様似郡
人口4,374人、面積364.3km²、人口密度12人/km²。(2018年3月31日、住民基本台帳人口)
以下の1町を含む。
- 様似町(さまにちょう)
Contents
郡域
1879年(明治12年)に行政区画として発足して以来、郡域は上記1町のまま変更されていない。
歴史
郡発足までの沿革
江戸時代に入ると、松前藩の商場知行制および場所請負制によるシャマニ場所(初期は幌泉場所とあわせて油駒場所とも)が開かれ、様似には北前船が寄航することもあった。
江戸時代初期、1635年(寛永12年)にポロナイ川上流で金鉱が発見され、幕府直轄の東金山金鉱山が大勢の和人を集めていたが、1669年(寛文9年)のシャクシャインの戦いに伴い、東金山金鉱山が閉山を余儀なくされる。
江戸時代中期の1706年(宝永3年)住吉神社の前身の小社が創祀されている。陸上交通は渡島国の箱館から道東や千島国方面に至る道(国道336号の前身)の途上であったが、沿岸部に通行の難所があったため、寛政11年蝦夷地取締御用を命ぜられた大河内善兵衛政寿が中村小市郎、最上徳内らに命じ冬島 - 幌満間に道程3里(12キロ)弱の様似山道を開削、中継地点として「コトニ小休所」も設けられ、その翌年伊能忠敬も通行している。
様似山道が開削された年、様似場所は天領とされ、江戸時代後期に入ると、南部藩によるシャマニ山道修繕が1802年(享和2年)12月から翌3年にかけて行われる。また、様似山道には、後年松浦武四郎なども通行している。1806年(文化3年)幕府により蝦夷三官寺筆頭寺院である等澍院が建立される。慈覚大師円仁や円空がこの地で修業したと伝わり、様似に建立されたという。1821年(文政4年)いったん松前藩領に復すが、1855年(安政2年)再び天領となり、仙台藩が警固をおこなった。1862年(文久2年)、様似山道開削に尽力した斉藤和助をしのび、和助地蔵尊が建立された。戊辰戦争(箱館戦争)終結直後の1869年、大宝律令の国郡里制を踏襲して様似郡が置かれた。
郡発足以降の沿革
- 明治2年
- 明治4年8月20日(1871年10月4日) - 廃藩置県により再び開拓使の管轄となる。
- 明治6年(1873年) - 様似山道の山中に旅籠屋「原田宿」が建てられる
- 明治12年(1879年)7月23日 - 郡区町村編制法の北海道での施行により、行政区画としての様似郡が発足。
- 明治13年(1880年)3月 - 浦河郡外十郡役所(浦河三石様似幌泉広尾当縁十勝中川河西河東上川郡役所)の管轄となる。
- 明治15年(1882年)2月8日 - 廃使置県により札幌県の管轄となる。様似村(戸長役場所在地)、鵜苫村、冬島村、幌満村、岡田村、二七村、簪内村、平鵜村の8村が存在。簪内村・幌満村は幌泉郡幌泉村戸長役場が管轄。
- 明治19年(1886年)1月26日 - 廃県置庁により北海道庁札幌本庁の管轄となる。
- 明治20年(1888年)6月 - 浦河郡外六郡役所(浦河三石様似幌泉沙流新冠静内郡役所)の管轄となる。
- 明治30年( 1897年)11月5日 - 郡役所が廃止され、浦河支庁の管轄となる。
- 明治39年(1906年)4月1日 - 北海道二級町村制の施行により、様似村、鵜苫村、平鵜村、冬島村、二七村、岡田村、幌満村、誓内村の区域をもって様似村(二級村)が発足。(1村)
- 昭和7年(1932年)8月15日 - 浦河支庁が改称して日高支庁となる。
- 昭和18年(1943年)6月1日 - 北海道一・二級町村制が廃止され、北海道で町村制を施行。二級町村は指定町村となる。
- 昭和21年(1946年)10月5日 - 指定町村を廃止。
- 昭和22年(1947年)5月3日 - 地方自治法の施行により北海道日高支庁の管轄となる。
- 昭和27年(1952年)4月1日 - 様似村が町制施行して様似町となる。(1町)
- 平成22年(2010年)4月1日 - 日高支庁が廃止され、日高振興局の管轄となる。
参考文献
- 角川日本地名大辞典 1 北海道