日本文学
Japanese literature
日本人によって日本語で書かれた文学作品の総称。日本文学は上代 (奈良時代) ,中古 (平安時代) ,中世 (鎌倉時代,南北朝時代,室町時代) ,近世 (安土桃山時代,江戸時代) ,近代 (明治時代以後) の5期に分けられる。なお上代,中古を合せて古代とする説,安土桃山時代を中世とする説,近代を明治・大正期として昭和以降を現代とする説などその他多数の説がある。形態としては,詩歌 (歌謡,和歌,連歌,俳諧,漢詩,詩ほか) ,小説 (説話,物語,御伽草子,浮世草子,草双紙など) ,戯曲 (能,狂言,浄瑠璃,歌舞伎ほか) ,日記,随筆,評論に分けることができる。美的理念としては「まこと」のほか,上代では「清 (きよし) 」「明 (あかし) 」,中古では「あはれ (あわれ ) 」「をかし (おかし ) 」「長 (たけ) 高し」,中世では「幽玄」「有心 (うしん) 」「無心」,近世では「わび」「さび」「かるみ」「滑稽」「いき」「通」や勧善懲悪思想,近代では写実主義,浪漫主義,古典主義その他があげられる。
現存する最古の日本文学の文献は7世紀のものとされる。ただし,日本には固有の文字がなかったので,文字が成立する以前のごく初期のものは,中国語の漢字を使用して表記された。異なる言語の文字を使用したため,それぞれの漢字本来の意味とは関係なく,音 (おん) に従って書き記したことで複雑になり,現代では解読が非常に困難である。また,日本文学は世界で最も豊かで実り多い文学の一つであるが,様式による制約が多い。これは短歌の詩型や「枕詞」と呼ばれる修辞法によく表われており,これらの制約のために日本文学は一般民衆の手の届かない,宮廷人や学者たちだけのものとなっていた。しかし日本文学の歴史には,作品が全く生み出されない「暗黒時代」が存在せず,いったん文学が民衆のものとなると,「古典」の宮廷詩は広く理解されるようになった。奈良時代 (710~794) に成立した『万葉集』は,日本文学における抒情詩の時代の幕あけともいえる画期的なもので,収められた約 4500首の和歌のなかには,数多くの短歌と,1首もしくは数首の返歌がついた長歌 260首が含まれている。その多くが宮廷人ではない,文学とはまったく縁のない一般民衆が詠んだ歌である。神話・伝承をまとめた日本最古の歴史書,『古事記』 (712) と『日本書紀』 (720) も奈良時代に編纂された。神話を題材とした作品は数多くあるが,なかでもこの2つは最も大きな影響力をもち,現代でも活発な研究・討論の対象となっている。古代ギリシアなどでは神話が発展して文学が生れたが,日本では神話は国家の政治的意図によって体系化された。『古事記』と『日本書紀』は,皇室の系譜を神代までさかのぼることで,支配者により一層の権威を与えることを目的につくられた。最古の長編小説『宇津保物語』 (970頃) は,平安時代 (794~1185) に源順 (したごう) によって書かれたとされる。 1010年頃に完成した紫式部の『源氏物語』は日本文学最古の傑作であり,世界文学においても最古の重要作品の一つとされる。当時のすぐれた作品のほとんどが宮廷の女性によって書かれたことから,初期の日本文学の特質は女性的な繊細さであり,『源氏物語』はその頂点に立つ作品といえる。その後何世紀にもわたって,『源氏物語』の影響を受けた作品が作られ続けた。 鎌倉時代 (1185~1333) には,藤原定家らが勅撰和歌集『新古今和歌集』 (1205) を編纂し,ここに和歌の伝統が結実した。この時代には政治の実権は武士に移って武家政治が確立しており,宮廷の女流文学は衰退していたが,和歌は盛んに詠まれ,すぐれた宮廷歌人が輩出した。『新古今和歌集』は何世紀にもわたって,最高の勅撰和歌集の地位を維持した。また,この時代には軍記物語が成立した。なかでも『平家物語』 (1220頃) は日本の国民文学の古典とされ,日本語にはない対照的な音を伝えるために漢文体を使用している。江戸時代 (1603~1867) には幕府の鎖国令により,日本は約 200年もの間世界からほぼ隔絶された。これによって日本固有の文学形式は栄えたが,その一方で諸外国の作品に触発される機会を奪われ,日本文学は新しい活力を得られなかった。この時期で最も重要なのは俳句の確立であろう。俳句は5・7・5の3句 17音の定型から成る日本独自の短詩型文芸で,もともとは室町時代 (1336~1573) に盛んになった連歌の発句が独立したものである。高度の詩情をとぎ澄まされた 17音で表現しようとする俳句は,自由に句を吟じて速さと量を誇示する談林俳諧の批判にあった。談林派の代表といわれる井原西鶴は,一昼夜で2万 3500句を詠んだという驚異的な記録をもつ。俳句は松尾芭蕉やその門人の努力により,俳諧の1分野として完成した。
ペリーの来航で鎖国が解かれ,世界への門戸が開かれたが,当初日本文学はあまり影響を受けなかった。しかし,文学史からみれば衰退期である江戸時代末期に,戯作 (げさく) と呼ばれる通俗的娯楽小説が盛んになって,すでに読者層が増大していたため,一般民衆が外国文学の翻訳に触れる機会がふえた。そのため散文にも韻文にも,それまでの日本文学にはなかった口語体が導入された。西洋の影響は次第に浸透し,自己表現のためのまったく新しい形式・手段が取入れられた。明治時代 (1867~1912) から 20世紀初期にかけて,散文文学の主流は小説となり,志賀直哉の小説に代表されるような,作者自身を主人公とする「私小説」が登場した。谷崎潤一郎,川端康成 (68年ノーベル文学賞) ,安部公房,大江健三郎 (94年ノーベル文学賞) らの作品は,国外でも広く翻訳され称賛されているが,国外で高く評価された最初の日本人作家は三島由紀夫であり,日本の作家たちは三島が切り開いた道を歩んで,海外の読者に日本文学を広めてきたといえよう。