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有働克也

有働 克也(うどう かつや、1969年9月24日 - )は、兵庫県神戸市長田区出身の元プロ野球選手投手、右投右打)・コーチ1996年の一時の登録名有働 勝次(うどう かつじ)。

経歴

プロ入り前

小学3年で野球を始める[1]神港学園時代は控え投手だった事もあり目立たぬ存在だったが、大阪経済大学に入り素質が開花[1]。1年生春に6勝無敗で最優秀投手を獲得するなどエースとして活躍した[1]関西六大学リーグ通算67試合に登板し26勝22敗、防御率1.62[1]。最優秀選手に1度、最優秀投手に2度、ベストナインに3度選出された[1]

大洋・横浜時代

1991年ドラフト3位で横浜大洋ホエールズ(現:横浜DeNAベイスターズ)に入団[1]。1年目から先発ローテーション投手として活躍。

ストレートは130キロ台半ばで、カーブやスライダー、シュートなどで打たせて取る投球が持ち味だった。フォームはオーバースローだが、1試合に何球かサイドスローから投げてバッターのタイミングを外し、カウントを整えた。このサイドスローのことを有働は、「おちょくり投法」と呼んでいた。

1993年、球団名が横浜に変更となった最初の開幕投手を務め、オールスターゲームにも出場[1]。翌1994年も開幕投手を務めて勝利投手になり[1]、規定投球回数もクリアしチーム二位の8勝を挙げた。

しかし以降は体重増の影響からか恒常的に精細を欠き、年々成績は下降していくこととなった。1996年は防御率8点台と不振に終わり、球団から予想外の戦力外通告を受けた(この際、兄貴分の佐々木主浩が球団に猛抗議。一時は退団、メジャーリーグ挑戦もほのめかした)。

中日時代

1997年中日ドラゴンズへテスト入団し開幕5戦目に先発登板するなど期待はされたが、移籍1年目はわずか1勝にとどまった[1]

1998年ウエスタン・リーグ最多勝投手となるが一軍登板はなかった[1]。翌1999年も一軍登板はなく、同年オフに戦力外通告を受け、オリックス・ブルーウェーブの入団テストを受けるも不合格。

台湾時代

2000年台湾和信ホエールズでプレー[1][2]。球速は物足りないものの精緻なコントロールを発揮し5勝7敗・防御率2.26の記録を残したが、和信フロントは先発投手としてはスタミナ不足であることを懸念し、他の選手と契約するためにシーズン中に戦力外通告を受けた[2]

引退後

退団後はヤクルトスワローズ打撃投手を経て、2004年から古巣横浜(後にDeNA)の打撃投手となった。2009年からはスコアラーやチームサポーターも兼務。2015年から2016年はDeNAの二軍投手兼育成担当コーチを務めた。その後は再度スコアラーとなる。

詳細情報

年度別投手成績

1992 大洋
横浜
19 9 1 0 0 3 6 0 -- .333 275 61.1 62 7 35 1 4 38 2 0 36 34 4.99 1.58
1993 25 20 1 0 0 6 6 0 -- .500 487 122.2 98 13 36 0 5 69 1 0 48 45 3.30 1.09
1994 28 22 2 0 1 8 7 0 -- .533 556 130.0 150 14 40 2 3 57 2 0 49 49 3.39 1.46
1995 22 15 0 0 0 4 7 0 -- .364 348 78.2 94 7 34 2 0 35 1 0 47 47 5.38 1.63
1996 14 10 1 0 0 1 3 0 -- .250 200 40.0 71 4 18 0 3 12 3 0 39 37 8.33 2.23
1997 中日 19 3 0 0 0 1 4 0 -- .200 153 37.1 39 2 11 1 2 20 1 0 17 17 4.10 1.34
2000 和信 18 14 0 0 0 5 7 1 0 .417 359 83.2 92 4 17 1 4 27 1 1 36 21 2.26 1.31
NPB:6年 127 79 5 0 1 23 33 0 -- .411 2019 470.0 514 47 174 6 17 231 10 0 236 229 4.39 1.46
CPBL:1年 18 14 0 0 0 5 7 1 0 .417 359 83.2 92 4 17 1 4 27 1 1 36 21 2.26 1.31
  • 大洋(横浜大洋ホエールズ)は、1993年に横浜(横浜ベイスターズ)に球団名を変更

記録

NPB投手記録[3]
  • 初登板:1992年4月23日、対阪神タイガース5回戦(横浜スタジアム)、8回表に4番手として救援登板、1回無失点
  • 初先発登板・初勝利・初先発勝利・初完投勝利:1992年5月3日、対中日ドラゴンズ5回戦(横浜スタジアム)、9回1失点7被安打7奪三振2与四死球
  • 初奪三振:同上
NPB打撃記録[4]
  • 初打席:1992年5月3日、対中日ドラゴンズ5回戦(横浜スタジアム)、上原晃と対戦
  • 初安打:同上、単打[注 1]
  • 初打点:同上、上原晃から1打点
NPBその他の記録

背番号

  • 10 (1992年 - 1993年)
  • 14 (1994年 - 1996年)
  • 42 (1997年 - 1999年)
  • 21 (2000年)
  • 99 (2003年)
  • 103 (2004年 - 2008年、2010年 - 2014年)
  • 86 (2015年 - 2016年)

登録名

  • 有働 克也 (うどう かつや、1992年 - 1996年8月12日、1997年 - 1999年)
  • 有働 勝次 (うどう かつじ、1996年8月13日 - 同年終了)

脚注

注釈

  1. 上原晃から記録したとは限らない。[4]

出典

  1. 1.00 1.01 1.02 1.03 1.04 1.05 1.06 1.07 1.08 1.09 1.10 プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、84ページ
  2. 2.0 2.1 「和信鯨 有働克也」-運動視界、2015年5月30日閲覧テンプレート:Zh-tw icon
  3. ベースボール・レコード・ブック1993(ベースボール・マガジン社、1992年12月)、209・242ページ
  4. 4.0 4.1 ベースボール・レコード・ブック1993(ベースボール・マガジン社、1992年12月)、242ページ

関連項目

外部リンク

テンプレート:横浜大洋ホエールズ1991年ドラフト指名選手 テンプレート:横浜DeNAベイスターズ開幕投手