松島

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松島(まつしま)は、宮城県の松島湾内外にある大小260余りの諸島のこと。または、それら諸島と湾周囲を囲む松島丘陵も含めた修景地区のことである。日本三景の1つに数えられている。2010年の観光入込客数は624万人[1]

地形・自然

松島湾は仙台湾の中央部に位置する支湾で、宮城県東松島市の唐戸島南東端と宮城郡七ヶ浜町の花渕埼の間にある多島海である[2]。このうち塩竈市が面する松島湾南西部は塩竈湾、あるいは千賀ノ浦と呼ばれる。松島の地形は宮城県の中央部にある松島丘陵の東端が海にまで達し、それが沈水して出来たリアス式海岸がさらに進んだ沈降地形で、溺れ谷に海水が入り込み山頂がとして残っている。松島の島々を指して「八百八島」とも形容されるが、実際の島の数は260ほどである。これらの島々には全て名前がつけられていて、そのうち松島湾中南部にある比較的大きな島々の集まりは浦戸諸島と呼ばれる。松島湾中央部の島が全くない海域の水深はおおむね2メートルで、海底が浅いため波が荒くなると海底の泥が舞い上がって海水が濁りやすい[3]

この地形の成り立ちについては、以下のような説が唱えられている。鮮新世に起こった地盤運動によって現在よりも内陸に広がっていた仙台湾が隆起して陸地化し、同時に地塊運動によって現在の松島湾に当たる部分に陸地が突出して、半島のような地形となった。やがてこの部分は河川によって侵食され、谷間が刻まれる。更新世初期に現在言われる長町利府構造線の断層運動によってこの半島は徐々に海中に没し、海蝕面が形成され、高い所は島となった。更新世中期から後期にかけて沈んだ半島が再び隆起して海蝕大地となり、再び河蝕を受ける。更新世末期に長町利府構造線の撓曲によって再び沈水して、高い部分のみが島として残り、周囲に溺れ谷が多数形成された。度重なる隆起と沈降と侵食によって現在見られるような松島の地形が形作られたのである。松島湾中央部の島が全くない海域は、かつて谷間に発達した平野部だったと考えられている[3]。また、これ以外の説もある。

この地域の大部分の地層第三紀層の凝灰岩砂岩礫岩など侵食に非常に脆い岩質で出来ており、特に波に洗われる部分は容易に侵食される。そのため多くの小島は上部になどが植生し、海面に近い基部は白から灰白色の岩肌を見せている。さらに、海水面近くが波に洗われて鋭角に抉られており、ややキノコに似た形になっているものもある。また、侵食による奇岩や日本三大渓に数えられる嵯峨渓のような海蝕崖も見られる。このように侵食、風化作用を受けやすい地層の上に松島は成り立っているため、長い間に風景も少しずつ変化してきたと考えられ、過去の文献に記載されたものと現在のものとの間には微妙な違いがあると考えられている。

生物

湾内の主な魚類はハゼアナゴ、貝類はカキアサリ石斛(せっこく)は野生ラン科植物で宮城県辺りが野生の北限といわれる。松島周辺では「イワタケ」の別名がある。花の開花時期は5月下旬から6月初旬で、ピンクの花が咲く。絶滅危惧種だったが、瑞巌寺境内の老杉の枝に着生している原株から増やして、現在は鉢植えの土産になっている。

松島の眺望

松島四大観

松島湾周囲の松島丘陵や島の高台には「松島四大観」(まつしましだいかん)[5]と呼ばれる修景地点が散在している。これらは、江戸時代に仙台藩の儒学者・舟山萬年によって選ばれた「塩松環海四山」に由来する[6]

  • 壮観地図):東松島市にある宮戸島大高森からみる景色。標高105.8m。松島湾の東端から西方向を眺める形となり、奥松島の島々の他、遠く船形山奥羽山脈)が一望出来る。夕陽で真っ赤に染まった松島の風景写真として度々用いられる。
  • 麗観地図):松島町の富山にある大仰寺よりみる景色。標高116.8m。南方向に松島湾や奥松島を眺める。
  • 幽観地図):松島町と利府町の境界部にある扇谷からみる景色。標高55.8m。東南方向に塩竈湾を眺める。
  • 偉観地図):七ヶ浜町の代ヶ崎の多聞山からみる景色。標高55.6m。北方向に塩竈湾、さらに奥の松島湾、奥松島を眺める。

その他の展望施設

観光用の展望施設はないが、797年延暦16年)に征夷大将軍坂上田村麻呂が絶賛した「長老坂」(地図。現・宮城県道144号赤沼松島線)からの眺望が古くから著名[7]

その他の展望台としては、「西行戻しの松」(地図)、新富山地図)、松島城(いわゆる天守閣風建築物)、塩竈と松島海岸一帯が望める「双観山」(地図)などがある。また、松尾芭蕉が松島に滞在した際に宿泊した熱田屋(瑞巌寺参道入口付近)の跡地にある商業施設の屋上が無料開放されている[8]。大観山は現在ホテルの敷地内であるため、ホテルの利用客しか入れない。

かつて松島湾を見晴らせる松島タワーがあったが、解体された。

雪月花

ファイル:Saigyomatsu.jpg
西行戻しの松公園の桜

松島は月見の名所として著名である。松島の月は、14世紀には中国にも知られるほど著名で、代の薩都拉がその著書『雁門集』において「雄島煙波松島月」と記している。

17世紀初頭には、伊達政宗豊臣秀吉から伏見桃山城にあった茶室を譲り受け、月見をするための観瀾亭(月見御殿)を設置した[9]。月見御殿は、その後も伊達家迎賓館として使用された。

1643年寛永20年)には、儒学者林春斎がその著書『日本国事跡考』において、 「松島、此島之外有小島若干、殆如盆池月波之景、境致之佳、与丹後天橋立・安芸厳島為三処奇観[10]」と記し、日本三景という括りが始まったとされるが、この日本三景の原典にも松島の月が出てくる。この原典もあって、日本三景に各々「雪月花」をあてる場合、松島には「月」があてられる。

17世紀後半になると、松尾芭蕉延宝年間に「武蔵野の月の若生えや松島種」と詠んで松島の月に憧れ、『奥の細道』の冒頭でも「…松島の月先心にかゝりて…」と記して江戸を発っている。

1922年大正11年)12月3日アルベルト・アインシュタインが月見をするため松島を訪れた。東北本線仙台駅から(初代)松島駅に到着し、松島電車路面電車)に乗り換えて五大堂前電停に着いた頃には既に16時を過ぎ、十三夜の月が上っていた。それを見たアインシュタインは、「おお月が…おお月が…」と言ったまま絶句したという。その後、「どんな名工の技も、この美しさを残すことはできない」と同行者に言ったとされる。

以上のように、松島は「雪月花」の「月」があまりに有名で、松島温泉も月見風呂をイメージ写真に使用している。「」については、年に数回積もる程度であるためほとんど見ることは出来ないが、積雪があるとプロのカメラマンのみならず、アマチュアの写真愛好家も集まってきて、主に五大堂越しの松島の雪景色をフレームにおさめている。「」については、展望台でもある「西行戻しの松」がの名所として著名である。西行戻しの松公園一帯には260本余の桜が植えられている。

遊覧船

松島には大小の遊覧船が就航しており、船上より島々を眺めることができる。船上からカモメ(主にウミネコ)に餌やりをするのが名物になっていたが、糞害により松が枯れ始めた事から2014年4月1日より湾内での餌やりは禁止となった。

大型遊覧船の航路は松島港発着で松島湾内や奥松島を巡るものが中心だが、塩釜港と松島港とを繋ぐ航路もある。小型船の航路は、奥松島遊覧船桟橋を発着して嵯峨渓を巡る観光航路と、主に塩釜港発着で湾内の小島へ渡る連絡船航路がある。日本三大渓といわれる奥松島の嵯峨渓には暗礁が多くあるため、大型遊覧船では遠巻きにしか見られないが、小型船だと近づけるため波の静かな日には海食洞をくぐることが出来る場合がある。その他に季節運航でディナークルーズ(仙台港発着もある)、サンセットクルーズ、ナイトクルーズ、かき鍋クルーズなどがある。

江戸時代には仙台城下と海運の拠点港がある石巻とを繋ぐ石巻街道があったが、このうち塩釜港から石巻港の間を船で繋ぐ航路は「松島海道」と呼ばれた。松尾芭蕉奥の細道で塩竈から松島へ舟で渡ったとの記述があるが、これは「松島海道」の一部に乗船したものと考えられている。

2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震による津波で浮桟橋4基、や小型の遊覧船の多くが流出する被害を受けたが[11]同年4月29日に遊覧船の運航が再開された[12]

遊覧飛行

仙台空港地図)発着の遊覧飛行も存在している。セスナ機またはヘリコプターで、仙台および松島の上空を巡るコースがいくつか設定されている。松島灯籠流し花火大会を上空から見ることも可能。

作品

文芸

ファイル:Togetsukyō Bridge in Ojima 2008.jpg
島名が歌枕として知られる雄島。右に見える長さ約20メートルの赤い橋「渡月橋」は東北地方太平洋沖地震によって流失し[4]、2013年7月に再建された[13]

松島は平安時代から和歌の歌枕としてしばしば用いられた。鎌倉時代の『元亨釈書』や室町時代道興が著した『廻国雑記』の中にも松島についての言及がある。江戸時代前期には伊勢の俳人で仙台に長く逗留した大淀三千風が俳人500名から成る句集『松島眺望集』を編んで松島を紹介した[14]

  • 源重之 「松島や 雄島の磯に あさりせし あまの袖こそ かくは濡れしか」(後拾遺集
    雄島は松島湾内に浮かぶ霊場の島。
  • 殷富門院大輔 「見せばやな 雄島(をじま)のあまの 袖だにも 濡れにぞ濡れし 色は変わらず」(「千載和歌集」恋四884)
    百人一首の90番の歌。上記の重之の歌を本歌取して読まれた句である。
  • 伊達政宗 「いづる間も ながめこそやれ 陸奥の 月まつ島の 秋のゆふべは」
    著名な松島の月を詠んだ歌。「月待つ」と「島」が掛詞となっている。
  • 伊達政宗 「心なき 身にだに月を 松島や 秋のもなかの 夕暮れの空」
  • 伊達政宗 「所がら 類はわけて 無かりけり 名高きつきを 袖に松島」
  • 伊達政宗 「松島や 雄島の磯の 秋の空 名高き月や 照りまさるらん」
  • 田原坊 「松島や さて松島や 松島や」
    松尾芭蕉が『奥の細道』で松島を訪れた際に、あまりに絶景なので句が浮かばず、「松島や ああ松島や 松島や」という句を詠んだという逸話があるが、実際は後世の狂歌師の田原坊の作とされる。ただし、その場で句が思い浮かばなかったのは事実らしい。また別の説では、句は詠んだが景色に釣り合うよいものができなかったともいわれる。なお、小説家の司馬遼太郎は、紀行集『街道をゆく』「仙台・石巻」にて、「松島や ああ松島や 松島や」の句が芭蕉作として松島の看板などの観光資料に記されていることに対し、松島の観光関係者を批判している。
  • 河合曾良 「松島や 鶴に身をかれ ほととぎす」(「奥の細道」)
  • 日本舞踊常磐津節「岸漣漪常磐松島(松島)」

美術

有田焼の松島のデザイン
1680年1700年頃)
楊洲周延「名勝美人会 陸前 松島」
1897年1898年頃)[15]
高橋由一「松島五大堂図」
(明治時代、県指定有形文化財)[16]

指定など

各指定の範囲は松島湾に面する自治体であるが、「仙台・松島国際観光モデル地区」は松島湾に面していない仙台市多賀城市も加わる[19][20]。「日本遺産・百選」では『仙台・松島』が範囲である。

松島の一部が指定されているものには以下のものがある。

周辺

松島湾の沿岸には東松島市松島町利府町塩竈市七ヶ浜町の5つの市町がある。

東松島

松島湾東部に位置する東松島市の宮戸島地図)や野蒜海岸地図)一帯の地区が奥松島とも呼ばれている。日本三大渓の嵯峨渓(地図)への観光船発着港がある。野蒜海岸は波の静かな浜辺で夏場は海水浴場として賑わう。竹浜という鳴き砂の浜辺もあるが、保全のため立ち入り制限されている。宮城県道27号奥松島松島公園線(奥松島パークライン)が、海岸沿いを走るドライブコースとして知られると共に、例年、体育の日に松島ハーフマラソン大会の開催コースとされている。陸繋島の宮戸島には里浜貝塚地図)という貝塚がある。里浜貝塚は、縄文時代前期(約6,000年前)から弥生時代初めまでの約4,000年間の遺跡で、貝塚は島の標高20-40メートルの高台に位置している。

松島

松島町は松島湾の北部に当たる。百人一首にも詠まれた霊場の島・雄島地図)、伊達政宗が再興した瑞巌寺地図)、「バラ寺」の通称がある円通院地図)、五大堂地図)などの寺院、伊達家の迎賓館であり月見のための施設でもある観瀾亭(月見御殿。地図)などの歴史的建造物や、湾内遊覧船の発着港の松島港がある。また、土産屋、飲食店、宿泊施設などが立ち並ぶ。2008年(平成20年)には松島温泉が開湯した。

利府

利府町の浜田地区が松島湾西部に面している。仙石線の陸前浜田駅がある。

塩竈

塩竈市は松島湾の南西部に当たる。塩竈湾は、古くは陸奥国府多賀城地図)の外港、江戸時代以降は仙台城下(地図)の外港だった。平城京政府、奥州藤原氏伊達氏など、この地を治めた統治者によって保護されてきた鹽竈神社地図)や、松島湾内の遊覧船、桂島地図)、寒風沢島地図)などへの離島航路の発着港の塩釜港がある。塩釜港は近海マグロが多く水揚げされることもあって寿司屋が集中している。夏季には塩竈みなと祭が催される。

七ヶ浜

松島湾の南部の七ヶ浜町には、宮城県で最も利用客が多い海水浴場である菖蒲田浜地図)、県内有数のヨットハーバーである小浜港高山外国人避暑地地図)と七ヶ浜国際村地図)、鼻節神社地図)などがある。

東日本大震災の影響

2011年3月11日に発生した東日本大震災東北地方太平洋沖地震)とその直後に襲来した大津波によって、島の文化財の一部が破損するなどの被害が発生したが、周辺の自治体と比較して被害は軽微で済んでいる。その理由として、津波は浅い海に入ると速度が落ちて急激にエネルギーを失うのと、松島湾内に点在する島々が緩衝材となり、津波の勢いを弱めたと見られている[21][22]

松島は国の特別名勝に指定されており、管理団体である宮城県によって「特別名勝松島保存管理計画」が策定されている。文化財保護法および前述の保存管理計画に基づき、特別名勝「松島」指定区域内の保護地区において現状変更(建築物の新築等)を行う際には、宮城県教育委員会および文化庁の許可が必要になる[23][24]。高台での建物新築も現状変更にあたるが、東日本大震災による被害により住民から高台への移転要望が高まったため、宮城県が文化庁に規制緩和を求め協議の結果、その方向で検討されることとなった[25]。今後宮城県と指定範囲の塩竈市東松島市松島町七ヶ浜町利府町などで協議を進めていく方針[26]

また文化庁は、松島における「がれき処理施設」の建設も特例で許可することとなった(2014年3月までの限定許可。周囲の景観に対して施設の色・形状を配慮するなどの制約のもと)[27]

交通

仙台からの行き方。仙台側(南側)から列挙。

塩竈へ
松島へ
奥松島へ

JR東北本線の一ノ関・小牛田方面からは、塩釜駅仙石東北ラインに乗り換え(または松島駅で途中下車し、高城町駅まで徒歩連絡)、高城町駅で仙石線普通列車に乗り換えて松島海岸駅もしくは野蒜駅へ向かう。

また、仙台空港から松島・奥松島へは、松島・平泉直行バス(岩手県北バス)の利用も可能。

日本国内の松島

松島は、「海面上、湖上の松が茂っている単独の島」という一般名詞でもあるため、それが固有名詞化して日本各地に「松島」という地名がある。他方、宮城県の松島と似た風景「海面上や湖上に大小さまざまな島や岩が散在する風景」を「○○の松島」などともいう(類例:銀座)。この場合、島の頭部に生えている木が松でなくともよく、場合によっては木が生えていなくともよい。

ただし、同様な風景である三重県英虞湾は、「松島」と言われることを非常に嫌う傾向がある。

なお、各地にある「松島温泉」という名称の温泉では、宮城県の松島との混同を防ぐため、「○○松島温泉」(「○○」は地域名など)という名称も併用している。

脚注

  1. 宮城県経済商工観光部
  2. 閉鎖性海域ネット(環境省)2018年6月6日閲覧
  3. 3.0 3.1 『宮城縣史』復刻版5(地誌交通史)22頁
  4. 4.0 4.1 4.2 “名勝・松島、崩落被害=「長命穴」消え、半壊の島も-国宝「瑞巌寺」は壁にひび”. 時事通信社. (2011年3月19日). http://www.jiji.com/jc/zc?k=201103/2011031900412 . 2011年3月28日閲覧. 
  5. 四大観”. 松島観光協会. . 2011閲覧.
  6. 特別名勝松島保存管理計画 (PDF) (宮城県教育委員会 2010年3月)
  7. 宮城県利府町誌
  8. 松島の観光拠点 「玉手箱館」開店 物産と飲食施設(河北新報 2009年7月2日)
  9. 観瀾亭”. 松島観光協会. . 2011閲覧.
  10. 日本国事跡考(47頁/80頁)京都大学附属図書館所蔵)
  11. 松島の観光船、一部再開 29日から”. 朝日新聞 (2011年4月27日). . 2011閲覧.
  12. 日本三景・松島の遊覧船、運航再開”. 読売新聞 (2011年4月30日). . 2011閲覧.
  13. 松島観光の発展つなごう 津波で流失、渡月橋復活 河北新報 2013年7月2日
  14. 『宮城縣史』復刻版16(観光)306頁
  15. 名勝美人会 陸前 松島(秋華洞)
  16. 松島五大堂図(宮城県)
  17. 日本初! 松島湾が『世界で最も美しい湾クラブ』に加盟(松島町)
  18. the Most Beautiful Bays in the World Club
  19. 仙台・松島国際観光モデル地区の区域は仙台市、塩釜市、多賀城市、秋保町、松島町、七ヶ浜町、宮城町、利府町、鳴瀬町(以上1986年(昭和61年)3月指定当時)である。現在の仙台市のうち1988年に秋保町とともに編入された旧泉市(現・市内泉区)や、東松島市のうち2005年に鳴瀬町と合併し廃止した旧矢本町は含まれていない。
  20. 宮城県観光のあゆみ - 宮城県
  21. 「松島が守ってくれた」対岸の町、死者1人読売新聞 2011年3月23日
  22. “名勝・松島の復旧に力 ボランティア続々集結”. (2011年3月23日). http://www.kahoku.co.jp/news/2011/03/20110323t15072.htm . 2011-3-23閲覧. 
  23. 特別名勝「松島」の現状変更と埋蔵文化財に関する手続きについて(七ヶ浜町サイト)
  24. 「特別名勝松島保存管理計画」(宮城県サイト)
  25. 松島の周辺、高台での住宅建設緩和へ…文化庁”. 読売新聞 (2011年4月30日). . 2011閲覧.
  26. 「松島」保護・復興を両立 宮城県、5市町と近く検討会”. 河北新報 (2011年4月30日). . 2011閲覧.
  27. 文化庁、「松島」に処理施設許可 震災特例で”. 共同通信 (2011年5月21日). . 2011閲覧.
  28. 東北のみち情報国土交通省東北地方整備局道路部)
  29. 「日研」新聞編集委員会 編『茨城108景をめぐる』川崎松濤 監修、筑波書林、平成3年9月20日、219pp.(4ページより)

参考文献

  • 宮城縣史編纂委員会 『宮城縣史』復刻版5(地誌交通史) 宮城県、1987年。
  • 宮城縣史編纂委員会 『宮城縣史』復刻版16(観光) 宮城県、1987年。

関連項目

外部リンク

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