昭和電力

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昭和電力株式会社(しょうわでんりょく)は、昭和初期に存在した日本電力会社である。当時の大手電力会社大同電力子会社

富山県から福井県滋賀県京都府を経て大阪府へ至る約300キロメートルの長距離送電線を保有し、北陸地方にある発電所の発生電力を大消費地である大阪へと送電した。発電事業も兼営しており、富山県と福井県に計2か所の水力発電所を建設・運営していた。1926年(昭和元年)設立、電力の国家管理を目的とした国策会社日本発送電1939年(昭和14年)に合併した。

沿革

昭和電力は1926年(昭和元年)12月27日に発足した[1]昭和天皇が即位して「大正」から「昭和」に改元したのは、会社設立2日前の12月25日のことである。

東京市麹町区(現・東京都千代田区)に設立された昭和電力は、当初は大手電力会社である大同電力と、鉱山開発などを手がける久原鉱業との共同出資であった。北陸地方を流れる庄川水系・九頭竜川水系の開発と関西名古屋方面への送電を目的としており、このうち庄川水系の開発の競合回避のために大同電力と久原鉱業の共同出資となった。ただし、1928年(昭和3年)1月に久原鉱業は所有する昭和電力株のほぼすべてを大同電力傘下の投資会社大同土地興業に売却してこの事業から撤退している。社長は大同電力の増田次郎(1928年から大同電力2代目社長)が就任した[2]

昭和電力がまず着手したのは北陸と関西を結ぶ長距離送電線の建設である。元は、大同電力の前身である日本水力が企画していたもので、それを引き継いで1927年(昭和4年)4月に着工した。大同電力の支援の下、2つの変電所を含めて1929年(昭和4年)6月に完成した。この長距離送電線「北陸送電幹線」は亘長296キロメートルで、送電電圧は154キロボルト富山県の笹津変電所を起点とし、石川県福井県滋賀県琵琶湖北岸、京都府を経由し、大阪府の八尾変電所を終点とした。同じ大同電力系列の電力会社で、神通川支流高原川において水力発電所を運営していた神岡水電の発生電力3万キロワットを起点の笹津変電所で受電し、八尾変電所へ送電、ここから大同電力に供給するようになった[2]

ファイル:Soyama power station and Soyama Dam.jpg
関西電力祖山発電所(2010年)

北陸送電幹線の建設に続いて、自社発電所である祖山発電所1930年(昭和5年)12月に竣工した。富山県の庄川本流に建設した発電所で、最大出力約5万キロワットのダム水路式発電所である。祖山発電所の発生電力も北陸送電幹線により大同電力へ送電された[2]が、北陸送電幹線はそのほかにも大同電力の委託により日本海電気の発送電力(最大1万キロワット)、日本電力の委託により同社の発生電力(最大2万3000キロワット)をそれぞれ笹津から八尾へと送電していた[3]

不況により1930年代前半は発電所の新規開発を中断していたが、景気の好転に伴い1936年(昭和11年)10月に2つ目の発電所の建設に着手した。福井県内、九頭竜川水系の東勝原発電所で、1937年(昭和12年)12月に竣工した。同発電所の発生電力は、下流側にある大同電力西勝原発電所(現・北陸電力西勝原第二発電所)へ送電されここから大同電力へ供給された。続いて1938年(昭和13年)4月に同じく九頭竜川水系で下打波発電所を着工した[3]

しかし下打波発電所の完成を待たずに昭和電力は消滅する。その契機となったのは、日中戦争を背景として進展した電力の国家管理である。国家管理の第1段階として、まず1939年(昭和14年)4月1日に国策会社日本発送電が設立され、各電力会社が所有する火力発電所と主要送電線を強制的に現物出資させた(第1次国家管理)[4]。この第1次国家管理の際、強制出資の対象にならなかった残余の資産もすべて出資して親会社の大同電力は解散した[5]。昭和電力でも2つの変電所と北陸送電幹線など送電線3路線を日本発送電に出資した。また大同電力が日本発送電に全資産を出資した影響で、大同電力・大同土地興業が所有していた昭和電力株がすべて日本発送電の所有となり、昭和電力は日本発送電の子会社となった[6]。第1次国家管理の下でも祖山・東勝原の両水力発電所は昭和電力に帰属したままであり[7]、水力発電所が日本発送電への強制出資の対象に含まれるようになる(第2次国家管理)のは1941年(昭和16年)以降のことであるが[8]、昭和電力は大同電力の後を追い半年後の1939年10月31日に日本発送電に合併して消滅した[9]

日本発送電への合併直後の1939年11月、昭和電力が着工した下打波発電所は運転を開始した[10]。日本発送電が戦後1951年(昭和26年)に解散した際、九頭竜川水系の東勝原・下打波の両発電所は北陸電力へ継承された[11]が、庄川水系の祖山発電所は関西電力に継承されている[12]

年表

  • 1926年12月27日 - 昭和電力株式会社設立。
  • 1928年1月 - 親会社の一つ久原鉱業が持株をもう一つの親会社大同電力グループに譲渡。
  • 1929年6月 - 富山から大阪に至る長距離送電線「北陸送電幹線」竣工。
  • 1930年12月 - 祖山発電所運転開始。
  • 1937年12月 - 東勝原発電所運転開始。
  • 1939年4月1日 - 親会社大同電力解散、日本発送電の傘下に。送電線などの設備を日本発送電に出資。
  • 1939年10月31日 - 日本発送電と合併。
  • 1939年11月 - 昭和電力が着工した下打波発電所が日本発送電の手で運転を開始。

主要設備

発電所

昭和電力が建設・運営していた発電所は以下の2か所で、いずれも水力発電所である。

祖山発電所
所在地は富山県東砺波郡平村(現・南砺市祖山)。
1930年(昭和5年)12月運転開始、最大出力は当初4万7,500キロワット1937年(昭和12年)8月に5万4,000キロワットに増強[13]庄川本流から取水し(使用水量毎秒82.8立方メートル、有効落差67.85メートル)、発電用水車フランシス水車)3台と容量2万キロボルトアンペア発電機3個で発電する[14][15]
合併により1939年(昭和14年)10月、日本発送電が継承した[13]。戦後同社の解体に伴い1951年(昭和26年)5月に関西電力が継承。関西電力祖山発電所(地図)として稼動している。
東勝原発電所
所在地は福井県大野郡五箇村(現・大野市東勝原)。
1937年(昭和12年)12月運転開始、最大出力は2,610キロワット[16]九頭竜川支流打波川とその支流谷間川から取水し(使用水量毎秒8.6立方メートル、有効落差37.7メートル)、発電用水車1台(フランシス水車)と容量3,000キロボルトアンペアの発電機1個で発電する[14][15]
祖山発電所と同様1939年10月に日本発送電が継承[16]。1951年5月、関西電力ではなく北陸電力に継承され、北陸電力東勝原発電所(地図)として稼動している。

変電所

昭和電力の変電所は以下の2か所である。

笹津変電所
所在地は富山県上新川郡大沢野村(現・富山市)。出力は4万8,000キロボルトアンペア[17]
八尾変電所
所在地は大阪府南河内郡志紀村(現・八尾市)。出力は18万2,000キロボルトアンペア[17]

主要送電線

送電電圧が40キロボルト以上の主要送電線は以下の通り。

北陸送電幹線
笹津変電所と八尾変電所を結ぶ亘長296.0キロメートルの送電線である。最大電圧は154キロボルト、周波数は60ヘルツ1929年(昭和4年)7月に使用開始[18]
庄川送電幹線
祖山発電所と福光開閉所を結ぶ亘長13.7キロメートルの送電線で[18]、福光開閉所で北陸送電幹線に接続する[19]。最大電圧154キロボルト、周波数は60ヘルツ。1929年7月に使用開始[18]
笹津送電線
笹津変電所と牧開閉所を結ぶ亘長20.4キロメートルの送電線である。最大電圧は77キロボルト、周波数は60ヘルツ。1931年(昭和6年)5月に使用開始。分岐線に猪谷分岐線(亘長0.47キロメートル)、牧開閉所と神岡水電跡津発電所(岐阜県)を結ぶ跡津分岐線(亘長3.3キロメートル)がある[18]

脚注

参考文献

  • 中外産業調査会(編) 『人的事業大系』2(電力篇)、中外産業調査会、1939年。NDLJP:1458891
  • 逓信省電気局(編) 『電気事業要覧』第29回、電気協会、1938年。NDLJP:1073650
  • 名古屋逓信局(編) 『管内電気事業要覧』第18回附録、電気協会東海支部、1939年。NDLJP:1115384
  • 北陸地方電気事業百年史編纂委員会(編) 『北陸地方電気事業百年史』 北陸電力、1998年。