者の証言より。
- ↑ [1],goo
- ↑ 水前寺清子 和田アキ子との確執報道語る「泣くタマか!」,デイリースポーツ,2016年11月5日
- ↑ 水前寺清子語った大物歌手との確執 「売られたケンカは買う」,女性自身,2016年11月5日
- ↑ 『紅白50回』
- ↑ 『紅白50回』
- ↑ 第1回日本作詩大賞受賞曲。また、東京12チャンネル系テレビドラマ「いつでも君は」の主題歌として使用された。
- ↑ 第10回日本レコード大賞・作詩賞受賞曲。また、日活映画「わが命の唄 艶歌」の主題歌として使用された。
- ↑ 第11回日本レコード大賞・大衆賞受賞曲。
- ↑ ペプシコーラのCMソングとして使用された。
- ↑ 水前寺主演のTBS系テレビドラマ「ありがとう」の主題歌として使用された。
- ↑ NTV系テレビドラマ「青空浪人」の主題歌として使用された。
- ↑ NHKの音楽番組「みんなのうた」で使用された。
- ↑ NTV系テレビドラマ「黒帯風雲録 柔」の主題歌として使用された。
- ↑ 水前寺主演のTBS系テレビドラマ「ありがとう」の第3シリーズのED主題歌として使用された。
- ↑ フジテレビ系テレビドラマ「東海道姉ちゃん仁義」の主題歌として使用された。
- ↑ TBS系テレビドラマ「あたしのものよ」の主題歌として使用された。
- ↑ チータとみつばち合唱団名義。NET系テレビアニメ「みつばちマーヤの冒険」のOP主題歌として使用された。
- ↑ TBS系テレビドラマ「明日がござる」の主題歌として使用された。
- ↑ フジテレビ系テレビドラマ「かあちゃんの勲章」の主題歌として使用された。
- ↑ Chita名義。
- ↑ 再録音バージョン。フジテレビ系テレビアニメ「丸出だめ夫」のOP主題歌として使用された。
- ↑ NHKの音楽番組「みんなのうた」で使用された。
- ↑ コナミのゲームソフト「がんばれゴエモン2 奇天烈将軍マッギネス」のCMソングとして使用された。
- ↑ M.C.チータ名義。
- ↑ チータ名義。サントリー「C.C.レモン」のCMソングとして使用された。
- ↑ チータ名義。
- ↑ 武田鉄矢とのデュエット。水前寺主演のTBS系テレビドラマ「教習所物語」の主題歌として使用された。
- ↑ 三好鉄生の同名曲のカバー。
- ↑ フジテレビのキャンペーン「きっかけは、フジテレビ。」のCMソング、及びフジテレビ系子供向け番組「ポンキッキーズ21」の挿入歌として使用された。
- ↑ 配信限定シングル。ロアッソ熊本応援ソング。
- ↑ “18年ぶりナマ司会!70歳・水前寺清子「体調は万全です」”. SANSPO.COM (2016年3月9日). . 2016閲覧.
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関連項目
外部リンク
- 水前寺清子 オフィシャルウェブサイト
- 水前寺清子オフィシャルブログ「Chitaオフィシャルブログ」 - Ameba Blog{{#invoke:WikidataCheck|wikidatacheck|property=P3502|value=chita365|category=Ameba Blog ID|namespaces=0}}