毛利広房
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毛利広房 | |
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時代 | 南北朝時代初期 |
生誕 | 正平2年/貞和3年(1347年) |
死没 | 元中2年/至徳2年(1385年)[1] |
氏族 | 毛利氏 |
毛利 広房(もうり ひろふさ)は、南北朝時代の安芸国の国人領主毛利氏当主。
生涯
南朝:天授7年、弘和元年/北朝:康暦3年、永徳元年(1381年)に、父・毛利元春より吉田荘地頭職半分を譲られている。これと同時に毛利家の家督を相続したものと推測される。家督を継承して後の南朝:元中2年/北朝:至徳2年(1385年)に、出陣先の西条にて、38歳の若さで討死してしまう。
この時、広房には懐妊中の妻がおり広房の死後に男児を出生した。男児の成長までは祖父にあたる元春が後見することになり、この男児が成人後、毛利光房と名乗って家督を継いだ。
脚注
- ↑ 時山弥八編 1916, p. 66.
参考文献
- 時山弥八編 『国立国会図書館デジタルコレクション 稿本もりのしげり』、1916。