民国紀元
民国紀元 | |
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各種表記 | |
繁体字: |
民國紀元 民國紀年 |
簡体字: |
民国纪元 民国纪年 |
拼音: |
Mínguó jìyuán Mínguó jìnián |
注音符号: |
ㄇㄧㄣˊㄍㄛˊ ㄐㄧˋㄩㄢˊ ㄇㄧㄣˊㄍㄛˊ ㄐㄧˋㄋㄧㄢˊ |
発音: |
ミングォ チーユェン ミングォ チーニェン |
日本語読み: |
みんこくきげん みんこくきねん |
英文: |
Minguo calendar Republic of China calendar |
民国紀元(みんこくきげん、繁体字中国語:民國紀元・民國紀年)は、中華民国が成立した1912年を紀元(元年)とする紀年法である。中華民国暦(ちゅうかみんこくれき)、略して民国ともいう。
西暦(キリスト紀元)との差は1911年で、民国年に1911を加えると西暦年、西暦年から1911を減ずると民国年となる。
西暦2024年は、中華民国(民国)113年である。
Contents
概要
各年は「中華民国N年」、略して「民国N年」と表記する。辛亥革命の翌年である1912年に中華民国が樹立されたため、「民国N年」は「辛亥革命勃発からN年後」となる。中華民国成立以前の紀年法として「民前」を用いることがあり、「民前N年」は「中華民国成立からN年前」で、1911年は「民前1年」と表記する。
国際標準ではないが、中華民国国家標準 CNS 7648(ISO 8601に相当)で西暦と共に標準化されている。CNS 7648 によると英文略称は「R.O.C.」であり、中華民国が国連での代表権を失うことになるアルバニア決議が採択された、民国60年(1971年)10月25日は、「R.O.C.60-10-25」と表記される。
辛亥革命までの中国では元号が用いられていた。武昌蜂起が起こり、中華民国湖北軍政府が成立すると、清朝の元号である宣統を廃止して元号ではなくて紀元である黄帝紀元を採用、宣統3年(1911年)を黄帝紀元4609年とした。孫文が中華民国臨時大総統に就任する際、黄帝紀元4609年11月13日(1912年1月1日)を中華民国元年元日とし、太陽暦の施行を中国各省に通達した。
「 | 中華民國改用陽曆、以黃帝紀元四千六百九年十一月十三日、為中華民國元年元旦。 | 」 |
—1912年(民国元年)1月2日「臨時大總統改曆改元通」 |
現状
かつては中国大陸で民国紀元が使用されていたが、現在では中華民国政府が実効支配する領土の台湾、澎湖、金門、馬祖で西暦とともに使用されている。中華民国では公文書、新聞、食品の賞味期限など、民国紀元で表記されているものもあり、消費や賞味の期限が下二桁のみ表記されている場合は、西暦と民国紀元のいずれであるかに注意を要する。
中華民国では、公文書は全て民国紀元で記載することを「公文程式條例」第六条の規定で定めている。民国紀元は台湾のみで用いられることから外国人も通用する西暦へ転換する動きもあり、台湾鉄路管理局では乗車券に印字する乗車日時を、第4世代の予約システムへの更新の際に民国紀元から西暦へ変更した。
台湾の泛緑連盟党員や支持者たちは、民国紀元を外来政権である中国国民党政権が中国から持ち込んだものだとしており、民国紀元の使用に強く反発している。当時の民進党政権は、民国紀元を廃止して全面的に西暦へ転換する法改正を検討したが、最終的に実現はしなかった。
アプリケーションソフトウェア内部で年を民国二桁で表現しているコンピュータシステムでは「民国100年(2011年)=民国0年」として認識され、2000年問題と類似した誤動作を起こす恐れが指摘された問題は、民国100年問題に詳述がある。
中華人民共和国は民国紀元を廃止して西暦(公元)を使用しており、歴史的な文脈でも使用されない。清朝までの年代、もしくは大同や康徳のように元号を復活させた満州国に元号を用いることはあり得るが、中華民国の年代に民国紀元は用いず、香港、マカオ、海外の華僑居住地でも民国紀元は用いない。
他の紀年法との一致
民国紀元は、日本の大正、朝鮮民主主義人民共和国の主体暦と元年が一致し、「民国N年」は「大正N年」と「主体N年」に相当するが、大正は皇紀のような紀元ではなく元号であって、1912年7月30日から1926年12月25日までの期間であるため完全な一致はない。大正元年である大正天皇の践祚年(即位は翌大正2年)、中華民国の成立年、主体元年である金日成の誕生年、が同年であることは偶然で関連性は全くない。
西暦との対照表
民国 | 元年 | 2年 | 3年 | 4年 | 5年 | 6年 | 7年 | 8年 | 9年 | 10年 |
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西暦 | 1912年 | 1913年 | 1914年 | 1915年 | 1916年 | 1917年 | 1918年 | 1919年 | 1920年 | 1921年 |
民国 | 11年 | 12年 | 13年 | 14年 | 15年 | 16年 | 17年 | 18年 | 19年 | 20年 |
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西暦 | 1922年 | 1923年 | 1924年 | 1925年 | 1926年 | 1927年 | 1928年 | 1929年 | 1930年 | 1931年 |
民国 | 21年 | 22年 | 23年 | 24年 | 25年 | 26年 | 27年 | 28年 | 29年 | 30年 |
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西暦 | 1932年 | 1933年 | 1934年 | 1935年 | 1936年 | 1937年 | 1938年 | 1939年 | 1940年 | 1941年 |
民国 | 31年 | 32年 | 33年 | 34年 | 35年 | 36年 | 37年 | 38年 | 39年 | 40年 |
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西暦 | 1942年 | 1943年 | 1944年 | 1945年 | 1946年 | 1947年 | 1948年 | 1949年 | 1950年 | 1951年 |
民国 | 41年 | 42年 | 43年 | 44年 | 45年 | 46年 | 47年 | 48年 | 49年 | 50年 |
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西暦 | 1952年 | 1953年 | 1954年 | 1955年 | 1956年 | 1957年 | 1958年 | 1959年 | 1960年 | 1961年 |
民国 | 51年 | 52年 | 53年 | 54年 | 55年 | 56年 | 57年 | 58年 | 59年 | 60年 |
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西暦 | 1962年 | 1963年 | 1964年 | 1965年 | 1966年 | 1967年 | 1968年 | 1969年 | 1970年 | 1971年 |
民国 | 61年 | 62年 | 63年 | 64年 | 65年 | 66年 | 67年 | 68年 | 69年 | 70年 |
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西暦 | 1972年 | 1973年 | 1974年 | 1975年 | 1976年 | 1977年 | 1978年 | 1979年 | 1980年 | 1981年 |
民国 | 71年 | 72年 | 73年 | 74年 | 75年 | 76年 | 77年 | 78年 | 79年 | 80年 |
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西暦 | 1982年 | 1983年 | 1984年 | 1985年 | 1986年 | 1987年 | 1988年 | 1989年 | 1990年 | 1991年 |
民国 | 81年 | 82年 | 83年 | 84年 | 85年 | 86年 | 87年 | 88年 | 89年 | 90年 |
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西暦 | 1992年 | 1993年 | 1994年 | 1995年 | 1996年 | 1997年 | 1998年 | 1999年 | 2000年 | 2001年 |
民国 | 91年 | 92年 | 93年 | 94年 | 95年 | 96年 | 97年 | 98年 | 99年 | 100年 |
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西暦 | 2002年 | 2003年 | 2004年 | 2005年 | 2006年 | 2007年 | 2008年 | 2009年 | 2010年 | 2011年 |
民国 | 101年 | 102年 | 103年 | 104年 | 105年 | 106年 | 107年 | 108年 | 109年 | 110年 |
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西暦 | 2012年 | 2013年 | 2014年 | 2015年 | 2016年 | 2017年 | 2018年 | 2019年 | 2020年 | 2021年 |