東みよし町

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東みよし町(ひがしみよしちょう)は、徳島県西部に位置する

地理

吉野川中流地域の対岸に位置する2町が「三三(さんさん)大橋」によって結びついている。 北部の旧三好町側にはETC専用のスマートインターチェンジが併設されている「吉野川ハイウェイオアシス」などがあり、南部の旧三加茂町側には国の特別天然記念物の「加茂の大クス」などがある。

徳島県西部の山間地域には急峻な斜面が多く、カヤをすき込む土壌流出防止法や独特な農具の利用など特徴的な急傾斜地農耕が継承されており、「にし阿波の傾斜地農耕システム」として東みよし町を含む地域が2018年3月に国連食糧農業機関(FAO)から世界農業遺産に認定された[1][2]

四国の山間部にあっても人口減少が緩やかな地域特性(5年前比 3.6%、年率 0.7%)がある。近年では国道192号線沿線に、大型商業施設や飲食店が数多く開店し、夜遅くまで近隣市町村からの来客も多い。徳島県西部の商業においては、最も活気がある地域となっている。

  • 山:火打山(1422m), 風呂塔(1401m), 日ノ丸山(1240m)
  • 峠:東山峠(677m), 桟敷峠(1056m), 六地蔵峠(963m)
  • 河川:吉野川黒川原谷川小川谷川加茂谷川大藤谷川、山口谷川、猪ノ谷川
  • 滝:土々呂滝(滝壺側はつるぎ町)
  • 国土調査による三好市との境界変更により面積に変更あり。122.58km2→122.55km2

歴史

沿革

合併に至る経緯

  • 2002年平成14年)2月、(当時の)三好郡6町2村で「三好郡合併問題研究会」を設立した。しかし、小さな枠組みを望む東部4町と、大きな枠組みを望む西部2町2村の隔たりは大きく、三好郡全体の合併に向けた法定の合併協議会を設立することは出来なかった。この時点で、東部の井川町は合併の枠組みに関して明言を避けていた。西部の西祖谷山村も同様である。
  • 2003年平成15年)7月、三好郡西部2町2村が、井川町の合流による市制を望み「市制を目指す協議会」を発足。しかし、井川町が東部の枠組みを選択したため西部中心の市制は不可能になり、「市制を目指す協議会」は解散した。合併の枠組みは、「東部4町」と「西部2町2村」で確定し、それぞれ法定の合併協議会を設立して協議を進めることになった。「西部」では、「東部」と「西部」がそれぞれ合併した後に、「東部」に「西部」が合流する再合併を求める声もあった。
  • 2004年平成16年)9月、「西部2町2村」では人口の6割以上を占める池田町への一極集中を懸念する声が山城町・西祖谷山村で強まる。山城町で「西部」からの離脱へ向けた動きが出始める。この直後、「東部」の井川町議会で、財政格差や公共下水道事業を理由に「東部」からの離脱を可決。井川町の離脱表明を受け、同じく「東部」の三野町も同合併協議会での協議を凍結。この2町の動きを受け、山城町の動きは沈静化した。
  • 2004年平成16年)11月、「東部」から井川町・三野町が離脱し、「西部」に加入。「西部」は4町2村で協議を継続。「東部」も協議会を解散せず、2町で協議を継続。以上により、東部2町、西部4町2村の枠組みとなった。
  • 三好町・三加茂町合併協議会

町名、字名の扱いの変更

東みよし町の発足により、町名、字名は次のように変更される。

行政

産業

  • 平成12年度の産業別の就業者比率をみると、第三次産業(54.7%), 第二次産業(33.2%), 第一次産業(12.0%) となっている。産業別で見ると、近年大型量販店の進出によりサービス業、建設業、卸・小売業に従事する割合が多く、基幹的産業である農業、林業は年々割合が減少してきている。

地域

人口

東みよし町(に相当する地域)の人口の推移
総務省統計局 国勢調査より

教育

中学校

小学校

幼稚園

徳島県内では唯一、就学前の1学年のみの入園となっている。保育所との選択はできず、年齢により区分されている。

保育園

  • みかも保育所(町立)
  • みのり乳児園(民間)
  • みのだ保育園(民間) ※2016年4月 町立みよし保育所と統合され新築移転

児童館・児童クラブ

その他

交通

鉄道路線

路線バス

高速バス

  • 吉野川SA(松山・高知・池田 - 三好バスストップ - 徳島・神戸・大阪・京都)路線詳細

道路

高速道路

(三好市) - 吉野川SA(ETC専用インターチェンジ、6時 - 22時、車長12m以下) - (美馬市)

一般国道

都道府県道

農道

市町村道

名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事

出身有名人

(旧三加茂町

(旧三好町

脚注

関連項目

外部リンク