東奥義塾高等学校
東奥義塾高等学校 | |
---|---|
過去の名称 |
東奥義塾 弘前市立弘前中学校東奥義塾 青森県立弘前中学校東奥義塾 |
国公私立の別 | 私立学校 |
設置者 | 学校法人東奥義塾 |
校訓 | 敬神愛人 |
設立年月日 |
明治5年11月27日 (1872年12月27日) |
創立記念日 | 6月28日 |
創立者 | 菊池九郎 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 | 普通科 |
学期 | 3学期制 |
高校コード | 02501B |
所在地 | 〒036-8124 |
青森県弘前市大字石川字長者森61-1 | |
外部リンク | 公式サイト |
<div style="position: absolute; z-index: 2; top: 構文エラー: * の演算対象がありません。%; left: -7446.3%; height: 0; width: 0; margin: 0; padding: 0;">
東奥義塾高等学校(とうおうぎじゅくこうとうがっこう)は、青森県弘前市大字石川字長者森にあるキリスト教(プロテスタント)系の私立高等学校。略称は「東義」。
Contents
沿革
略歴
弘前藩の藩校稽古館は、明治5年5月、弘前漢英学校へと引き継がれたが、明治5年8月の学校制度改革により、廃止となった。このため、旧藩主である津軽承昭による財政的援助のもと、菊池九郎が創立者となり、旧藩校の教師、施設、教科書などがほぼ引き継がれる形で、明治5年11月、弘前漢英学校が開学した。まもなく菊池が学んだ慶應義塾にならって東奥義塾と名付ける。
明治7年、英語教師として東奥義塾に来ていたジョン・イングの母校であるアズベリー大学に塾生5名を派遣。当初から高い給与で外国人教師を雇い、アメリカの教科書を使用していたため、明治11年の『日本奥地紀行』の著者イザベラ・バードにカレッジと言われた。現に東奥義塾出身者5名が明治10年に初めてアメリカに留学しているが、すぐに現地の大学に進学できるなど、現地の学生にひけをとらなかったとされている。
しかしながら、外国人教師はいずれも伝道者であり、伝道による宣教効果が上がるにつれ、また、本多庸一塾長などによる自由民権運動が活発化するにつれて、風あたりが強くなり、明治15年末には旧藩主からの財政支援も途絶えることとなった。財政難から明治34年3月末、弘前市へ移管されたものの、明治43年、県立工業学校(現・青森県立弘前工業高等学校)の弘前設置(校舎は東奥義塾を転用)と引き替えに廃校することとなり、それまで県へ移管することとなった。県立工業学校開校に伴い、県立弘前中学校東奥義塾は大正3年3月に廃校となってしまった。その後、米国メソジスト・ミッション(伝道教会)と東奥義塾再興を願う地元関係者の働きで、塾長に笹森順造を迎え、大正11年に再興となった。
年表
- 1796年(寛政8年)7月9日 - 9代目弘前藩藩主津軽寧親、藩校稽古館を下白銀町2に創設。
- 1872年(明治5年)5月 - 旧弘前藩学校を引き継ぎ、弘前漢英学校設立。
- 1872年(明治5年) - 公学校廃止の文部省布達に伴い、私立学校東奥義塾が新たに創設(11月27日)。
- 1873年(明治6年) - 本多庸一初代塾長となる。東北地方で初のアメリカ人英学教師チャールズ・ウォルフが就任。
- 1874年(明治7年) - 菊池九郎の要請でジョン・イングが英語教師として就任。
- 1901年(明治34年) - 弘前市立弘前中学校東奥義塾となる(財政難のため)。
- 1910年(明治43年) - 青森県立弘前中学校東奥義塾となる。
- 1913年(大正2年) - 廃校となる。
- 1922年(大正11年) - ジョン・ウェスレー宣教100年を記念して米国メソジスト教会とその関係者の協力により再興。笹森順造、再興初代塾長に就任。
- 1923年(大正12年) - 制服をダブルの黒背広とし、ネクタイを学年ごとの色別とする。
- 1947年(昭和22年) - 新学制により新制高等学校及び中学校併設となり男女共学となる。
- 1972年(昭和47年) - 開学100周年記念式典挙行。
- 1980年(昭和55年) - 特別進学コース開設。
- 1985年(昭和60年) - 建学の精神に使われてきた"敬神愛人"を正式に校訓と定める。
- 1986年(昭和61年) - 校舎移転新築工事起工式挙行。
- 1987年(昭和62年) - 石川字長者森に新校舎落成し、下白銀町から移転。
- 1988年(昭和63年) - 新制服をシングルタイプのブレザーに制定。新校舎献堂式挙行。
- 1990年(平成2年) - パイプオルガン(ドイツ カール・シュッケ社製)献納式挙行。
- 1991年(平成3年) - 教育研修会館竣工献堂式挙行。
- 1992年(平成4年) - 開学120周年記念式典挙行。
- 1993年(平成5年) - 就職希望者減少のため、単独であった就職コースが廃止。
- 1997年(平成9年) - 男女共学復活。男子の制服新装。
- 1999年(平成11年) - 新総合体育館竣工。
- 2002年(平成14年)1月29日 - 東奥義塾理事長を務めた田沢吉郎の死去により、追悼礼拝が行われる。木村守男青森県知事(当時)も参列。
- 2002年(平成14年) - 開学130周年記念式典挙行。
学科
- 全日制
- 普通科
- C1コース(正式にはC1の1はローマ数字で表記される。またの名を「特別進学コース」。2・3年次は理系コース、文系コースにわかれる)
- C2コース(正式にはC2の2はローマ数字で表記される。またの名を「進学コース」。2・3年次は理系コース、文系コースにわかれる)
- Bコース(総合コース、国際教養コース)
- 就職コース(昭和63年の校舎移転後から大学などの上級学校進学希望者が増加し、就職希望者が減少したため、平成5年に廃止)
- 普通科
著名な出身者
政治・思想
- 一戸兵衛 - 軍人、教育総監、学習院院長
- 珍田捨巳 - 外務次官、駐米大使、侍従長、牧師
- 佐藤愛麿 - 牧師、外交官、宮中顧問官
- 陸羯南 - ジャーナリスト
- 山田良政 - 革命運動家
- 山田純三郎 - 革命運動家、山田良政の弟
- 中田重治 - ホーリネス教会の創設者
- 木村守男 - 元青森県知事
- 田沢吉郎 - 元衆議院議員、元東奥義塾理事長
- 関和典 - 西目屋村長
スポーツ
- 十三ノ浦金四郎 - 大相撲力士
- 富山佐久雄 - 元プロ野球選手(読売ジャイアンツ)
- 三ヶ田礼一 - スキーノルディック複合選手
- 木村公宣 - 元アルペンスキー選手
- 佐藤久哉 - アルペンスキー選手、全日本ナショナルデモンストレーター
- 原崎政人 - 元プロサッカー選手(ベルマーレ平塚・大宮アルディージャ・ベガルタ仙台)
- 中村有 - 元プロサッカー選手(ベルマーレ平塚)
文化
- 板垣辰治 - 俳優
- 佐藤紅緑 - 作家、俳人、サトウハチローの父 ※中退、青森県尋常中学校へ転校
- 今官一 - 作家
- 寺山八郎 - 寺山修司の父
- 佐藤生朗 - 音楽家
- 鎌田紗綾 - アナウンサー(富山テレビ)
その他
- 那須隆 - 弘前大学教授夫人殺人事件冤罪者
交通
- 弘南鉄道大鰐線義塾高校前駅より徒歩3分
- JR奥羽本線石川駅より徒歩10分
- 弘南バス三本柳 - いわき荘経由 - 義塾高校線・桜ヶ丘 - 枡形経由 - 義塾高校線
参考文献
- 学校法人東奥義塾・財団法人東奥義塾協賛会 『-資料で見る-東奥義塾の歴史』 開学130年記念、2002年10月
- 「新編弘前市史」編集委員会編 『新編弘前市史 通史編4(近・現代1)』 弘前市企画部企画課、2005年10月
- 米田勇著『中田重治伝』中田重治伝刊行委員会、1959年
- 山本甲一『剣道塾長―笹森順造と東奥義塾』島津書房 2003年
- 北原かな子『洋学受容と地方の近代―津軽東奥義塾を中心に』岩田書院 2002年2月
関連項目
外部リンク
部活動実績 |
---|
テンプレート:全国高等学校剣道選抜大会女子優勝校 |