林京子
林 京子(はやし きょうこ、1930年8月28日 - 2017年2月19日[1])は、日本の小説家。本名は宮崎京子。
略歴
1930年8月28日、長崎県長崎市出身。誕生の翌年、父(三井物産社員)の勤務地・上海に移住。1945年に帰国し、長崎県立長崎高等女学校(現長崎県立長崎東中学校・高等学校、長崎県立長崎西高等学校)3年に編入学。同年8月9日、市内大橋にある三菱兵器工場に学徒動員中、被爆した。爆心地に近かったが奇跡的に助かったと言われている。長崎医科大学附属厚生女学部専科(現長崎大学医学部)中退。1963年被爆者手帳を受ける。
被爆からおよそ30年を経て、その体験をモチーフに書きつづった短編『祭りの場』(『群像』1975.6)で第18回群像新人文学賞、および第73回芥川賞。実質文壇へ登場するきっかけとなった同作は芥川賞選考委員の井上靖らに激賞を受けるが、逆に安岡章太郎は「事実としての感動は重かったが、それが文学としての感動に繋がらなかった」と受賞に対して批判的であった。
受賞後に執筆した、十二の短編からなる連作『ギヤマン ビードロ』にて芸術選奨文部大臣新人賞受賞の内示を受けるが、「被爆者であるから国家の賞を受けられない」として辞退[2]。その後も自身の被爆体験や家庭における問題、上海での少女時代などをもとにした作品を展開していく。 1983年『上海』で女流文学賞、1984年『三界の家』で川端康成文学賞、1990年『やすらかに今はねむり給え』で谷崎潤一郎賞、2000年『長い時間をかけた人間の経験』で野間文芸賞、2006年『その全集に至る文学的功績』を評価され、2005年度朝日賞を受賞。
原爆を特権化する姿勢があるとして批判もあり、中上健次は「原爆ファシスト」と呼んだことがある[3]。
著書
- 『祭りの場』講談社、1975 のち文庫
- 『ギヤマン ビードロ』講談社、1978 のち「祭りの場・ギヤマン ビードロ」文芸文庫
- 『ミッシェルの口紅』中央公論社、1980 のち文庫
- 『無きが如き』講談社、1981 のち文芸文庫
- 『自然を恋う』中央公論社、1981
- 『上海』中央公論社、1983 のち文庫、講談社文芸文庫(1983年女流文学賞)
- 『三界の家』新潮社、1984 のち文庫
- 『道』文藝春秋、1985
- 『谷間』講談社、1988 『谷間・再びルイへ。』講談社文芸文庫 2016
- 『ヴァージニアの青い空』中央公論社、1988 のち文庫
- 『ドッグウッドの花咲く町』影書房 1989
- 『輪舞』新潮社、1989
- 『やすらかに今はねむり給え』講談社、1991 のち文庫、文芸文庫(「道」併収)(1990年谷崎潤一郎賞)
- 『瞬間の記憶』新日本出版社 1992
- 『青春』新潮社、1994 のち文庫
- 『老いた子が老いた親をみる時代』講談社 1995
- 『樫の木のテーブル』中央公論社、1996
- 『おさきに』講談社 1996
- 『予定時間』講談社 1998
- 『長い時間をかけた人間の経験』講談社、2000 のち文芸文庫(2000年野間文芸賞)
- 『希望』講談社 2005 のち文芸文庫
- 『林京子全集』全8巻、日本図書センター、2005
- 共著
トーク番組
- ハイビジョン特集 被爆した女たちは生きた 長崎県女クラスメイトの65年(2010年8月9日NHK)
関連項目
出典
- ↑ “作家の林京子さんが死去「祭りの場」「三界の家」”. 産経新聞. (2017年3月1日) . 2017閲覧.
- ↑ 「祭りの場・ギヤマン ビードロ」文芸文庫『作家案内(金井景子著)』
- ↑ 『群像』1982年2月「創作月評」