昌平橋駅
昌平橋駅(しょうへいばしえき)は、東京府東京市神田区(現:東京都千代田区)にあった国有鉄道(開業時は帝国鉄道庁、廃止時は内閣鉄道院)中央本線の駅。
解説
1904年(明治37年)12月31日に、甲武鉄道は飯田町駅から御茶ノ水駅[1]までを開業。直ちに御茶ノ水駅から万世橋駅までの工事に着手するが、工事途中の1906年(明治39年)10月1日に甲武鉄道が鉄道国有法により国有化される。工事は国有鉄道に継承され、万世橋駅延伸までに約7年を要した。
その間、1908年(明治41年)4月19日に御茶ノ水駅以東の0.3哩(≒0.48km)が延伸開業し、仮駅(仮停車場)として紅梅河岸高架橋上に昌平橋駅(昌平橋停車場)を設置した。1911年(明治44年)5月1日に中央本線が全通すると、名古屋に至る中央本線の始発駅(起点)となったが、1912年(明治45年)4月1日に万世橋駅までの0.2哩(≒0.32km)が延伸開業され、仮駅の昌平橋駅は廃止された。
2014年(平成26年)12月13日、御茶ノ水駅開業110周年を記念して記念入場券が発売され、万世橋駅及び昌平橋駅のレプリカ入場券が付属した[2]。
歴史
- 1908年(明治41年)4月19日 - 帝国鉄道庁(国有鉄道)の駅として運輸営業を開始[3]。
- 1909年(明治42年)10月12日 - 国有鉄道線路名称制定により中央東線の所属となる[4]。
- 1911年(明治44年)5月1日 - 中央本線が全通、始発駅(起点)となる[5]。
- 1912年(明治45年)4月1日 - 万世橋駅の開業(旅客取扱開始)に伴い廃止[6]。
駅構造
仮駅として開業したため本格的な駅舎は建設されず、煉瓦造り4連アーチの紅梅河岸高架橋上に仮設のプラットホームと木造ホーム上屋が設けられた。駅入口と改札は高架橋の1番アーチ(神田方)に設けられ、神田川に張り出して設置された仮設階段から、高架橋上のプラットホームに上がる構造だった。
プラットホームは片面ホーム1面1線で、プラットホーム東端で仮設階段と連絡していた。また、神田川側に側線が設けられていた。
仮駅廃止に伴い構造物は撤去され、現在は駅の痕跡すら存在しない。また、紅梅河岸高架橋下のアーチ部は個人商店や倉庫として使われていたが、ジェイアール東日本都市開発により再開発され、2008年(平成20年)に聚楽グループのエル・チャテオデルプエンテ(JR紅梅橋高架下1号)、酒亭じゅらく お茶の水店(JR紅梅橋高架下2号)、Chinese Café 杜蘭香(JR紅梅橋高架下3号)、CAVE BAR 紅梅河岸(JR紅梅橋高架下4号)が入居している。
駅画像
- 昌平橋駅ホーム 190804.JPG
昌平橋駅プラットホーム
1908年(明治41年)4月 - 昌平橋架道橋 190807.JPG
昌平橋駅(左)と昌平橋架道橋
1908年(明治41年)7月 - 昌平橋駅遠景 190804.JPG
昌平橋駅遠景(現聖橋附近から撮影)
1908年(明治41年)4月 - 万世橋高架橋 190905.JPG
建築中の万世橋高架橋と昌平橋駅(右奥)
1909年(明治42年)5月
隣の駅
- 鉄道院
- 中央本線
- 御茶ノ水駅 - 昌平橋駅
脚注
- ↑ 当時の御茶ノ水駅は現在地よりも新宿寄りのお茶の水橋東側にあった。
- ↑ 御茶ノ水駅 開業110周年記念入場券 発売、鉄道コム
- ↑ 『官報. 1908年04月17日』「市街線御茶水昌平橋間運輸營業開始」(明治41年4月17日遞信省告示第475號)
- ↑ 『官報. 1909年10月12日』「國有鐵道線路名稱」(明治42年10月12日鐵道院告示第54號)
- ↑ 『官報. 1911年04月05日』「國有鐵道線路名稱中改正」(明治44年4月5日鐵道院告示第17號)
- ↑ 『官報. 1912年03月29日』「中央本線昌平橋停車場廢止同線萬世橋停車場ニ於テ旅客取扱開始」(明治45年3月29日鐵道院告示第26號)
関連項目
外部リンク
- 「神田仮想現実図書館24 ミスター「HONDA」若き日のガード下物語【前編】」『KANDAルネッサンス』64号、NPO法人神田学会、2003年1月25日、10-11頁
- 「神田仮想現実図書館25 ミスター「HONDA」若き日のガード下物語【後編】」『KANDAルネッサンス』65号、NPO法人神田学会、2003年4月25日、10-11頁