松阪牛
松阪牛(まつさかうし/まつさかぎゅう)は、但馬牛の他、全国各地から黒毛和種の子牛を買い入れ、三重県松阪市及びその近郊で肥育された牛。品種としての呼称ではない。日本三大和牛の1つであり、「肉の芸術品」の異名を持ち、霜降り肉になっているのが特徴である[1]。
2002年(平成14年)8月19日以前は「松阪牛」全てが高級銘柄牛肉であり、そのため「松阪牛」という単語自体が高級牛肉の意味を持つこともあったが、以後は区域内の生産であれば格付けが低いものまで「松阪牛」との呼称が許され、全てが最高級とは限らなくなっている[2]。
正式な読みは「まつさかうし」とされる[3]が、「まつさかぎゅう」も誤りではない[4]。「まつざかうし」や「まつざかぎゅう」の呼称は誤りである[4][5]が、語呂の都合から「まつざか○○」と濁るように呼称されることが多く、そのようなルビが振られる場合も多所で散見される。また、松坂牛は誤記である[4][6]。
歴史
江戸時代には、農耕用の役牛として但馬国(兵庫県但馬地方)の雌牛(但馬牛)を飼育していた。明治になり、西洋文化の影響で牛肉食が始まると、遅くとも1905年(明治38年)頃までには、農耕用を退役した牛が肉牛として売られるようになった。その後役牛から肉牛へのシフトが進み、1935年(昭和10年)に東京で行なわれた『全国肉用牛畜産博覧会』で名誉賞を受賞したことから全国的に知られるようになった[7]。
戦後は1949年(昭和24年)に松阪肉牛共進会が開始され、品評会に優秀な肉牛が出品されて松阪牛の名声を高めた。一方で、日本食肉格付協会の枝肉格付けが最上級のA-5とB-5のもののみを「松阪牛」と認定し、品評会向け以外に一般に流通するものにも厳格な品質を貫いた。高度成長期以降より、松阪牛は次第にブランド牛肉として認知されるようになっていった。
2001年(平成13年)に発生したBSE問題や産地偽装事件への対応のため、2002年(平成14年)には子牛の導入から出荷までを管理する「松阪牛個体識別管理システム」が発足し、これに登録した肉牛を松阪牛とした[8]。しかし一方で、2002年(平成14年)8月19日の規約改訂により、「松阪牛」の定義から枝肉格付けが削除され、格付けが最低のC-1であっても「松阪牛」と名乗れるようになった[2]。このため、全ての「松阪牛」が最高肉質等級の牛肉である時代は終わった。現在の松阪牛は、特産松阪牛が全体の6%しかなく、残りの94%を規約改訂前の基準では松阪牛と呼称することが許されなかった牛肉が占めている[9]。また、素牛は最高品質とされる但馬牛や淡路ビーフ(淡路島で生育した但馬牛)のみであったが、規約改訂後は九州産の但馬牛系の牛(純粋な但馬牛ではない)を素牛として飼育する畜産農家が増えている。
定義
松阪牛とは「黒毛和種」の「未経産(子を産んでいない)雌牛」で、2004年(平成16年)11月1日時点での三重県・中勢地方を中心とした旧22市町村[10]、および、旧松阪肉牛生産者の会会員の元で肥育され、松阪牛個体識別管理システムに登録している牛をいう[11]。
生産地域が旧22市町村に決定された2002年(平成14年)には、この範囲から外れた市町村の農家から多くの反発があった[12][13]。特に定義から漏れた北勢地区の農家は他の銘柄牛が県内全域を生産地域としていることを指摘し、集団で定義の変更を申し入れた[12]。これに対して三重県松阪食肉公社の社長と松阪市長を兼任していた野呂昭彦は「県内全域が産地だとは論外」とし[13]、市町村合併が進んで市町村の範囲が変更されても旧22市町村の枠組みを堅持した[14]。中には旧22市町村内にウシを引っ越す農家も見られた[12][13][15]。例えば旧志摩郡阿児町(現・志摩市)のある農家は、旧松阪市と旧三雲町の廃業した酪農家から牛舎を借用して自らのウシ250頭を移動させ、「松阪牛」の生産を続けた[12][13]。また当時松阪肉牛生産者の会の副会長を務めた男性の農場は、旧美里村にあり旧22市町村の範囲外であった[12][13]が、これまでの実績を訴えた結果、特例措置として男性の飼育するウシは松阪牛を名乗ることが認められた[13]。生産地域から漏れたことで「松阪牛」を名乗れなくなり収入が激減したとして損害賠償を求める訴訟を起こす人も現れた[15][16]。この裁判では、定義から外れた旧大内山村の男性が松阪市と松阪肉牛協会を訴えたものであったが、2010年(平成22年)11月4日に津地方裁判所は原告敗訴とする判決を出している[16]。
格付け
現在では素牛の産地や枝肉の格付に関係なくシステムに登録した牛は松阪牛となるが、独自の基準で以下のような表示がなされる。
すなわち、2002年(平成14年)8月19日の規約改訂前の松阪牛に該当するのは、「特産松阪牛」かつ「金」の枝肉のみである。
旧基準
2004年(平成16年)以前は、松阪牛の認定団体が松阪肉牛協会、松阪肉牛共進会、松阪肉牛生産者の会の3つあり、それぞれが独自基準を設定していた[17]。生産地域は、松阪肉牛協会が「松阪市を中心とした地域」、松阪肉牛共進会と松阪肉牛生産者の会が「雲出川以南宮川以北」とし、飼育期間は松阪肉牛協会が「6か月以上」、松阪肉牛協会が「10か月以上かつ共進会開催当日に生後24か月以上」、松阪肉牛生産者の会が「500日以上」としていた[17]。A5・B5のみとする枝肉格付けを要件としていたのは松阪肉牛協会のみであった[17]。
生産
但馬牛の他、全国各地から子牛を買い入れ、肥育農家にて3年程度肥育する。肥育は牛舎で主に穀物類を与え、放牧を行うことはない。
また、一部にはビールを飲ませる事もある[1][18]。肥育末期に摂食量が落ちる「食い止まり」という現象への対処のためで、ルーメン(第1胃、瘤胃)内の発酵状態を改善する作用が食欲増進に通じ、より肉付きを良くするのが目的。(三重県は全国一下戸の人間が多く[19]、統計上によると約53%の三重県人は下戸だと言う。さらに三重県は喫煙者数も日本一少ない。そのため「牛にだけでも晩酌気分を味わわせてやろう」と下戸で煙草も吸わない飼い主が、牛にビールを飲ませたのが事の発端。これが功を奏したのかビールを飲ませた牛が、稀に見る優れた肉質である事が判明し、市場において破格の高値(約3000万円)で取引された。それ以後、このビールを飲ませる事が広まり、後に獣医学的にも優れていることが判明した。)脂肪を均一にするため、マッサージを行うこともある[1]。
松阪牛生産農家を中心に、生産地域の地方自治体も含めた約130会員を擁する松阪牛協議会が2004年(平成16年)11月1日に発足し、松阪牛の生産振興、BSEや産地偽装の無い安全・安心な松阪肉の提供、ブランド維持と発展に向けて活動している。
また、松阪牛は全国各地の優秀な子牛を松阪牛生産地域に導入後、生産者が手塩にかけて育て上げた松阪牛1頭1頭の個体情報や肥育農家情報(給餌飼料や肥育農家名などの農家情報と、牛の出生地、肥育場所、肥育日数)など、導入から出荷まで36項目のデータが松阪牛個体識別管理システムへ集積される。[20]
産地偽装
有名な牛であるため、産地偽装が起きやすく、松阪市及びその近郊の肥育農家にて組織を作り松阪牛の定義付けを行い、松阪牛個体識別管理システムを運用して、出荷した牛肉に専用のシール及び証明書を付け、個体識別番号により産地・肥育農家・移動履歴その他の情報が検索できる等、様々な対策を行っている。販売店には鈴の形をした看板が会員証として配布され、各々に会員番号が付加されている。販売時には、生産地を示す認証表示が販売店に於いて行われている。
三重県は、生産者からの申請を受けて三重ブランドのひとつに認定している。
商標権問題
2008年5月、中国において松阪牛協議会が2006年5月22日に「松阪牛」での申請を行ったが、それより8ヶ月ほど早く「松阪牛」と1字違いの「松坂牛」が、中国人によって2005年9月29日に商標登録を申請されていることが三重県松阪市の調査で分かった[21]。しかし、松阪市の申請は、よく似たロゴが登録済み、一般的な食材として2010年4月28日付で却下された[22]。
この申請過程で2001年に「松阪」の文字を使ったロゴマークが、2006年2月までに「松坂牛」や「松板」が商標登録申請され、商標登録されていることなどが判明した。協議会は「松阪牛」「松阪肉」の商標を守るため、2009年7月には山中光茂市長が訪中し、中国商標局の幹部に適切な措置を求めていた[23]。
2010年5月31日の松阪牛協議会の総会において会長の山中光茂市長が、民主党(県第4総支部)が協力的でないことを発言した。それに対して、民主党松田俊助支部幹事長は「ずっと民主党批判をしている山中市長の名前で国へ要望を上げるのは難しい」と発言した[24]。
2010年6月の夕刊三重新聞に、首相が交代するあわただしい政局や口蹄疫問題の発生が重なり農水省幹部との会談が延期されたため、自民党とみんな党に要望を聞いてもらうことになったことや、民主党参議院議員から協力的な申し入れがあったものの、1週間後に「幹事長室から明らかな圧力があり「動くな」と指令が出た」との返事を聞いたとする記事が掲載された[25]。
その他
- 近年では食肉だけでなく皮革加工品用材料としての利用が行われている。時計バンドメーカーバンビや生産者と縁の深い寺門ジモン等によってブランドSATOLI(さとり)が立ちあげられ、時計バンドや財布等が生産・販売されている。なお、正規品には三重県松阪食肉公社発行の認定書及び個体識別番号であるJPナンバーが発行され、食肉同様のトレーサビリティが確立されている。
- 台湾では日本産品の評価が高く、それにあやかって日本ブランド風のネーミングが商品に付けられることがある。松阪牛は台湾で霜降り肉の代名詞となっており、そのイメージから豚肉の豚トロに相当する部位が「松阪豚(松阪豬肉)」の名称で販売されている[26]。
脚注
- ↑ 1.0 1.1 1.2 岡田(2015):64ページ
- ↑ 2.0 2.1 2.2 2.3 2.4 松阪牛(農林水産省東海農政局)
- ↑ 三重県地位向上委員会 編(2015):99ページ
- ↑ 4.0 4.1 4.2 松阪牛協議会. “松阪牛とは” (日本語). . 2017-5-31閲覧.
- ↑ 松阪市も2005年より「松阪」の読み方を「まつさか」に統一している。松阪市 (2016年8月15日). “松阪市の概要” (日本語). . 2017-5-31閲覧.
- ↑ 「大坂」が「大阪」に変更されたこともあり、1889年(明治22年)に「松坂」から「松阪」に改められた。松阪市 (2016年8月15日). “松阪市の概要” (日本語). . 2017-5-31閲覧.
- ↑ 浅井 2008, p. 72.
- ↑ 岡田(2015):66 - 67ページ
- ↑ 宮崎牛<下>(読売新聞 )
- ↑ 松阪牛生産地域 … 平成の大合併で市町村の数は変わっているが、肥育エリアであった市町村と肥育エリアではなかった市町村が合併したりしたためこのような定義の仕方をしている。すなわち、以下の旧22市町村が該当。
- ↑ 岡田(2015):67ページ
- ↑ 12.0 12.1 12.2 12.3 12.4 "「松阪牛」使えず農家泣く 「肥育22市町村」外れた地域"朝日新聞2002年8月17日付朝刊、名古屋版夕刊1ページ
- ↑ 13.0 13.1 13.2 13.3 13.4 13.5 "「松阪牛」ブランド保護で波紋 産地限定に農家反発 価格高騰、引っ越し組も"日本経済新聞2002年9月16日付朝刊、24ページ
- ↑ 浅井 2008, p. 75.
- ↑ 15.0 15.1 浅井 2008, p. 74.
- ↑ 16.0 16.1 "「松阪牛」定義訴訟 異議の原告が敗訴"朝日新聞2010年11月5日付朝刊、名古屋版社会面27ページ
- ↑ 17.0 17.1 17.2 岡田(2015):65 - 66ページ
- ↑ 松阪牛とは - 株式会社三重県松阪食肉公社
- ↑ 酒の強さは遺伝子で決まる 原田 勝二 氏
- ↑ 松阪牛について
- ↑ 中国に「松坂牛」? 「松阪牛」の商標登録ピンチ
- ↑ 「松阪牛」本家の商標登録、中国却下 「一般的な食材」
- ↑ 市長「政府のツケ…香川とブランド守る連携も」 松阪牛商標登録、中国却下
- ↑ 三重新聞夕刊版 2010年6月1日
- ↑ 夕刊 三重新聞 2010年6月報道 幹事長室からの圧力
- ↑ サーチナ:【台湾ブログ】「松坂豚(ブタ)」にも合う!日本発の塩麹を自作してみた
参考文献
- 浅井建爾 『えっ? 本当?! 地図に隠れた日本の謎』 実業之日本社〈じっぴコンパクト〉、2008-07-20。ISBN 978-4-408-42007-3。
- 岡田登『意外と知らない三重県の歴史を読み解く! 三重「地理・地名・地図」の謎』じっぴコンパクト新書251、実業之日本社、2015年3月19日、191p. ISBN 978-4-408-45546-4
- 金木有香『三重あるある』TOブックス、2014年10月31日、159p. ISBN 978-4-86472-300-8
- 三重県地位向上委員会 編『三重のおきて ミエを楽しむための48のおきて』アース・スター エンターテイメント、2015年1月25日、174p. ISBN 978-4-8030-0657-5