桂歌丸
テンプレート:落語家 桂 歌丸(かつら うたまる、1936年〈昭和11年〉8月14日 - 2018年 〈平成30年〉7月2日)は、日本の落語家。本名は椎名 巌(しいな いわお)。
神奈川県横浜市中区真金町(現:南区真金町)の出身。定紋は『丸に横木瓜』。血液型はA型。横浜市立横浜商業高等学校定時制中退。
出囃子は『大漁節』。公益社団法人落語芸術協会会長(5代目)。当初は新作落語中心だったが、晩年は、廃れた演目の発掘や三遊亭圓朝作品など古典落語に重点を置いて活動していた。地元・横浜においては横浜にぎわい座館長(2代目)、横浜橋通商店街名誉顧問も務めていた。位階勲等は従五位旭日小綬章。
演芸番組『笑点』(日本テレビ)の放送開始から大喜利メンバーとして活躍し[注 1]、2006年(平成18年)5月21日から2016年(平成28年)5月22日まで同番組の5代目司会者を務め、同日付で終身名誉司会者に[1]就任し、没後は永世名誉司会に名称が変更された[2]。
Contents
生涯
幼少時の生い立ち
常陸国筑波郡(現在の茨城県つくばみらい市)にルーツを持つ横浜市中区真金町の遊女屋の長男・椎名貞雄と、千葉県市原市瀬又の農家の娘・伊藤ふくの長男として生まれる[3]。3歳で父を結核で亡くし、姑と折り合いが悪かった母が家を出たため、9歳から父方の祖母タネに育てられる[3]。タネ(1879-1953)は三重県四日市市川原町で名産品万古焼の包装紙を扱う紙卸業「紙宗」の長女で、16歳で横須賀柏木田遊郭の若葉楼で働き始め(職種は不明)、30歳で結婚、大正時代には吉原遊郭で引手茶屋「東屋」を夫とともに営んでいたが、関東大震災を機に横浜真金町の永真遊郭で周旋屋を始め、昭和9年から巌が中学に入るころ[4]まで女郎屋「富士楼」を経営、近隣の「ローマ」、「イロハ」の女将と合わせて「真金町の三婆」と呼ばれるほどの気性の女性だった[3]。
戦況が厳しくなり、母方の実家である千葉に疎開している最中に横浜の空襲が起き、それをただただ見つめていたという[5]。また歌丸は千葉疎開中は道端の草やサツマイモばかり食べていた為、その影響で終戦以降「私ゃね、サツマイモが食えねえんだよ」とサツマイモが食べられなくなってしまったことを語っていた[5]。
この空襲で生家も焼失したが、戦後すぐにタネはバラックを建て「富士楼」の経営を再開[6]。店も繁盛したため戦後の貧しい時代にあっても食料に困ることもなく、当時高価だったラジオも持っていた。このラジオでよく聴いていた落語に影響されたことが落語家になるきっかけとなっている[5]。祖母に連れられてよく行った伊勢佐木町の大衆劇場『敷島座』で芝居の幕間で観た漫才にも夢中になって漫才師になることも考えたが、「わがままな自分にとって二人で演芸をするのは無理かな」と思ったことも落語家のきっかけの一つだという[7][8]。
小学校4年生の頃には将来落語家になるとすでに決めていた。小学校の時に自習の時間になると落語を演じていた。これが非常に好評で、時には隣のクラスの先生から落語をやってくれないかと要請があった[9]。
落語家
横浜市立吉田中学校在学[10]中に、遊郭内の永真診療所で行われた慰労会の席で、当時二つ目だった5代目春風亭柳昇の落語を聴いて、落語家になる決意を完全に固めた[11][12][注 2]。
そして、NHKの出版部にいた遠縁の親戚を通じて誰に弟子入りしたらよいかを相談し、「一番面倒見の良い人だから」という理由で5代目古今亭今輔を薦められ、中学3年だった1951年(昭和26年)に入門することになる[3][13]。ちなみに本人は「噺家になれさえすれば師匠は誰でも良かった」とのこと[14]。
はじめに兄弟子で、後の師匠である米丸の初名であった「古今亭今児」を名乗る。その際今輔から言われたことは「歌舞伎を見ろ」[15]。今輔によると歌舞伎を見ることは落語に活きるからだと言い、実際自ら演じる際はそのエピソードをマクラで語っている[16]。
- このためか、中村吉右衛門出演の歌舞伎をよく見に行くという。歌丸いわく、仕草や立振舞などを見て落語に活かすためとのこと。ちなみに、吉右衛門いわく、「歌丸師匠は歌舞伎を見るのにいい席に座っている」とし、「舞台から見ても歌丸だとすぐにわかる」らしい。ただし、両者に直接的な面識はまったくなかったとのことで、歌丸は、吉右衛門と『鬼平犯科帳』で共演していた三代目江戸家猫八に「吉右衛門のサインをもらってきてほしい」と頼んだとのことである。後に吉右衛門は、頭をなでながら「いろいろと照れ屋さん」と歌丸を評している。
今輔門下から兄弟子・4代目桂米丸門下へ移籍したのは、当時芸術協会で勃発した香盤(序列)問題[17]や、今輔が新作派なのに対し高座で古典落語ばかり演じていたことに端を発している[18]。この一件で今児は破門状態となり、一時、ポーラ化粧品本舗のセールスマンへ転職[19]するが、三遊亭扇馬(のちの3代目橘ノ圓)の肝いりで落語界に復帰。しかし今輔が付けた条件により兄弟子・米丸門下となった[20](米丸も「浜っ子」である)。なお歌丸の著書によれば新師匠の米丸からは入門に際して寄席の初日と中日には必ず今輔宅に顔を出すことを言いつけられたという[21]。そのおかげで今輔とは破門以前と同様の関係を維持することができ、後述のように寄席などでの真打昇進興行や口上にも今輔は出演している[22]。
- 一部の記事では、1961年(昭和36年)に「今輔死去に伴い兄弟子米丸門下に移籍」との表記があるが、これは誤り。米丸門下に移籍したこと自体は1961年(昭和36年)のことだが、先述のように今輔一門からの事実上の破門状態になったことによるもので、今輔死去は1976年(昭和51年)である。現に、1968年(昭和43年)に行われた『笑点』での歌丸の真打昇進披露口上では、今輔と米丸が揃って登場している。
米丸の弟子になって「古今亭今児」から「桂米坊」に改名したが、「額のあたりが広くなってきた」うえに周囲から子供っぽい、と言われたことから[23]1964年(昭和39年)1月、現在の「桂歌丸」に再改名。どちらも米丸が考案して付いた名である[24]。したがって歌丸は当代が初代である。歌丸本人は「歌丸」の由来を米丸に尋ねることはなかった[25]。米丸は、落語の枕にて「『歌丸』という芸名の由来はですね、桂歌之助以外の『桂』を名乗っている落語家で、芸名に『歌』が入る落語家が少ないため、芸名に『歌』を入れたんです」と語っている。
口調の違いがあったことから[26]米丸はほとんど稽古を付けず、歌丸(米坊)は専ら米丸のラジオ番組の構成などを手掛けていた。しかし、これで放送局関係等にコネクションができたほか、ネタ作りの鍛錬になり、古典の掘り起こしの際の一部改作や独自のくすぐりを入れたりするのに役に立ったという[26]。ちなみに、弟弟子であるヨネスケに最初に稽古を付けたのは、米丸ではなく歌丸であったという。
1978年(昭和53年)に起きた落語協会分裂騒動の際、新しくできた落語三遊協会に5代目三遊亭圓楽を通じて、参加を要請されたが、歌丸自身は上記の経緯で米丸一門に移籍したと説明し、参加を断っている[27]。
自身の弟子の高座名は、歌丸の「歌」の文字を頭に付けることを原則としているが、一番下の弟子であった3代目桂枝太郎のみ、本人の希望により、二つ目時代は「丸」の付いた名前が欲しいとしたため、「花丸」を名乗らせていたとしている。歌丸曰く、「学校の時の成績がよっぽど悪かったため、名前だけでも丸が欲しかったのではないか(笑)」として、「花丸」になったとのこと。なお、あとの4人は、預かり弟子でもある、惣領弟子の歌春(歌丸門下になったと同時に、「歌はち」に改名していた)を含め、すべて、「歌某」の高座名である[28]。
また、通常であれば弟子は師匠の鞄持をするものであるが、タレント性にどっぷり浸かってしまう恐れがあることから、落語に専念するよう、自分の弟子には寄席の楽屋への鞄持をさせても、笑点の楽屋への鞄持は絶対させないとのこと。しかし、前述の一番下の弟子だけは、歌丸の願いもむなしく、タレント性にどっぷり浸かってしまったと述べていたことがある(ちなみに、惣領弟子の歌春も、歌はち時代に『笑点』の座布団運びアシスタントをしていた時期がある)。
妻・冨士子
妻の名前は冨士子(富士子という表記は誤り )。1932年生まれで歌丸より4歳年上。冨士子夫人も、歌丸と同じく横浜真金町の出身であり、歌丸の生家の近くに在住していた[29]。このため、師匠・5代目今輔から勧められた女性を断って、顔見知りであった冨士子夫人と結婚したと後に語っている[29]。
1989年(平成元年)に歌丸が座布団10枚の賞品として獲得した「クィーンエリザベスIIの夕べ」にて“美女とクルージング”をすることになったが、その「美女」として冨士子夫人が登場している。後ろ姿のみで顔は出していなかった。その後も番組内で姿を現すことはなかったため、笑点では「謎のヴェールに包まれた人物」とされている。2007年(平成19年)11月23日に行われた歌丸の旭日小綬章と金婚式を祝う会では、公の場に夫婦揃って登場した[30]。
高座や大喜利で、しばしば恐妻として登場していた。
歌丸最後の出演となった2016年5月22日の笑点の生放送に、観客として参加しており、その模様が歌丸勇退特集の地上波日本テレビ系列及びBS日テレの笑点関連番組で放送された。
笑点メンバー
前身番組の『金曜夜席』第1回から出演。『笑点』になった後、当時の司会の立川談志とメンバーの対立により1969年(昭和44年)3月30日をもって一度降板したが、同年11月9日に司会が前田武彦に交代すると同時に復帰。その後も病気療養のため休んだ1985年(昭和60年)4月7日・4月14日、腰部脊柱管狭窄症の手術・療養のため休んだ2008年(平成20年)6月29日・7月6日、および肺炎に伴う入院が長引いたことに伴う休演となった2010年(平成22年)3月7日・3月14日、肋骨骨折他で休演した2014年(平成26年)5月11日 - 6月1日、インフルエンザによる休養で休演した2015年(平成27年)1月25日・2月1日、手術後の体調不良で休演した同年7月12日 - 9月6日[注 3]を除き、出演を続けていた。
『笑点』がスタートした頃は、司会が立川談志であり、真打が談志と5代目三遊亭円楽だけであったことから、引け目もあって歌丸の雰囲気は陰気であった。これは談志がブラックユーモアを多くしろと言ったことも手伝った[31]。当時歌丸が談志の言い付けで行ったブラックユーモアを理解したのはマスコミ関係者などであり、一般には受けなかった。そうしたことから、歌丸は自分が1年でも持てば良い方だろうと思っていた[31]。これにより、先述通り1969年4月に番組の路線を巡って歌丸を含めて談志に異を唱えたメンバー全員が降板する事態に発展した。歌丸曰く、前田武彦とは「畑が違う」ため番組内でのやり取りがちぐはぐになりがちだったといい、三波伸介が司会になったころからやり取りがスムーズになり、番組の色や歌丸の雰囲気も変わったという[32]。
番組中でも人気を博したのが、三遊亭小圓遊との掛け合いであり、小圓遊が歌丸を「ハゲ!」と罵倒すれば、歌丸は「お化け!」とやり返し、どんどんエスカレートするものであった[31]。実際は小圓遊との不仲は番組を盛り上げるための番組内での演出であり、番組を離れての二人は1歳年上の歌丸から小圓遊が古典落語の稽古を付けてもらうなどしており、歌丸によれば「アイツとは打ち合わせをしなくても、アドリブでポンポン出てくるんです」と阿吽の仲であったことを伺わせる発言をしている。歌丸曰く「本業の落語より稼がせてもらった」と語るほどと小圓遊と仕事をする機会も非常に多かったが、地方公演に行った際に駅のホームで2人が一緒に立っているのを目撃した視聴者から「仲悪いはずなのに」と言われたことで、表立っては一緒にいるときは離れて行動するようになったという[33]。
歌丸曰く、小圓遊との掛け合いはものすごく受けたが、その時「あたしは落語を怠けている」と痛感し、落語をちゃんとやることにしたという[34]。歌丸は「笑点」を務める中で「マンネリ」との批判を受けることがあったが、これに対して「マンネリってことは、長く続いているということだからね。それに、批判するってのは、それだけ見てるってこと、あるいは気にしてくれているってことでしょ」とむしろ喜んでいた[35]。司会者としては「舞台に並んだら全員同格。上も下もない」という意識をメンバーに徹底させており、林家たい平や春風亭昇太がメンバーに入った時もはっきりとそのことを言った[36]。
1973年(昭和48年)に脱腸と2001年(平成13年)に急性腹膜炎と2度開腹手術を受けているが、いずれも番組に穴を開けることはなかった。1973年(昭和48年)の手術直後の神奈川県伊勢原市での公開録画には、体調が優れない中で看護師同行の上で収録をこなした(この伊勢原での公録の模様を放送した『笑点』は40.5%の歴代最高視聴率をマーク)。2001年(平成13年)2月11日放送では手術直後の収録で、積み上げた座布団への昇降が困難だということで、歌丸は座布団の後ろに座ってその前に座布団を積み上げるという方式を取って臨んでいる(この放送で、後に現在に至るまでネタにされることになるほか、自身も司会就任後に何度かしでかした「大喜利を2問目で終了」を圓楽がしでかしている。後に、6代目円楽から「あれをね、うちの師匠がやった後ああなったんですよ」とネタにされている)。2006年に腰部脊柱管狭窄症の手術を行った際は、収録がない時期に手術を行った。2012年に腰部脊柱管狭窄症の手術を再び行った際も、収録のない時期に手術を行った。
その後、2009年(平成21年)には肺気腫に伴う感染増悪で入院。50年以上に亘る喫煙の結果慢性閉塞性肺疾患と診断される[37]。このときも笑点の収録のない間の入院で済んだため番組を休演することはなかった。しかし2010年(平成22年)には、今度は軽い肺炎を起こし入院。当初愛知県みよし市での地方収録の前日には退院の見通しであったが、大事を取って延期されることになった(同年3月2日に行われた6代目円楽襲名披露パーティは、一時退院の上で会見に臨んだ)ため、同年3月7日、3月14日放送分の『笑点』は、それぞれ木久扇と好楽が代理司会をする形で休演。同日放送分の『笑点Jr.』も木久扇が代理でナビゲーターをする形で休んだ。
大喜利では4代目三遊亭小圓遊と、その後6代目圓楽(楽太郎)との罵倒合戦がおなじみであるが、新人時代にネタに悩んでいた6代目円楽(当時:楽太郎)に対し、「(ネタは)俺のことでいいから」と提案したことに由来しており、番組上の演出である。基本的には仲が良く、歌丸と6代目円楽の二人会などで共演することは多い。円楽は円楽一門会所属の為、本来であれば寄席での興行が難しい[注 4]6代目圓楽の襲名披露を定席興行で実現させたのも、歌丸の尽力によるものだった。歌丸との縁で「円楽一門会」は落語芸術協会への合流も模索したが、芸協側の反対多数により合流を断念している。
2014年(平成26年)3月29日、慢性閉塞性肺疾患の悪化で入院。5月1日に高座復帰したが、帯状疱疹で再入院し、5月22日に退院。5月31日、復帰後初となる『笑点』の収録を行った。6月23日の紀伊國屋ホールでの公演には車椅子で楽屋入りし、合間に酸素吸入器を付けるなど万全な体調ではなかったが、無事に高座をこなした。この様子は6月25日にテレビ朝日『ワイドスクランブル』のコーナー「情熱人」で放映された。同コーナー内での映画監督の井筒和幸との対談では、今回の病気で引退を考えていたものの、妻から「あなたが落語辞めたら張り合いがなくなる」と説得されて現役続行を決めたことも語った。
2015年6月1日、背部褥瘡(はいぶじょくそう)の手術のため入院。同月9日に退院していたが、その後、体調不良となり、入院・休養することになる[38]。『笑点』の収録などの仕事も休む。22日、病名が腸閉塞だったことがわかる[39]。同年7月11日、退院[40]。8月8日の『笑点』収録で仕事に復帰。高座にも同月11日からの東京・国立演芸場中席で復帰した[41]。入院生活により脚の筋肉が落ち正座をするのが大変苦しいとして、見台を使用したものの、当日の“トリ”として登場し約1時間の高座を務めた[42]。8月23日、日本テレビ系『24時間テレビ38 愛は地球を救う』内の「チャリティー笑点」に司会として登場。腸閉塞からの仕事復帰後では初めての生番組出演となった[43]。9月13日、『笑点』復帰の回が放送される[44]。
2016年4月30日、同年5月に『笑点』が放送開始50周年を迎えることを機に、5月22日の放送を以て司会者を勇退することを発表し[45][46]、番組初の終身名誉司会に就任することとなった[45]。
笑点勇退後
2016年5月25日、文化庁が歌丸の文部科学大臣表彰を発表。31日に文部科学省内で表彰式が行われ、馳浩文部科学大臣から表彰状が贈られた[47]。
2016年7月26日、新橋演舞場で開催された「桂歌丸芸歴65周年記念落語会」に出席したが、翌27日、腸閉塞治療のため再入院したことを明らかにした[48]。8月5日に退院。8月11日、国立演芸場で行われた8月中席公演「桂歌丸噺家生活六十五周年記念公演」の初日に出演。高座に復帰した[49]。
2016年8月27日の『24時間テレビ 「愛は地球を救う」39』では、オープニングで開会宣言を担当。笑点のオープニング風に、開会宣言を行った。
2016年12月14日、定期検診で軽度の肺炎と診断され、入院[50]。21日に退院し[51]、22日に群馬県みどり市のながめ余興場で行われた「桂歌丸芸歴65周年 冬の特選大落語会」で高座に復帰したが[52]、ドクターストップを振り切っての退院だったことを明らかにしている[53]。
2017年1月1日、新宿末廣亭正月初席初日に出演したが、翌2日に肺炎で入院した[54]。18日に退院[55]。22日、神奈川県平塚市で行われた「新春落語会」で高座復帰した[56]。
2017年3月18日放送(12日収録)の『古舘伊知郎ショー』(テレビ朝日)の番組内で、引退を検討していることを明らかにした[57]。
2017年4月16日、肺炎のため入院し、国立演芸場の「4月中席」は、16日から20日まで休演[58]。26日に予定されていた「桂歌丸 高座65周年記念落語会」(なかのZEROホール)は公演中止となった[59]。今回の肺炎は、酸素の過剰吸引に誘発された稀なケースであったとされている[60]。5月13日に退院[61]。6月3日の春風亭小朝との二人会で復帰の予定だったが、前日になって体調不良のため休演することが決まった[62]。「左肺炎慢性呼吸不全の急性憎悪」と診断され、再入院[63]。14日に退院。この日出演予定だった落語会「特選 匠の噺会」では、開演前の舞台に立ってあいさつを行った[64]。
2018年4月19日、国立演芸場での芸協定席興行で「小間物屋政談」を口演したが、生前最後の高座となった。その後、同月24日に肺炎が重篤化し横浜市内の病院へ入院[65]。6月15日の芸協定期総会で、副会長として補佐してきた三遊亭小遊三が歌丸の長期療養中に伴い、副会長在職のまま会長代行に就任した[66]。 最後のテレビ出演は2018年7月1日放送(同年4月7日収録)の「もう笑点」であった[67][68]。
同年7月2日11時43分、慢性閉塞性肺疾患のため、横浜市内の病院で死去[69][70]。81歳没。
翌3日、歌丸が生前所属していた落語芸術協会を代表して、三遊亭小遊三会長代行・副会長、春風亭昇太理事、歌丸の弟弟子であった桂米助(ヨネスケ)理事、惣領弟子であった桂歌春理事が揃って会見し、歌丸の想い出と死去に至るまでの経緯を語った。それによれば、歌丸は入院後まもなく一時危篤状態に陥りながらも持ち直したこと、6月30日までは会話が出来ていて、6月26日に病床の歌丸を見舞った小遊三に対し芸協の今後について熱弁をふるったこと、7月1日には言葉が出なくなり、家族と歌春ら弟子に最期を看取られて息を引き取ったことなどが明かされている[71][72]。
法名は「眞藝院釋歌丸」(しんげいいんしゃくかがん)。1964年から親しまれてきた芸名に、長年にわたって芸事に真摯に向き合い続けたことと、横浜市内の真金町で生まれ育ったことから、『藝』と『眞』の文字が入った[73]。
同月9日に通夜、翌10日に家族葬が営まれその日のうちに横浜市内の斎場で荼毘に付された[74]。
同月11日に港北区の妙蓮寺で芸協・椎名家合同の告別式が行われ、師匠の桂米丸、落語協会会長の柳亭市馬、林家木久扇が弔辞、友人を代表して中村吉右衛門が挨拶、落語芸術協会を代表して三遊亭小遊三が謝辞を述べた[75][76][77][78]。
2018年7月22日より、笑点での肩書が『終身名誉司会』から『永世名誉司会』に変更された。
その他
- 女の化粧風景を描写した「化粧術」の珍芸を持つ[注 5]。「もともとあたしは横浜・真金町の遊郭育ち。女性のお化粧は見慣れているんですよ」と自負を持っていた[80]。また、バニーガール姿、花魁姿など、女装を『笑点』で幾度も公開している[81]。
- 「浜っ子」であることを誇りにしており、古典落語独特の江戸ことばを使うような噺には近づかなかった[82]。
- 国外での公演も行う。過去にはカナダ・トロント、2006年(平成18年)3月10日にはパリで公演を開催、フランス語の字幕付きで『尻餅』を演じた。11月2日にはニューヨークで海外公演を開催し、同じく日本語(英語の字幕付き)で『尻餅』を披露。2007年(平成19年)5月にはメキシコ公演も行う。
- 30代から現在に至るまで容姿がほとんど変わっていない。30代前半頃には、既に現在の頭髪に近い状態になっていた。なお、30代で死去した自身の父はもっと薄かったと述懐している[83]。
- 多趣味で知られ、足腰が弱る前は釣りに特に熱中していた。夏は大物狙いで渓流へ、冬はワカサギを求め相模湖へ通うのを恒例としていた。他には歌舞伎(前述)・映画鑑賞(特に東映時代劇)、古物店巡り、化石やジッポー・腕時計の収集、写真撮影、読書(特に横溝正史や高木彬光の作品)を好む[84][85]。
- 2010年(平成22年)5月に横浜にぎわい座の2代目館長の就任を要請されていることが明らかになり、同年7月に就任した(初代館長である玉置宏が同年2月に死去し館長が不在であった)。
- 長年『笑点』に出演し、茶の間に広く顔の知れた高齢者であることも相まって、2010年(平成22年)6月、総務省から「地デジ化応援隊」メンバーに起用された。
- 2004年2月に落語芸術協会の会長に就任(現職)。これをもじって「怪鳥」あるいは「怪しい鳥」と自他共にネタにすることが多々ある。もとは、『笑点』回答者時代に当時の司会・5代目圓楽よりネタにされたことに起因する[86]。以前は、『笑点』のオープニングでも、ハゲタカ風の怪しい鳥に乗った歌丸のアニメーションが放送された時期があった。
略歴
- 1951年(昭和26年)11月 - 5代目古今亭今輔に入門。兄弟子・4代目桂米丸の前名・古今亭今児を名乗る。
- 1954年(昭和29年)11月 - 二つ目昇進。
- 1961年(昭和36年) - 兄弟子・米丸門下に移籍。桂米坊に改名。
- 1964年(昭和39年)1月 - 桂歌丸に改名。
- 1965年(昭和40年)3月 - 日本テレビ『金曜夜席』の大喜利メンバーとして出演(1966年4月まで)。
- 1966年(昭和41年)5月 - 日本テレビ『笑点』の大喜利メンバーとして出演(1969年4月から11月までを除く)。
- 1968年(昭和43年)3月 - 真打昇進。
- 1974年(昭和49年)1月 - 横浜・三吉演芸場での独演会を開始。この頃から演目を古典落語にシフトする。
- 1979年(昭和54年)8月 - 4代目三遊亭小圓遊と共に社団法人落語芸術協会理事就任。
- 1989年(平成元年) - 横浜市政100周年にて市民功労賞、同年文化庁芸術祭賞受賞。
- 1991年(平成3年) - 横浜文化賞受賞。
- 1996年(平成8年) - 神奈川文化賞受賞。
- 1999年(平成11年)9月 - 5代目春風亭柳昇の後任で落語芸術協会副会長就任。
- 2004年(平成16年)2月 - 10代目桂文治の後任で落語芸術協会5代目会長就任。
- 2005年(平成17年) - 芸術選奨文部科学大臣賞受賞。
- 2006年(平成18年)5月 - 5代目三遊亭圓楽の降板に伴い、『笑点』の5代目司会者就任。また、初の自伝『極上歌丸ばなし』を出版。
- 2007年(平成19年)4月 - 旭日小綬章受章。
- 2010年(平成22年)7月1日 - 玉置宏の死去に伴い空席となっていた横浜にぎわい座の第2代館長に就任。
- 2011年(平成23年) - 噺家生活60周年を迎える。
- 2016年(平成28年)4月30日 - 「体力の限界」を理由に笑点の司会を引退することを発表。同年5月22日放送の「笑点 歌丸ラスト大喜利スペシャル」を最後に勇退。同年5月25日には文化庁より文部科学大臣表彰されることを発表[87]。
- 2018年(平成30年)7月2日 - 11時43分、慢性閉塞性肺疾患のため、横浜市内の病院で死去。
主な演目
- いが栗
- 井戸の茶碗
- 厩火事[88]
- 江島屋怪談[89]
- 越後屋
- おすわどん[90]
- お茶汲み[91]
- お見立て
- お若伊之助[92]
- 火焔太鼓[93]
- 鰍沢[94]
- 紙入れ[95]
- 髪結新三
- 菊江の仏壇
- 紺屋高尾
- 小烏丸
- 小言幸兵衛[96]
- 後生鰻[97]
- 小間物屋政談
- 三年目
- 塩原多助一代記[98]
- 尻餅[99]
- 城木屋[100]
- 真景累ヶ淵(作:三遊亭圓朝)
- 鈴ヶ森
- 粗忽長屋
- 竹の水仙[102]
- 乳房榎
- 長命[103]
- 辻八卦
- 壷算
- つる[104]
- 中村仲蔵[105]
- 鍋草履[97]
- 抜け雀[106]
- ねずみ[107]
- 引越しの夢
- 双蝶々雪の子別れ
- 牡丹灯籠(作:三遊亭圓朝)
- お露と新三郎
- お札はがし
- 栗橋宿
- 関口屋のゆすり
- 夢金
- 藁人形
出演
テレビ
演芸番組
- 死去時点の出演番組
- 日本の話芸( NHK教育・NHK総合) - 不定期出演。『お化け長屋』『厩火事』などを口演。
- もう笑点(2016年4月3日 - 、日本テレビ) - 司会者、終身名誉司会
- 笑点 なつかし版(2016年10月10日 - 、BS日テレ)
- 過去の出演番組
- 金曜夜席(1965年3月12日 - 1966年4月22日、日本テレビ) - レギュラー
- 笑点(1966年5月15日 - 2016年5月22日、日本テレビ) - レギュラー、司会者
- 爆笑パニック!体当たり60分(1975年10月5日 - 12月28日、テレビ東京)
- BS笑点(2003年10月12日 - 2007年2月17日、BS日テレ) - ナビゲーター
- 笑点Jr.(2007年4月22日 - 2011年3月13日、日テレプラス) - ナビゲーター
- 東京スカイ座 一朝一席(2010年7月4日 - 2014年3月30日、TOKYO MX) - ナビゲーター
- 笑点デラックス(2012年10月1日 - 2016年9月26日、BS日テレ)
- 笑点 特大号(2013年4月3日 - 2016年6月15日、BS日テレ) - レギュラー出演降板後も不定期の出演あり。
テレビドラマ
- 時代劇スペシャル ご存知!旗本退屈男(1988年 - 1993年、テレビ朝日 / 東映)
- 暴れん坊将軍VII 第12話(1996年、テレビ朝日)
- フードファイト スペシャル 〜深夜特急死闘編〜(2001年9月29日、日本テレビ)
- BS笑点ドラマスペシャル 桂歌丸(2017年10月9日、BS日テレ)[108]
ドキュメンタリー
- 落語人生どこまでも〜誰も見たことがない桂歌丸〜(2013年9月14日、BSフジ)
- クローズアップ現代 忍び寄る病 ~“COPD”の脅威~(2014年11月26日、NHK総合)
- ファミリーヒストリー 桂歌丸〜遊郭に生まれて 女傑と呼ばれた祖母〜(2017年12月20日、NHK総合)
映画
- 爆笑野郎 大事件(1967年、東宝)
- 落語野郎 大爆笑(1967年、東宝)
- 喜劇 大風呂敷(1967年、日活)
- トラック野郎・男一匹桃次郎(1977年、東映)
- 博多っ子純情(1978年、松竹)
- 明日やること ゴミ出し 愛想笑い 恋愛。(2010年、日本テレビ放送網/吉本興業)
- 映画館落語 かもめ亭(2012年、マイシアター)
声優
- 飛べ!孫悟空(TBS) - 光明大王 役
- がんばれゴエモン 東海道中 大江戸天狗り返しの巻(2005年、コナミ) - 講談風ナレーション
- 落語天女おゆい(2006年、ティー・エヌ・ケー) - 本人 役 ※冨士子夫人もキャラクターとして登場。三遊亭小遊三も本人役で出演[109]。
- 伏 鉄砲娘の捕物帳(2012年、アスミック・エース エンタテインメント) - 滝沢馬琴 役[110]
CM
- 日本盛(1970年代) - 山村聡、三遊亭小圓遊と共演[111]。
- 山形屋海苔店(1970年代)[112][113][114]
- 日清食品 「そば喜利」(1979年) - 三遊亭小圓遊と共演
- 日野・レンジャー (1980年代ごろ)
- ロッテ・ホカロン (1980年代中ごろ)
- ネスレ・ジャパン 「ネスカフェ サンタマルタ オレ」「ネスカフェ 匠」(2005年 - 2006年) - ナレーションも兼務。
- 野村證券 「株券電子化」篇 - 林家木久扇(当時:木久蔵)と6代目三遊亭円楽(当時:楽太郎)との共演
- au by KDDI 「簡単ケータイS 『公園トーク篇』」(2007年)
- TSUTAYA 「TSUTAYA・Tポイントカード」
- 東京都 「都民を守る安全対策 振り込め詐欺防止」編(警視庁版)、「悪質商法防止」編(生活文化局版) ※歌丸自身は神奈川県民。
- サントリー 「缶ビール6缶ケース・笑点コラボレートTシャツ「福T」プレゼント」(2007年3月)
- SpiNet(ファイザーとベーリンガーインゲルハイムの両日本法人が展開するCOPD情報サイト) 「COPD対策啓発キャラクター」(2009年12月 - )
- 肺に罹患し、退院して日の浅い歌丸が「肺気腫に伴う感染憎悪」に関する啓発キャラクターとして起用された。2010年2月には、ディスカバーCOPD研究会のメンバーにもなった。この研究会の会見の直前に肺炎にかかり入院することとなり、研究会の会見を欠席。『笑点』も休演することになってしまった。復帰後、「COPD啓発大使」となった(同広報大使は和田アキ子)。
- 日本薬師堂 グルコンEX - 三遊亭好楽と共演
- 日本民間放送連盟「STOP!温暖化」(2014年4月 - 2015年3月)
著書
- 『岩魚の休日 ちょっとうるさい釣り行脚』 二見書房、1986年。ISBN 9784576860398。
- 山本進(編者) 『極上歌丸ばなし』 うなぎ書房、2006年。ISBN 9784901174213。
- 『座布団一枚! 桂歌丸のわが落語人生』 小学館、2010年。ISBN 9784093881388。
- 長井好弘(編者) 『恩返し 不死鳥ひとり語り』 中央公論新社、2012年。ISBN 9784120043253。
- 『歌丸極上人生』 祥伝社黄金文庫、2015年。ISBN 9784396316686。
- 『極上歌丸ばなし』を改題・加筆・修正の上文庫化、山本は編集協力者としてクレジット
- 『歌丸ばなし』 ポプラ社、2017年。ISBN 9784591156339。
- 『芸は人なり、人生は笑いあり 歌丸ばなし2』 ポプラ社、2018年。ISBN 9784591159224。
- 長井好弘(編者) 『歌丸 不死鳥ひとり語り』 中央公論新社、2018年。ISBN 9784122066229。
- 『恩返し 不死鳥ひとり語り』を改題・加筆・修正の上文庫化
関連書籍
- 桂歌助 『師匠歌丸 背中を追い続けた三十二年』 イースト・プレス、2018年。ISBN 9784781616933。
- 『笑点五〇年史 1966-2016』 ぴあ、2016年。ISBN 9784835631189。
CD・DVD
CD
- 桂 歌丸1「質屋庫」「菊江の仏壇」 - 「朝日名人会」ライヴシリーズ2(2000.4.19発売、ソニーミュージック)
- 桂 歌丸2「左甚五郎-竹の水仙」 - 「朝日名人会」ライヴシリーズ6(2001.5.23発売、ソニーミュージック)
- 桂 歌丸3「牡丹灯籠―栗橋宿」 - 「朝日名人会」ライヴシリーズ12(2002.7.24発売、ソニーミュージック)
- 桂 歌丸4「双蝶々雪の子別れ」 - 「朝日名人会」ライヴシリーズ18(2003.3.19発売、ソニーミュージック)
- 桂 歌丸5「髪結新三」上下 - 「朝日名人会」ライヴシリーズ25(2004.6.23発売、ソニーミュージック)
- 桂 歌丸6「小烏丸」「辻八卦」 - 「朝日名人会」ライヴシリーズ30(2005.5.18発売、ソニーミュージック)
- 桂 歌丸7「藁人形」「井戸の茶碗」 - 「朝日名人会」ライヴシリーズ51(2008.7.23発売、ソニーミュージック)
- 桂 歌丸8「火焔太鼓」「紙入れ」 - 「朝日名人会」ライヴシリーズ55(2008.12.24発売、ソニーミュージック)
- 桂 歌丸9「真景累ヶ淵 豊志賀の死」 - 「朝日名人会」ライヴシリーズ59(2010.4.7発売、ソニーミュージック)
- 桂 歌丸10「中村仲蔵」 - 「朝日名人会」ライヴシリーズ68(2011.4.20発売、ソニーミュージック)
- 桂 歌丸11「鰍沢」「城木屋」 - 「朝日名人会」ライヴシリーズ71(2011.7.27発売、ソニーミュージック)
- 高座60周年記念 特撰 桂歌丸(2011.7.27発売、ソニーミュージック)
- 桂 歌丸12「紺屋高尾」「トーク:歌丸ばなし1」 - 「朝日名人会」ライヴシリーズ95(2014.6.25発売、ソニーミュージック)
- 桂 歌丸13 「小間物屋政談」「トーク:歌丸ばなし2」 - 「朝日名人会」ライヴシリーズ96(2014.6.25発売、ソニーミュージック)
- NHK新落語名人選 桂歌丸(2005.12.7発売、ユニバーサルミュージック)
- 真景累ヶ淵
- 真景累ヶ淵 CD5枚組(2006.2.22発売、テイチクエンタテインメント)
- 真景累ヶ淵 深見新五郎(2006.2.22発売、テイチクエンタテインメント)
- 真景累ヶ淵 勘蔵の死(2006.2.22発売、テイチクエンタテインメント)
- 景累累ヶ淵 お累の自害(2006.2.22発売、テイチクエンタテインメント)
- 真景累ヶ淵 湯灌場から聖天山(2006.2.22発売、テイチクエンタテインメント)
- 真景累ヶ淵 お熊の懺悔(2006.2.22発売、テイチクエンタテインメント)
CD・DVD
- 牡丹燈篭
- 牡丹燈篭 お露と新三郎(2006.9.27発売、テイチクエンタテインメント)
- 牡丹燈篭 お札はがし(2006.10.25発売、テイチクエンタテインメント)
- 牡丹燈篭 関口屋のゆすり(2006.12.20発売、テイチクエンタテインメント)
- 牡丹燈篭 完全セット(2006.12.20発売、テイチクエンタテインメント)
- 乳房榎(2008.10.22発売、テイチクエンタテインメント)
- 江島屋怪談(2009.10.21発売、テイチクエンタテインメント)
一門弟子
脚注
注釈
- ↑ 2016年に番組を勇退するまでは、『笑点』開始からはもちろん、『金曜夜席』時代からの唯一の出演者であった。
- ↑ このことを落語界に入った後に本人に伝えると、柳昇は「こんなに下手なヤツもいるんだから、オレにもできると思ったんでしょ」と言い、にやりと笑ったという(『歌丸 不死鳥ひとり語り』p27)。
- ↑ 8月23日のチャリティー笑点には出演。
- ↑ 「円楽一門会」(かつての「円楽党」)は落語協会から離脱した際に、東京の寄席(鈴本演芸場・末廣亭・浅草演芸ホール・池袋演芸場)すべてから事実上追放されているため。経緯は落語協会分裂騒動を参照。
- ↑ 2006年1月の『大笑点』では城島茂に伝授していた。
- ↑ この演目を演じる落語家は、三遊亭圓朝以来とされる。 “asahi.com:歌丸、長編怪談をCD化 円朝作「真景累ケ淵」 - 文化芸能”. 朝日新聞. . 2012閲覧.
出典
- ↑ 「「笑点」50周年、歩みに焦点 再現具合は座布団体験も 京都高島屋で特別展 /京都府」『朝日新聞』2016年7月27日朝刊京都府・2地方版30頁参照。
- ↑ 「笑点」桂歌丸さんに「永世名誉司会」の称号!OPアニメ、番組HPも「終身名誉司会」から変更 - スポーツニッポン 2018年7月22日
- ↑ 3.0 3.1 3.2 3.3 「ファミリーヒストリー 桂歌丸~遊郭に生まれて 女傑と呼ばれた祖母」NHK、2017年12月20日放送
- ↑ 歌丸 不死鳥ひとり語り, p. 151.
- ↑ 5.0 5.1 5.2 “涙や怒りはあっても笑いがない、それが戦争 桂歌丸さん”. 朝日新聞. (2015年10月19日) . 2016-5-22閲覧.
- ↑ 歌丸極上人生, p. 44.
- ↑ “はあとふる対談・桂歌丸”. ふれあい情報誌『はあと』(救心製薬ホームページ). . 2014閲覧.
- ↑ “座談会 横浜−下町・落語・にぎわい座(2/3)”. Web版『有鄰』平成14年6月10日 第415号(有隣堂ホームページ) (2002年6月10日). . 2014閲覧.
- ↑ 歌丸 不死鳥ひとり語り, p. 25.
- ↑ 横浜市立吉田中学校同窓会会長挨拶
- ↑ 歌丸極上人生, p. 50.
- ↑ 芸歴65周年を迎えた落語家・桂歌丸が人を惹きつけてやまない理由とは 趣味時間
- ↑ 歌丸極上人生, p. 52-53.
- ↑ 歌丸極上人生, p. 52.
- ↑ 歌丸極上人生, p. 261.
- ↑ 小学館 「桂歌丸のわが人生座布団一枚!」p55
- ↑ 歌丸極上人生, p. 89.
- ↑ 歌丸極上人生, p. 95.
- ↑ 歌丸極上人生, p. 97.
- ↑ 歌丸極上人生, p. 102.
- ↑ 歌丸極上人生, p. 104.
- ↑ 歌丸極上人生, p. 282.
- ↑ 歌丸 不死鳥ひとり語り, p. 65.
- ↑ 歌丸 不死鳥ひとり語り, p. 63・65.
- ↑ 歌丸極上人生, p. 109-110.
- ↑ 26.0 26.1 歌丸極上人生, p. 108.
- ↑ 歌丸極上人生, p. 161-162.
- ↑ 歌丸極上人生, p. 231.
- ↑ 29.0 29.1 歌丸極上人生, p. 92.
- ↑ 桂歌丸、叙勲&金婚式を祝う会
- ↑ 31.0 31.1 31.2 笑点五〇年史 1966-2016, p. 17.
- ↑ 笑点五〇年史 1966-2016, p. 18.
- ↑ 日本テレビ『笑点』P14より。
- ↑ 笑点五〇年史 1966-2016, p. 20.
- ↑ 笑点五〇年史 1966-2016, p. 21.
- ↑ 笑点五〇年史 1966-2016, p. 23.
- ↑ 忍び寄る病 〜“COPD”の脅威〜 - NHK クローズアップ現代 落語家の桂歌丸さん、78歳。5年前にCOPDと診断されました。
- ↑ “9日退院したばかり…桂歌丸、体調不良で休養「すぐ戻ってまいります」”. Sponichi Annex (2015年6月19日). . 2015閲覧.
- ↑ “入院中の桂歌丸、腸閉塞だった…痩せすぎが原因、退院めど立たず”. SANSPO.COM (2015年6月23日). . 2015閲覧.
- ↑ “桂歌丸さん退院 仕事復帰は未定”. 産経ニュース (2015年7月11日). . 2015閲覧.
- ↑ “桂歌丸が復帰、腸閉塞から回復8・8「笑点」収録”. 日刊スポーツ (2015年7月30日). . 2015閲覧.
- ↑ “歌丸、3ヶ月ぶり高座復帰も「正座苦しい」”. ORICON STYLE (2015年8月11日). . 2015閲覧.
- ↑ “桂歌丸 仕事復帰後、初の生番組出演”. デイリースポーツ online (2015年8月23日). . 2015閲覧.
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- ↑ “歌丸 執念の高座復帰50分長編熱演 36キロまで激ヤセも「桃の缶詰」で回復図る”. デイリースポーツ online (株式会社デイリースポーツ). (2016年8月12日) . 2016閲覧.
- ↑ “桂歌丸、肺炎で入院 14日の定期検診で判明”. デイリースポーツ online (株式会社デイリースポーツ). (2016年12月15日) . 2016閲覧.
- ↑ “桂歌丸が退院「体調もう大丈夫」復帰22日に前倒し”. 日刊スポーツ (日刊スポーツ新聞社). (2016年12月21日) . 2016閲覧.
- ↑ “桂歌丸、高座復帰し30分の「長命」披露”. SANSPO.COM (産経デジタル). (2016年12月22日) . 2016閲覧.
- ↑ “歌丸“強行退院”だった ドクターストップ無視「医者はダメだと言うんですが」”. デイリースポーツ online (株式会社デイリースポーツ). (2016年12月26日) . 2016閲覧.
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- ↑ “桂歌丸、笑顔で退院「少し息苦しさはありますが」…2日から肺炎で入院”. スポーツ報知 (報知新聞社). (2017年1月18日) . 2017閲覧.
- ↑ “歌丸、20日ぶり高座復帰「正座苦痛」も声の張り健在”. スポーツ報知 (報知新聞社). (2017年1月22日) . 2017閲覧.
- ↑ “歌丸 引退検討…古舘に告白「お客さまに失礼なんじゃないか」”. Sponichi Annex (スポーツニッポン新聞社). (2017年3月15日) . 2017閲覧.
- ↑ “桂歌丸 また肺炎で入院 「4月中席」20日まで休演”. デイリースポーツ online (株式会社デイリースポーツ). (2017年4月17日) . 2017閲覧.
- ↑ “肺炎の桂歌丸、26日の公演中止 今月いっぱい入院”. 日刊スポーツ (日刊スポーツ新聞社). (2017年4月18日) . 2017閲覧.
- ↑ “桂歌丸 肺炎の原因は酸素の過剰吸入だった…5月の公演全て休演”. Sponichi Annex (スポーツニッポン新聞社). (2017年5月8日) . 2017閲覧.
- ↑ “桂歌丸が退院「また各落語会でお会いできますことを心待ちにしております」”. スポーツ報知 (報知新聞社). (2017年5月15日) . 2017閲覧.
- ↑ “歌丸が復帰高座を休演…前夜に体調不良を訴える”. スポーツ報知 (報知新聞社). (2017年6月3日) . 2017閲覧.
- ↑ “復帰高座休演の歌丸、病名は「左肺炎慢性呼吸不全の急性憎悪」”. スポーツ報知 (報知新聞社). (2017年6月3日) . 2017閲覧.
- ↑ “桂歌丸が退院「まだまだ療養」も落語会で開演前の舞台であいさつ”. Sponichi Annex (スポーツニッポン新聞社). (2017年6月14日) . 2017閲覧.
- ↑ 桂歌丸さん死去 4月に入院 重い肺炎「もって、あと4日」から一時は奇跡的に回復も… - スポーツニッポン 2018年7月2日
- ↑ 小遊三 落語芸術協会の会長代行に 歌丸が長期療養中のため - スポーツニッポン 2018年6月15日
- ↑ 桂歌丸さん死去1日放送の「もう笑点」でもチューブ装着しながらも元気に出演 - スポーツニッポン 2018年7月2日(2018年7月3日アクセス)
- ↑ 歌丸さん「笑点」で前日まで笑い届け逝く 5代目司会、落語界発展に尽力 - スポーツ報知 2018年7月3日(2018年7月3日アクセス)
- ↑ “落語家の桂歌丸さん死去 81歳 「笑点」の5代目司会者、最後まで高座出演意欲”. Sponichi Annex (スポーツニッポン新聞社). (2018年7月2日) . 2018閲覧.
- ↑ 桂歌丸さん死去、81歳 11日に横浜でお別れ会 - デイリースポーツ 2018年7月2日
- ↑ 三遊亭小遊三が会見、歌丸さんは苦しまず、眠るよう - 日刊スポーツ 2018年7月3日
- ↑ 小遊三 歌丸さん“最後の小言”明かす「俺が死にそうなのに…」 - スポーツニッポン 2018年7月3日
- ↑ 桂歌丸さん通夜 米丸、好楽ら参列 大好きだった緑の着物で棺に眠る - デイリースポーツ 2018年7月10日閲覧
- ↑ 歌丸さん家族葬 緑の着物で旅立ち 棺に釣り竿、扇子、手拭い - スポーツニッポン 2018年7月11日
- ↑ 米丸、弟子に別れ「テレビ局でヒットを飛ばし、好きな古典をじっくりやる。お見事でした」歌丸さん告別式 - スポーツ報知 2018年7月11日
- ↑ 落語協会会長・柳亭市馬が弔辞「慈しむように我々に接してくれた」桂歌丸さん告別式 - スポーツ報知 2018年7月11日
- ↑ 木久扇、東南アジア旅行の“偽装工作”笑いで懐かしむ…歌丸さん告別式で弔辞 - スポーツ報知 2018年7月11日
- ↑ 歌丸さん告別式 友人代表・中村吉右衛門「勝ち逃げはずるいよ」と涙 - スポーツニッポン 2018年7月11日
- ↑ 「叙位叙勲」『読売新聞』2018年7月27日朝刊
- ↑ 歌丸 不死鳥ひとり語り, p. 178.
- ↑ 笑点五〇年史 1966-2016, p. 148.
- ↑ 歌丸 不死鳥ひとり語り, p. 230.
- ↑ 落語芸術協会会長就任時に日刊スポーツから受けたインタビュー記事
- ↑ 歌丸極上人生, p. 238-266.
- ↑ POWERWatchWEB 男の肖像時計の選択 桂 歌丸 (Vol.48-2)
- ↑ 笑点 第1983回
- ↑ 桂歌丸さんを文科大臣表彰へ 「笑点」司会、落語界発展に尽力 共同通信 2016年5月25日 同日閲覧
- ↑ 歌丸 不死鳥ひとり語り, p. 93.
- ↑ 歌丸 不死鳥ひとり語り, p. 94.
- ↑ 歌丸 不死鳥ひとり語り, p. 97.
- ↑ 歌丸 不死鳥ひとり語り, p. 100.
- ↑ 歌丸 不死鳥ひとり語り, p. 101.
- ↑ 歌丸 不死鳥ひとり語り, p. 104.
- ↑ 歌丸 不死鳥ひとり語り, p. 106.
- ↑ 歌丸 不死鳥ひとり語り, p. 109.
- ↑ 歌丸 不死鳥ひとり語り, p. 110.
- ↑ 97.0 97.1 歌丸 不死鳥ひとり語り, p. 160.
- ↑ 歌丸 不死鳥ひとり語り, p. 129.
- ↑ 歌丸 不死鳥ひとり語り, p. 112.
- ↑ 歌丸 不死鳥ひとり語り, p. 114.
- ↑ 歌丸 不死鳥ひとり語り, p. 88.
- ↑ 歌丸 不死鳥ひとり語り, p. 116.
- ↑ 歌丸 不死鳥ひとり語り, p. 118.
- ↑ 歌丸 不死鳥ひとり語り, p. 161.
- ↑ 歌丸 不死鳥ひとり語り, p. 121.
- ↑ 歌丸 不死鳥ひとり語り, p. 125.
- ↑ 歌丸 不死鳥ひとり語り, p. 126.
- ↑ 尾上松也がドラマで歌丸演じ「笑点の司会をやりたい」 - スポーツ報知 2017年10月8日
- ↑ “落語天女おゆい”. メディア芸術データベース. . 2017閲覧.
- ↑ “豪華ゲストキャスト発表!”. 映画「伏 鉄砲娘の捕物帳」公式サイト. . 2012閲覧.
- ↑ “日本盛「けんか」”. 放送ライブラリー. . 2016閲覧.
- ↑ “山形屋の海苔「じいさん、ばあさん」”. 放送ライブラリー. . 2016閲覧.
- ↑ “山形屋の海苔「ほら来た、いつもの贈りもの」”. 放送ライブラリー. . 2016閲覧.
- ↑ “山形屋の海苔「今も昔も」”. 放送ライブラリー. . 2016閲覧.
関連項目
- 落語芸術協会
- RHYMESTER - メンバーの中に歌丸をもじって「宇多丸」で活動しているラッパーがいる。
- 崎陽軒 - 冨士子夫人が以前、崎陽軒店頭・駅売店のシウマイ娘(売り子)をしていた。
- 江戸噺家
- 小文治一門