正書法
テンプレート:NOTOC 正書法(せいしょほう、英: orthography)は、言語を文字で正しく記述する際のルールの集合のことである。「正書法」を示す英語のorthographyは、ギリシア語のορθός(orthos、「正しい」)とγραφή(graphe、「書くこと」)から来ている。現在では、綴り、句読点などの約物の打ち方、大文字・小文字の使い分けなども含んだ意味となっている。正書法はタイポグラフィとは別個のものである。
言語学的に見て、言語のあらゆる側面と関連があり、一概にまとめることは不可能である。
表音文字を用いている英語やフランス語などのつづりにも文字と発音のギャップはある(このギャップが大きい正書法は「深い正書法」(deep orthography)と呼ばれる)。ジョージ・バーナード・ショーがghotiでfishと同じように発音すべきだと皮肉ったのは、ghでlaughの[f]、oでwomenの[i]、tiでnationの[∫]の音を表すからである。ただし英語では、アメリカとイギリスでつづりが違う少数の単語(例 defenseとdefence, centerとcentre)を除き、個々の単語のつづりは現代ではほぼ1語1通りに統一されている。スペイン語、イタリア語、トルコ語、フィンランド語などはつづりと発音のギャップが少ない正書法(「浅い[透明な/音素的な]正書法」(shallow[transparent/phonemic] orthography)を持っている。
国によっては(または、言語によっては)、正書法について議論する公的な組織を持っていることもある。また、人工言語などの場合は、文字と発音のギャップが可能な限り無いようにデザインされることもある。
日本語と正書法
一般論として日本語には、規範はいくつもあるが「唯一の正書法」といったようなものは無い。
仮名遣い
一般的に、書き言葉(文語など)が話し言葉(口語など)に対して保守的で変化しにくいのに対して、話し言葉は変化が速く、ギャップが生まれる。そういった要因により、正書法はしばしば「その言語の古い様態を比較的近似しており」「現在の話者の認識とはズレた記法」というような格好になりやすい。発音と文字の対応が1対1か、せめて1対多であれば、混乱が起きないのに、日本語のように多対多であることが正書法をめぐる議論を生むことになる。
例えば、日本語(現代仮名遣い)では助詞の「は」や「へ」などが発音が「わ」や「え」なのにかかわらず、古い表記法を残している。また発音の曖昧さの例として、「おう」というかな表記は「オウ」(例:追う)とも「オオ」(例:王)とも発音される。
漢字
日本語ではある語を漢字で表記するか仮名で表記するかが定まっていないことが多く(例 「時雨」と「しぐれ」、「怪我」と「けが」、「言葉」と「ことば」、「煙草」と「たばこ」と「タバコ」、「癌」と「がん」と「ガン」)文体や文脈、字数制限、個人の好みなどによって選択される。また送り仮名の用い方にもゆれが多く、送り仮名を使うかどうかも決まっていない語(例「行う」と「行なう」、「問」と「問い」、「締め切り」と「締切り」と「締切」)が多いため、音声的に同一の語に対していくつもの表記が存在することがある。さらには同一の語に対して使う漢字も複数あることがあり(例 「いれずみ」:「刺青」、「入れ墨」、「入墨」、「文身」;「クラゲ」:「水母」、「海月」;「キクラゲ」:「木耳」、「木蛾」、「木水母」、「木海月」;「あしもと」:「足下」、「足元」、「足許」;「げす」:「下衆」、「下種」、「下司」;「ようだい[ようたい]」:「容体」、「容態」、「様態」、「様体」;「さしがね」:「指矩」「指金」、「差金」、「矩金」;「ほうれい線」:「法令線」、「豊麗線」、「豊齢線」、「頬齢線」;「ほととぎす」:「不如帰」、「時鳥」、「杜鵑」)、これらの要素が組み合わさって多くの異表記を生む(例 「てがかり」:「手がかり」、「手掛かり」、「手掛り」、「手掛」、「手懸かり」、「手懸り」、「手懸」; 「モズク」:もずく、もづく、モズク、モヅク、水雲、海雲、海蘊 、藻付;「「ひきがね」:「ひきがね」、引き金」、「引金」、「引きがね」「引き鉄」、「引鉄」、「弾き鉄」、「弾鉄」、「弾き金」、「弾金」、「銃爪」)。
単語が組み合わされて語句・文になると日本語の異表記は爆発的に増えてしまう。例えば「たくさんのたまごをうむにわとり」という音声的に同一の語句の書き方は「たくさんの卵を産む鶏」「沢山の卵を産むにわとり」「たくさんの玉子を生むニワトリ」「沢山のタマゴを生む鶏」・・・など、数十通りの組合せがあり、どれが正しい(=正書法に従っている)とも言えない。
外来語の片仮名音記
片仮名で表される外来語は表記が複数あるものが非常に多い。
- uniform
- 「ユニホーム」、「ユニフォーム」
- violin
- 「バイオリン」、「ヴァイオリン」
- tissue
- 「ティッシュ」、「ティシュー」、「ティッシュー」
- maintenance
- 「メンテナンス」、「メインテナンス」、「メンテナス」、「メーンテナンス」
- May Day
- 「メーデー」、「メイデー」、「メイデイ」、「メィディ」、「メーデイ」、「メーディ」
- spaghetti
- 「スパゲッティ」、「スパゲッティー」、「スパゲティー」、
- Los Angeles
- 「ロサンジェルス」、 「ロスアンジェルス」、「ロサンゼルス」、「ロスアンゼルス」
- Mary
- 「メアリー」、「メリー」、「マリー」
特に最近広まった外来語の場合にはこの傾向が甚だしい。
- Halloween
- 「ハロイン」、「ハロウィン」、「ハロイーン」、 「ハロウィーン」、「ハーロイン」、「ハーロウィン」、「ハローイーン」、「ハローウィーン」、「ハーロイーン」、「ハーロウィーン」、「ハーローイン」、「ハーローウィン」、「ハーローウィーン」、「ハーローイーン」、「ハローウイン」、「ハロウイン」、「ハロウイーン」、「ハロウウィーン
- viewer
- 「ビューアー」、「ビューア」、「ビュアー」、「ビュア」、「ビューワー」、「ビューワ」、「ビュワー」、「ビュワ」、「ヴューアー」、「ヴューア」、「ヴュアー」、「ヴューワー」、「ヴューワ」、「ヴュワー」
- signature
- 「シグナチャ」、「シグニチャ」、「シグネチャ」、「シグネイチャ」、「シグナチャー」、「シグニチャー」、「シグネチャー」、「シグネイチャー」、「シグネーチャ」、「シグネーチャ」、「シグナチュア」、「シグニチュア」、「シグネチュア」、「シグネイチュア」、「シグナチュアー」,「シグニチュアー」、「シグネチュアー」
このように日本語には厳密な意味での画一的な正書法が存在せず、今なお個人や組織の自由にまかされている。このような公用語は、少なくともいわゆる先進国には例がない。その結果、日本語のデータをコンピュータで検索したり使用頻度などを分析したりする場合には、分かち書きがないことも加わり、他の言語に比べ非常に煩雑な処理が必要になる。教育の場でもどの表記を教えればよいのかをめぐって意見の相違や混乱が生じる。また日本語の辞書や事典で(特に外来語の)単語を検索する場合、エントリーに記載されている表記と違う表記で検索すると、たらいまわしのように別の表記の再検索を求められる(例「ヴァイオリン→バイオリン」)など、そのエントリーを見つけるのに手間取ることが多く、最悪の場合エントリーを見つけられないことがある。出版社や放送局などでは各社独自に表記のルールを決めていることが多く、ライターや著者は取引先によって異なるルールに従うことを要求されることも多い。欧米の先進国ではフランスのアカデミー・フランセーズやスペインのレアル・アカデミア・エスパニョーラのような組織が正書法を徹底的に規定するのが普通であるが、日本の国語審議会では送りがななどの正書法について議論されることはあるものの、「厳密な意味での正書法は漢字・かなの表記であるかぎり,一定することがきわめて困難なことである。」としている。