新里紹也
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新里 紹也(しんざと しょうや、1972年8月6日[1] - )は、沖縄県出身の元プロ野球選手(内野手)。
来歴・人物
沖縄水産高校時代に第72回全国高等学校野球選手権大会に出場し準優勝[2]。卒業後は沖縄電力を経て、入団テストを経て1997年にダイエーに入団[1]。入団テストは本人によれば腕試しのつもりで受けたという[1]。ドラフト指名されても会社に残るつもりであったが[1]、周りの後押しを受けて入団の運びとなった[1]。沖縄の社会人チーム出身者としては安仁屋宗八以来のプロ入りであった。
2年目の1998年、小久保裕紀の故障などにより一軍初出場。主に内野の守備固めとして68試合に出場、5盗塁を記録した。しかし、それ以降は打撃の弱さから一軍に呼ばれることも少なくなり、翌1999年はわずか7試合出場に終わる。2000年には一軍出場がなく、二軍でも打率1割台と低迷し戦力外通告を受けた。
テストを受け2001年に近鉄に移籍し、前田忠節、阿部真宏らとショートのポジションを争うが、ショーン・ギルバートの加入もあり、23試合出場に終わり同年限りで戦力外となった。現役晩年は痛み止めの薬が原因で肝臓を痛めてしまった[1]。
その後は沖縄のクラブチーム、儀間組でプレーした後、野球教室「89塾」を主宰[1]。
詳細情報
年度別打撃成績
年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1998 | ダイエー | 68 | 102 | 82 | 12 | 18 | 2 | 1 | 0 | 22 | 6 | 5 | 0 | 8 | 1 | 9 | 0 | 2 | 23 | 2 | .220 | .309 | .268 | .577 |
1999 | 7 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 | |
2001 | 近鉄 | 23 | 44 | 39 | 10 | 9 | 3 | 0 | 0 | 12 | 3 | 0 | 0 | 1 | 0 | 4 | 0 | 0 | 10 | 0 | .231 | .302 | .308 | .610 |
通算:3年 | 98 | 147 | 122 | 22 | 27 | 5 | 1 | 0 | 34 | 9 | 5 | 0 | 9 | 1 | 13 | 0 | 2 | 33 | 2 | .221 | .304 | .279 | .583 |
記録
- 初出場:1998年4月28日、対日本ハムファイターズ3回戦(東京ドーム)、8回裏に浜名千広に代わり二塁手として出場
- 初盗塁:1998年5月12日、対日本ハムファイターズ6回戦(福岡ドーム)、7回裏に二盗(投手:芝草宇宙、捕手:小笠原道大)
- 初安打:同上、8回裏に今関勝から三塁内野安打
- 初打点:1998年7月19日、対オリックス・ブルーウェーブ17回戦(福岡ドーム)、8回裏に丸尾英司から左前2点適時打
- 初先発出場:1998年7月20日、対オリックス・ブルーウェーブ18回戦(福岡ドーム)、2番・三塁手として先発出場
背番号
- 65 (1997年 - 2000年)
- 62 (2001年)