東野英心

提供: miniwiki
移動先:案内検索


東野 英心(とうの えいしん、旧芸名;東野 孝彦1942年1月31日 - 2000年11月14日)は、日本俳優東京市淀橋区大久保(現、東京都新宿区大久保)出身。成蹊高等学校卒業。名優・東野英治郎の長男。妻は服部マリ。長男は東野克(とうの かつ)。身長170cm、体重83kg[1]

来歴・人物

高校卒業後、俳優座養成所に第12期生として入所(妻は養成所の1期後輩にあたる)。

1962年、『青べか物語』で映画初出演を果たす。

1965年から1975年までは東野孝彦の芸名で活動し、その後本名に戻す。

デビュー後、『ウルトラマンタロウ』で明るいキャラクターを活かして荒垣修平副隊長役を好演。

花神』では井上聞多(馨)役を演じ、尾藤イサオの小柄な伊藤俊輔(博文)と凸凹コンビを組んで元勲の青春像を演じた。

映画では実相寺昭雄作品に4回招かれており、特に『哥』では篠田三郎扮する弟を苛め抜く陰険な次兄(長兄は岸田森である)役で強い印象を残した。

1970年代末からは『あばれはっちゃく』シリーズに出演。主人公の少年・桜間長太郎の厳格な父親役を演じ、長太郎が問題を起こした際には制裁を加えて「てめぇの馬鹿さ加減にはなぁ、父ちゃん情けなくて涙が出てくらぁ!」と叱り飛ばす定番セリフで人気を得て、番組内での名シーンともなっていた。

1980年代は『中学生日記』で生徒に理解のある東教諭を演じた。

後年はこれらの経験から、各地の青少年育成団体から講演に招かれることが多く、特に「感性」について語る段になると、自ら履いている靴を脱ぎ、素足で講演会場を歩きながら話す奇抜で斬新な講演を行い、教育関係者の関心を集めていた。

青少年育成活動での講演や、子ども向け番組を復活させる運動などに精力的に取り組んでいた。「出張芝居は依頼があればどこでもやる」というスタンスで、自身のライフワークでもあった。

2000年11月13日の夜、都内のレストランでの会食中に突然倒れ荏原病院に搬送。高血圧が原因の高血圧性脳出血であった。病院に搬送されたときは意識があったものの容態が悪化し、手当ての甲斐なく翌日14日に急逝。58歳没。

教師役・父親役での好演が知られているが、学生時代は大役者であった父が度々浮気をするなどしたため、カミナリ族に所属するなど、非行に走っていたこともあった。また、急逝した際、小・中学校時代の同級生だった長山藍子は「(学生時代は)勉強は全然ダメだったけど、すごく性格の優しい人だった」と涙ながらに語っていた。

出演

テレビドラマ

  • 近鉄金曜劇場 / 目撃者(1964年、RKB制作・TBS系列
  • ザ・ガードマンTBS
    • 第14話「殺人者」(1965年)
    • 第141話「宝石の逃げる道」(1967年)
    • 第171話「情無用サラリーマン稼業」(1968年)
    • 第178話「生と死の谷間」(1968年)
    • 第251話「狂女が乗った殺人自動車」(1970年)
    • 第270話「妻は夫の秘密をさぐるな」(1970年)
  • 若者たち (1966年、CX
    • 第1回 「出発」
    • 第2回 「発掘」
    • 第6回 「蒼い背信」
    • 第14回「小さな石ころ」
    • 第18回「帰りなん・いざ」
    • 第29回「やさしい娘」
    • 第30回「橋よ・いつの日か…」
    • 第32回「爪の跡の記憶」

映画

吹き替え

ラジオドラマ

  • 連続ラジオ小説「火の鳥 乱世編」(NHKラジオ第1放送 1980年3月3日 - 3月21日)
  • FMシアター「バリケード1966年2月〜福島泰樹の告白」(NHK-FM 1999年10月20日)
  • FMシアター「幽界彷徨・桂木孝介の冒険」(NHK-FM 2000年12月2日)主演、冒頭に弔辞。
  • 金光教の時間

CM

その他

著書

  • 私説 父(オド)物語―新劇運動から「水戸黄門」まで“東野英治郎の堂々役者気質”(サリュート・1996年12月) ISBN 4931194605

脚注・出典

  1. 『日本タレント名鑑2000』 VIPタイムズ社、2000年、286。