横浜市交通局
横浜市交通局(よこはまし こうつうきょく、英: Transportation Bureau, City of Yokohama)は、神奈川県横浜市の地方公営企業の一つ。横浜市域の公営交通事業である、市営バスと市営地下鉄を運営している。
大正時代から横浜市街で横浜市電を運営していたが、高度経済成長期に発生した道路渋滞による客離れで経営の大幅悪化により全廃となった。その後は現在に至るまでバスと地下鉄(高速鉄道)を主要事業としている。2011年(平成23年)実績の一日平均乗車人員は、バスが約33万人、地下鉄が約60万人[1]と、横浜市の街づくりの基盤として重要な役割を担っている。
経営面では、地方交通で唯一黒字の時期もあったが、地下鉄事業の低迷により2000年頃にかけて再び赤字が拡大した。検討委員会答申に従って再建を進めた結果、2010年度決算にて地下鉄・自動車事業揃って営業損益・経常損益・純損益すべてにおいて黒字を達成[2]するなど、公営交通事業としては比較的黒字基調の運営を続けている[3]。
沿革
- 1921年(大正10年)4月1日 横浜電気鉄道株式会社から620万円で買収した路面電車を、市電として運営するため、前身の横浜市電気局が発足、本局は滝頭に置かれた。
- 1923年(大正12年)9月1日 関東大震災により運休、全線復旧は10月26日。
- 1928年(昭和3年)11月10日 市営バスの運営開始、浅間町に自動車出張所を設立。
- 1935年(昭和10年) 市内遊覧バスの運行を開始
- 1945年(昭和20年)5月29日 横浜大空襲で電車45両、バス53台が焼失する壊滅的被害を受ける。
- 1946年(昭和21年)5月31日 横浜市交通局に改称。
- 1959年(昭和34年)7月16日 市営トロリーバスの営業を開始。
- 1972年(昭和47年)3月31日 路面電車とトロリーバスが全路線廃止。
- 1972年(昭和47年)12月16日 地下鉄が伊勢佐木長者町駅 - 上大岡駅間で開業し、高速鉄道事業が開始。
- 1999年(平成11年)3月31日 貸切観光バス事業を廃止。
- 2006年(平成18年)3月26日 野庭営業所を廃止。
- 2007年(平成19年)3月31日 港北ニュータウン営業所を廃止。
- 2008年(平成20年)2月9日 緑営業所と磯子営業所を横浜交通開発に外部委託。
- 2016年(平成28年)9月30日 市内遊覧バス「横濱ベイサイドライン」の運行を終了。
組織構成
- 局長 交通事業管理者:城 博俊
- 総務部
- 総務課
- 経営企画課
- 監察課
- 職員課
- 能力開発センター
- 営業推進本部
- 事業開発課
- 観光企画課
- 営業企画課
- 高速鉄道本部 - 詳細は横浜市営地下鉄の記事を参照
- 営業課
- 運転課
- 総合司令所
- 駅務管理所
- 上永谷乗務管理所
- 新羽乗務管理所
- 川和乗務管理所
- 自動車本部 - 詳細は横浜市営バスの記事を参照
- 技術管理部
- 施設課
- 車両課
- 建築課
- 電気課
- 上永谷保守管理所
- 新羽保守管理所
- 川和保守管理所
- 建設改良室
- 建設改良課
- 横浜市交通局厚生会
関連団体
はまりん
はまりんは、1998年(平成10年)10月10日に制定された横浜市交通局のマスコットキャラクターである。名前は一般公募より採用され、横浜・浜っ子の「はま」、車輪の「りん」、海の「まりん」が由来とされている。生誕地は神奈川県横浜市、誕生日は1998年10月10日という設定である。
交通局の広報や決算書などのほか、装飾、イベントにて頻繁に使用されており、横浜市交通局協力会が運営するコンビニ店舗や市電保存館(オンラインショッピングサイト含む)にてグッズが販売されている。また、特別装飾の「はまりん号」車両も運用され、利用者の認知度は交通事業者のマスコットキャラクターとしては比較的高いものとなっている。
はまりんフェスタ
市営交通お客様感謝祭として毎年、市営交通の取り組みや仕事が学べるイベント「はまりんフェスタ」が開催される。持ち回りで新羽・上永谷・川和町にある車両基地のいずれか一箇所で行われる。
- はまりんフェスタin新羽2013 - 横浜市交通局
脚注
- ↑ 第9章 道路、運輸及び通信 横浜市統計ポータルサイト
- ↑ 平成22年度決算(速報) 横浜市交通局 予算・決算報告
- ↑ 2016年現在で地方交通で黒字化を達成していたのは、当時公営であった大阪市交通局程度しかなかった。
- ↑ 交通局組織表 横浜市交通局 組織