日本語の一人称代名詞
日本語の一人称代名詞は、日本語において、一人称すなわち話し手を指す代名詞である。英語、フランス語、中国語など他の多くの言語と異なり、現代日本語には文法的に名詞とはっきり区別される代名詞がなく、様々な語が一人称代名詞として使え、それぞれ文体や立場が異なる[1]。また同じ語でも平仮名、片仮名、漢字で読み手に与える印象が異なる。
Contents
- 1 役割語
- 2 一人称と二人称
- 3 一人称単数代名詞の一覧
- 3.1 公的表現
- 3.2 私的表現
- 3.3 ビジネス文書
- 3.4 職業
- 3.5 団体・組織
- 3.6 無線
- 3.7 古風
- 3.7.1 我輩、吾輩、我が輩、吾が輩(わがはい)
- 3.7.2 某(それがし)
- 3.7.3 朕(チン)
- 3.7.4 麻呂・麿(まろ)
- 3.7.5 あ
- 3.7.6 我・吾(われ・わ)
- 3.7.7 余・予(よ)
- 3.7.8 小生(しょうせい)
- 3.7.9 吾人(ごじん)
- 3.7.10 愚生(ぐせい)
- 3.7.11 非才・不才・不佞(ひさい・ふさい・ふねい)
- 3.7.12 あっし
- 3.7.13 あちき
- 3.7.14 わっち
- 3.7.15 妾(わらわ)
- 3.7.16 拙者(せっしゃ)
- 3.7.17 身ども(みども)
- 3.7.18 僕(やつがれ)、手前(てまえ)
- 3.7.19 此方(こなた)、此方人等(こちとら)
- 3.7.20 私め(わたしめ)(わたくしめ)
- 4 一人称複数代名詞
- 5 代名詞を使わない一人称
- 6 脚注
- 7 関連項目
役割語
フィクション、特に漫画やアニメの脇役の一人称代名詞は、役割語であることが多い[2]。このため現実には使われないような代名詞もある。
少年漫画の主人公の一人称代名詞は、当初は「僕」であったが、1960年代後半の『巨人の星』や『あしたのジョー』などから「俺」が主流になった。ヒーロー像がエリート少年から野性的な少年に変わったためと考えられる[2]。
また一人称が発話者自身の役割を示す役割語でもあることから、複数ある一人称からいずれを選ぶかは発話者自身による個性の主張であると同時に自身の役割の主張でもある。逆に、自我が形成され自身の役割に関して悩み多い思春期には、一人称に何を用いるかについて悩む場合がある。特に前述の少年漫画の主人公の一人称が変わった頃は、その影響を受けた少年にとって「僕」を用いることはそれ以前のヒーロー像である「目上の人に従順な良い子」であることを主張していることになり、反抗期の特性としてこれから脱却したい。さりとて「俺」を用いることは自身で自身を少年漫画のヒーローの役割であると主張することとなり、それは他者からの嘲笑を誘うのではないか、と悩む場合があった。
一人称と二人称
日本語では、一人称が二人称に転用される事が多い。例えば、「自分」は近畿地方の一部で二人称としても用いられてきたが、現在では他の地方でも用いられる事が多くなっている。東北地方の一部では「我(われ)」が短縮したもの(または「我」の古い言い方)と思われる「わ」が一人称としても二人称としても用いられている。
ちなみに、古くは一人称に用いられていたと思われる「手前(てまえ)」が訛った「てめえ」は、現在では主に東日本方言において、相手を罵るときに用いられる言葉になっており、同じく一人称の「我(われ)」は、主に近畿方言において、相手を罵るときに用いられる言葉になっている。
一人称単数代名詞の一覧
以下にあげたもの以外にも日本人が使用する一人称は存在しており、どれだけの語が一人称になっているかは、未だにわかっておらず、正確な数は把握されていない。日本語は一人称となる語が最も多い言語と言われるが、実際に最多か否かも把握されていないのが実情である。
公的表現
私(わたし)
日本人が最も多く使用する一人称である。わたくしのくだけた言い方。近世以降にわたくしのくが省略された、わたしが女性を中心に見られるようになった。現在では男女ともに使用する[3]。公の場ではたとえ男性であっても自分のことをわたし、もしくはわたくしと言うのが礼儀とされている[4]。女性が常用する場合は「あたし」「うち」とは異なり、やや真面目な女性の言葉とされている。
かつての常用漢字表では「私」の訓読みは「わたくし」のみが認められていたため、公用文や放送用語では「わたし」はひらがなで表記することになっていたが[5]、2010年の常用漢字表改定で「わたし」という訓読みも認められるようになった[6]。
なお、活字媒体などで東北方言を表現する際、「わだす」「あだす」「わす」のような一人称が用いられることがあるが、話者自身は「わたし」または「あたし」や「わし」と発言しているのであり、一人称のバリエーションではなくあくまで発声のバリエーションである。また、表記としての「わだす」「あだす」「わす」は、共通語話者の立場から聞き取れる音を、共通語の表記体系に無理に当てはめようとしたものであり、実際の東北方言の発音を正確に写し取ったものではない。
私的表現
自分(じぶん)
スポーツ選手など、いわゆる体育会系の男性がよく使用する。刑事ドラマ『西部警察』では渡哲也が演じた主人公・大門圭介が用いた。この他にタレントの風見しんごらも用いる。
文章でもしばしば使われる一人称であり、その場合は女性も用いる場合もあるが、改まった文章やビジネス文書では使われない。
関西圏では「自分」を二人称でも用いる(「てめえ」や「おのれ」の用法変化と相似)。
国語審議会は『「じぶん」を「わたし」の意味に使うことは避けたい』と述べた[4]。旧日本軍では一人称を「自分」とすることが推奨されたが、自衛隊では任官時の服務の宣誓に代表されるように「私」を使用することが推奨されている。
僕(ぼく)
主に男性が私的な場面で用いるが、ある程度フォーマルな場での使用も許容される。男性の謙称であり、字義としては「僕(ボク)」は男の召し使いを指しており、女は「妾(ショウ)」を用いる。僕妾でしもべとめかけ、下男下女。『古事記』において速須佐之男命(スサノオ)や因幡の白兎などがしばしば自分を「僕」と呼んでいるが、これは「あ」または「やつこ」と訓じられる。平安時代頃からの文書では「やつがれ」と訓じられていた。かつて「僕」は謙譲語としての敬意が非常に高かったが、武家教養層などの使用を経て、1860年代には謙譲性の低い語となっていった[7]。1863年、奇兵隊が自称として用いたことが知られている[8]。明治時代になって、書生などが愛用し、広く用いられる語となった[7]。
「ボク」とボにアクセントをつけて読む人と、「ボク」と平板型アクセントで読む人がいるが、共通語では前者が遙かに優勢である[9]。
男児に対する二人称として使われることがあるのは、「手前」「自分」と同様の変化によるものである。
俺
多く男性に使用されている。主に私的な場面において広く通用しており、公の場での使用は憚られる傾向にある。
「おれ」は「おら」の転訛で、鎌倉時代以前は二人称として使われたが次第に一人称に移行し、江戸時代には貴賎男女を問わず幅広く使われた。明治以降になると共通語では女性の使用者は少なくなったが、東北地方を中心に方言では根強く残っている。愛知県西三河地方でも農業地区では女性の一人称として今日に至っても使用されている事例がある。
また、アクセントは平板型(「れ」の方が高く、それとほぼ同じ音高で後の語が開始する)が一般的であるが、一部地域(例として静岡県静岡市や静岡県志太地域など)では「お」にアクセントを付けて使用することもある。後者は、小学生の児童の「僕」から「俺」への移行期にもよく聞かれる。
「俺」という字は長らく常用漢字になかったが、2010年の常用漢字表改定で追加された。追加する字を決める際、「品がない言葉だ」「公の場で使うべきでない」として反対する意見もあったが、最終的に追加された。
俺様(おれさま)
「俺」を高慢にした表現。「あいつは俺様な奴だから」などと他者から揶揄・批判される場合[10]を除き、実際に自称として用いられる事は少ない。
儂、私(わし)
共通語では創作の世界における老人や武士の一人称とされることが多い。愛知県・岐阜県・北陸地方以西の西日本各地では、高齢層以外でも男性が用いる。ただし、そうした地域でも近年ではメディアの影響から若い人を中心に「俺」などに取って代わられつつある。一部地域では(主に高齢層で)女性が使う場合もあり、例えば愛知県の一部では「わたし」の「た」の音が抜けたような「わっし」に近い発音で女性が用いる。常用している著名人としては小林よしのり、井脇ノブ子、の他、達川光男、石崎信弘、木村和司ら広島県人が有名。そのほか、力士にも常用者が多い。
あたし
「わたし」のくだけた表現。日本の多くの女性は「わたし」かこの「あたし」を使うが、改まった場では「わたし」ときちんと発音すべきとされている[4]。かつての東京では職人や商人が好んで使い、現代でも落語家が使用する場合もある。
あたくし
「わたくし」のくだけた表現。一般的には昭和時代の漫画やアニメなどで高慢な女性の一人称として用いられ、実際の日常生活で聞くことはほぼない言い方である。伝統的な東京方言では通常の改まった一人称として男女とも使用した表現であり、現在も桂歌丸など落語家が使用している。
「あたくし」のネットスラング的な表現にアテクシがあり、インターネット上の書き込みなどにおいて少し気取った自称として使用される例がある。
あたい
「あたし」のさらにくだけた表現で、主に蓮っ葉な女性が使う。現在では稀だが、創作の世界では見られる。かつて、鹿児島方言などにも見られた。著名人では中島みゆきが使う。
わて
近世末期以降の近畿地方で用いる表現。「わたし」から変化した「わたい」がくだけたもの。男女とも使用し、京都などでは「わて」がさらにくだけて「あて」とも言った。現在の近畿地方では落語の世界や高齢層を除いてほぼ死語となったが、創作の世界では関西人の一人称としてしばしば用いられる。
わい
近世末期以降の近畿地方で用いる表現。「わし」がくだけたもので、専ら男性語。青森県の下北地方では、男女共に「わい」を用いる。東京式アクセントの話者には、「わい」を「猥」や「賄」などの語に聞き取り、不快な印象を持つ者の割合が多い[11]。
うち
所有格としては全国一般で男女関係なく用いられるが、一人称主格としては西日本を中心に主に女性語として用いられてきた。九州の豊日方言地域など、男女関係なく用いる地域もある。21世紀になると、低年齢層の女性において日本全体で使われるようになり、使用者が年齢を重ねるにつれてその使用層も増えている。
己等(おいら)
主に男性が使用する。かわいこぶるときに男女とも使用する事もある。ちなみに「俺等」もしくは「俺ら」と書いて「おいら」と呼ぶ表現もある。
俺ら(おら)
使用されるのは主に関東地方以北で、現代では「俺ら(おら)東京さ行ぐだ」という歌詞にもあるように、役割語として使用される場合が多い。特に北海道南部の主に沿岸や青森県をはじめとする東北地方や富山県などではオラの「ラ」にアクセントが来る(「俺」と同じアクセントである)。昭和初期の首相・陸軍大将の田中義一は山口県出身だが、一人称が「おら」だったことから「おらが大将」といわれた。創作の世界では『ドラゴンボール』の孫悟空、『クレヨンしんちゃん』の野原しんのすけらが用いている。
おい、おいどん
九州、特に南九州地方の男性が使う。「おれ」「おり」の変型。「おいどん」は年配の男性(戦前生まれの中では女性も)が使う。松本零士の作品『男おいどん』で知名度が上がった。長崎市出身の福山雅治も地元では「おい」を使う。
全国的には「きみ」「お前」の意味の二人称でも使われる。「おい!こら!」は喧嘩などの威嚇で使われるが、本来の意味は「君、これは何?」であり、明治初期に薩摩出身の警官が多かったことから普及した。
うら
北陸方言(福井県、石川県など)や東海東山方言(ナヤシ方言)で、主に男性が使う。昔は女性も使っていた。
わ、わー
北海道南部の沿岸や津軽方言では男女の区別なく使われる。伊予では主に年配の男性が使い、二人称で使われることも同等にある。「我」の変化と思われる。沖縄方言(ウチナーグチ)などでの一人称、主に男性が使う
ぼくちゃん、ぼくちん
主に男の子が使用する。かわいこぶっていたり、ふざけて使う場合がある。『笑点』に出演した三遊亭小圓遊がふざけて使用した。
おれっち
「俺」の変型で江戸っ子言葉。石原慎太郎のエッセイによると、江戸っ子は「おれたち」「おれら」という俺の複数称を単数称にも使い、「おれら」が崩れたのが「おいら」であり「おれたち」が崩れたのが「おれっち」であるという。現在では静岡県中部地区を中心に使われている。
おりゃあ、ぼかぁ、わたしゃ、あたしゃ、わしゃあ、おらぁ
一人称+「は」を崩した表現で「ゃあ」や「ぁ」を既成の一人称につけ足す表現がある。山本五十六はプライベートでは「おらぁ」と自称することが多かったと言われている。
ミー
英語の目的格一人称であるmeを借用したもの。通常の日本語では用いられないが、小笠原諸島で話されていた日本語(八丈方言)と英語のクレオール言語である小笠原方言で使われていた(小笠原方言では、英語の主格一人称であるIは用いられなかった)。フィクション作品などでは、外国かぶれのキャラクターが用いたりする例がある。有名なところでは『おそ松くん』のイヤミが使用していた。
ビジネス文書
当方(とうほう)
話者本人及び、話者の属している場所、団体などを含めて言われる場合が多い。ビジネスなど、比較的改まった場で使用される。
職業
本官・小官
警察官、士官、裁判官、事務次官等の官職にある者が自分を指す言葉。たとえば第1回帝国議会における山縣有朋首相の施政方針演説の一人称が「本官」であった(山縣は陸軍大将だったので前記の「士官」に該当する)。現在ではほとんど用いられなくなっているが、フィクションにおいて警官などが用いることはある。小官は謙譲語。
本職・小職
公務員が職務において用いる。例えば、供述調書では録取者である検察官や警察官などを示す定型語として「本職」が用いられる。小職は謙譲語。
当職・弊職
一定の職務にある者が当該職務において用いる。弁護士、弁理士、司法書士等の専門職が用いることが多い。弊職は謙譲語。
愚僧(ぐそう)、拙僧、愚禿(ぐとく)
僧侶がへりくだった言い方。「愚禿」は特に親鸞が多用したことで有名[12]。
団体・組織
当○・弊○
「当社」「弊社」(会社または神社)、「当行」「弊行」(銀行)、「当法人」「弊法人」(監査法人など)、「当組合」「弊組合」(組合)、「当院」「弊院」(病院・医院)、「当校」「弊校」(学校)など。「弊○」は謙譲語。なお、「当○」は三人称として用いられることもある。
無線
当局(とうきょく)
アマチュア無線家同士の会話や文書で使われる。二人称は貴局(ききょく)と言う。本来はアマチュア無線通信における表現であり、送信者が送信局であるため。
こちら
アマチュア無線で使用される。通信において自らの名を名乗る場合、「こちら山田」のように表現していたものが由来。これから転じてか、電話や通信の際に「こちら本部」「こちら339便」などのように用いられることもある。
古風
我輩、吾輩、我が輩、吾が輩(わがはい)
もったいぶった、尊大な表現。『吾輩は猫である』の題名および主人公の一人称として有名である。実在の人物では福田赳夫が使っていたが、当時すでに「あまりに古風」と批判する向きもあったという。このほかデーモン閣下も使用している(聖飢魔IIの構成員も使用することがあった)。
某(それがし)
中世以降の用法。謙譲の意を示すが、後には尊大の意を示した。主に男子の語として用いる。戦国時代などに多く使われた。
朕(チン)
かつて古代中国において王侯貴族が使っていたが、始皇帝が皇帝のみ使用できる一人称として独占した。それに倣い、日本においても天皇が詔勅や公文書内における一人称として用いた。終戦の玉音放送でも用いられている。しかし、戦後は公式文書や発言の中から朕の使用は徐々になくなり、今上天皇はわたくしを使用している。ただし、戦前においても朕は文書やその朗読で使われたのみで昭和天皇も口語ではわたしを使用していた(プライベートでは僕)。尚、漢字朕には「兆し」という意味がある。
麻呂・麿(まろ)
古代の日本において男性名に使われていたが(柿本人麻呂、坂上田村麻呂など)、平安時代以後一人称として使用されるようになり、身分や男女を問わずに用いられた。現代では主に創作において公家言葉として使われる。吉川幸次郎は水滸伝の翻訳の際、朝廷の高官の一人称として「まろ」を使用したことがある。
あ
我・吾(われ・わ)
現在では口頭ではほとんど使われず、文章においても書名などの改まった場合に用いられるだけである(たとえばアイザック・アジモフ『われはロボット』、テンプル・グランディン『我、自閉症に生まれて』など)。ただし「我が家」・「我が国」のように、“私の〜”という意味の言葉ではしばしば用いられる。
現在、関西圏などの方言では、二人称にも使用する。また沖縄方言では、「我」(ワン)が専ら一人称として用いられたが、明治以降の標準語教育によって現在ではほとんど用いられなくなっている。
余・予(よ)
平安時代以後使用されるようになった。予・余共に「われ・わ」と訓じる。尚、余を「あまる」「われ」、予を「あらかじめ」「われ」等と訓じられるのは、昭和21年内閣告示第32号『当用漢字表』に依って、本来別字である餘(あまる)、豫(あらかじめ)を余(われ)、予(われ)それぞれに統一したからである。
小生(しょうせい)
主に書面上で用いられ、男性が自分を遜って使う。現在でも書簡には用いられる[13]。
吾人(ごじん)
かつて書簡や文章で、男性が使用した。岩波文庫巻末の「読書子に寄す」で用いられているのが現代見かける数少ない例である。
愚生(ぐせい)
かつて書簡で、男性が謙称として使用した。
非才・不才・不佞(ひさい・ふさい・ふねい)
自らの才をへりくだって使う。主に男性用である。
あっし
主に男女を問わず、庶民に多く使用された。「あたし」がさらに崩れた結果、「あっし」になったと考えられている。
あちき
様々な地方から集められた遊女達が、お国訛りを隠すために使用した「廓言葉」における一人称として、「あっし」と共に用いられた。さらに、「あちし」というのがあるが、これは時代劇などフィクションの中でのみ用いられる。
わっち
これも廓言葉として使用された女性の一人称。「あっし」や「あちき」同様、現在はほとんど使われない。ただし、美濃弁では男女問わず一人称として使われる。岐阜市のコミュニティFM局「FMわっち」の命名もこれに由来する。
妾(わらわ)
女性の謙譲の一人称で、語源は「童(わらわ)」。貴人に近づき奉仕する入れ墨をほどこされた女性・腰元(侍女)。近世では特に武家の女性が用いた。「童」は目の上に入れ墨をされ、重い袋を背負わされた奴隷の意味を表し、転じてわらべの意味をも表す。フィクションにおいては女王、王女などが尊大な演出として使う場合がある。
拙者(せっしゃ)
主に武士、侍、忍者などが自分のことを謙って使用する。僧侶の場合「拙僧」になる。遊び人風に「拙」という場合もある。
身ども(みども)
武士階級で、同輩か同輩以下に対して使われた。男性が用いる。
僕(やつがれ)、手前(てまえ)
現在でもビジネスなどで「手前ども」といった形で「こちら」の代わりに使用される。
此方(こなた)、此方人等(こちとら)
此方は話し手に距離、あるいは心理的に近い場所を表し、「こちら」の意。人を直接示すことを無作法とし、曖昧な位置で示そうとする意識に起因する表現である。主に武士階級や公卿・華族の女性が用いた。対応する庶民の無作法な言い方として、此方人等(こちとら)があり、17世紀頃から使われた。単数にも複数にも用いられるが、単数の用法のほうが新しい。
私め(わたしめ)(わたくしめ)
「め」は自分を卑下する接尾辞である。女性の使用人が主人(この場合男女は問わない)に対して使用したり位の低い者が目上の人物に対して使用する事もある。
一人称複数代名詞
〜達(たち)
話者を含んだ複数人称。ニュートラルに使用できるが謙譲語が求められる場で「わたしたち」などを用いることは不適とされる。
〜共(ども)
一人称複数の謙譲語として現在では「わたくしども」が標準とされる。
〜等(ら)
前につく一人称によってニュアンスが異なる。
- 「俺ら」(ぞんざい・親しみ)
- 「僕ら」(硬くなり過ぎない丁寧・謙譲)
- 「我ら」(非常に改まった語)
など。
我々(われわれ)
改まった言い回しであり、公的なスピーチや強い主張で用いられることが多い。
代名詞を使わない一人称
話者の名前
主に未成年の女性や幼児が使っている。使い方は、自分の下の名前(または名字)をそのまま呼んだり、言いやすくして省略したり(例:あやか→あや)、自分の名前に「ちゃん」や「くん」や「たん」をつけたりするなど種類は様々である。また、成人の男女が幼児と会話する時に使われる事がある(「○○ちゃん(自分の名前)と遊ぼうか?」など)。水木しげるは生前、自分のことを「水木サン」と呼んだが、老人としては例外的である。また、女性の使用人が主人(この場合男女は問わない)に対して使用する事もある。
外国語の場合、英語を含めて欧米の言語では動詞の活用が人称変化したり、人称代名詞の格変化があるといった文法上(文法カテゴリー)の理由から、自分の名前で呼ぶ事は一般的ではないが、幼児(セサミストリートに登場するモンスターの一人であるエルモなど)では見られることがある。一方、東アジアでは特にインドネシア語、ベトナム語の話者によって自分のことを名前で呼ぶことが行われている。かつての中国では、自分の名前を一人称として使用することは相手に対する臣従の意を示していた。たとえば諸葛亮(諸葛孔明)の出師の表では、皇帝にたてまつる文章であるので「臣亮もうす」という書き出しになっており、四庫全書総目提要は全て皇帝への上奏文であるから「臣ら謹んで案ずるに…編纂官、臣○○。臣☓☓。臣△△…」と自らの名(もしくは姓名)の前に「臣」を付けて名乗っている。かつての日本でもその影響で天皇に対する正式の自称は「臣なにがし」であった(戦後の例では吉田茂が1950年代に「臣茂」と言ったことがある)。
地位・立場
親族呼称
親族呼称とは「父さん」「母さん」「姉さん」「兄さん」「じいちゃん」「ばあちゃん」「おじさん」「おばさん」などを指す。家族の間で使われる言葉で、子供や孫を中心に据えて家族の自分の立場を表現する。
バリエーションは多彩で頭に「お」を付けたり「さん」の代わりとして「ちゃん」に置き換えたり「父さん」「母さん」のかわりに「パパ」「ママ」、「じいちゃん」「ばあちゃん」の代わりに「じーじ」「ばーば」を使用するなど実に様々である。なお、「お兄さん」「お姉さん」「おじさん」「おばさん」の表現の場合は家族関係でなくても大人が子供に使う表現である。
作者
小説作品などでは、その作者が解説として文中に自身の事を「作者」と表記する事がある。特に『羅生門』の文中にも作者である芥川龍之介が使用している。
先生
小・中・高校で教師が児童・生徒に対して使う一人称。特に義務教育の小・中学校において使う教師が多い。たまに名字を含むときもある。また、医療業界でも医師が子供の患者に使用する例がある。親族呼称の延長と考えられる。
編集子、筆者
編集子(へんしゅうし)や筆者は新聞、雑誌記事にて、署名以外にも編集者、著者の自称として用いられる一人称。新聞コラム記事の場合はその欄の名前を取って「○○子(し)」と自称することも多い。「天声人語子」など。例えば、藤沢周平が業界紙編集長としてコラム「甘味辛味」を連載していた時には「甘辛子」(あまからし)を名乗り、「甘辛子もサラリーマンのたしなみとして多少やる」などと使用している[14]。
脚注
- ↑ 人称代名詞とは何かについては議論の分かれるところである。この記事の中には人称代名詞とはとうてい考えられないような物もあるが、敢えてその議論はさけて記載している。
- ↑ 2.0 2.1 金水敏 (2003), ヴァーチャル日本語 役割語の謎, 岩波書店, ISBN 978-4-00-006827-7
- ↑ 語源由来辞典『私』の項より
- ↑ 4.0 4.1 4.2 これからの敬語 国語審議会決定、1952年4月14日。
- ↑ 「わたし」と「私」 - 最近気になる放送用語、NHK放送文化研究所、1998年8月1日更新、2011年9月25日閲覧。
- ↑ 常用漢字表(平成22年11月30日内閣告示)、文化庁。
- ↑ 7.0 7.1 新明解 語源辞典 2011/8 小松寿雄(編集)、鈴木英夫(編集) P832
- ↑ 日本語源広辞典 2012/8 増井金典(著) P983
- ↑ 新明解国語辞典 第5版、1997年、三省堂(ただし、アクセントの記載順は、必ずしも多く使われている順ではないとは書かれている)および日本国語大辞典第2版、小学館
- ↑ 『オレ様化する子どもたち』(諏訪哲二 著、中公新書ラクレ、2005年、ISBN 4121501713)といった著作も存在する。
- ↑ 馬瀬良雄(2011)。"「東京式アクセントに関する社会言語学的研究」
- ↑ デジタル大辞泉([1])
西田幾多郎に『愚禿親鸞』という随筆がある[2]。 - ↑ 小説家の乙一は『小生物語』(2004年)というエッセイを出版した。
- ↑ 藤沢周平・徳永文一『甘味辛味』(文春文庫)2012より。
関連項目
- 日本語の二人称代名詞
- en:I (pronoun) - 英語の一人称代名詞 I について(英語版)