欧州連合の拡大

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テンプレート:Lisbon Treaty update

ファイル:EU enlargement plaques Bute Park Cardiff.jpg
EUの拡大を記念するプレート
カーディフビュート・パークにある。上段が1973年のイギリスの加盟、下段が2004年の第5次拡大について記述されている。

テンプレート:欧州連合 欧州連合の拡大(おうしゅうれんごうのかくだい)では、欧州統合の過程において、欧州連合 (EU) の創設からその後の加盟国の増加、現在進行されている加盟協議、将来の拡大の展望とこれらにかかわる事象について概説する。

EUは欧州石炭鉄鋼共同体 (ECSC) の原加盟国である6か国が、1957年にローマ条約を締結したことを起点として創設され、2013年にはその加盟国数が28にまで増えている。これまでの拡大の中では2004年5月1日の拡大は規模として最大であり、新たに10か国が加盟した。直近の拡大は2013年7月1日にクロアチアが加盟したものである。

また EU では現在も複数の国との加盟協議が行われており、拡大の過程はヨーロッパの統合として言及される。しかし、拡大は同時にEU加盟国間の協力の強化を意味し、各国政府はその権限をEUの機構に段階的に集中させていることにもなる。

EUへの加盟のためには、加盟を希望する国は経済や政治に関する条件を満たす必要があり、これは一般的にコペンハーゲン基準としてまとめられている。この基準によると、永続的で民主的な政府、法の支配、自由と政治体制が EU の理念に一致していることが求められている。またマーストリヒト条約では、拡大には既存の加盟各国と欧州議会の同意を得なければならないと定められている。

以前のEU基本条約であるニース条約では欧州連合理事会での議決方式について、加盟国数が27までしか対応できない制度となっている。このため欧州憲法条約では制度の改定を盛り込んでいたが、同条約は批准が断念されている。今後の拡大に備えるためにも新たな基本条約の策定が求められ、2007年12月13日にリスボンジェロニモス修道院において加盟国の代表らによって署名され、2009年12月1日に発効した。

過去の拡大

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拡大の変遷(1957年 - 2013年)
  EC
  EU
ファイル:EU PopDev.png
EUの拡大と人口増加

加盟基準とその実務

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EU加盟国と加盟候補国の人口と1人あたりGDP

1989年、ECのPhare Programmeが策定された。これは潜在的加盟候補国に対する財政支援を実施することで、その国の経済の成長と改革を達成させることを目的としている。EU入りのためには、加盟希望国は1993年の欧州理事会で定められたコペンハーゲン基準を満たさなければならない。同基準では以下のように定めがある。

  • 民主主義法の支配人権マイノリティの尊重と保護を確保する安定した体制を有していること
  • 連合内における経済的な競争力と市場原理に耐えうる能力を有していることに加え、市場経済が機能していること
  • 政治同盟、経済同盟、通貨同盟としての目的を遵守するなどの、加盟国としての義務を負うことができること

1995年12月、マドリード欧州理事会において加盟基準が改定され、加盟国の政治体制が統合に適応しているというものが加えられた。つまりEC法が国内の法制において尊重されているということは重要であり、行政府および司法府において適切に執行・適用されるということが欠かせないのである。

加盟準備の進展状況を評定するために、欧州委員会は欧州理事会に対して定期報告書を提出している。この報告書に基づいて欧州理事会は加盟協議や別の加盟候補国に関する決定を下す。1993年以降、欧州委員会は毎年定期報告書を提出してきており、このなかには2004年以降に加盟した中東欧の国々や、キプロス、マルタ、トルコもその対象に含まれている。

新規加盟国

クロアチア

ファイル:Croatia EU flags.jpg
クロアチア国旗と欧州旗
ザグレブの外務省ビルで掲揚されている

クロアチアは2003年にEUに対して加盟希望を申請し、欧州委員会は2004年の初頭にクロアチアを正式な加盟候補とすることを勧告した。2004年半ば、欧州理事会はクロアチアを正式な加盟候補国とすることを決め、加盟協議の開始時期について、当初2005年初めとしていたが、同年10月に先送りされた。2005年10月3日に加盟協議が開始され、2006年10月18日にはクロアチアに対する33章にわたるアキ・コミュノテール("Acquis communautaire" EU法の総体系)を受け入れる体制が整っているかについての審査手続きが完了した。

ユーゴスラヴィア崩壊後の復興状況についてクロアチアはスロベニアに続いて良好とされ、また旧ユーゴスラビア構成国として、やはりスロベニアに続いて2番目にEUに加盟することを希望していた。クロアチアは安定した市場経済を持ち、また2007年に加盟したブルガリアやルーマニアよりも高い統計指標が示されていた。

2005年末、EUの高官はクロアチアの加盟について、2010年から2012年の間になるという見通しを示し、また2006年10月に欧州委員会拡大担当委員のオッリ・レーンは、クロアチアが法制度や経済を厳格・断固とした意思でもって改革を成し遂げることができれば、2010年ごろには加盟に向けた見通しが開けるだろう、と述べた[2]

一方でEUはブルガリアとルーマニア以降の新規加盟国の受け入れ態勢を整えるための内部問題を検討する必要があり、それは現行のニース条約では加盟国数が27までしか想定されていないというものであった。欧州憲法条約では解決策が規定されていたが、フランスとオランダでの国民投票で批准が拒否され、新たな策が求められていた。改革条約(リスボン条約)ではその問題が解決されており、新規加盟の障害が解消されている。同条約は2009年12月1日に発効した。

アキ・コミュノテールのすべての章の受け入れが完了するのは2008年か2009年になると予想され、その翌年には加盟条約の調印となる見込みであった。クロアチアとの加盟協議にさいして、アキ・コミュノテールは従来の31章から35章に増えており、新たに追加された項目は、かつて農業政策の分野に分類されていたものが細分化され、これらの分野はほかの加盟希望国に対して難しいものとなっていた。

2011年6月、クロアチアとEUとの加盟交渉は終了した。2012年1月22日には国民投票でEU加盟が承認され、2013年7月1日には、クロアチアが28番目の加盟国となった[3]

加盟候補国

ファイル:EU28-states with applications.svg
  既存の加盟国
  加盟候補国
  加盟を申請した国
  加盟が国民投票で拒否された国
  国民投票により加盟協議が凍結された国
  欧州理事会により加盟を拒否された国

トルコ

ファイル:Marshall Plan poster.JPG
マーシャル・プラン推進のために作成されたポスター
ヨーロッパ諸国のほかにトルコ国旗も含まれている。

EUとの関連におけるトルコの立場は近年重要性を持つようになり、また多くの議論が起こっている。

トルコはEUと協調関係にあり、1963年にはEUの前身であるEECとトルコとの間で連合協定(アンカラ協定)が調印されている。トルコは1987年4月14日に正式な加盟国となることを申請していたが、正式な加盟候補国として承認されるのは、申請から12年後となる1999年のヘルシンキ欧州理事会においてであった。2004年12月17日にブリュッセルにおいて欧州理事会が開かれ、トルコに対する加盟協議を2005年10月3日に開始するということが発表された。その後2005年10月20日に開始された審査手続きは2006年10月18日に完了している。

アメリカ中央情報局 (CIA) によるとトルコは先進国に分類されており[4]欧州評議会加盟国の中でも7番目に経済規模が大きく、また1996年のEUとは関税同盟を創設している。トルコは1949年から欧州評議会の加盟国であり、1961年の経済協力開発機構 (OECD) 発足時の原加盟国でもある。また1973年の欧州安全保障協力機構の設立時からの加盟国であり、さらには1992年以降は西欧同盟の準加盟国となっている。トルコはまた1999年の G20 主要工業国発足当初のメンバーであり、EUと密接な関係を持っている。

トルコの加盟に反対する立場の主張にはさまざまなものがある。その多いものとしては、トルコの現在・過去の政権は民族的少数、とくにクルド人や非スンニ派のような宗教的少数、政治的反体制派やケマリズム批判論者に対して差別を行っており、またトルコの政治において軍隊が大きな役割を持っているということから、重要原則である自由民主主義を尊重していないというのである。EUではトルコにおける民族主義の昂揚や、このことが加盟手続きへの悪影響になりかねないという懸念が示されており、一部では巨大なイスラム教国が加盟するということに反対をするものもいる。またトルコは一般的な地理上の定義におけるヨーロッパにわずかしか領土がないということを主張するものもいる。しかしこれについては、その領土にはトルコの経済・文化の中心地で国内最大都市であるイスタンブールがあり、またEUの既存の加盟国であるキプロスはアナトリア半島の南にあって地理的にはアナトリアの大陸棚上に位置している。

このほかにもトルコはキプロス島の北部3分の1を、4万人の駐留軍を配置させて占領し続けており、国際連合の仲介のもとでキプロス紛争が解決されるまでキプロス共和国の承認を拒否しているという懸念もある。過去を振り返ると、国際連合安全保障理事会は1983年10月18日の決議541において、北キプロスの占領は国際法上無効であると宣言し、トルコ軍の撤退を要求している[5]。EUとトルコは国連のアナン・プランEnglish版を積極的に支持していたが、トルコ系キプロス住民はこれを受け入れた一方で、ギリシャ系キプロス住民は2004年に個別に実施された住民投票で拒否している。

また、トルコのEU加盟に関してクルド人問題、キプロス問題と共に焦点となっているのはアルメニア人虐殺問題である。トルコ政府はアルメニア人虐殺を正式に認めておらず、国内に50万人規模のアルメニア系住民を抱えているフランス等のEU加盟国が、トルコ政府の責任を追及している。2011年、フランス与党の国民運動連合は、旧オスマン帝国によるアルメニア人虐殺を公の場で否定すれば禁錮・罰金刑を科すという趣旨の法案を下院に提出。これにトルコ政府が反発し法案の取り下げを迫ったものの、12月に法案が可決され、トルコ・フランス両国間での経済・軍事・政治的な協議が打ち切られた。同年11月、イギリスを公式訪問したアブドゥラー・ギュル大統領は、トルコのEU加盟交渉に進展がないことに対し「このままではEU加盟に関する国民の支持が得られなくなる可能性がある。」と語った。2012年2月28日、フランス憲法会議は、表現の自由などに抵触するものとし、この法案を「違憲」と判断した。これによりトルコ・フランス両国の関係は改善に向かったが、ニコラ・サルコジ仏大統領はこの決議に反発し、政府に同趣旨の法案を作成する指示を出した。しかし、この一連のサルコジ大統領の対応は、4月の大統領選に向け、アルメニア系住人票を目当てとした選挙対策であるという批判もあがっている。

トルコ加盟賛成論には、加盟によってトルコの民主政が改善されることや、EUの経済がトルコというOECDやG 20のメンバーが加わることで強化され、またEUの軍事力も北大西洋条約機構 (NATO) 第2の兵力を持つ国の加入によって増強されるという期待が含まれている。また賛成の立場のものには、トルコが加盟条件を遵守しているという主張が唱えられている。トルコは加盟に向けた行動をとり始めてもはや40年以上が経過しており、この間トルコでは加入の障害となるような状況を排し、人権の扱いについても大きな改善がなされ、このことからEUもこれ以上は先送りすることができないとの見方もある。

トルコの加入に反対する議論には、過去に繰り返された政治的な危機的状況を指摘するものもある。トルコでは1960年以降で4度の軍事クーデターが起きており、軍が民政に大きく関与していることもあって、加盟基準にある安定的な民主主義について疑問視する見方がある。

マケドニア共和国

ファイル:Macedonian eu flag.jpg
マケドニア国旗と欧州旗
スコピエの政府ビル前で掲揚されている。

マケドニア共和国(EUの公式の表記は「マケドニア・旧ユーゴスラヴィア」)は2004年3月22日に正式な加盟候補国となる希望を表明し、2005年11月9日、欧州委員会もマケドニアを加盟候補国とすることを勧告した。同年12月17日にEU各国首脳はこの勧告に同意し、マケドニアを正式に加盟候補国とすることを決定した。

マケドニアは南に接する既存の加盟国であるギリシャとの間で、「マケドニア」という国名について紛争となっている。このためEUは同国をマケドニア・旧ユーゴスラビア共和国として認証しており、EUとの加盟協議にあたってはこの国名でもってなされることになる。この問題の解決は加盟にあたっては必須条件ではないが、ギリシャとキプロスが再三にわたって国名問題が合意に至らなければマケドニアの加盟を拒否すると表明している。

マケドニア国内ではオフリド合意の実施により西部地域のアルバニア系住民に大幅な自治権が与えられ、民族間緊張が存在するも平和状態が維持されている。セルビアとは異なり、マケドニアは全土にわたって主権が保たれている。

2005年12月17日、欧州理事会はマケドニアがさまざまな次元における改革や合意事項(コペンハーゲン基準、安定化・連合プロセス、オフリド合意)の履行を成し遂げたことを歓迎、祝福し、この継続を支援することにした。さらにマケドニアの加盟に向けた具体的な段階(加盟協議の開始など)について、EUの一般拡大政策において協議がなされることになった。欧州理事会はまたEUの受け入れ態勢を検討することになるとの考えも示している[6]

2017年に発足したゾラン・ザエフ政権は、ギリシャとの呼称問題解決に向けて積極的に働きかけ、2018年6月12日にマケドニアは国名を北マケドニア共和国とすることでギリシャとの政府間合意が成立[7]、同月17日には両国が合意文書に署名した[8]。最終的な国名変更には両国議会の承認とマケドニアの憲法改正が必要で、マケドニアは2018年9月30日に国名変更とEU・NATO加盟の賛否を問う国民投票を実施する予定である[9]

2018年4月17日、欧州委員会はマケドニアとアルバニアに加盟交渉を勧告したが、同年6月26日に両国の加盟交渉開始を少なくとも1年先送りにした。ドイツなどEU加盟国の多くは加盟交渉開始を支持していたが、フランスとオランダが内政改革を要求し、28カ国の欧州担当相は加盟交渉に向けた道筋を2019年6月に設定することで合意した[10]

モンテネグロ

2006年5月21日、モンテネグロはセルビア・モンテネグロからの分離の是非を問う住民投票が実施され、この結果を受けて同国は独立国となった。モンテネグロの独立が同国自体にどのような影響がもたらされるかは不明であったが、EUとの協議により安定化・連合プロセス協定が速やかに実施され、EUへの加盟はセルビアよりも早い時期になされると考えられている。

しかしモンテネグロはEU加盟にむけた努力の障害となる環境、司法、犯罪関連の諸問題に悩まされている。モンテネグロではかつてドイツ・マルクが使用されていたが、1999年に創設されたユーロを同年から自国の通貨として独自に導入している。安定化・連合プロセス協定に関する協議は2006年9月に開始され[11]、2007年3月15日の仮署名を経て同年10月15日に正式署名されている。

2008年12月15日にEUに加盟を申請した。連合・安定化プロセス協定は2010年5月1日に発効された。2010年12月18日に欧州首脳会談において、加盟国候補に承認された。

2011年10月12日、モンテネグロとEUとの本格的な加盟交渉が勧告[12]。翌年の6月、EU首脳会議で加盟交渉開始が合意された[12]。2018年2月6日、欧州委員会はモンテネグロとセルビアの加盟を早ければ2025年とする目標を打ち出した[13]

2018年6月現在、33分野あるうちの31分野で交渉を開始しており、そのうちの3分野の交渉は暫定的に終了している[14]ことから、加盟候補国5か国のなかで最も交渉が進展している国といえる。

セルビア

セルビアは南部地域の貧困や国内の広範囲における紛争のほか、コソボにおける民族間の緊張を抱えている。セルビアでは2000年に、当時はセルビア・モンテネグロを構成する国であったが改革が着手され、2005年11月には安定化・連合プロセス協議が開始された。

独立当初、戦犯容疑者であるラトコ・ムラディッチが逮捕されていないという事実はEU加盟協議において障害となっていた。2006年5月3日、EUはムラディッチの逮捕がなされていないとしてセルビアとの安定化・連合プロセス協議を停止した。これによりセルビアのEU加盟に関する過程や国内の改革に大幅な遅れが生じることになった。

2006年7月、ムラディッチ逮捕に向けた行動計画がセルビア政府によりまとめられた。これはムラディッチの居場所を特定し、司法の裁きにかけることが目標とされているのと、同時にEUとの関係改善を狙ったものとされた。この問題の解決次第ではあるが、安定化・連合プロセス協議は2007年中にまとまると見込まれた[15]。さらに2007年6月13日にはセルビアとEUとの間で公式協議がなされた[16]

2007年11月7日、セルビアはEUと安定化・連合プロセス協定の最終草案に合意、仮署名し、2008年4月29日に正式署名された。これはセルビアのEU加盟協議に向けた大きな前進であり、また戦争犯罪主任検事カルラ・デル・ポンテの助言をうけて行われたもので、この助言ではEUに対し、セルビアはあらゆる公式文書への署名を行うことよりもムラディッチをハーグに立たせなければならないが、国際法廷の求めに適切に対応してきたと述べた[17]。2009年12月22日にEUに加盟を申請した。

2011年5月26日、セルビア政府はボスニア・ヘルツェゴビナ内戦の大物戦犯であるラトコ・ムラディッチを拘束した。また、同年7月20日、同じく戦犯として起訴されていたゴラン・ハジッチの拘束を発表した。旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷が起訴した戦犯46人全ての引き渡しと、コソボとの政治対話、政治・司法改革らが評価され、2011年10月12日、欧州委員会は、セルビアに正式なEU加盟候補国としての地位を与えるように提言した。2008年にセルビアから一方的に独立を宣言したコソボとの関係改善および政治対話の進展が加盟交渉開始の条件とされ[12]、それらの条件を満たしたとして2012年3月1日に加盟候補国入りした。2014年1月21日にEUとの加盟交渉を開始した[18]。2018年2月6日、欧州委員会はセルビアとモンテネグロの加盟を早ければ2025年とする目標を打ち出した[13]

2018年6月現在、34分野あるうちの14分野で交渉を開始しており、そのうちの2分野の交渉は暫定的に終了している[14]

アルバニア

アルバニアは公式的に潜在的加盟候補国と認知されていた国の中で、2003年に最初に安定化・連合プロセスの協議を開始した。この協議は合意がまとまり2006年6月12日に文書に署名され、アルバニアは完全にEUに加盟する最初の大きな段階を完了させたことになる。

しかし、アルバニアのEU加盟は国内経済と政治の安定にかかっている。東ヨーロッパ諸国の加盟にあたっての諸段階をうけて、アルバニアはさまざまな分野でEUや北大西洋条約機構 (NATO) に接近し、またバルカンという問題が山積し、分断された地域における西欧同盟の安定要素や強力な同盟国としての地位を維持してきた。EU高官によると、アルバニアとほかのバルカン西部諸国のEU加盟は優先事項とされている。

2009年4月1日に安定化・連合プロセスが発効、2009年4月28日にEUに加盟を申請し、2014年6月27日に加盟候補国の地位を獲得した[19]

2018年4月17日、欧州委員会はアルバニアとマケドニアに加盟交渉を勧告したが、同年6月26日に両国の加盟交渉開始を少なくとも1年先送りにした。ドイツなどEU加盟国の多くは加盟交渉開始を支持していたが、フランスとオランダが内政改革を要求し、28カ国の欧州担当相は加盟交渉に向けた道筋を2019年6月に設定することで合意した[10]

潜在的加盟候補国

ファイル:Balkan topo en.jpg
バルカン半島
潜在的候補国が半島西部に位置している。

EUの西バルカン諸国(ボスニア・ヘルツェゴヴィナコソボ)との関係については「対外関係」政策分野から「拡大」政策分野へと移行した。これら諸国は今のところ加盟候補国とは認知されておらず、「潜在的加盟候補国」という位置づけがされている[20]。このことは安定化・連合プロセスの進展状況によるものである。

ユーゴスラヴィアを構成した各国(ボスニア・ヘルツェゴヴィナ、クロアチア、マケドニア、モンテネグロ、セルビア、スロベニア、コソボ)では、外交政策の目標として欧州統合に参加することを掲げている、そのうちスロベニアは2004年5月1日に、クロアチアは2013年7月1日に、それぞれEUに加盟している。またマケドニア、モンテネグロ、セルビアも加盟候補国として承認されている。

EUは2007年4月13日にアルバニア、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ、モンテネグロ、マケドニアと、同年5月15日にはセルビアとの間で合意文書に調印し、その中でこれら諸国の市民に対する査証制度の簡素化が決定された。調印した欧州委員会委員のフランコ・フラッティーニは、この合意は完全な査証撤廃とEU域内におけるバルカン西部諸国の市民の自由な移動の実現に向けた最初の段階であると述べている。2008年1月には、これら諸国の市民が査証を取得せずに移動できる制度の構築に向けた協議が開始されると見込まれている[21]

2003年、テッサロニキ欧州理事会においてバルカン西部の統合をEU拡大の優先課題とした。さらにルーマニアのママイアにおける会合では加盟基準の達成状況にもよるが、「アルバニア、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ、マケドニア、セルビア・モンテネグロのEU加盟は2010年から2015年の間に実現する」という見通しが示された。この首脳会合には当時既存の加盟国である2か国、その後2007年までに加盟した7か国、将来において加盟が見込まれる8か国(アルバニア、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ、クロアチア、マケドニア、モルドヴァ、モンテネグロ、セルビア、ウクライナ)が出席していたが、EUとしての公式なものとはされておらず、目標時期やそこで示された合意事項は主に加盟候補国・潜在的加盟候補国のEUへの正式加盟を促すことが目的であった。

2005年11月9日、欧州委員会は目下進行中のクロアチア、トルコ、バルカン西部諸国に対する拡大指針についての新たな報告書において、アルバニア、ベラルーシジョージア(旧グルジア)、モルドヴァ、ウクライナの完全な加盟の可能性には障害があるという見方を示した[22]。オッリ・レーンは、EUはその受容能力を過剰に拡大させることはもはや現在の加盟手続きにそぐわないもので回避し、かわりに現行の拡大方針を強固にするべきであると述べている[23]

ボスニア・ヘルツェゴヴィナ

ボスニア・ヘルツェゴヴィナは政治上のほか経済においても多くの問題を抱えている。近年同国は緩やかながらも着実な進展が見られ、ハーグでの旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷に対しても協力的な態度をとっていることもあり、全体としては見通しが明るいといわれている。

安定化・連合プロセス協定に関する協議は2005年に始められ、この協議はEU加盟申請およびその後の協議の前段階とされている。なお協議は2007年末までには終了すると予想されていたが[15]、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ政府はEUの諸原則に適合させる内容での警察機構の改革が間に合わず、協議の終了は早くても2008年末になると見込まれている。この改革の進展の遅れや、強硬的な立場をとるボスニアの政治家の存在もあり、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ上級代表ミロスラフ・ライツァクは同国について、EU加盟よりも国内の生活水準の改善に向けた改革に重点を置くと述べている。

EUはボスニア・ヘルツェゴヴィナ経済について、政治面での問題があることから、加盟の際の審査には通常よりも緩やかな基準を適用するとしている。欧州委員会委員長ロマーノ・プローディは、ボスニア・ヘルツェゴヴィナは国内の改革の進展状況しだいではあるが、クロアチアについで早い時期にEU加盟を実現する可能性があると述べている。

2007年12月4日、前日に警察機構の改革進展の目処が立ったことを受けて、欧州委員会拡大担当委員オッリ・レーンとボスニア・ヘルツェゴヴィナ閣僚評議会議長(首相)ニコラ・シュピリッチとの間で安定化・連合プロセス協定が仮調印され、2008年6月16日に正式に調印された。2016年2月15日に加盟申請を行った[24]

コソボ

ファイル:Kosovo government.jpg
コソボ政府のビル(プリシュティナ
コソボの地位もEU加盟議論に影響すると見られる。

コソボ共和国は現在、国連に加盟している107ヶ国から独立を承認されているが[25]、EU既存加盟国の間ではコソボの国家承認について対応が分かれている。

安保理常任理事国であるイギリスやフランス、ドイツをはじめとしたEU加盟23カ国がコソボの独立を承認しているが、一方で、バスクカタロニアといった国内地域に民族問題を抱えるスペイン、キプロス、スロバキア、ルーマニア、ギリシャの5カ国は独立を承認していない。このためEUによる機関承認は見送られている。現在の加盟候補国の中ではトルコ、マケドニア、モンテネグロ、アルバニアが独立を承認している。

EUは、2003年6月に行われたテッサロニキでのサミットにおいて、コソボ(UNSCR1244)は安定化・連合プロセスの枠組みに固定されていると明確化している。しかし、現在、独立を果たしたコソボとのSAP継続について欧州連合では意見が分かれている。

コソボはセルビアのEU加盟に対しても大きな妨げとなっている。セルビアはコソボの独立を認めない姿勢を示しているが、EUはコソボとの和解を加盟の条件の一つにしている。2010年7月22日、国際司法裁判所 (ICJ) がコソボのセルビアからの独立宣言を国際法違反にあたらないと判断したが、これに対しセルビアは同年7月26日、コソボの独立反対の政府決議を可決している。コソボは国連安全保障理事会で拒否権を持つロシア、中国の反対により、国際連合の安全保障理事会での承認は困難となっている。ロシアはコソボの独立をセルビア政府の合意なしには承認しないという意向を示している。

2011年3月8日と9日の二日間、EUの仲介により、EU本部があるベルギーブリュッセルにおいて、コソボの独立宣言以降初となる両国間での対立を解消する為の直接対話が行われた。セルビア・コソボ両国は共にEUへの加盟を目指しているが、その条件として両国間の対立の解消を迫られている。セルビアのボリス・タディッチ大統領はEU加盟を目指し、コソボをはじめとする欧州諸国との協調路線を打ち出し、歩み寄りの姿勢を示している。

同月9日に訪日したタディッチ大統領は東京都内でNHKの取材に応じ、コソボの独立を承認しない意向は変わらないものの「これまでの解決策はコソボが全てを勝ち取りセルビアが全てを失うという無理のあるものだった。新たな対話の枠組みは真の妥協を見出すスタート地点になるだろう。」と述べ、対話に前向きに取り組む姿勢を示した。また、両国は今後も和解に向けて対話を継続することで合意した。[26]

7月には、セルビア系住人がコソボ北部でバリケードを建築し、KFORと衝突するという事態が起きたが、同年12月7日には撤去された。また、セルビア国境付近におけるアルバニア系住民のデモの勃発等様々な問題が起きたものの、12月2日、セルビア・コソボは両国間全ての検問所で国境の共同管理を段階的に行うことで合意がなされた。2012年2月には、セルビアはコソボ政府が地域の会議に参加することを容認した。これらの関係改善の努力が評価され、セルビアは2012年3月1日に正式なEU加盟候補国としての資格を付与された。

しかし、いまだ両国間での火種は残っている。コソボのセルビア人共同体の事実上の首都となっているミトロヴィツァでは、2012年2月14日・15日両日において、コソボ共和国の独立を承認するか否かの住民投票が行われ、99.74%のセルビア系住人がコソボ政府を認めない意向を示した。

独立当初、コソボは2015年のEU加盟を目標としていた[27]が、2011年12月6日に来日したエンベル・ホジャイ外相は、記者会見でEU域内での出入国審査なし渡航のための交渉が年内にも始まる見通しを示し、「2020年までのEU加盟を実現したい」と述べた[28]

2013年10月28日、EU・コソボ間で安定化・連合プロセスの交渉を開始し、2015年10月27日には安定化・連合プロセス協定に署名。2016年4月1日、EUとの安定化・連合プロセス協定が発効した[29][30][31]

拡大の進展状況

以前は1度に複数の国が加盟することが当然のこととされていた。1度の拡大で1か国だけが加盟したという事例は、1981年のギリシャのとき以来行われていなかった。

しかしながら欧州委員会委員や加盟国の閣僚からは、2004年の第5次拡大は非常に大きな衝撃があり、今後も数か国の加盟時期が重なることが予測されてはいるものの、加盟候補国とはより個別的な対応がなされるべきであるという声が挙がったため、クロアチアは2013年7月1日に単独で加盟した。しかし、その後のアルバニア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、マケドニア、モンテネグロ、セルビア、トルコについては数か国ずつ同時に加盟すると見込まれている。

将来の拡大の時期についてはさまざまな変動要因があるが、以下の表では加盟にいたる手続きが円滑に進められることを前提に、想定されうる最も早い時期を示している。

加盟候補国 潜在的加盟候補国 (参考・近年の加盟国)
過程 トルコの旗
トルコ
マケドニア共和国の旗
マケドニア
モンテネグロの旗
モンテネグロ
セルビアの旗
セルビア
アルバニアの旗
アルバニア
ボスニア・ヘルツェゴビナの旗
ボスニア
コソボの旗
コソボ
チェコの旗
チェコ
ブルガリアの旗
ブルガリア
クロアチアの旗
クロアチア
SAA協議開始1 1959年AA
1970年CU
2000年4月5日 2005年10月10日 2005年10月10日 2003年1月31日 2005年11月25日 2013年10月28日[32] 1990年 1990年 2000年11月24日
SAA署名 1963年9月12日AA
1995年CU
2001年4月9日 2007年10月15日 2008年4月29日 2006年6月12日 2008年6月16日 2015年10月27日[30] 1993年10月4日 1993年3月8日 2001年10月29日
SAA発効 1964年12月1日AA
1995年12月31日CU
2004年4月1日 2010年5月1日 2013年9月1日 2009年4月1日 2015年6月1日[33] 2016年4月1日[31] 1995年2月1日 1995年2月1日 2005年2月1日
加盟申請 1987年4月14日 2004年3月22日 2008年12月15日 2009年12月22日 2009年4月28日 2016年2月15日[24] (tbd) 1996年1月17日 1995年12月14日 2003年2月21日
加盟候補国承認 1999年12月12日 2005年12月17日 2010年12月17日 2012年3月1日 2014年6月27日[19] (tbd) (tbd) 1997年7月15日 1997年7月15日 2004年4月20日
加盟協議勧告 2004年10月6日 2009年10月14日 2011年10月12日 2013年4月22日 (tbd) (tbd) (tbd) 1997年7月15日 1999年10月13日 2004年10月6日
加盟協議設定 2004年12月17日 (tbd) 2012年6月26日 2013年12月17日 (tbd) (tbd) (tbd) 1997年12月12日 1999年12月10日 2004〰2005
加盟協議開始 2005年10月3日 (2019年6月) 2012年6月29日 2014年1月21日 (2019年6月) (tbd) (tbd) 1998年3月31日 2000年2月15日 2005年10月3日
加盟協議終了 (tbd) (tbd) (tbd) (tbd) (tbd) (tbd) (tbd) 2002年12月13日 2004年12月17日 2011年6月30日
加盟条約署名 (tbd) (tbd) (tbd) (tbd) (tbd) (tbd) (tbd) 2003年4月16日 2005年4月25日 2011年12月9日
EU加盟 (tbd) (tbd) (2025年) (2025年) (tbd) (tbd) (tbd) 2004年5月1日 2007年1月1日 2013年7月1日
アキ・コミュノテールの分野
1. 商品の移動の自由 f - o fs - - - x x x
2. 労働力の移動の自由 f - o fs - - - x x x
3. 開業の権利とサービスの自由 f - o fs - - - x x x
4. 資本の移動の自由 o - o fs - - - x x x
5. 官公庁の調達 fs - o o - - - x x x
6. 企業法 o - o o - - - x x x
7. 知的財産権法 o - o o - - - x x x
8. 競争政策 fs - fs fs - - - x x x
9. 金融機関 f - o fs - - - x x x
10. 情報社会・メディア o - o fs - - - x x x
11. 農業・地方開発 f - o fs - - - x x x
12. 食品安全・家畜・植物検疫政策 o - o fs - - - x x x
13. 漁業 f - o o - - - x x x
14. 運輸政策 f - o fs - - - x x x
15. エネルギー f - o fs - - - x x x
16. 税制 o - o fs - - - x x x
17. 経済・金融政策 o - o fs - - - x x x
18. 統計 o - o fs - - - x x x
19. 社会政策・雇用2 fs2 - o fs - - - x x x
20. 企業・産業政策 o - o o - - - x x x
21. 欧州横断ネットワーク o - o fs - - - x x x
22. 地域政策・構造調整 o - o fs - - - x x x
23. 裁判制度・基本権 f - o o - - - x x x
24. 司法・自由・治安 f - o o - - - x x x
25. 科学・研究 x - x x - - - x x x
26. 教育・文化 f - x x - - - x x x
27. 環境 o - fs fs - - - x x x
28. 消費者保護・保健 o - o fs - - - x x x
29. 関税同盟 f - o o - - - x x x
30. 対外関係 f - x o - - - x x x
31. 外交・安全保障・防衛政策 f - o fs - - - x x x
32. 財務統制 o - o o - - - x x x
33. 財務・予算規則 o - o o - - - x x x
34. 公共制度 - - - - - - - x x x
35. その他 - - - o - - - x x x
  1. 連合・安定化プロセス協定 (SAA) はバルカン西部諸国を対象とする。連合協定(AA、貿易や税制などの経済政策に関する包括的な協定)、関税同盟 (CU)、欧州協定(EA、AAと同様の協定)はトルコや参考とした既存加盟国を対象とする。
  2. 男女間の差別や機会均等を含む。
  • s - 審査中の章
  • fs - 審査済みの章
  • o - 交渉を開始した章
  • x - 交渉を終了した章
  • f - 凍結された章
  審査開始時に設定されていなかった章
  既に一般的に適用している章
  とくに問題がないと見られる章
  さらなる取り組みが求められる章
  相当な取り組みが求められる章
  適用が非常に困難である章
  EU法と概して矛盾が存在する章

将来における拡大の可能性

マーストリヒト条約第49条では、EUの理念を尊重するヨーロッパの国は加盟を申請することができるとうたわれており、また1993年6月にはコペンハーゲン欧州理事会においてEU加盟要件であるコペンハーゲン基準が定められている。ある国がヨーロッパの国であるか否かについてはEUの機構における政治的判断によるとされているが、ヨーロッパとアジアの境界付近にある欧州評議会加盟国はすべてEUに加盟することができるとされており、この例として地理上はアジアの国であるが文化的にはヨーロッパとされているキプロスの加盟が挙げられる。

EUの拡大は既存の領域の境界線周辺の諸国を統合する形で進められてきており、近年はバルカン諸国の統合に関心が集まっている。ロンドンシンクタンク、「欧州改革センター」のヘザー・グラッブ東ヨーロッパ地域の諸国について、ベラルーシは独裁制、モルドヴァは貧困、ウクライナはその巨大さ、ロシアは驚異的な存在感のために、EUへの加盟が直ちに検討されることは考えにくいとしている[34]。2004年のウクライナでのオレンジ革命、2003年のグルジアでのバラ革命をうけて両国では広範な改革が開始・実行され、また両国の展望は明るいとの見方がある。またアルメニアもEU加盟に興味を示している。

欧州自由貿易連合諸国

スイス

スイスはかつてEU(当時はEC)と欧州経済領域 (EEA) 協定の協議に参加し、1992年5月2日に合意文書に調印、また同月20日にはEU加盟申請を行っていた。ところが国民投票が同年12月6日に実施され、EEA参加が拒否された。このためスイス政府はEU加盟協議の無期限停止を決定したが、加盟申請自体はなおも有効とされている。非政府組織 "Ano pro Evropu"(Yes for Europeの意)はEU加盟協議の速やかな再開を求めたが、2001年3月4日の国民投票で反対されている。このときEU加盟に賛成の意思を持つ当時連邦参事会は、協議再開の前提条件が整っていないとして国民に対し反対票を投じるよう呼びかけていた。欧州懐疑主義者の間ではスイスの中立性と独立性が失われるということが懸念されている。しかしながらEU加盟は政府の目標として掲げられ、また連邦参事会の長期的目標とされている。そのうえスイス国民もシェンゲン協定への参加については賛成しているため、スイスは2008年中にシェンゲン協定の履行を開始する見込みとなっている。

スイス連邦政府の掲げる政策は近年大幅に転換されてはいるが、人、労働力の移動や租税回避につながる財産の移転に関するEUとの合意事項については、スイスの金融システムにおいて実行されている。これにより2004年5月にスイス・EUの首脳会議が行われ、9項目にわたる合意文書が署名された。欧州委員会委員長ロマーノ・プローディはこの合意について、スイスがヨーロッパに近づいたと表現している。連邦参事会参事ジョゼフ・ダイスもスイスとヨーロッパとの関係について、スイスはヨーロッパの "Centre" にはいないかもしれないが、"Heart" にいるのは間違いなく、両者の関係は新たな時代に突入した、と述べている。[35]

ノルウェー

ファイル:No to EU on Norwegian barn.jpg
ノルウェー国民にはEUに消極的な意見が多いとされている

ノルウェーは人口1人あたりの国内総生産 (GDP) が世界で2番目に高い国であるが、ほかのスカンディナヴィア諸国同様、主権を超国家機関に移譲することには積極的ではなく、またノルウェー政府も領海内の石油、ガス、水産資源の監督権を維持したい考えである。ノルウェーは過去4度にわたってEECやEUへの加盟申請を行っているが、1962年と1967年はフランスがノルウェーの加盟を拒否し、1972年と1994年には国民投票で加盟が反対されている。2004年末、当時のノルウェー首相ヒェル・マグネ・ボンデヴィークは2007年にEU加盟についての議論を再開させることを示唆していたが、2005年のフランスとオランダでの欧州憲法条約批准の是非を問う国民投票の結果をうけて議論再開が頓挫し、また同年10月中旬の議会選挙後に首相に就任したイェンス・ストルテンベルクは自らの政権の下でEU加盟に向けた新たな動きはないと述べている。

ノルウェーのEU加盟に関する大きな問題となっているのが水産資源の扱いであり、水産資源はノルウェー経済の重要な位置を占め、もしノルウェーがEUに加盟するとこれらはEUの共通漁業政策の管理におかれることになる。ノルウェーは人口1人あたりの国民総生産 (GNP) が高いうえ、農業は盛んではなく発展途上分野というものが少ないため、EUに加盟して莫大な財政負担を拠出してもその見返りは少ないとされている[注釈 1]。しかしながらノルウェー国際問題研究所の報告によると、ノルウェーはEUに加盟していないということで毎年1億8000万ユーロが無駄な経費として使われているとされている。とくに遠洋漁業関係者はノルウェーがEUに加盟することで、EUの共同市場に入るさいにかかる経費がなくなることで利益を得ることができ、またEUの領海において操業することができるとされているのである。

ノルウェー議会議長トルビョルン・ヤーグランは、ノルウェーとアイスランドはEUとの加盟協議の開始に先立って協同戦略を立てるべきであると提唱し、アイスランド側も賛成の意を表明している。

またノルウェーはEEA、シェンゲン協定に参加し、このほかの分野でもさまざまな条約や協定の下でEUの利益を享受することができ、さらに西欧同盟の準加盟国、NATO加盟国でもある[36]

アイスランド

アイスランドは、EUとはEEAを通して一定の関係を構築している。またアイスランドはシェンゲン協定にも参加し、EUには加盟しないもののユーロの導入に関心を示している。

ノルウェーと同様、アイスランドは領海における水産資源の管理権を失うことを恐れており、これがアイスランドにEU加盟を消極的にさせている唯一最大の問題である。この両国の事情は共通したもので、またアイスランドが北欧理事会諸国の中で単独でEUに加盟していない状況を継続させるのは簡単ではないということもあって、アイスランドとノルウェーはEUに加盟するとしたら同時になるという見方が一般的になされていた。アイスランド政府では委員会を設置し、EUに加盟した場合の漁業権確保の方法を検討している。

当時、EU加盟の申請は中道右派政権の方針となっておらず、また社会民主同盟は議論することには賛成の立場をとっているものの、各政党もEUへの加盟について明確な賛成の態度を示していなかった。左翼環境運動は加盟に強く反対しており、また連立与党の1つである保守系の独立党も加盟反対であり、当時の党首であるダビッド・オッドソンは2005年1月の演説で、近い将来におけるEUの発展次第で政策変更がなされることはないとしていた。

進歩党の元首相ハルドール・アウスグリムソンはアイスランドが2015年までにEUに加盟するという見通しを示しており、またその決定要因となるのはユーロ圏の将来とその規模であると述べた。しかしアウスグリムソンは右派が勢力を強めている政治状況では加盟を決める余地はないともしていた。

現与党独立党は、EU加盟に強く反対していたが、閣僚らは2008年、世界的な金融危機によりアイスランド・クローナが暴落するなどアイスランドも経済危機に直面していることを受け、あらゆる手段を視野に入れなければならない状況だとして、大規模な欧州中央銀行の後ろ盾を得るべくEU加盟の上でユーロを導入する事も有り得ると発言した。

2009年7月23日、アイスランドはEUに対し、正式に加盟申請を行ったが2013年にEU加盟に懐疑的な政権が発足し2015年3月12日アイスランドは漁業などの懸念から交渉を打ち切った[37]

リヒテンシュタイン

リヒテンシュタインはノルウェーやアイスランド同様、EEAに参加している。リヒテンシュタインの加盟はスイスの加盟が前提となると考えられており、仮にリヒテンシュタインがEUに加盟すると最小の加盟国となり、欧州議会議員選挙制度や欧州連合理事会での特定多数決制度の大幅な改定が必要となる。

東方パートナーシップ諸国

ファイル:SovietUnionPhysical.jpg
ソヴィエト連邦
崩壊後の旧構成国は親欧米か親ロシアかで揺れている。

ソヴィエト連邦を構成していた諸国のうち、バルト三国エストニアラトビアリトアニア)は2004年5月1日に揃ってEU加入を果たしている。ここでは、それ以外の諸国のEU加入への動きについて述べる。

ソヴィエト連邦の解体以後、東ヨーロッパ南コーカサス旧構成国は、EU拡大の潜在的な候補国と目されてきた。

EUは、アルメニアアゼルバイジャンジョージア(グルジア)モルドバウクライナベラルーシの6か国との間に、連合協定である東方パートナーシップ (EaP) を結んでいる。これら諸国は、ジョージアを除きロシアと密接な関係を持っており、加盟候補国となるにはヨーロッパ諸国との関係を強める必要がある。しかし長期的にはこれら諸国のEU加盟はないと考えられていた。その理由としてEUが拡大の対象として焦点を当てていたのがバルカン諸国トルコである為だった。

2004年5月のママイアでの首脳会談において、東ヨーロッパへの拡大は可能であることは明らかであることが示され、ウクライナとモルドバは加盟への関心を持っているが、ベラルーシは現段階においてはその意思はないとされた。

ジョージア、アルメニア、アゼルバイジャンの南コーカサス3か国は1990年代、国内情勢が非常に不安定であったが、近年は地域の将来に対して希望的な感触が得られるようになってきている。これら3か国の加盟については欧州理事会が3ヶ国をヨーロッパと認定するか否かの政治的な判断次第となる。しかしこの3か国はキプロスと同様の判断がなされ、欧州評議会の正式な加盟国として参加している。ベニータ・フェレロ=ヴァルトナーは欧州委員会対外関係担当委員として南コーカサス3か国を初めて公式訪問する直前に、3ヶ国への拡大について尋ねられればその可能性を排除しないと述べている。

南コーカサス3ヶ国が加盟に向けた行動をとる時期については不透明であるが、この3か国は欧州近隣政策の対象であり、ときに「拡大ヨーロッパ」と言及されることがある。南コーカサス3ヶ国とEUの領域の間にはロシアとトルコがあるため、この3ヶ国が加盟するのはトルコの加盟が実現してからとなると見られている。

2012年、ウクライナとは、加盟交渉に向けた連合協定(AA)の最終段階に入っており、また、EU加盟を目指すモルドヴァ、ジョージア2国とも、連合協定に向けた包括的自由貿易協定(DCFTA)を開始している。また、アルメニアとも交渉予定となっている。

ウクライナ

ファイル:Morning first day of Orange Revolution.jpg
オレンジ革命 (2004年11月22日、キエフにて)
大統領選開票結果発表の直後に抗議デモが開始された。

ウクライナの多くの政党はEU加盟やヨーロッパとの関係強化を唱えているが、EUでは一部でこのウクライナの動きに懐疑的であった。2002年、欧州委員会拡大担当委員ギュンター・フェアホイゲンはウクライナに関して、「ヨーロッパの展望」において10年から20年以内に同国の加盟は必ずしも含まれていないが、その可能性がないということでもないと述べた。

EU3機関首脳とウクライナ首脳会談が第5次拡大直前の2004年4月に開かれ、ウクライナのEUへの統合について、当時のウクライナの市場経済の状況では不可能だとしていた。ただしこの会談はオレンジ革命前のことであった。当面ウクライナは歴史的に結びつきの強いポーランドを介してEUとの関係を築いていくことになった。

2004年末のオレンジ革命により、ヨーロッパのウクライナに対する展望は改善された。野党指導者ヴィクトル・ユシチェンコはEUとの関係強固をほのめかし、そのうえで市場経済国としてのウクライナの地位向上、世界貿易機関 (WTO) 加盟、EUとの関係を築き、最終的には加盟にいたるという4つの計画を表明した。同様にウクライナ政府はEUに対して加盟に向けたはっきりとした見通しを示すよう求め、そのさい承認を受けた行動計画では、ウクライナ・EU関係については2004年のウクライナ大統領選挙前の水準までしか反映していないとしていた。

2005年1月13日、欧州議会は賛成467、反対19でEU加盟の可能性に関してウクライナとの密接な結びつきを築く内容の動議を可決した。加盟協議の開始に至るまでの前途は長いものではあるが、欧州委員会は将来のウクライナの加盟の可能性を排除しないと表明するのにとどめた。ユシチェンコは欧州委員会の冷淡な雰囲気に対して、近い将来にウクライナはEU加盟申請を行い、EUへの統合を確かなものにし、現状不可能であるならばそれを可能にするために独立国家共同体 (CIS) との関係を見直すと表明した。

EU加盟国首脳の一部にはウクライナに対する密接な経済連携への強い支持を表明しているが、ウクライナの努力に対する直接的な支持については保留した。2005年3月21日、ポーランド外相アダム・ダニエル・ロットフェルドは、ポーランドはさまざまな面でウクライナのEUとの統合、市場経済国としての地位の獲得、WTOへの加盟希望を促していくと述べてたうえで、現時点では協調して着実な段階を踏んで話し合っていくべきであって、欧州統合についての無駄な議論はしないともした。その3日後にはフランスの調査会社によるEUでも規模の大きい6か国での世論調査の結果が示され、その中でヨーロッパの世論は、現時点で加盟候補国となっていない国の中で将来EUに加わるのが望ましいのはウクライナであるとしている。

2005年10月に欧州委員会委員長ジョゼ・マヌエル・ドゥラン・バローゾは、将来のウクライナはEUに含まれていると述べている。ところが2005年11月9日に欧州委員会は新たな拡大戦略をまとめた文書において、クロアチア以外の旧ユーゴスラヴィア諸国とアルバニアが対象となっている従来の拡大方針は、ウクライナ、アルメニア、ベラルーシ、グルジア、モルドヴァの将来の加盟の可能性の妨げとなっているとした。オッリ・レーンは現行の拡大方針の内容が非常に重いものであるためこれ以上の対象の拡張は避けるべきだとした。

2008年2月、EUとウクライナは自由貿易協定(FTA)交渉を開始し、同年9月、この交渉は、EU加盟に向けての連合協定(AA)へと切り替えられた。当時大統領であったヴィクトル・ユシチェンコは、早期のEU加盟を目指しており、交渉は順調に進められていた。

2010年3月2日、ブリュッセルでEUとの共同会見を行ったヴィクトル・ヤヌコーヴィチ第4代大統領は、親ロシア派とされているもののEU加盟については親欧米派であったユシチェンコ前政権と変わりはないことを訴え、ウクライナはNATOに加盟する方針はないものの、「ウクライナにとっては欧州統合が主要優先課題であり、これはまた我々が行おうとしている社会・経済改革戦略にとっての重要な要素でもある」「(同国の優先課題について)EUへの加盟、ロシアとの建設的関係の樹立、それに米国など戦略的パートナーとの友好的関係の構築だ」と述べ、EU加盟を目標としEUとロシアの間の懸け橋となることを目指す方針を示した。

同会見でEUとウクライナは、エネルギー政策とウクライナ国民のビザなしEU訪問の問題について会議し、バローゾ欧州委員長は、EU・ウクライナの連合協定は1年以内に結ばれる可能性があり、これによりウクライナの輸出業者は人口5億のEU市場に自由に参入出来ることになり貿易額は倍増する可能性があると述べた[38]。また同大統領は2011年1月18日来日し、同月20日に京都大学で講演した際「ウクライナの目標は欧州連合 (EU) 加盟だ」とかわらず強調した[39]

2011年12月21日、ウクライナとEUは連合協定の締結協議を終了したものの、ヘルマン・ファンロンパイEU大統領は協議終了後、連合協定の調印を先送りすることを表明した。同年8月5日に、ウクライナ野党指導者であるユーリア・ティモシェンコ前首相が刑事起訴・拘束されたことに対し、一部のEU諸国がヤヌコーヴィチ大統領の政敵排除と民主主義後退の象徴と見なし懸念を示しており、ウクライナ国内においても野党勢力から、政治弾圧との抗議や勢力結集に構える動きがみられた[40]

これに伴い、ファンロンパイ大統領は、連合協定の調印は身柄を拘束されているティモシェンコ前首相の処遇次第であるという意向を示し、これにより、連合協定の締結協議は暗礁に乗り上げ、先送りされることとなった[41]欧州委員会ステファン・フューレEU拡大担当委員は、「ウクライナのEU準加盟国入りと連合協定締結の可能性は排除しない。」と述べ、同時に、連合協定が正式に調印されるにはティモシェンコ前首相の釈放および政治環境の整備が必要不可欠であるとの意を表明した[42]

2012年3月30日、ブリュッセルにおいて、連合協定の仮調印が行われた[43]。2017年3月30日オランダが承認し全面発行となった[44]

モルドバ

モルドバ政府はEUへの加盟希望を表明している。モルドバとEUは、1994年にパートナーシップ協力協定(PCA)を締結し、1998年に同協定は発行された。

2001年共産党が政権を担った後も、EU加盟を目指す姿勢は変わらず、2005年には外交政策を再びヨーロッパに向けたものとし、国営企業民営化や、EU加盟を目指した国内改革や基盤整備が進められた。2005年10月6日、EUは首都キシナウに常設代表部を開設した。2008年10月には、欧州連合理事会において協定交渉を開始する準備があることの確認がなされ、2009年6月には欧州委員会が連合協定の交渉権限付与を決定したものの、状況はあまり進展していなかった。

2009年9月25日、非共産党系の連立政権が発足。新政権は初の訪問先としてブリュッセルを選び、欧州統合路線を明確に打ち出した。以降、欧州統合改革を急速に進め、2010年1月12日、従来のPCAの枠組みを連合協定(AA)に向けた交渉開始へと切り替えた。

これまで8度にわたる連合協定開始に向けた交渉を経て、2011年にEUとモルドバ間で、EU加盟に向けた連合協定の一環となる包括的自由貿易協定(DCFTA)の交渉開始ならびに、EUとの査証免除化交渉締結に向けた交渉が開始された。2012年2月27日、カレル・デフフトEU通商担当委員は、モルドバとジョージアの二国を相次いで訪問し、連合協定に向けた包括的自由貿易協定の交渉を開始した[45]。この協議は2013年の秋には完結が見込まれている。

モルドバにおける大統領選出には議会の5分の3以上の賛成が必要不可欠であり、2009年9月にウラジーミル・ヴォローニン前大統領が辞任して以来、共産党と連立与党の対立により、どの政党も大統領選出に必要な議席の獲得に達することができず、約2年半にわたり大統領不在の状況が続いていたが、2012年3月21日、欧州統合連盟(AEI)から擁立されたニコラエ・ティモフティ候補が新大統領に選出された。同大統領は、EU加盟および欧州統合を目指す意向を表明した[46][47]

2014年7月27日、モルドバはEUとの連合協定を締結しており、モルドバ以前からEUに加盟している全ての締約国による批准も完了された。これにより、2年後の2016年7月1日、EUとモルドバの連合協定が正式に発効されることとなった[48]。 しかし、2016年に行われた同国の大統領選挙において11月13日に当選したイゴル・ドドンが執り行う政策により、その連合協定は近い将来に破棄される可能性を強めている[49][50]

尚、モルドバは国内において、ロシアへの統合を目指し一方的に独立を宣言し、事実上独立状態にある沿ドニエストルを抱えている。EUは、国際的に全く承認されていないこの国家の存在を認めず、米国と共に沿ドニエストル指導部に対し渡航禁止措置を実施していたが、2005年10月から沿ドニエストル和平交渉にオブザーバーとして参加し、11月にはモルドバ・ウクライナ国境監視ミッション(EUBAM)を立ち上げた。また、2006年以降、停止状態にあった公式交渉を2011年9月から「5+2」[注釈 2]として再開した。

一方で、モルドバ南部に位置する、テュルク系少数民族ガガウス人自治区であるガガウジアは、沿ドニエストルと同様に、旧ソ連3ヶ国からなる関税同盟の参加、およびロシア・ユーラシア連合への統合を要求しており、欧州統合路線を強調するモルドバ政府とは外交方針が真っ向から対立している。ガガウジア自治政府は、場合によっては自ら対外政策を選択する用意があることを表明している[51]

ジョージア

ファイル:OP13.JPG
バラ革命 (2003年11月20日、トビリシにて)
野党が議会を占拠し、シェワルナゼを大統領辞任に追い込んだ。

ミヘイル・サアカシュヴィリ政権下では、さまざまな場面でジョージア(グルジア)のEU加盟への希望が積極的に示され、EUやアメリカとの関係を強化してきた一方で、日本や韓国、EU加盟国のフィンランドやバルト三国を含む複数の国に対してロシア語由来とされる(異説あり)外名の「グルジア」使用取りやめの要請を行うなど、ロシアの影響力を排除しようとする動きも見られた(詳細はジョージアの国名を参照)。

独立当初のジョージア国内では分離独立を目指す南オセチアアブハジアとの紛争が続き、このほかアジャリアの分離問題が起こっていたが、2004年5月に自治政府の独裁者アスラン・アバシゼが辞任に追い込まれ、ジョージアはアジャリアの領土保全には成功している。

ジョージアはバラ革命以降、南コーカサス諸国でEU加盟が最も有力視されていたが、領土紛争と政治腐敗が問題として残っていた。ジョージアは未だEU加盟申請を行っていないが、当時サアカシュヴィリは3年以内に加盟申請の準備が整うと述べていた。

2008年に南オセチア紛争が勃発し、同年8月29日にジョージアはロシアと断交。2009年8月にはCISを脱退している。この紛争により、ジョージアの統治が及ばなくなったアブハジアは国連に加盟する6カ国から、南オセチアは5カ国から正式に国家承認され、現在は国連承認を目指し、北キプロスやコソボ同様に事実上独立した状態にある。同じような事例を抱えるセルビアと同様、これら2つの地域との問題が、ジョージアの今後のEU加盟に向けた動きにとって大きな妨げになる可能性がある。

紛争後、ジョージアは、よりEUとの関係強化に乗り出した。EUはジョージアにとって最大の貿易パートナーとなり、またEUはジョージアに対し、刑事司法分野における改革の支援等を行った[52]。2008年から、ジョージアは欧州理事会において、自由貿易協定の交渉開始を締結する準備作業を進めるよう欧州委員会に要請してきた。

2010年7月15日からジョージアとEUは、EU加盟交渉に向けた法的枠組みを定める連合協定の締結に関する協議を開始した。同協議はEUと未加盟国との政治・経済問題に関する相互協力の枠組みを規定するもので、同協定の締結は最終的なEU加盟に繋がる。通常この協議は1〜4年かかるとされている[53]

2011年には、EU・ジョージア間での自由貿易協定(FTA)開始に向けた交渉が締結され、2012年2月28日には、同じくEU加盟を希望しているモルドヴァと共に、大規模で包括的な自由貿易圏創設を目指す協定締結交渉が開始された[45]。2014年7月27日、同国はモルドヴァに並ぶ形でEUとの連合協定を締結させている。

アルメニア

ファイル:Metsamor aerien.jpg
メツァモール原子力発電所
地震発生地域の上に立地しており、EUにおいて安全性が懸念されている。

301年に世界で初めてキリスト教国教と定めた[54] アルメニアは地理的にはその全土が西アジアに位置する。しかしキプロスやグルジアと同様に、アルメニアは歴史的にヨーロッパ社会と深い関わりを持ち、また古くから広範に亘ってアルメニア人が移住していることもあり、文化的にはヨーロッパに属していると見做される。

アルメニア政府高官の中にはEU加盟を唱えるものがおり[55]、近い将来において公式に加盟申請を行うとするものもいる。ところがアルメニア大統領ロベルト・コチャリャンはロシアおよび集団安全保障条約機構との関係を維持し、EUやNATOとは協力関係を持ち続けはするものの参加することはないと述べている[56]

アルメニアの国民2000人を対象とした世論調査ではEU加盟に64%が賛成、11.8%が反対と回答している[57]

アルメニアはナゴルノ・カラバフをめぐって隣国のアゼルバイジャン紛争状態にある。1994年以降は停戦状態にあるものの、両国間の緊張は非常に高いままとなっている。かつて数年間の経済成長率は世界でも有数の高さを記録していたが、現在は低水準となっており長年にわたって慢性的な不景気に陥っている[58]メツァモール原子力発電所は首都エレバンから西に40キロメートルのところにあるが、この周辺は活発な地震地域であり、アルメニアとEUとの協議の議題にあがっている。アルメニアが加盟する機会があるとすれば、それはジョージアが先に加盟してからその可能性が高くなると見られている。

また、トルコが第1次大戦中にアルメニア人を大量虐殺したことに関して現在のトルコ政府は公式に認めない立場を取っており、アルメニアは機会を見つけてはこのようなトルコの態度を弾劾していることから、トルコの加盟後にはアルメニアの加盟に対してトルコが大反対することも予想される。

EUとは、東方パートナーシップに基づき、アルメニアの民主化や政治・経済においての改革支援が進められている。EUの欧州委員会は、ウクライナとの連合協定締結ならびにジョージア・モルドヴァとの連合協定交渉に先立ち、アルメニアともFTA交渉を開始する方針を明らかにした。将来的なEUとの経済統合が目指される。

2017年「包括的かつ強化されたパートナーシップ協定」の交渉が完了[59]

アゼルバイジャン

アゼルバイジャンは国民の多数をシーア派が占めるテュルクの世俗的な国で、同国がEUの潜在的候補国とみなされるにはさまざまな障害を克服する必要がある。アゼルバイジャンは産油国であるため、その豊かさは社会基盤の改善に使われたが、近隣のアルメニアやグルジアに比べると大規模に、かつ技術的にも近代化されているにもかかわらず、その非常に高いGDP成長率による恩恵は社会の低階級層にあまり齎されていない。アゼルバイジャン経済は石油の輸出に支えられ、そのため産業部門は競争力を持たないという構造ができあがってしまい、いわゆるオランダ病に苦しんでいる[60]。また政治腐敗も深刻な問題となっており、近年のアゼルバイジャン大統領選挙について野党は裁判所に無効を訴えており、また自由公正で民主的でないとして国際監視団体からも批判が集まっている。このほかアゼルバイジャンは隣国のアルメニアとナゴルノ・カラバフ帰属問題で紛争となっている。アゼルバイジャンの莫大な軍事費と政府指導部の好戦的な発言はEUにとって警戒するべきものとして捉えられており、EUは地域の緊張緩和を求めている。

このように主な障害がアゼルバイジャンのEU加盟申請の前に立ちはだかっている状況である。アゼルバイジャン自体もEUへの加盟希望を表明していないが、アゼルバイジャンがトルコと同様の困難に直面しており、EUへの加盟に時間がかかっている状況であるとする考え方が多い。

ベラルーシ

EU・ベラルーシ関係は依然として緊張状態にある。

EUはベラルーシ政府に対して、独裁体制と非民主的行動について繰り返し非難し、また制裁措置を課してきていた。アレクサンドル・ルカシェンコ政権でベラルーシはロシアとの政治統合を含まない連邦国家樹立を模索していた(ロシア・ベラルーシ連邦国家創設条約を参照)。

2009年に入ってルカシェンコ政権がEUとの関係強化に乗り出し、当時、EUも民主化の兆候が見られると評価、制裁も解除され、関係が深まっていた。しかし、ロシアがこれに反発し、ベラルーシ産乳製品を輸入禁止にするなど強硬な圧力をかける結果となった。

2011年、中東北アフリカで相次いで発生した大規模反政府運動アラブの春の影響は、ベラルーシにも波及した。2010年12月に4度目の大統領再選を果たしたルカシェンコ大統領に対し、独裁政治における抗議活動として、同国の独立記念日にあたる7月3日に、首都ミンスクの駅前広場において、参加者が拍手をし続けるという「拍手デモ」が行われ[61]、約400人ものデモ参加者らが拘束された。

その後も「拍手デモ」は続き、翌6日には再びミンスクで350人が拘束された[62]。西部のブレストグロドノ、東部モギリョフなどでも続けてデモが行われ、参加者ならびに報道関係者の多くが身柄を拘束されることとなった。

ルカシェンコ大統領は、デモの参加者や報道関係者と共に、野党や大統領選の対立候補者、活動家といった多くの身柄を拘束し、過去にない大規模な取り締まりを行った。また、同国の選挙の不正を告発する記事を書いたアンドレイ・ポチョブト記者に対し、懲役3年の執行猶予付き判決を言い渡し、EUならびに、同記者が活動の拠点としていたポーランドの外務省から強い批判を受けた[63]

こうした強権的なルカシェンコ政権への対抗措置として、キャサリン・アシュトン欧州連合外相は、EUは2012年2月28日から、全EU加盟国の駐ベラルーシ大使を一斉召還したことを発表し[64][65]、今後のビザ発給規制や金融制裁に向けて動き出した[66]。これを受けベラルーシ側も、自国の駐ブリュッセルEU代表部大使を召還し、また、野党指導者ら100人以上の出国を禁じた[67]

ベラルーシは、EUとの関係が悪化している一方、ロシアとの関係強化を進めている。ロシアおよびカザフスタンは、ベラルーシに対する一連の経済制裁の動きを批判する共同声明を発表している[68]。ロシア・カザフスタン・ベラルーシの三国は、2010年以降関税同盟の結成に向けて動き出しており、また、EUに代わる、旧ソ連および旧ソ連と関係の深い国からなるユーラシア連合(EAU)の設立を目指している。

その他の旧ソヴィエト諸国

東方パートナーシップ6か国を除いた旧ソヴィエト諸国では、ロシア自体もまた、その西部の領土が東ヨーロッパに含まれているカザフスタンと同様に加盟の可能性があると見られている。

ロシア

ロシアとEUとの関係強化に賛成を唱えるものは多くいるが、その中にはイタリアの首相を務めたシルヴィオ・ベルルスコーニがいる。2002年5月26日にイタリアのメディアが掲載した記事において、ベルルスコーニはロシアのヨーロッパへの統合の次のステップはEUへの加盟であるとしている[69]。また最近では2005年11月17日にロシアの加盟の見通しに関して、たとえそれが夢であったとしても、それは遠すぎる夢ではないと確信しており、いつの日か実現するものと考えている、と述べている。またこれ以外にもベルルスコーニは同様のコメントを発している[70]

ところが目下のところ、ロシアの近い将来におけるEU加盟の見通しは薄い。情勢の分析によると、ロシアがEU加盟に適切な状況となるのは数十年先のことであるとしている[71]。ドイツの元連邦首相ゲアハルト・シュレーダーもロシアはNATOと、そして近い将来においては経済を考えると実現できないが長期的に見て状況が整えばEUの両方での自らの立場を見出さなければならない、と述べている。ロシア大統領ウラジーミル・プーチンは、2003年の協定で宣言された、経済、教育、科学といったロシアとEUの「4つの共通空間」の設立など、さまざまな次元でEUとの密接な関係を提唱しているが、ロシアのEU加盟は双方にとって利益にならないと発言している[72][73][74]

またEUとロシアとの間では飛地であるカリーニングラード州をめぐって議論となっているほか、ロシア・エストニアの国境条約が批准されていないことも問題となっている。

2011年10月4日、ロシアのプーチン首相は、旧ソ連構成国による統一経済圏「ユーラシア連合」の創設を推進する考えを示した。

カザフスタン

カザフスタンは領土の一部がヨーロッパに含まれているため、欧州評議会は1999年に同国をヨーロッパの国とみなすとの声明を発表しており、欧州評議会への完全な加盟国となる資格があるとしている[75][76]。ところがこのこととEUへの加盟とは切り離されて議論されており、カザフスタンのEU加盟はロシアのそれと強くかかわっているためである。

カザフスタンの外相は欧州近隣政策に関心があると発言しており、また一部の欧州議会議員からも同政策にカザフスタンを対象とすることが議論されている。一方でカザフスタン大統領ヌルスルタン・ナザルバエフはEU加盟の代替案として中央アジア連合を提唱している。

ミニ国家

ヨーロッパにはEUの領域としか接していない、サンマリノバチカンモナコの3つのミニ国家があり、それぞれ独自のユーロ硬貨を鋳造、使用している。またアンドラもEUに囲まれており、やはりユーロを使用しているものの、独自の硬貨は鋳造していない。それぞれの経済はEU加盟国であるそれぞれの隣接国と強くかかわりがあるが、主権国家として存在するためそれぞれ独自の経済法令に従うものであり、それらの法令はEUの基準には準拠していない。

サンマリノ

議会第3党の左派与党人民同盟はEU加盟に賛成の立場をとっているが、議会第1党の野党キリスト教民主党は加盟反対としている[77]

アンドラ

アンドラ政府は当面EUに加盟する必要はないとしている[78]。ところが野党社会民主党は加盟に賛成の立場をとっている。加盟にさいしてそのコストがアンドラにとって不利であり、そもそもEUはミニ国家の加盟を念頭に置いた機構制度を有していない。

バチカン

バチカンはヨーロッパ大陸において独特の政治体制である神政政治を行っており、このためEU加盟資格を持たないとされている。

モナコ

モナコはEU加盟国であるフランスとの特別な関係を有しており、フランスを通じてEUの特定分野の政策を受け入れている[79]。モナコはEUと関税同盟を結んでおり、また付加価値税物品税に関するEUの多くの制度を適用している。さらにシェンゲン協定への参加やユーロを使用しており、貯蓄金利への課税に関するEU指令も適用している。モナコは2004年に欧州評議会に加盟しており[80]、またかつてモナコの多くの閣僚を指名する権利を有していたフランスとの関係を改めている。この動きはモナコがヨーロッパに向けた姿勢へと転換したものと見られている[81]

加盟国の属領

EU加盟国には海外領土自治領などの特別な領域が数多くあり、中にはEUの一部の諸条約の対象外となっていたり、あるいはEU法が部分的にしか適用されていないものもある。そのような属領がEUや条約・法令の規定における地位を変動させることは可能であり、さらにEUに対して離脱や加入といったこともできる。

グリーンランド

デンマーク領のグリーンランドはEUの条約や法令の適用に関してその地位が変動した属領であるという例としてよく挙げられる。1979年にグリーンランドの自治権が認められ、翌年にその効力が発しているが、2度目の住民投票でECからの離脱を決定した。1985年2月1日、グリーンランドは欧州経済共同体 (EEC)、欧州原子力共同体 (Euratom) から離脱した。ただしグリーンランドに居住するデンマーク国籍を有する住民はなおも欧州市民とされているが、欧州議会に対する参政権は有していない。

これまでに幾度かグリーンランドのEU再加入論が浮上してきた。2007年1月4日、デンマークの日刊紙ユランズ・ポステンは、グリーンランドが再びEUに戻ってきても驚くことではなく、EUは北極への窓を必要としており、グリーンランドは巨大な北極の可能性を単独で運営していけないだろうとするグリーンランド担当相トム・ホーイェムの発言を取り上げている。

フェロー諸島

フェロー諸島はデンマークの自治領で、EUの領域には含まれておらず、ローマ条約においてもその旨が明記されている。対EU関係では、漁業協定(1977年)、自由貿易協定(1991年、1998年改定)がある。EUに加わらない理由として、共通漁業政策に対する反対が挙げられる。

一部の政治家、とくに右派同盟党党首のカイ・レオ・ヨハンセンといった同党所属の政治家はフェロー諸島のEU加盟に賛成している。ところが共和党首のヘグニ・ホイダルは、フェロー諸島がEUに加わると、EU内部での存在感が消えてしまうのではないか、EUにおける「はずれのはずれ」(フェロー諸島はデンマークの辺境という位置づけであり、またデンマーク自体もEUでも目立たない国であるという見方がある。そのため、フェロー諸島では独自の通貨を使用し、将来的な独立を模索している)とされないかを懸念し、まずはフェロー諸島とデンマーク間の政治的状況を解決することをフェロー諸島政府に対して求めている。

イギリスの主権基地領域

イギリス本国がEU (EC) に加盟したさいに、キプロス島内にあるイギリスの主権基地領域(アクロティリおよびデケリア)は加盟の対象とされていなかった。キプロスのEU加盟条約においても、キプロスがEUに加盟したところでこれらの基地もEUに加わる事はないと明確に規定されている。しかし現在では、EU法の一部規定、主に国境管理、食品安全、人と商品の自由な移動に関するものについては適用されている。

イギリス王室保護領

イギリスの王室属領チャンネル諸島マン島についてはイギリスのEEC加盟のさいに特別な措置が講じられており、1973年の加盟条約第3付属議定書に規定されている。議定書では、チャンネル諸島とマン島は域内外での関税に関する同盟の対象となっており、両地域の商品がEU領域内に輸出されるときは関税がかからないことが規定されている一方で、そのほかの規定は適用されないとしている。

マルティニーク、グアドループ、フランス領ギアナ、レユニオン

マルティニークグアドループフランス領ギアナレユニオンフランスの海外県であり、同時に海外地域圏でもある。つまりこれらの地域はフランスに対して不可分の領土という関係であり、ハワイ州がアメリカ合衆国に属しているという関係と同様のものである。ローマ条約第299条2項によると、海外県は外部地域とされており、このため一部の特例は認められるものの、ローマ条約の規定が適用されることになる。

ニューカレドニア

ニューカレドニアはフランスにおいて特殊な地位を持ち、フランスの行政区画としては他に例がない特別共同体とされている。EUとの関係では海外領域とされ、EU法が適用されないこととなっている。

1998年のヌメア協定の結果、2014年から2019年までに独立の是非を問う住民投票が実施されることになった。この住民投票ではフランスの特別共同体としてとどまるのか、単独の国家として独立するのかが議論されることになる。またヌメア協定ではニューカレドニア地方政府への段階的な権限委譲も明記されている。

オランダ領アンティル、アルバ

オランダ領アンティルは現在オランダの領土で、EUにおける海外領土としてローマ条約第2付属文書の一覧に記載されている。EUの海外領土はEUの領土とはみなされず、EU法が適用されないことになっている。

オランダ領アンティルは2008年12月15日に解体された。キュラソー島シント・マールテン島をそれぞれ個別の州相当の行政区画とし、ボネール島、サバ島、シント・ユースタティウス島は県相当の行政区画に移行することとなっている。

オランダ政府はこれらの島々についてEUにおける地位の変更について調査を実施している。ローマ条約第2付属文書ではアンティルを海外領域として記載しているが、各島はアゾレス諸島、マデイラ諸島、カナリア諸島、フランスの海外県と同等の地位である外部地域への移行を求めている。欧州委員会委員ダヌータ・ヒューブナーは欧州議会において、わずか3万人の島の地位の変更に多くの問題があるとは想定していなかったと述べている。つまり2008年のアンティルの各島の地位の変更にはローマ条約の修正が必要となるのである[1]

欧州憲法条約ではアルバ、キュラソー島、シント・マールテン島の地位変更について、欧州理事会における全会一致の決定で外部地域に移行することができる規定があった。この規定はリスボン条約(改革条約)に引き継がれている。以下は改革条約(草案)第2条 293) 抄文 [82]

Article 311 shall be replaced by a text combining Article 299(2), first subparagraph, and Article 299(3) to (6); the text shall be amended as follows:

[...]
(e) the following new paragraph shall be inserted at the end of the Article:

"6. The European Council may, on the initiative of the Member State concerned, adopt a decision amending the status, with regard to the Union, of a Danish, French or Netherlands country or territory referred to in paragraphs 1 and 2. The European Council shall act unanimously after consulting the Commission.".

(日本語訳)第311条は、第299条 (2) の第1副段落と第299条の (3) から (6) とあわせて、以下の文章に置き換えて修正する。

(略)
(e) 以下の新たな段落をこの条文の最後に追加する。

「6. 欧州理事会は、関連する加盟国の主導の下で第1段落および第2段落で規定されているデンマーク、フランス、オランダの領土について連合における地位の修正に関する決定を採択することができる。」

北キプロス

ファイル:Nicosia UN buffer zone02.jpg
首都ニコシア市内の分断線
南北キプロスの緩衝地帯とされ国際連合によって管理されている。

法令上キプロス共和国は全島に主権が及ぶ国家であり、そのため全島がEUの領域とされている。したがってトルコ系住民もキプロス共和国の市民であり、EUの市民でもある。このことから2004年の欧州議会議員選挙での参政権が与えられている(ただし実際には数百名程度しか選挙登録されていなかった)。ところがEUのアキ・コミュノテールはキプロス島の北側3分の1では無期限に効力が停止されており、この地域は1974年のトルコ軍進駐以降はキプロス共和国政府の実効統治下にない(北キプロス・トルコ共和国の統治下にある)。ギリシャ系住民側では、2004年4月24日にキプロス紛争の調停案であるアナン・プランを住民投票で拒否している。仮に調停案が受け入れられていれば、イギリス軍基地以外の全島がキプロス連邦共和国 (United Cyprus Republic) としてEUに加盟していたはずであった。

EUとトルコ系住民との関係は欧州委員会の拡大総局が担当している[83]

ヨーロッパ以外の国

マーストリヒト条約第49条において、EUの基本原理を尊重するヨーロッパの国はEUに加盟することができるとうたわれている(ヨーロッパの国であるかどうかは欧州理事会における政治的判断に委ねられる)。したがってヨーロッパではない国へのEU拡大は議論される余地がないが、先例としてモロッコの加盟申請を却下したことや、イスラエルとの緊密な関係についても「正式な加盟国ではないだけ」とし、ヨーロッパの国ではないため完全にEUに加盟することが不可能であることを示している。

ところが一部の非ヨーロッパの国はさまざまな協定での規定により、EUと程度は異なるが統合を進めている。あるいはこれらの諸国ではより広範な地域ブロックや重複的なブロックを形成して統合を進めることもあり、その例としてニコラ・サルコジが提唱する地中海連合や、その規模を限定的とした欧州・地中海自由貿易圏などがある。現在このような協定での開発枠組みには欧州・地中海パートナーシップや欧州近隣政策がある。

モロッコ

モロッコは1987年7月にEU (EEC) への加盟申請を行ったが、同年末に欧州理事会がこれを却下した。その理由としてモロッコはヨーロッパの国ではないと判断したためである。現在では、モロッコには経済発展や西サハラとの国境・領有問題が未解決といった要素があるものの、チュニジアアルジェリアと同様にEUとモロッコとの間でさまざまな分野での協力関係の構築を定めた連合協定が結ばれている。

イスラエル

イスラエルのEU加盟については、イスラエル、EUの両方の一部政治家から賛成する意見が挙がっており、その中にはイスラエル元外相シルバン・シャローム[84]、戦略相アヴィグドール・リーベルマン[85]、イタリア元首相シルヴィオ・ベルルスコーニ[86]などの名前が含まれている。またイタリア出身の欧州議会議員もイスラエル加盟賛成の態度を示している[87]。2004年の世論調査でイスラエル市民の85%が加盟に賛成であるという結果も出ている[88]

イスラエル政府はEU加盟という考えは1つの可能性であるという見解を幾度か示してきているが、EU側は「完全に加盟はしていない」が緊密な協力関係を提唱している。イスラエルのEU加盟計画を妨げているのは中東情勢の不安定と、ヨルダン川西岸地区ガザ地区レバノンとの戦闘であり、ヨーロッパの世論はイスラエルのEU加盟について反対的である。

欧州理事会はイスラエルがヨーロッパの国であるか否かに関して態度を示していないが、地理的にヨーロッパになく欧州評議会にも加わっていないモロッコと同様に、イスラエルのEU加盟の可能性は排除されるという見方が大勢である。しかし、イスラエルは欧州近隣政策を通じてEUと非常に緊密な関係を構築しており、スペイン外相ミゲル・アンヘル・モラティノスは、イスラエルは特権的パートナーであり、EUに加わっていなくとも加盟国と同等の利益を享受することができる、と述べている。2005年1月11日、欧州委員会副委員長・産業担当のグンター・フェアホイゲンはイスラエルとの通貨統合や共同市場の可能性をほのめかしている。

イスラエルがEUに正式に加盟するという議論がなされることがあり、その中でイスラエルはヨーロッパ風の、あるいはヨーロッパ化された文化を持ち、そのため周囲をアラブ地域に囲まれる中で飛び地を形成しているというものがある[89]。またイスラエルの人口1人あたりのGDPも多くのヨーロッパ諸国と同等の水準である。もしイスラエルのEU加盟が認められれば、ほかの地理的にヨーロッパでない国に対して加盟を受け入れる先例となる。

カーボベルデ

カーボベルデは大西洋上の島国で、かつてはポルトガル領であった。2005年3月、ポルトガル元大統領マリオ・ソアレスはカーボベルデと加盟協議を開始するようEUに呼びかけ、その中でカーボベルデはアフリカラテンアメリカとEUとの架け橋の役割を果たすと述べている。

カーボベルデの人口一人当たりGDPは既存加盟国や加盟候補国よりも低く、潜在的加盟候補国のそれよりもやや低い位置にある。カーボベルデの主な貿易相手はEUで、第3次産業主体の経済構造を持っている。また通貨エスクードは対ユーロでペッグ制をとっている。

カーボベルデ列島は地理的にはアフリカに位置するが、そのような地理的な問題については先例があり、キプロスは地理的にアジアに位置する島国だが、欧州評議会やEUに加わっている。そのうえ、カーボベルデ諸島はスペイン領のカナリア諸島やポルトガル領のマデイラ諸島などとマカロネシアを構成している。EUではカーボベルデをヨーロッパの国と政治的に認めてはいないが、モロッコの例とは異なり、正式に加盟拒否も行っていない。

近年カーボベルデはアフリカとの関係で距離を置くようになっており、EUとの関係強化に努めている。西アフリカ地域ブロックとの関係解消につながる動きとして、カーボベルデ政府は2006年9月に西アフリカ諸国経済共同体 (ECOWAS) に対して商品の移動の自由と通商を停止する方針を宣言している。カーボベルデ首相ジョゼ・マリア・ヌヴェスはECOWAS加盟国から市民の入国制限を開始すると発表している。これは近年、カーボベルデや近隣のカナリア諸島を経由地としてEUへわたるアフリカ西部諸国の不法移民の増加を抑えることも目的となっている。

参考文献

『EU(欧州連合)を知るための63章』羽場久美子編、明石書店、2013年。
『EU拡大とフランス政治』クリスチアン・ルケンヌ、中村雅治訳、芦書房、2012年。
『ロシア・拡大EU』羽場久美子・溝端佐登史編、ミネルヴァ書房、2011年。
『拡大するユーロ経済圏』田中素香、日本経済新聞出版社、2007年。
『EU拡大と新しいヨーロッパ』小林浩二編、原書房、2007年。
『ヨーロッパの東方拡大』羽場久美子・小森田秋夫・田中素香編、岩波書店、2006年、2刷。
『国際関係の中の拡大EU』森井裕一編、信山社、2005年。
『拡大ヨーロッパの挑戦―グローバル・パワーとしてのEU』羽場久美子、中公新書、2004年。2014年第2版。
『グローバリゼーションと欧州拡大』神奈川大学評論ブックレット19、お茶の水書房、2002年。
『拡大するヨーロッパー中欧の模索』羽場久美子、岩波書店、1998年。
『拡大EU―東方へ広がるヨーロッパ連合』町田顕、東洋経済新報社、1999年。
『大欧州圏の形成―EUとその拡大』 神奈川大学経済貿易研究叢書、島崎 久弥、1996年。
『統合ヨーロッパの民族問題』講談社現代新書、1994年。

脚注

注釈

  1. EUの財源はいくつかあるがその中に加盟国の拠出金があり、これは各国のGDPの規模でその負担額が決定される。その一方でEUの歳出の6割以上が農業政策分野に使われている。
  2. ロシアモルドヴァウクライナ沿ドニエストルOSCEという従来の枠組みにEUアメリカを加えたもの。

出典

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関連項目

外部リンク