日本百名山
『日本百名山』(にほんひゃくめいざん)は、小説家、随筆家の深田久弥の著した山岳随筆である。初刊は1964年7月に新潮社から出版され[1]、第16回読売文学賞(評論・伝記賞)を受賞した。
本著は文筆家で登山家でもあった本人が、実際に登頂した日本の各地の山から自身が定めた基準で、100座を選び主題とした随筆集。
Contents
概要
100の日本の名峰各座が4頁(2,000字)程度に巧みにまとめられた随筆である[1]が、山の地誌、歴史、文化史、文学史、山容に関する研究書であり、山格を論じたものであり、登頂にいたる過程の随想であって、紀行文集とは違う。山の選定は、深田の登山経験によるもので、1942年の『山頂山麓』、1948年の『わが山山』1952年の『をちこちの山』、1959年の『わが愛する山々』などの山岳紀行がもとになっている。本書における山の記述が、登山解説書や様々なホームページで引用されることがある[2]。登山記(紀行文)として見たときの『日本百名山』は、他の著名な山岳随筆であるウォルター・ウェストン『日本アルプスの登山と探検』や、小島烏水・志賀重昂・田部重治・冠松次郎・串田孫一などの諸作品と比較すると、一座あたりの文章量は少ない。
深田久弥の日本百名山の選定基準
日本の多くの山を踏破した本人の経験から、「品格・歴史・個性」を兼ね備え、かつ原則として標高1,500 m以上の山[3]という基準を設け、『日本百名山』を選定した。1961年(昭和36年)に上高地で開山祭である「ウェストン祭」の講演で日本百名山の選定基準を披露している[4]。
- 山の品格 - 人には人格があるように、山には『山格』のようなものがあるとし、誰が見ても立派な山だと感嘆する山であることを、第一の基準とした[5]。
- 山の歴史 - 昔から人間との関わりが深く、崇拝され山頂に祠が祀られている山であるというような山の歴史を尊重し、第二の基準とした[5]。
- 個性のある山 - 芸術作品と同様に、山容・現象・伝統など他には無いような顕著な個性をもっていることを、第三の基準とした[5]。
また「本人が登頂した山であること」が、絶対条件となっている。少年の頃から約50年の間に相当数の山に登っていて、多くの山を知っている点に自信を持っていた[5]。
前記の基準に加えて、観光的に開発されつくして「山霊のすみかがなくなっている」ような山は選ぶわけにはいかないと述べ、中学時代を過ごした福井県の荒島岳に触れて、「各県から代表の山を選ぶ」というような考えも持っていたとしている[6]。なお、47すべての都道府県から選んだわけではなく、百名山の存在しない都道府県も、西日本を中心に16府県に及んでいる。及第すれすれの山を選ぶ心情を「愛する教え子を落第させる試験官の辛さに似ていた」と述べている。
「自分の選定の試みは、旅行業界が観光振興のために選んだ「名勝百選」のようなものに比べれば正確だ」と自負する一方、自分の基準が唯一の妥当な選定基準ではないことも認めていた。新潮文庫版の「日本百名山」では、解説者の串田孫一が、「読者が自分で百名山を選定する際のたたき台として使えることもこの本の魅力」という意見を述べている[7]。
他の候補
北海道では9座が選定され、他にウペペサンケ山、ニペソツ山、石狩岳、ペテガリ岳、芦別岳、駒ヶ岳、樽前山なども有力な候補としていたが、登頂していないことにより除外された。東北地方では、秋田駒ヶ岳と栗駒山も候補としていて、森吉山、姫神山、船形山は標高が低いことから除外された。上信越は最も選定に迷った地域で、女峰山、仙ノ倉山、黒姫山、飯縄山、守門岳、荒沢岳、白砂山、鳥甲山、岩菅山なども候補としていた。日本アルプスからは28座が選定されたが、雪倉岳、奥大日岳、針ノ木岳、蓮華岳、燕岳、大天井岳、霞沢岳、有明山、餓鬼岳、毛勝山、大無間山、笊ヶ岳、七面山なども候補としていた。北陸地方では、笈ヶ岳と大笠山を入れるべきと考えていたが、登頂していなかったため除外された。自身の出身地では、荒島岳と能郷白山から前者を選択した。関西地方では、藤原岳と比良山が標高が低いため除外され、御在所岳は山頂が遊園地化し世俗化していたため除外された。中国地方では氷ノ山を次の候補としていて、蒜山や三瓶山などなだらか山が多く物足りなく感じ、鳥取県の大山1座のみの選定に至った。四国では迷うことなく、石鎚山と剣山を選定した。九州では由布岳、市房山、桜島も候補となっていた[5]。
日本百名山の背景
山岳雑誌『山小屋』での初期構想
深田は、第二次世界大戦前には日本のめぼしい山にすべて登っており、その中から百名山を選ぶという構想を持っていた[5]。全国88座の山を記した谷文晁の「日本名山図会」を念頭に置いたともいわれる。1940年(昭和15年)3月から、出版社であった朋文堂から山岳雑誌の『山小屋』で日本百名山の初期の構想であった連載を始めた。その初回で「日本百名山を選ぶのは、多年の僕の念願であった」と記載して、400-600字程度の短編に自身が撮影した写真を付けて、毎月2座合計以下の20座の連載が行われた[8]。
- 高千穂峰、乗鞍岳 - 3月号
- 岩菅山、妙高山 - 4月号
- 燧ヶ岳、至仏山 - 5月号
- 五竜岳、蓼科山 - 6月号
- 宝剣岳、高田大岳 - 7月号
- 白山、会津駒ヶ岳 - 8月号
- 薬師岳、太郎山 - 9月号
- 高妻山、霧ヶ峰 - 10月号
- 赤岳、開聞岳 - 11月号
- 湯ノ丸山、岩手山 - 12月号
『岳人』選定による日本百名山
1947年より東京新聞出版局から創刊されている山岳雑誌の『岳人』では奥山章、冠松次郎、辻村太郎ら54名のアンケートにより1年余りかけて選考が行われ、1953年(昭和28年)の3月号(59号)で「岳人選定による日本百名山」がまとめられた[9]。78座が、後に出版された深田久弥による『日本百名山』と一致していた。標高1,500 m以上であることをあくまでも原則として、山容のよいこと、景勝地であること、山頂からの展望が優れていることなどが選考条件となり、特に「登山の対象として面白い」が主眼とされていた[9]。
- 深田久弥による百名山と一致した山
- 大雪山、十勝岳、阿寒岳、斜里岳、八甲田山、八幡平、岩手山、鳥海山、早池峰山、東北朝日岳、飯豊山、月山、蔵王山、吾妻山、磐梯山、会津駒ヶ岳、魚沼三山、谷川岳、武尊山、日光白根山、男体山、燧ヶ岳、至仏山、平ヶ岳、苗場山、那須岳、赤城山、天城山、丹沢山、両神山、雲取山、甲武信ヶ岳、金峰山、瑞牆山、浅間山、蓼科山、八ヶ岳、妙高山、火打山、富士山、白峰三山、鳳凰三山、甲斐駒ヶ岳、仙丈ヶ岳、塩見岳、悪沢岳、荒川岳、赤石岳、聖岳、木曽駒ヶ岳、空木岳、木曽御嶽山、恵那山、乗鞍岳、焼岳、槍ヶ岳、穂高岳、笠ヶ岳、白馬岳、五竜岳、鹿島槍ヶ岳、常念岳、鷲羽岳、薬師岳、立山、剱岳、黒岳、白山、荒島岳、大峰山、大台ヶ原山、伊吹山、伯耆大山、石鎚山、剣山、九重山、霧島山、阿蘇山
- 深田久弥による百名山と一致しなかった山
- ペテガリ岳、石狩岳、神威岳、仙ノ倉山、白砂山、妙義山、榛名山、国師岳、戸隠山、岩菅山、笊ヶ岳、唐松岳、燕岳、針ノ木岳、烏帽子岳、毛勝岳、奥大日岳、鈴鹿山、氷ノ山、八重山、雲仙岳、傾山
雑誌『山と高原』での日本百名山の連載
1959年(昭和34年)3月から、朋文堂の雑誌『山と高原』で毎月2座の日本百名山の連載が始まった。山の地誌・歴史、文化史、文学史、山容、自身の登頂記などを2,000字程度に簡潔にまとめ、50回連続して1963年(昭和38年)4月号まで書き継がれた[10][11]。初回は鳥海山と男体山、最終回は筑波山と富士山だった。山の愛好者から好評を得て、この雑誌の読者による人気投票で第1回読者賞を獲得した[11]。その後、1年余りの推敲が重ねられて、1964年(昭和39年)に新潮社から『日本百名山』の単行本が出版された[1]。各山の文章中に、山周辺の地図と山の白黒写真が挿入された版のものある。好評を得て、深田久弥のこの著書が第16回読売文学賞(評論・伝記賞)を受賞した。その贈賞式は1965年(昭和40年)2月6日に、読売会館で行われた。
日本百名山のその後
深田久弥はこの本の出版後も相変わらず山に登り続けて、ぜひ百名山に入れたいと思ういくつかの山を知った。それらは標高としては第2線級ではあるが、その山容の美しさや品格のある点では3,000 m峰にも劣らなかったと記している[12]。1971年(昭和46年)に出版された山岳紀行エッセイ集『山頂の憩い-「日本百名山」その後』では、20座程が紹介された。ニペソツ山については、「日本百名山を出版した時、この山をまだ見ておらず、ニペソツには申し訳なかったが百名山には入れなかった。実に立派な山であることを登ってみて初めて知った。」と記載している[13]。多くの人の意見を聞いて若干の山の差替えをするつもりのようであったが[5]、結局1964年の出版後に百座の入替えが行われることはなかった。『山頂の憩い-「日本百名山」その後』が遺作となり、1971年3月21日登山中の山梨県の茅ヶ岳にて、脳卒中で急逝した。
なお、本書につづいて深田久弥は、1970年(昭和45年)に、山岳雑誌『岳人』の1月号(第271号)から『世界百名山』の連載を始めた。41座まで書かれたところで深田氏が茅ヶ岳で急逝し、未完成となったが、『世界百名山―絶筆41座』が新潮社より出版された[14]。 登山史の深い検証や幅広い文献収集を土台としており、日本百名山以上の名著とする評価もある。
1982年(昭和57年)から、茅ヶ岳山麓の山梨県韮崎市で深田久弥の遺徳を偲ぶ碑前祭である『深田祭』と記念登山のイベントが毎年実施されている[15]。 2002年(平成14年)12月に、石川県加賀市大聖寺に「深田久弥 山の文化館」がオープンした[16]。
2007年(平成19年)には屋久島のガイド・島津康一郎が日本百名山を48日間(6月14日~7月31日)で連続踏破し、平田和文が2002年に達成していた最短記録(66日間)を更新した[17]。2014年には山岳ガイドの藤川健がさらに記録を短縮し、33日間(9月1日~10月3日)という日本百名山登頂の最短記録を達成した[18][19]。
個人の日本百名山の登頂記の書籍が多数出版されている[20]。
日本百名山ブーム
本書は紀行文集でも案内書でも、まして登山入門書でもないのだが、この本を通じて、今まで知らなかった日本の山々の魅力を知り、自分もこれらの山に登ってみようという人たちが、登るべき100の山の指標だという勘違いから「日本百名山ブーム」が起き、現在も継続している[21]。百座のうち自分がいくつ登ったか増えていくのを楽しみにしている読者もいる[7]。ただし、深田久弥自身は戦前以来の経験豊富な仲間との奥深い「避衆」登山を好み、一方で第2次RCCの奥山章などの若い世代のパイオニア的な登山も背後から奨励していただけに、そのような登山初心者の風潮にいささか困惑していた。
一方、自分で山岳の探究をせずに「日本百名山」だけに人々が群がり、シーズン中の百名山周辺の山小屋が旅行会社のツアー客も交えて混雑し、登山道が荒廃するような山登りのありかたを批判する意見もある[22][23]。もとより深田久弥の「罪」とされているわけではないが、国内外で1500座以上の山岳を登頂した山歴を持つ今西錦司は、百名山は深田氏がいわば酔狂と身びいきで選定したもので、基準も関東中心で絶対的ではないとした。そして、筑波山のように東京から見える山ではなく、標高も1500メートルにも満たない低山ではあるが、生態系の多様性や歴史・伝承に満ちた集落を有し、「日本百名山」に匹敵する立派な山が京都北山の奥深くにあるのを知っている。しかし、「深田百名山」のように荒らされると困るので、どこの山なのかは絶対に書かないと、京都学派らしく皮肉っぽく述べている[24]。
1994年(平成6年)から翌年にかけてNHK衛星第2テレビジョンのテレビ番組で、『日本百名山』が映像と深田氏の文章を交えて一山につき10分ずつ全山が紹介された[25]。また、1995年に岩崎元郎・みなみらんぼうによる趣味百科『中高年のための登山学』が放映されたが[26]、その反響が大きく1997年にはその続編として岩崎元郎・山内賢による趣味悠々『中高年のための登山入門〜日本百名山をめざす』が放映され[27]、中高年登山者を中心に、さらにブームを拡大する契機となった。2012年7月2日からNHK BSプレミアムのテレビ番組『にっぽん百名山』で、日本百名山の登山を主題とする紀行番組が放送されている。
選定された百山の一覧
著書順の山の一覧
深田久弥の『日本百名山』に記述されている百座を、その順に以下のリストに示す[1][28]。国立公園内にある山、各都道府県の最高峰、火山などが多数含まれている。3,000 mを越える山が13座含まれている。高い山が少ない西日本の山の選定数は少なく、選定されていない都道府県が多数ある。
各項目の▲記号をクリックすることにより、ソートすることが可能である[29]。
地域ごとの山名一覧
- 北海道
- 東北・上信越
- 関東
- 中部
- 西日本
登山規制情報
- 草津白根山 ランクBの活火山であり、2007年12月1日より噴火警戒レベルが設定されている。2014年6月3日に気象庁は火口周辺警報を発表、噴火警戒レベルを「レベル2(火口周辺規制)」とし、湯釜火口から1km以内を立入禁止とした[30]。
- 浅間山 ランクAの活火山であり、山頂周辺(2010年4月以降は、火口から500 m以内)への立入りが禁止されていて、火山活動に応じて禁止区域が変更されている[31]。
- 焼岳 ランクBの活火山であり、1991年(平成3年)に北峰への登山規制が緩和されたが[32]、最高点の南峰への立入りは火山ガスや崩落の危険があるため立入りが禁止されている[33]。
- 御嶽山 ランクBの活火山であり、2014年9月27日の噴火に伴い、噴火警戒レベルは「レベル1(平常)」から「レベル3(入山規制)」に引き上げられており、火口から居住域近くまでの入山が規制されている[34]。
- 大山 (鳥取県) 稜線の崩落が激しくカミソリ状になっており、登山道は弥山までで剣ヶ峰を含む縦走路は立ち入り禁止となっている。(詳細は当該項目を参照)
- 阿蘇山 ランクAの活火山であり、西火口への立入り規制がある[35]。
- 霧島山 構成する御鉢、新燃岳の山は噴火警戒レベルに応じて、立入り規制が行われている[36]。
他の百名山
昨今では様々な“名山”が選定されたり、書籍・冊子として刊行されたりするようになった(数は百ちょうどとは限らない)。以下にその例を挙げる。
- 日本三百名山 - 日本山岳会の『山日記』編集メンバーによって1978年に選定された。ここで選定されたのは200の山で、それに深田久弥の百名山を加えて300としている。
- 日本二百名山 - 深田久弥のファン組織である「深田クラブ」によって、同クラブ創立10周年を記念して1984年に選定された。ほぼ全てが三百名山に入っているが、三百名山に含まない奥只見の荒沢岳が入っている。こちらも、深田久弥の百名山が全て入っている。
この他に、北海道百名山、東北百名山、うつくしま百名山、山梨百名山、関西百名山、四国百名山、九州百名山など各地の百名山、岩崎元郎選の「新日本百名山」、小林泰彦選の「日本百低山」などもある。飛騨山岳会では創立100周年を記念して2008年9月、『飛騨百山』を出版した[37]。他にも下表に示す地元の自治体、山岳会、出版社及び新聞社が選定した各県や地方の百名山などがある。2002年には、山岳写真家の白川義員が中心となり『世界百名山』を選定した[38]。
日本全国の百名山
日本全国の百名山が複数あり、特に読売文学賞を受賞した深田久弥の『日本百名山』はよく知られている。
名称 |
選定者 |
選定時期 |
備考 |
---|---|---|---|
日本百名山 | 深田久弥 | 1964年 | 第16回読売文学賞(評論・伝記賞)を受賞 |
日本二百名山 | 深田クラブ | 1984年 | 日本三百名山から99山を選択して、荒沢岳を追加した |
日本三百名山 | 日本山岳会 | 1978年 | 日本百名山に200山を追加した |
新日本百名山 | 岩崎元郎 | 2006年 | 中高年が登り易い山という点を加味して選定 |
花の百名山 | 田中澄江 | 1980年 | 山の花を中心として選定 第32回読売文学賞(随筆・紀行賞)を受賞 |
新・花の百名山 | 田中澄江 | 1995年 | 花の百名山を発表の15年後に、新たに選定 |
一等三角点百名山 | 一等三角点研究会 | ||
しま山百選 | 日本離島センター | 2017年 | 離島の観光振興のため、礼文岳(礼文島)から宇良部岳(与那国島)までを紹介 |
日本各地の百名山など
名称 |
選定者 |
選定時期 |
備考 |
---|---|---|---|
北海道百名山 | 山と溪谷社 | 1993年 | 『北海道の百名山』道新スポーツ(2000年) |
あおもり110山 | 東奥日報 | 1999年 | [39][40] |
東北百名山 | 東北山岳写真家集団 | 1990年 | 2000年に10山入替え |
うつくしま百名山 | 福島テレビ | 1998年 | 選定委員長は田部井淳子 |
会津百名山 | 会津百名山選考委員会 | 1998年 | |
甲信越百名山 | 山と溪谷社 | 2000年 | |
越後百名山 | 日本山岳会越後支部 | 1989年 | |
関東百名山 | 山と溪谷社 | 1993年 | |
栃木百名山 | 下野新聞社 | 2004年 | |
ぐんま百名山 | 群馬県 | 1993年 | [41] |
信州百山 | 信濃毎日新聞社 | 1970年 | |
信州ふるさと120山 | 長野県山岳協会 | 2011年 | 平成の大合併前の旧120市町村ごと120座[42] |
山梨百名山 | 山梨県 | 1997年 | [43] |
東海の百山 | 静岡新聞 | 2000年 | |
静岡の百山 | 静岡百山研究会 | 1991年 | |
ぎふ百山 | 岐阜県山岳連盟 | 1975年 | 120山、ぎふ百山(続)の130山を1993年に追加 |
飛騨百山 | 飛騨山岳会 | 2008年 | [37] |
富山の百山 | 富山県山岳連盟 | 2013年6月 | 富山県山岳連盟 創立65周年記念事業 |
関西百名山 | 山と溪谷社大阪支局 | 1998年 | 『近畿百名山』(近畿山岳愛好会 1976年)と68山が重複 |
大阪50山 | 大阪府山岳連盟 | 2002年 | |
ふるさと兵庫50山 | 兵庫県山岳連盟 | 1998年 | 2009年7月には『ふるさと兵庫100山』が出版された[44] |
奈良百遊山 | 奈良県健康推進課 | 2003年 | |
中国百名山 | 山と溪谷社大阪支局 | 2000年 | |
ひろしま百山 | 広島山岳連盟 | 1998年 | |
四国百名山 | 山と溪谷社大阪支局 | 2000年 | 『四国百山』(高知新聞社 1999年)と75山が重複 |
九州百名山 | 山と溪谷社 | 2002年 | 2002年改訂 |
大分百山 | 日本山岳会東九州支部 | 1980年 | |
世界百名山 | 白川義員ら | 2002年 | [38][45] |
書誌・関連書籍
『日本百名山』の本は多数重版され、改版や新装版も出版されている。深田久弥自身の著書の他に、深田久弥に関するものや、日本百名山のすべての山を解説する登山ガイド本などが多数出版されている。他にも、ビデオ・DVDなども、多数出版されている。
深田久弥自身の著書
- 深田久弥 『日本百名山』 新潮社、1964年。、ASIN B000JAFKT2。(改訂1991年。ISBN 4103184051)、(新潮文庫 1978年、ASIN B000J8KTOU。)、(改版2003年。ISBN 4101220026。)
- 深田久弥 『日本百名山』 朝日新聞社〈山の文学全集5〉、1974年。ASIN B000J99R7Y。(全12巻)
- 深田久弥 『山頂の憩い-「日本百名山」その後』 新潮社〈山の文庫1〉、1971年。 (新潮文庫、2000年4月。ISBN 4101220034)
- 深田久弥 『日本百名山』 朝日文庫〈山の文庫1〉、1974年。ASIN B000J7N024。(全6巻)
深田久弥以外の著書
- 田沢拓也 『百名山の人 深田久弥伝』 阪急コミュニケーションズ、2002年2月。ISBN 4484022036 (角川文庫、2005年3月、ISBN 4043689020)。
- 安宅夏夫 『日本百名山の背景 深田久弥 二つの愛』 集英社新書、2004年4月。ISBN 4087201368。
- 高辻謙輔 『日本百名山と深田久弥』 白山書房、2004年11月。ISBN 4894750899。
- 加藤久晴 『新・傷だらけの百名山』 新風舎、2005年6月。ISBN 4797497327。
- 石井光造 『脱百名山登山学』 白山書房、2008年7月。ISBN 9784894751217。
紀行文・登山解説書
- クレイグ・マクラクラン 『ニッポン百名山よじ登り』 橋本恵訳、小学館文庫、1997年7月。ISBN 4094111522。
- 『日本百名山登山案内』 山と溪谷社、1998年12月。ISBN 4635530175。
- 高橋秀男(監修) 『深田久弥の日本百名山花ガイド 別冊家庭画報』 世界文化社、2001年6月。ISBN 978-4418011179。
- 桜田隆範 『切手と風景印でたどる百名山』 ふくろう舎、2007年6月。ISBN 9784898062760。
- 『日本百名山地図帳』 山と溪谷社、2008年8月。ISBN 9784635530552。
- 『鳥瞰図で楽しむ日本百名山』 成美堂出版社、2011年7月。ISBN 9784415310695。
翻訳
trans. by Martin Hood One Hundred Mountains of Japan (University of Hawaii Press 2014)
関連番組
- 『日本百名山』[46]
- NHK衛星第2テレビジョンの番組。1994年4月5日に八ヶ岳からスタート。ナレーションは相川浩。
- 『花の百名山』[47]
- NHK衛星第2テレビジョンの番組。1995年4月3日にスタート。ナレーションは渡辺美佐子。
- 趣味悠々『中高年のための登山学~日本百名山をめざす』[48]
- NHK教育テレビジョンの番組。第1シリーズは1997年7月3日に開聞岳からスタート。第2シリーズは1998年9月7日に雲取山からスタート。講師は岩崎元郎。司会は山内賢。
- なお、前シリーズとして講師・岩崎元郎、司会・みなみらんぼうによる趣味百科『中高年のための登山学』があるが登山の基礎を扱ったもので日本百名山を扱ったものではない[49]。
- 『にっぽん百名山』
- NHK BSプレミアムの番組。2012年7月2日に大台ケ原山からスタート。
- 『絶景百名山』
- BSフジの番組。2010年11月19日の「穂高岳・秋」でスタート。
- 『百名山温泉紀行』
- BSフジの番組。
- 『グレートトラバース 〜日本百名山一筆書き踏破〜』[50]
- NHK BSプレミアムの番組。プロアドベンチャーレーサーの田中陽希が、屋久島・宮之浦岳からスタートし、北海道・利尻島の利尻岳まで総移動距離7,800km、累積標高10万mを、およそ200日間で踏破することを目指す。その間の移動は、一切交通機関を使わず、自分の脚とカヤックだけで行う。
脚注
注釈
出典
- ↑ 1.0 1.1 1.2 1.3 日本百名山(1964)
- ↑ 登山案内(1998)
- ↑ 筑波山 (877m) および開聞岳 (924m) のような例外もある。弥彦山、比叡山、英彦山などは名山ではあるが標高が低いことから除外された。
- ↑ 日本百名山と深田久弥(2004)、著書一覧3頁
- ↑ 5.0 5.1 5.2 5.3 5.4 5.5 5.6 日本百名山(1964)、後記
- ↑ 日本百名山と深田久弥(2004)、65頁
- ↑ 7.0 7.1 日本百名山、解説(串田孫一)
- ↑ 日本百名山と深田久弥(2004)、7-9頁
- ↑ 9.0 9.1 日本百名山と深田久弥(2004)、15-17頁
- ↑ 日本百名山と深田久弥(2004)、25-27頁
- ↑ 11.0 11.1 日本百名山の背景 深田久弥 二つの愛(2004)、219頁
- ↑ 山頂の憩い-「日本百名山」その後(2000)、15頁
- ↑ 山頂の憩い-「日本百名山」その後(2000)、115頁
- ↑ 深田久弥 『世界百名山―絶筆41座』 新潮社、1974年。ASIN B000J9GLAA。
- ↑ “深田祭”. 韮崎市観光協会. . 2011閲覧.
- ↑ “深田久弥 山の文化館”. 加賀市. . 2011閲覧.
- ↑ 百名山、最短48日で踏破 屋久の島津さん
- ↑ 「日本百名山」最短踏破に挑戦 札幌の男性
- ↑ 史上最速、33日間で日本百名山登頂達成!
- ↑ クレイグ・マクラクラン(1997)
- ↑ 日本百名山の背景深田久弥二つの愛(2004)、220頁
- ↑ 新・傷だらけの百名山(2005)"
- ↑ 脱百名山登山学(2008)"
- ↑ 日本百名山、名山考(今西錦司)
- ↑ “NHKアーカイブス保存番組詳細『日本百名山 八ヶ岳』(1994年4月5日放送)”. NHK. . 2011閲覧.
- ↑ “NHKアーカイブス保存番組詳細(1995年7月4日放送・趣味百科『中高年のための登山学』山は別世界)”. NHK. . 2013閲覧.
- ↑ “NHKアーカイブス保存番組詳細(1997年7月3日放送・趣味悠々『中高年のための登山入門〜日本百名山をめざす』開聞岳)”. NHK. . 2013閲覧.
- ↑ 『山と溪谷2011年1月号付録(山の便利手帳2011)』 山と溪谷社、2010年12月、322-323頁、ASIN B004DPEH6G。
- ↑ 本項では、記事としてより相応しい画像を募集中。よい画像があれば差し替え願いたい。また、他言語への展開を考慮して、Wikipedia:ウィキメディア・コモンズの登録画像を推奨する。
- ↑ “草津白根山の噴火警戒レベル”. 気象庁. . 2015-5-20閲覧.
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- ↑ “NHKアーカイブス保存番組詳細(1997年7月3日放送・趣味悠々『中高年のための登山入門〜日本百名山をめざす』開聞岳)”. NHK. . 2013閲覧.
- ↑ “NHKアーカイブス保存番組詳細(1995年7月4日放送・趣味百科『中高年のための登山学』山は別世界)”. NHK. . 2013閲覧.
- ↑ グレートトラバース - NHK名作選(動画・静止画) NHKアーカイブス