桑田郡
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ファイル:Kyoto Kuwada-gun.png
京都府桑田郡の位置
桑田郡(くわだぐん)は、1879年まで京都府(丹波国)にあった郡。
郡域
現在の下記の区域にあたるが、行政区画として画定されたものではない。
歴史
古代
『和名抄』に「国府在桑田郡高低上一日下半日」とあることから、丹波国国府が10世紀には桑田郡にあったと考えられている[1]。しかしながら国府の位置は確定できておらず、現在も諸説がある(丹波国#国内の施設も参照)。山城国との境界に位置し、長岡京・平安京の遷都により都の近郊地帯となる。郡内には、この他にも丹波国分寺・丹波国分尼寺跡・丹波国一宮の出雲大神宮・千歳車塚古墳が残り、丹波国の中心地であったことがうかがわれる。
郷
- 小川郷
- 桑田郷
- 漢部郷
- 宗我部郷
- 川人郷
- 荒部郷
- 池辺郷 - 朝廷の氷室が設置された。
- 弓削郷
- 山国郷
- 有頭郷
- 横作郷
- 佐伯郷
式内社
テンプレート:丹波国桑田郡の式内社一覧神名帳 | 比定社 | 集成 | |||||
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社名 | 読み | 格 | 付記 | 社名 | 所在地 | 備考 | |
凡例を表示 |
近世以降の沿革
- 所属町村の変遷は南桑田郡#郡発足までの沿革、北桑田郡#郡発足までの沿革をそれぞれ参照
- 1645年(正保2年) - 大布施村・八桝村・別所村の3村(現・京都市左京区花背)が山城国愛宕郡に編入。
- 「旧高旧領取調帳」の記載されている明治初年時点での支配は以下の通り。下記のほか皇室領・公家領・寺社領などが存在。国名のあるものは飛地領。(1町219村)
- 慶応4年閏4月28日(1868年6月18日) - 旗本領などが久美浜県の管轄となる。
- 明治2年6月19日(1869年7月27日) - 丹波亀山藩が任知藩事にともない改称して亀岡藩となる。
- 明治4年
- 明治12年(1879年)4月10日 - 郡区町村編制法の京都府での施行により、亀岡町など1町92村の区域をもって南桑田郡が、比賀江村など86村の区域をもって北桑田郡が発足。同日桑田郡消滅。
脚注
参考文献
- 角川日本地名大辞典 26 京都府
- 旧高旧領取調帳データベース
関連項目
先代: ----- |
行政区の変遷 - 1879年 |
次代: 南桑田郡・北桑田郡 |