東予市
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とうよし 東予市 | |
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廃止日 | 2004年11月1日 |
廃止理由 |
新設合併 西条市、東予市、小松町、丹原町 → 新・西条市 |
現在の自治体 | 西条市 |
廃止時点のデータ | |
地方 |
四国地方 中国・四国地方 |
都道府県 | 愛媛県 |
面積 | 73.89km2. |
総人口 |
33,438人 (2004年8月31日) |
隣接自治体 |
西条市・今治市 越智郡玉川町・朝倉村(現今治市) 周桑郡小松町・丹原町(現西条市) |
東予市役所 | |
所在地 |
〒799-1394 愛媛県東予市周布349番地1 |
座標 | 東経133度5分1.2秒北緯33.925389度 東経133.083667度 |
Contents
市名の由来
合併による新市の名を検討するなかで、合併・誕生当時は東予新産業都市(新産都)の開発が進んでいた時期であり、用地に恵まれた東予市には工場が多数立地し、人口も増えて、将来的には「東予地域」の中でも中核的地域になるのではないかとの期待もあり、そうした夢も込めて「東予市」としたとされている。原地名の壬生川が難読であったことも一因である。
東予は本来、「伊予」の「東」という意味で、東予市を含む、愛媛県東部一帯の広い地域域を表現する名称である。具体的な市町村としては、東は川之江市(合併し四国中央市)から西は周桑郡丹原町(同じく西条市)や越智郡菊間町(同じく今治市)までの広い地域である。
合併により、自治体としての「東予市」は消滅したが、港名は東予港であり、カーフェリーも発着している。その意味では「東予」という地名は地図上に確かに残っているといえる。(なお、「東予」という駅はない。特急停車駅は壬生川駅。)
歴史
※これ以前の歴史は壬生川町(にゅうがわちょう) 、三芳町(みよしちょう)の記事を参照のこと。また、2町の成立以前の旧村の記事も参照のこと。
- 1971年(昭和46年)1月1日:周桑郡壬生川町と三芳町が対等合併して東予町となる。
- 1972年(昭和47年)10月1日:市制施行して東予市となる。
- 1973年(昭和48年)1月:愛媛県立壬生川工業高等学校(後の愛媛県立東予高等学校)、サッカー全国大会に出場
- 1973年(昭和48年)3月:住友重機械工業東予製造所操業開始
- 臨海工業地帯の発展始まる
- 1977年(昭和52年)5月:市庁舎落成
- 1978年(昭和53年)10月:国鉄予讃本線の特急列車、壬生川駅に停車開始
- 1988年(昭和63年)6月:田窪工業所東予工場操業開始
- 1993年(平成5年)11月:中山川ダム研究推進協議会設立。後に曲折を経て建設中止に。
- 1994年(平成6年)3月:本谷温泉館完成
- 1995年(平成7年)3月:運動公園野球場完成。
- 1999年(平成11年)10月:日新製鋼東予製造所操業開始。
- 臨海部への久しぶりの大型工場の進出となった。
- 1999年(平成11年)11月:林芙美子、宮田麻太郎記念碑完成。
- 2001年(平成13年)4月:愛媛県立東予工業高校、普通科を設置し愛媛県立東予高等学校に改称。
- 2001年(平成13年)4月:本谷温泉館リニューアルオープン。
- 2004年(平成16年)11月1日:西条市、周桑郡丹原町、小松町と新設合併(対等合併)して西条市の一部となり、東予市は自治体としては消滅した。
経済
工業
商業
電力業
- 住友共同電力壬生川火力発電所
地域
教育
- 愛媛県立東予高等学校(元東予工業高等学校)
交通
鉄道路線
道路
有料道路
国道
県道
- 主要地方道
- 一般県道
- 愛媛県道143号壬生川港小松線
- 愛媛県道144号南川壬生川停車場線
- 愛媛県道148号東予港三津屋線
- 愛媛県道150号徳能伊予三芳停車場線
- 愛媛県道154号東予玉川線
- 愛媛県道159号孫兵衛作壬生川線