木古内町
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木古内町(きこないちょう)は、北海道渡島総合振興局中部にある町。
Contents
町名の由来
一説には、干満の差が激しく、満潮時に潮が川を逆流することから「リリオナイ(リロナイ)[1]」(波・入れる・川:潮の差し入る川)と呼ばれたためとされる[2]。
地理
渡島管内、渡島半島南西部に位置。南部は津軽海峡に面し、北部は山岳。木古内市街地のわずかな平野部を除いて、ほとんどは山岳・丘陵地帯。冬は積雪が多く「特別豪雪地帯」に指定されている。
江戸時代から交通の要所で、沿岸に沿って北海道新幹線、国道228号、道南いさりび鉄道線が走る。青函トンネル及び海峡線開通後、木古内駅は特急停車駅となり、2016年3月26日には北海道新幹線が開業した。
- 山:桂岳(734m)
- 河川:木古内川
- 湖沼:
隣接している自治体
人口
木古内町(に相当する地域)の人口の推移 | |
総務省統計局 国勢調査より |
沿革
縄文時代、擦文時代から栄えた。石器などが発見される。
江戸以前
- 1433年(嘉吉3年):木古内町に和人が来住。
- 1457年(康正3年):コシャマインの乱。松前藩を築いていく。
- 1624年(寛永元年):「リル・オ・ナイ」または「リコナイ」というアイヌ語が転化して木古内とつけられた。
- 1799年(寛政11年):幕府の直轄地となり、山本長右衛門が治める。
明治以降
- 1869年(明治2年):箱館戦争の舞台となる。大鳥圭介が指揮をとった。
- 1879年(明治12年):木古内、泉沢、札苅3村戸長役場を設置。
- 1902年(明治35年):上磯郡木古内村、釜谷村、泉沢村、札苅村(さつかり)が合併。二級町村制により、上磯郡木古内村となる。
- 1919年(大正8年):一級町村制。
- 1942年(昭和17年):町制施行、木古内町となる。
姉妹都市・提携都市
経済
基幹産業は漁業、農業、畜産など。
漁業
- 木古内漁港
- 釜谷地区
- 泉沢地区
- 札苅地区
農協・漁協
- 新函館農業協同組合(JA新はこだて)木古内支店
- 上磯郡漁業協同組合木古内支所
郵便局
- 木古内郵便局(集配局)
マスメディア
宅配便
公共機関
警察
教育
- 道立高等学校
- 北海道木古内高等学校(2010年度より生徒募集停止、2011年度を以って閉校、廃校)
- 中学校
- 木古内中学校
- 小学校
- 木古内小学校
- 鶴岡小学校(2010年度閉校、廃校)
交通
鉄道
かつては松前線が分岐していたが、 1988年(昭和63年)2月1日に廃止された。また、江差線は木古内駅から江差駅まで営業しており、町内に渡島鶴岡駅、吉堀駅が設置されていたが、2014年(平成26年)5月12日に廃止された。
バス
タクシー
- 松前圏のエリアに属する。
タクシー会社
- 北光ハイヤー
道路
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
- 道の駅みそぎの郷 きこない
- 木古内町寒中みそぎ祭り - 佐女川神社などで毎年1月に寒中でおこなわれる水行。「みそぎ行事」として町の文化財に指定されている。
- きこない咸臨丸まつり - 毎年8月15日、16日に開催。1871年にサラキ岬沖で座礁沈没した咸臨丸を顕彰するまつり。咸臨丸太平洋横断時乗組員の子孫が毎年参加している。
- サラキ岬
- 札苅村上芝桜園
- 道南トロッコ鉄道 - 江差線廃線跡を利用
- 木古内町郷土資料館「いかりん館」
出身の有名人
脚注
- ↑ アイヌ語ラテン翻字: rir-o-nay
- ↑ “アイヌ語地名リスト オニシベ~キタ P31-40P”. アイヌ語地名リスト. 北海道 環境生活部 アイヌ政策推進室 (2007年). . 2017閲覧.
関連項目
外部リンク
典拠レコード: