日比谷公会堂
日比谷公会堂 Hibiya Public Hall | |
---|---|
情報 | |
完成 | 1929年10月19日 |
開館 | 1929年 |
収容人員 | 2,085人 |
設備 | 日比谷公会堂・日比谷公園大音楽堂 |
用途 | 演劇、講演会、集会 等 |
運営 |
東京都指定管理者 日比谷公会堂・大音楽堂管理事務所 |
所在地 | 東京都千代田区日比谷公園1-3 |
位置 | 東経139度45分20.4秒北緯35.671694度 東経139.755667度 |
アクセス | 地下鉄霞ケ関駅下車 |
公式サイト | 日比谷公会堂/日比谷野音 |
日比谷公会堂(ひびやこうかいどう、Tokyo Metropolitan Hibiya Public Hall)は、東京都千代田区の日比谷公園の中にある多目的ホールである。現在は長期休館中。
概要
沿革
東京市長でもあり、中立な市政のための調査機関の必要性を訴えていた後藤新平の主張に安田善次郎が共鳴、当時としては巨額の350万円の寄附を得て、「東京市政調査会(市政会館)」およびそれに併設する公会堂として計画された。
建物は指名設計競技で一等となった佐藤功一の設計になるもので、1929年に竣工した。現在も同建物(市政会館)内に公益財団法人後藤・安田記念東京都市研究所(旧 東京市政調査会)がある。ちなみに開場式で、新聞を破いた音が参加者全員に聞こえたという。関東大震災の教訓から、地盤は2000本を越す松材で固められている。
かつて、東京では事実上唯一のコンサートホールとしてプロフェッショナルのオーケストラの演奏会やリサイタルなども多く開かれたが、東京文化会館を皮切りにNHKホール、昭和女子大学人見記念講堂、サントリーホール、オーチャードホール、東京芸術劇場といったコンサート専用ホールやコンサートに使用可能な多目的ホールが整備されるに従い、コンサートホールとしての地位は低下して行く。講演会、イベントなど音楽会以外の利用が増え、クラシック音楽の演奏会はほとんど開催されなくなった。
なお、1975年のバイエルン放送交響楽団来日公演では、指揮者のラファエル・クーベリックが「日比谷公会堂の音響に問題がある」としてプログラムを変更する事件が起こっている(「知ってるようで知らない指揮者おもしろ雑学」ヤマハミュージックメディア、P59)。
この状況を憂う文化人が再興を提唱し、2007年秋、井上道義指揮によるドミートリイ・ショスタコーヴィチの交響曲全曲演奏会「日露友好ショスタコーヴィチ交響曲全曲演奏プロジェクト2007」が開催された。
戦前から政治演説会や国民(人民)大会が数多く行なわれた場所でもある。自由民主党はこの日比谷公会堂で総裁公選を執行するための臨時党大会を何度も開いている[1]。
1960年10月12日の浅沼稲次郎暗殺事件は、この日比谷公会堂における立会演説会での出来事である。
管理運営は、2006年(平成18年)4月1日より、日比谷野外音楽堂とともに、東京都の指定管理者である民間企業グループにより行われている。
2014年12月25日、日比谷公会堂を管理する東京都が、施設の老朽化及び耐震化を理由とした大規模改修工事を実施するため、2016年(平成28年)から改修工事終了まで施設の使用を休止すると発表した[2][3]。
所在地と最寄り駅
東京都千代田区日比谷公園1-3
ギャラリー
- Hibiya Public Hall-1.jpg
ホール入口(2010年2月12日撮影)
- Hibiya Public Hall-2.jpg
ホール内の資料展示場(2010年2月12日撮影)
- Hibiya Public Hall-3.jpg
ホール内の資料展示場(2010年2月12日撮影)
- Hibiya Public Hall-4.jpg
ホール内のカフェ(2010年2月12日撮影)
関連項目
脚注
- ↑ 岸内閣総辞職 昭和毎日 1960年7月15日
- ↑ 日比谷公会堂の予約受付の休止について (PDF) 東京都建設局 2014年12月25日付
- ↑ 日比谷公会堂:16年度から使用休止 耐震工事など実施 毎日新聞 2014年12月26日閲覧
外部リンク
- 日比谷公会堂
- 公会堂で6年ぶり一流オーケストラ公演 「殿堂・日比谷」復権へ動く(フジサンケイ ビジネスアイ 2007年10月10日付け)