植物
植物(しょくぶつ、羅: plantae)とは、生物区分のひとつ。日常語としての「植物」と生物学としての「植物」はその示す範囲が異なるが、日常語としては、草や木などのように、根があって場所が固定されて生きているような生物のことで、動物と対比させられた生物区分[1]。
それに対し生物学では科学的知見が増えるにつれ、植物という語が指し示す範囲は歴史的に変遷してきた。2012年現在は陸上植物(コケ植物、シダ植物、種子植物)を含む単系統群として植物を定義するが、どの単系統を選ぶかにより複数の定義が並立している。狭い定義では陸上植物のみを植物として認めるが、より広い定義をでは緑色植物全体を植物としたり、紅色植物、灰色植物をも植物に含めたりする(詳細後述)。
一方、二界説ないし五界説のような古い学説では植物とみなされていた菌類(キノコやカビ)、褐藻(ワカメなど)は系統が異なる為、2012年現在は植物とみなされていない。
以上の理由のため、「植物」を分類群としては認めなかったり、別の名前を採用し「植物」はシノニムとする動きもある。分類群としての名称は植物界となる。
Contents
現在の植物の定義
本節では、2012年現在における植物の複数の定義と、それらの定義が提案されるに至った背景を説明する。
背景
かつて「植物」という単語は、広く光合成をする生物一般、すなわち光合成生物全般を指していたが、生物に関する科学的知見が深まるにつれ、この素朴な定義は大きく修正される事になった。その理由は主に3つある。第一の理由として、生物全体が真正細菌、古細菌、真核生物の3つのドメインに分かれる(3ドメイン説)事が分子系統解析によりわかった事が挙げられる。これは真正細菌に属する光合成細菌は真核生物である陸上植物とは異なる系統である事を意味する。したがって陸上植物を含む単系統群として植物を定義するのであれば、植物を真核生物に属するものに限定しなければならない。
第二の理由は真核生物がいくつかのスーパーグループに分類できる事が分子系統解析によりわかった事である。この分類に真核光合成生物を当てはめてみると、下記のように多系統である事がわかる:
スーパーグループ | 具体例 | |
---|---|---|
オピストコンタ | (後生)動物、襟鞭毛虫、菌類 | |
アメーボゾア | 粘菌、アメーバ | |
エクスカバータ | ユーグレノゾア、ディプロモナス類 | |
アーケプラスチダ | 緑色植物、紅色植物、灰色植物 | |
SAR | ストラメノパイル | 不等毛植物(褐藻、珪藻、黄金色藻、 |
アルベオラータ | 渦鞭毛植物、アピコンプレクサ、繊毛虫 | |
リザリア | 放散虫、有孔虫 | |
ハクロビア[注釈 1] | ハプト植物、太陽虫 |
第三の理由は葉緑体の起源がわかった事である。真核光合成生物は、シアノバクテリアに類似した原核生物を真核生物が取り込んだ事により誕生した(一次共生)[6]。そしてこのようにして誕生した真核光合成生物をさらに別の真核生物が取り込むことで新たな真核光合成生物も誕生した(二次共生)[6]。二次共生は生物の歴史で何度も起こった事が知られており[6]、これが真核生物の様々なスーパーグループに光合成生物が属している理由である。それに対し、一次共生が起こり二次共生が起こっていない生物群はスーパーグループのアーケプラスチダと一致する事が知られている[6]。
したがって何を持って植物と呼ぶべきかという問いに対する一つの答えは「アーケプラスチダに属する事」という事になる。2012年現在提案されている植物の定義の多くは、アーケプラスチダもしくはそこに属する単系統部分群である。
なお、アルベオラータやエクスカパーダに属する生物もかつては色素体を持っていて、それを二次的に失ったという仮説を元に、これらの生物を含めた「超植物界」という概念が提唱されているが[7]、2012年現在主流の説にはなっていない。
そこで以下、アーケプラスチダに焦点をあてて、議論を進める。アーケプラスチダの系統樹は以下のようになる:
灰色植物 Glaucophyta | ||
紅色植物 Rhodophyta | ||
緑色植物 Viridi-plantae (クロロフィルbの獲得) |
プラシノ藻綱[注釈 2] | |
緑藻植物 Chlorophyta (フラグモプラスト型細胞分裂、 MLS型鞭毛など) |
緑藻綱 Chlorophyceae | |
トレボウクシア藻綱 Trebouxiophyceae | ||
アオサ藻綱 Ulvophyceae | ||
ストレプト植物 Streptophyta (多細胞化) |
コレオケーテ類 | |
シャジクモ類 Charophyceae | ||
陸上植物 Embryophyta (胞子体の獲得) |
定義
上述の系統樹を踏まえ、2012年現在植物の定義として以下のものが提案されている(広いものから順に記述):
- アーケプラスチダ
- 緑色植物、紅色植物、灰色植物からなる単系統群。葉緑体膜が2重である。シアノバクテリアを細胞内に共生させた生物を共通祖先とする単系統群であるという仮説に基づき、トーマス・キャバリエ=スミスがこの系統を植物と定義した。単に「広義の植物 (Plantae sensu lato)」と言った場合、これを意味することが多い。ただし、より広義の意味と対比させ、「狭義の植物界」と呼ぶこともある。[9][10]
- 緑色植物
- 葉緑体がクロロフィル a/b をもつ事で特徴づけられる単系統群で[11]、葉緑体膜が2重である。単に「狭義の植物 (Plantae sensu stricto)」と言った場合、これを意味することが多い。
- ストレプト植物
- 多細胞化した緑色植物の単系統群。
- 陸上植物
- コケ植物、シダ植物、種子植物からなる単系統群。古くは後生植物ともいい、陸上で進化し、高度な多細胞体制を持つ。この群を植物界とする分類はリン・マーギュリスが唱え、マーギュリスにより改訂された五界説と共に広まった。
分類学以外の用語
植物という語には、現代でもアリストテレスが意図したような「動かない生物が植物」という意味合いがあり、植物状態という表現もある。
動物の中にも植物的な性質を認める、植物性器官、植物極などの語がある。
生物学のうち植物を研究対象とする分野を植物学 (botany) と呼ぶ。これは本来は植物 (plant, Plantae) とは異なる語で、分類学的な植物を意味するものではない。具体的には、陸上植物および全ての藻類を対象とする。植物の学名の命名規約は以前は国際植物命名規約 (International Code of Botanical Nomenclature) であったが、これも正確に訳せば国際「植物学」命名規約で、分類学的な植物ではなく、植物学の対象を指していた。なお、現在は国際藻類・菌類・植物命名規約 (International Code of Nomenclature for algae, fungi, and plants) となって、「植物学」の語はなくなった。
歴史
リンネ以前
アリストテレスは、植物を、代謝と生殖はするが移動せず感覚はないものと定義した。代謝と生殖をしないものは無生物であり、移動し感覚のあるものは動物である。ただしこれは、リンネ以来の近代的な分類学のように、生物を分類群にカテゴライズするのとは異なり、無生物から生物を経て人間(あるいはさらに神)へ至る「自然の連続 (συνέχεια)」の中に区切りを設けたものである。たとえばカイメンなどは、植物と動物の中間的な生物と考えられた。
リンネ以降
カール・フォン・リンネは、すべての生物をベシタブリア Vegetabilia 界(植物)と動物 Animalia 界(動物)に分けた。これが二界説である。
当時の植物には、現在は(広義でも)植物に含められない褐藻や真菌類を含んでいた。ただし、微生物についてはまだほとんど知られていなかった。
微生物が発見されてくると、次のような植物的特徴を多く持つものは植物に、そうではないものは動物に分類された。
こうして拡大してきた植物には、現在から見れば次のような雑多な生物が含まれていた。
- 陸上植物・多細胞藻類 - 緑色植物、紅藻など。典型的な植物。
- 単細胞藻類 - 光合成をするが、細胞壁のないものや運動性のものもいる。
- 真菌 - 光合成はしないが、細胞壁を持ち、非運動性。
- 細菌・古細菌 - 一部は光合成を行うが、しないものの方が多い。細胞壁を持つ。運動性のものも多い。
しかし、これらのうち一部しか当てはまらない生物が多いことが認識されてくると、二界説を捨て新たな界を作る動きが現れた。
まず1860年、ジョン・ホッグが微生物など原始的な生物を Primigenum にまとめ、1866年にはエルンスト・ヘッケルがそのグループに原生生物 (プロチスタ) Protista 界と命名した。これにより、微生物や真菌は植物から外された。また、ヘッケルは同時に現在の植物 Plantae 界という名を命名した。ただしのちに真菌は、かつては光合成をしていたが光合成能力を失ったとして再び植物に戻された。
1937年にはバークリー(Fred Alexander Barkley)が、植物種の過半を占める菌類がクロロフィルを欠いている点を重視して、動物・菌類・植物に分ける三界説を提唱した[12]。
次いで1969年、ロバート・ホイタッカーが五界説を唱え、光合成をする高等生物を植物と位置づけた。表面栄養摂取をする高等生物、つまり真菌は菌界として独立した。なおこの段階では、藍藻類を含めた光合成生物が一つの系統的なまとまりを形成するという考えは暗に認められていた。
系統分類へ
しかし、分子遺伝学的情報が利用可能になったこと、原生生物各群の研究、特に微細構造の解明が進んだことから、光合成生物の単系統性は疑わしくなってきた。また、1967年、リン・マーギュリスの細胞内共生説は、同じ葉緑素を持っているからといって同系統とは言えないことを示した。
たとえば、ミドリムシ類は緑藻類と同じ光合成色素を持っている。したがって系統上は近いものと考えることができた。しかし、近年の考えでは、これは全く系統の異なった原生生物が緑藻類を取り込み、自らの葉緑体としたものだと考えられている。つまり、光合成能力は、その生物の系統とは関係なく得られると考えられる。したがって、現代では、藻類というまとまりに分類学的意味を見いだすことはできなくなってしまった。
これを受け植物界の範囲はさらに限定的なものへと変化していく。1981年、マーギュリスは五界説を修正し、陸上植物を植物界とした。これはよくまとまった群ではあるが、その際に植物から外してしまった緑藻植物なども当然系統関係は考えられる。実際、その後そのような関係は認められ、彼女の説は行き過ぎとの批判も出てきた。
同じ1981年、トーマス・キャバリエ=スミスは、八界説を唱えた。緑色植物+紅色植物+灰色植物は、葉緑体の唯一の一次共生を起こした生物を共通祖先とする単系統であるとして、これを植物界とした。ただしこの単系統性には疑問があるなどの理由で、新しい植物界の定義はあまり広まらなかった。一方、それまで(マーギュリス以前は)植物に含まれていたが別系統である褐藻などは、単細胞藻類の大部分やいくつかの原生動物と共にクロミスタ Chromista 界として独立させた。
2005年には、アドルらによって、「キャバリエ=スミスの植物界」がアーケプラスチダと命名され、この呼称が専門分野では一般的となる。アドルらはまったく新しい枠組みで生物界全体を見直すことを意図し、界などリンネ式の階級を使わなかったが、リンネ式の階級システムではアーケプラスチダを界とされることが多い。
現在の普及度から言うと、マーギュリスのものが最も一般的であると思われるが、一方で生物界全体から見ると、陸上植物は界としてはあまりにも小さすぎるという面もある。英語版ウィキペディアでは、陸上植物よりも広範囲となる緑色植物を植物界として採用している。また、アーケプラスチダの単系統性が確実になるにつれ、これを植物界とするような流れも再燃している。
植物の進化
- 植物の進化を参照。
人間と植物
人と植物の関係は実に多様である。人間と植物の関係は、生物学で言う食物連鎖上の《消費者と生産者》の関係にとどまらず、人は植物を原料や材料として利用したり、観賞するなど文化や心の豊かさのためにも用いている。人間以外にも巣などを作る材料として植物を利用している生物がいるが、人間の植物の利用の仕方の方がはるかに多様である。人間と植物の関係をいくつか挙げると
人間生活のための利用
- 原料や材料として利用。
- 鑑賞用
- 酸素のつくり手として。良好な環境をつくり出してくれる存在として。
- その他、良質な微量物質に触れたり、ストレス解消に活用するために森林浴
- (存在を特に望んでいない場合は人は植物を勝手に)雑草や雑木などと呼ぶこともある。
- 帰化植物
- 脳幹のみによって生きている人間を植物人間と呼ぶのは、20世紀初頭の生理学において「意識がなくても維持される生理機能」を植物的性質と称したことによるもので、生物としての植物には何ら関連が無い。
参考文献
- 伊藤元己 (2012/5/1). in 太田次郎、赤坂甲治、浅島 誠、長田敏行: 植物の系統と進化, 新・生命科学シリーズ. 裳華房. ISBN 978-4785358525.
脚注
注釈
出典
- ↑ 広辞苑第五版
- ↑ 伊藤12 p7
- ↑ Adl, Sina M.; Simpson, Alastair G. B.; et al. (2012), “The Revised Classification of Eukaryotes”, J. Eukaryot. Microbiol. 59 (5): 429–493
- ↑ Burki, F.; Okamoto, N.; Pombert, J.F. & Keeling, P.J. (2012). “The evolutionary history of haptophytes and cryptophytes: phylogenomic evidence for separate origins”. Proc. Biol. Sci.. doi:10.1098/rspb.2011.2301.
- ↑ Zhao, Sen; Burki, Fabien; Bråte, Jon; Keeling, Patrick J.; Klaveness, Dag; Shalchian-Tabrizi, Kamran (2012). “Collodictyon—An Ancient Lineage in the Tree of Eukaryotes”. Molecular Biology and Evolution 29 (6): 1557–68. doi:10.1093/molbev/mss001. PMC 3351787. PMID 22319147 . 2012閲覧..
- ↑ 6.0 6.1 6.2 6.3 伊藤12 pp. 6-8
- ↑ 野崎久義 (2007年6月12日). “植物の出生20億年の秘密を解き明かす “超”植物界 (“Super” Plant Kingdom) の復権”. 東京大学東京大学大学院理学系研究科. . 2018/08/01閲覧.
- ↑ 伊藤12 p26
- ↑ 井上勲著『藻類30億年の自然史 第2版』、東海大学出版会、ISBN 978-4-486-01777-6
- ↑ 渡邉信 ・西村和子等編『微生物の事典』、朝倉書店、ISBN 978-4-254-17136-5 C3545
- ↑ 伊藤12 p 9.
- ↑ 岩波『生物学事典』【植物】
関連項目
外部リンク
- BG Plants 日本植物学名検索システム(日本に自生、帰化している全ての維管束植物と主な栽培植物について和名、学名などを検索できる。)
- Flora of Japan - 日本植物分類学会