新潟空港
新潟空港(にいがたくうこう)は、新潟県新潟市東区に所在する国管理空港。空港法では第4条第1項第6号に該当する空港として政令で定める空港(国管理空港)に区分されている。
Contents
概要
新潟市東区の北東部(下山地区)に所在し、北側は日本海に、東側は阿賀野川の河口部に、西側は信濃川河口付近にそれぞれ面する。
滑走路は2本あり、全ての旅客・貨物路線は海沿いに設けられた主滑走路のB滑走路を使用する。B滑走路の東側に設けられ、北東から南西へ伸びる副滑走路のA滑走路は、主に使用事業の小型機およびヘリコプターが使用する。
ターミナルビルは、B滑走路の南側中央部に設けられたエプロンに面し、その西側には併設される航空救難部隊として航空自衛隊新潟分屯基地の専用エプロンやハンガーが設けられており、新潟救難隊の救難捜索機などが常駐している。ターミナルビル南側には車道と駐車場をはさみ、A滑走路の磁気方位04終端に面して東から西に新潟県警察航空隊、東北電力、中日本航空、朝日航洋、新潟県消防防災航空隊、海上保安庁第九管区海上保安本部新潟航空基地などのハンガーが立ち並ぶ共同のサウスエプロン地区がある。なお、制限表面[1]には円錐表面と外側水平表面が設定されていない。
東西冷戦期であった1973年6月に、当時のソビエト社会主義共和国連邦のハバロフスク空港との間にアエロフロートと日本航空による共同定期便が就航して、新潟港とともに日本における東側諸国への窓口となった。1979年には韓国の金浦国際空港との定期便がいち早く就航するなど、国際線が比較的早い段階で開設された地方空港の1つである。冷戦終結後にロシアの航空会社の成田国際空港への乗り入れが自由化されたこともあり、ロシアの航空会社の乗り入れはなくなったものの、現在もソウルや台北、上海やハルビンからの乗り入れが行われている。
国土交通省は2009年度以降、国管理空港の個別収支試算を公表しているが、新潟空港の営業損益は2009年7月に発表された2006年度分で約23億円、2010年7月に発表された2007年度分でも約20億円、2011年に発表された2008年度分でも、約13億円のそれぞれ赤字となっており、国管理空港の営業損益としては福岡空港、那覇空港などに次いで全国ワースト5位以内となっている[注釈 1]。
敷地内には防衛省の施設として航空自衛隊の分屯基地が置かれ、国土交通省の関連施設では東京航空局新潟空港事務所、海上保安庁の新潟航空基地(格納庫、事務所)などがある。
歴史
年表
- 1929年(昭和4年)
- 1930年(昭和5年) : 北蒲原郡松ヶ崎浜村へ移転し、新潟市営飛行場として開港。
- 1941年(昭和16年) : 日本陸軍の徴用飛行場となる。
- 1945年(昭和20年) : 太平洋戦争終結により、連合国軍の1国であるアメリカ軍が軍用飛行場として接収する。
- 1950年(昭和25年) : A滑走路1,829mの供用開始。
- 1954年(昭和29年)4月5日 : 松ヶ崎浜村が新潟市に編入合併されたため、当空港が同市内となった。
- 1958年(昭和33年)
- 1962年(昭和37年)3月15日 : 航空自衛隊の新潟基地隊が新編される。
- 1963年(昭和38年) : A滑走路1,314mに短縮、B滑走路1,200m新設。
- 1964年(昭和39年)6月16日 : 新潟地震で被災。液状化現象と津波により滑走路が浸水するなど被害が出る[注釈 3]。
- 1966年(昭和41年)12月 : 航空自衛隊新潟基地隊が航空救難群に編入される[3]。
- 1967年(昭和42年)10月25日 : 新潟基地隊が新潟救難隊へと新編される。
- 1972年(昭和47年)
- B滑走路1,900mに延長。ジェット化される。
- 10月27日 : ターミナルビル(2代目)の改築が完了し供用を開始。
- 1973年(昭和48年)6月 : 初の国際定期航空路となるハバロフスク線を開設[4]。
- 1979年(昭和54年)12月 : 国際定期航空路・ソウル線を開設[4]。
- 1981年(昭和56年) : B滑走路2,000mに延長。
- 1991年(平成3年)6月 : 国際定期航空路・イルクーツク線を開設[4]。
- 1993年(平成5年)4月 : 国際定期航空路・ウラジオストク線を開設[4]。
- 1996年(平成8年)
- 1998年(平成10年)
- 2004年(平成16年)10月23日 : 新潟県中越地震が発生。県内の主要交通路が一部寸断されたため翌10月24日から臨時の羽田線を開設した他、自衛隊をはじめ国・県の救難拠点として10月27日より11月10日まで臨時の24時間運用を実施した(国管理の地方空港における災害発生時の終日運用は初のケース)。
- 2013年(平成25年)10月27日 : 運用時間を21時30分までに延長。それに伴いターミナルビルの営業終了時刻を21時15分に延長。
- 2014年(平成26年)3月30日 : ターミナルビルの営業終了時刻を21時に繰り上げ[5]。運用時間には変更無し。
旅客数
以下に乗降客数を示す[6][7]。マウスポインタを棒グラフの各要素に合わせると、該当年度の数値がポップアップする。 {{ #invoke:Chart | bar-chart | height = 300 | width = 380 | stack = 1 | group 1 = 1015626 : 1094304 : 1021124 : 1037409 : 1054179 : 1083634 : 1025297 : 1006181 : 1019290 : 965151 : 840258 : 753122 : 726454 : 675094 : 810213 : 863170 : 876253 : 853889 : 878132 | group 2 = 0:0:0:0:0:0: 213084 :0:0:0:0:0:0:0:0:0:0:0:0 | group 3 = 155542 : 192307 : 225391 : 224885 : 227808 : 161529 : 215491 : 230042 : 238713 : 227996 : 208676 : 200381 : 194198 : 183782 : 175693 : 153601 : 131919 : 126861 : 113215 | colors = LightSeaGreen : skyblue : Tomato | group names = 国内線 : (臨時羽田線) : 国際線 | units suffix = 人 | x legends = ::2000年度:::::2005年度:::::2010年度:::::2015年度: }} 年間乗降客数は1969年が3.9万人だったが、1970年には7.3万人に急増、オイルショックなどにより高度経済成長期が終焉してもジェット化により路線開設が続き、1981年まで増加した[8]。同年の年間乗降客数上位は、羽田線(20.4万人)、大阪線(14.9万人)、千歳線(11.4万人)、名古屋線(11.0万人)、仙台線(5.0万人)、福岡線(4.2万人)[8]。しかし、1982年11月の上越新幹線開業により、1983年9月に羽田線が休止に追い込まれ、当空港の年間乗降客数は40万人前後にまで落ち込んだ[8]。乗降客数の低迷から福岡線も休止となるが、空港全体の乗降客数は1986年から増加し始めた[8]。その後、仙台線が休止される一方で福岡線が復活し、那覇線も新設。年間乗降客数100万人前後の空港になった。
2013年度(平成25年度)の年間利用客数は、国内86万3170人、国際15万3601人で合計101万6771人であった。100万人超を達成したのは、リーマン・ショックが発生した2008年度(平成20年度)以来5年ぶりである[9]。その後は100万人/年度前後で横這い傾向が続いている。
国際線の就航
冷戦下ながら米ソのデタント期に入っていた1964年、ソビエト連邦の極東と日本の日本海沿岸諸都市との間の貿易(日ソ沿岸貿易)の発展のため全ソ輸出入事務所「ダリイントルグ」が設置されると、新潟市は翌1965年(昭和40年)4月にソ連極東の中心都市・ハバロフスクと姉妹都市を締結し、7月には新潟港 - ナホトカ港間の定期貨物船航路開設に漕ぎ着けた。
滑走路延長とターミナルビル改築が終わると1973年(昭和48年)6月に、当空港の年間乗降客数が10万人台だった[8]にも関わらずに、日本航空およびアエロフロート・ソ連航空(当時)によりハバロフスク空港線が開設された。2011年(平成23年)夏まで運航されていたウラジオストク空港線、ハバロフスク空港線の極東ロシア方面2路線は開設当初、日本国内では新潟からしか運航していなかった。この極東ロシア路線は運休以前、ウラジオストク航空が運航していた[注釈 4]。しかし2010年(平成22年)春、両空港と成田国際空港を結ぶプログラムチャーター便(のちに定期化)の運航が開始されると、新潟便は週各2便から各1便に減便され、搭乗率も低下[注釈 5]。加えて2010年(平成22年)10月末から3月末までの間、路線開設以来初の冬季休航が決定するなど路線の規模縮小が相次いだことから、新潟県・市は経済・文化交流などの面から懸念を示していた。その後11月下旬、ウラジオストク航空に対して県が最大7000万円、市が最大3000万円を支援する旨を申し出たことから、両路線とも冬季休航を中断して12月下旬から順次運航を再開。だが2011年3月11日に発生した東日本大震災の影響で搭乗者数が大幅減となったため、両路線とも同月下旬から休航となり、ウラジオストク線のみ同年夏に一時再開したものの再び休航となるなど、近年の極東ロシア路線の運航体制は紆余曲折をたどっており、両路線とも運航再開の目途は立っていない。
県と市ではプログラムチャーター便による運航再開を探るなどしたものの、この間にロシア政府が国内の航空会社のグループ再編を指示したことから、ウラジオストク航空がアエロフロートグループへ再編入されるなどした影響もあって、両路線とも再開の目途が立たない状況が長らく続いた。県と市は極東ロシア内陸部のヤクーツクを拠点とするヤクーツク航空と交渉を進め、2012年6月8日、同社がヤクーツク空港 - ハバロフスク空港 - 当空港間の路線新設に向けて検討を進めている旨を公表し[10]、さらに同年8月のロシア国内向けの報道では、同社がウラジオストク - 当空港間の空路を同年冬、ハバロフスク - 当空港間の空路についても2013年夏を目途に、それぞれ開設を目指している旨が伝えられた[11]。2012年冬季間の運航は実現に至らなかったものの、2013年夏季は新潟 - ウラジオストク間は同年7月30日から8月20日まで毎週火曜日に1往復を、新潟 - ハバロフスク間は8月3日と8月10日に各1往復運航した[12]。また2014年も7月15日から9月16日まで2か月間にわたり、ウラジオストク発着とハバロフスク発着のプログラムチャーター便をそれぞれ週1便運航する予定だが[13]、定期便としての運航再開の目途は依然立っていない。
2018年2月現在、韓国の仁川国際空港、中華民国の台湾桃園国際空港、中華人民共和国のハルビン太平国際空港と上海浦東国際空港の、計4つの定期路線が運航されている。
施設
空港各施設は「新潟市東区松浜町」に所在する。当地は、旧松ヶ崎浜村(1954年に新潟市に編入)の村域にあたる。江戸時代以降に行われた阿賀野川の流路改修により、同村域は左岸の当地と右岸の北区松浜地区中心部とが隔てられた。
1996年7月11日より供用開始した(3代目)ターミナルビルには「エアリウム (AIRIUM)」という愛称があるが、現在使用される機会は少ない。
ターミナルビル
ターミナルビルは地上4階地下2階建てで、延床面積は28,805m2。2階にボーディング・ブリッジ4基(国内線用2基、国際線用1基、国内・国際共用1基)を備える。
搭乗・到着については、西側が国内線、東側が国際線となっており、それぞれゾーンが青、赤に色分けされている。
ターミナルビル内では、フレッツスポット、docomo Wi-Fi、moperaU公衆無線LANといった公衆無線LANサービスを利用し、パソコンやスマートフォンで高速インターネット通信が利用できる。
コミューター空路の佐渡線は旭伸航空が就航した1996年以来、ターミナルビルと駐車場・ロータリーを挟んだ150m南側の運航所で搭乗手続きや乗客の乗降を行っていたため、他の空路や路線バスとの乗り換えが不便であったが、2011年7月から同空路に就航した新日本航空は2012年4月26日から搭乗カウンターをターミナルビル内へ、乗降場所をターミナルビル横へそれぞれ移転し、利便性を高めている。
- Niigata VORTAC.JPG
空港内に設置されている新潟VORTAC
就航路線
航空会社が2社以上掲載されている路線はコードシェア便(共同運航路線)。最前に掲載されている航空会社の機材・乗務員によって運航されている。
国内線
航空会社 | 就航地 |
---|---|
日本航空 (JAL) [注釈 6] | 新千歳空港、大阪国際空港 |
全日本空輸 (ANA) [注釈 7] | 新千歳空港、成田国際空港、中部国際空港、大阪国際空港、福岡空港、那覇空港(6~9月運休) |
フジドリームエアラインズ (FDA) ・ 日本航空 (JAL) | 名古屋飛行場、福岡空港 |
アイベックスエアラインズ (IBX) ・ 全日本空輸 (ANA) | 大阪国際空港 |
Peach (APJ) | 関西国際空港 |
- 過去の定期運航路線
- 旭川空港・女満別空港・丘珠空港[注釈 8][8]・千歳空港[8]・函館空港・いわて花巻空港・秋田空港・仙台空港[8]・東京国際空港(羽田空港)[8]・佐渡空港・富山空港・小松空港[注釈 8][8]・神戸空港・広島西飛行場
これらのうち羽田線は1982年11月15日の上越新幹線開通以降に利用者が減少したため、1983年8月31日をもって定期路線としての運航が休止されたが[注釈 9]、災害時に臨時便として運航された実績が2例ある。
1例目は2004年10月23日に発生した新潟県中越地震の影響で新幹線が不通になった際、同年10月24日より2005年1月4日までの間、日本航空と全日空の2社が計1119便を運航し、約21万3000人が利用した。2例目は2007年7月16日に発生した新潟県中越沖地震の影響で新幹線が設備点検のため一時運転見合わせとなった際、同日および翌日に日本航空と全日空が各1往復の計4便を運航し、232人が利用した。
国際線乗継便
新潟空港と成田国際空港、中部国際空港を結ぶ便には、共同運航便(コードシェア便)として外国航空会社便名が付与される。外国航空会社便名での利用は国際線乗継旅客に限られ、国内区間のみの利用は運航する航空会社の便名となる。
目的地 | 運航する航空会社 | コードシェアする航空会社 |
---|---|---|
成田国際空港 | 全日本空輸 (NH) | エティハド航空 (EY) ・ タイ国際航空 (TG) ・ ニュージーランド航空 (NZ) ・ [[ファイル:テンプレート:Country flag alias PHL|border|25x20px|テンプレート:Country alias PHLの旗]] フィリピン航空 (PR) |
中部国際空港 | 全日本空輸 (NH) | タイ国際航空 (TG) ・ 中国国際航空 (CA) |
国際線
航空会社 | 就航地 |
---|---|
大韓航空 (KE) ・ 日本航空 (JL) ・ デルタ航空 (DL) | 韓国・仁川国際空港(ソウル) |
ファーイースタン航空 (FE) | 中華民国・台湾桃園国際空港(台北) |
中国南方航空 (CZ) | 中国・ハルビン太平国際空港(ハルビン) |
中国東方航空 (MU) ・ 日本航空 (JL) | 中国・上海浦東国際空港(上海) |
- China Southern Airlines Airbus A320 RJSN.JPG
中国南方航空のA320
- China Eastern Airlines Airbus A320 RJSN.JPG
中国東方航空のA320
- Korean Air Boeing 777-200 RJSN.JPG
大韓航空のB777-200
就航都市
国内線
国際線
かつての定期運航路線
この他にもチャーター便の誘致を進めており、過去に済州国際空港や、中華人民共和国の北京・天津・大連・青島・広州(深圳)などの直轄市・副省級市・経済特区などへの運航実績がある。県と新潟市ではチャーター便の運航実績づくりを通じて、東アジア方面を中心とした定期路線の誘致と、国内線も含めたLCC路線の誘致を進めている。
関連機関・事業者
- 東京航空局
- 新潟空港事務所
- 海上保安庁
- 第九管区海上保安本部新潟航空基地(施設位置)
- 県の機関
- 民間事業者
- Japan air self defense force Raytheon U-125A KIJ.jpg
航空自衛隊新潟救難隊のU-125A
- Japan Coast Guard JA9930 Bell-212 KIJ.jpg
第九管区海上保安本部のBell-212 KIJ
- Niigata Police JA01NP Bell-412EP KIJ.jpg
新潟県警察のBell-412EP
- Niigata Air Rescue Sikorsky S-76B JA6747.JPG
新潟県消防防災航空隊のSikorsky S-76B
交通
本数・所要時間・運賃・料金等の詳細は、該当項目や公式サイトを参照。
路線バス
- 新潟交通
- 新潟駅南口バスターミナル発着(エアポートリムジン・直行)
- 1日あたりの運行本数 : 新潟駅南口発33本、新潟空港発32本(平日・土休日とも)
- 所要時間 : 約25分
- 新潟駅万代口バスターミナル発着 万代シテイバスセンター経由(各停)
- 1日あたりの運行本数 : 新潟駅万代口発 平日16本・土休日14本、新潟空港発 平日17本・土休日13本
- 所要時間 : 約30分
- 新潟駅南口バスターミナル発着(エアポートリムジン・直行)
- 新潟市中心部からの運賃 : 大人410円(小人210円)[14]
乗合タクシー
駐車場
収容台数は第1駐車場858台、第2駐車場272台の計1,130台で、2005年(平成17年)12月10日に一部立体化されている。
利用料金(普通車)は30分以内が100円、5時間以内の場合は1時間ごとに150円、5時間以上24時間以内は800円で、24時間以上の駐車はこの加算を繰り返す。14日間以上の駐車は利用時の届け出が必要となる。届け出がない場合や予定の駐車期間を超過したまま引き取らない場合、車両はレッカー移動により処分される。
なお、県では遠隔地からの自家用車利用を促進するため、国からの空港駐車場の移管を進め、駐車場を無料化させる方針を示している。
道路
空港南側を国道113号が通っており、山ノ下町・末広橋交差点 - 河渡新町二丁目・空港入口交差点間は「新潟飛行場道路」(空港通り)と呼ばれている。
また国道113号・下山交差点 - 国道7号新新バイパス・一日市IC間で整備が進められていた新潟県道17号新潟村松三川線のバイパス区間(都市計画道路下山本所線、通称「新潟空港アクセス道路」)が2005年(平成17年)11月に全線開通した。このアクセス道路は一日市IC以南から、引き続き市道区間を経由して新潟県道16号新潟亀田内野線の区間となり、日本海東北自動車道の新潟空港ICと接続している。
アクセス改善に関する動き
当空港ターミナルビルは、新潟駅から直線距離で約6.4km、同駅万代口から道なりに約8.1kmと、比較的近接しているため、バブル景気期の1980年代後半から、新潟駅と当空港とを結ぶ空港連絡鉄道の整備構想が幾度か浮上している。一つは、上越新幹線を新潟駅から車両基地(新潟新幹線車両センター)までの回送路線を利用して当空港の地下に乗り入れるというものである。1990年(平成2年)から当空港の2,500m滑走路の建設が始まり、1991年(平成3年)には東北・上越新幹線の東京駅乗り入れが実現する中で、首都圏の空港を補完する機能を当空港に持たせようという趣旨だった[15]。在来線を活用する構想もあり、現在休止している信越本線の貨物支線(臨港貨物線)を延伸する構想、白新線の大形駅から新線を建設する構想のほか、DMVを利用する構想もあった。しかし、建設には莫大な費用がかかる上、当空港の年間利用客が250万人から300万人無いと採算は取れないという意見[16]もあり、年間利用客が100万人を下回る現状では建設は困難と見られている[17]。しかし中長期的な視点での議論は続いており、県と新潟市が組織する「新潟空港アクセス改善検討委員会」では、新潟駅と新潟空港との間のアクセス改善に関する議論を引き続き進めている[18]。また新潟県知事(当時)の泉田裕彦は、2004年(平成16年)の1期目の就任以来「上越新幹線の新潟空港乗り入れ」を長期的な課題に挙げており、2012年(平成24年)の県知事選挙の際にも新幹線乗り入れ等を公約として掲げ、3期目の当選を果たしている。
他方、2006年(平成18年)春には、県などが「大形駅を翌2007年春から『新潟空港前駅』に改称して空港へのアクセス駅に指定し、同駅から空港に至るシャトルバスを運行する」という構想を発表した。大形駅は空港ターミナルビルから直線距離で約4.3km、道なりに約5.9kmも離れている上、駅設備や周辺道路も整っていないなど問題点が多く、空港アクセスの役目を果たせない恐れから、県にはこの構想に対して否定的な意見が寄せられた。また、東日本旅客鉄道(JR東日本)など関係機関も駅名改称には消極的であったことなどから、これらの構想は実現には至らなかった(参照)。
現状は道路整備や路線バスなどでのアクセス改善が図られている。
新潟市が2008年(平成20年)に中長期の交通施策計画として策定した「にいがた交通戦略プラン」においては、JR線の輸送力補完もしくは軌道系の公共交通が無い地域の基幹交通手段として、4方面の「骨格幹線バス路線」が指定されており、空港と新潟市中心部とを連絡する路線バス(空港線)は「松浜・河渡方面」の路線に該当する[19]。既に国道113号など路線バスの運行経路においては、2003年(平成15年)秋から公共車両優先システムの整備が順次進められた他、空港線でも前述のアクセス改善検討委員会の取り組みによって2000年代中盤から増発や乗降環境改善などの社会実験が実施され、2009年(平成21年)4月から空港線の急行系統(エアポートリムジン)は新潟駅南口発着のノンストップ運行となり、所要時間短縮などの改善が図られた。加えて新潟市は2010年(平成22年)夏に「新たな交通システム導入検討委員会」を立ち上げ、中央区中心部の「基幹公共交通軸」にBRT(バス高速輸送システム)を導入して古町をはじめとする同区中心部の活性化を図ることを目指している。その後2012年(平成24年)10月22日、新潟交通が新潟市に提出した「BRT第1期導入区間運行事業提案書」においては、今後のBRT路線計画の進捗に合わせ、路線網再編後に設定する6路線の「幹線区間」の1つに新潟駅 - 物見山 - 新潟空港間を挙げている。計画では松浜・河渡方面の他の路線バスも新潟駅発着とする他、幹線区間発着のフィーダー路線の開設についても記しており、将来的には新潟空港を周辺地域の公共交通の結節点とする構想もある[20]。これらに関しては新潟市#交通の概要も併せて参照。
また、高速バスの新潟県内路線を新潟市中心部から空港まで延伸し、県内各地からの利便性向上を図る動きもある。以前は新潟駅と長岡駅とを結ぶ高速バス路線のうち、1日2 - 3往復が空港へ乗り入れていたが、前述のリムジンバス運行開始に際し休止とされた。しかし、県はアクセス効率向上を目的に県内バス3社と共同で社会実験を実施する方針を2011年(平成23年)に決定し、同年10月15日から新潟駅と高田駅・直江津駅を結ぶ路線を空港まで1日2往復延長運行した。加えて運行休止となっていた長岡線についても、この社会実験の一環として2012年(平成24年)3月25日から1日2往復を延長運行し、1日計4往復の県内線高速バスを空港発着とするサービスが実施された[21]。なお、この社会実験は2013年(平成25年)3月31日を以って終了し、定期路線バスは新潟駅を発着する前述2系統だけとなった。
事故・インシデント
重大インシデント
- 2013年(平成25年)8月5日 - 韓国の仁川国際空港発、新潟空港行きの大韓航空763便(ボーイング737-900型機)がB滑走路(滑走路10)への着陸時にオーバーランし、滑走路東側の草地に前輪をはみ出した状態で停止した。機長ほか乗務員8名、乗客106名の計115名に負傷者はいなかった。この事態による滑走路閉鎖の影響で全日空、日本航空、フジドリームエアラインズ3社の計14便に欠航が発生した[22]。運輸安全委員会は、航空法施行規則第166条の4第3号に規定されたオーバーランに該当するため、航空重大インシデントとして調査を行った[23][24][25][26]。同調査では、機長及び副操縦士ともに、航空管制官の「turn right end of runway B1(滑走路終端のB1を右折)」「taxi to spot cross runway 04/22(滑走路離脱後の地上走行における交差滑走路04/22の横断許可)」の指示の意味を理解できず「着陸滑走中の交差滑走路の横断許可」と誤解し[注釈 10]、自機が交差滑走路の手前にいると考え、滑走路末端灯を交差滑走路04/22手前のストップバー・ライトと誤認識したため減速が不十分となり、オーバーランに至ったことにほぼ間違いないと結論づけた。併せて、機長・副操縦士とも交差滑走路のある新潟空港に不慣れであり、滑走路04/22との交差位置が把握しにくく速度感覚が掴めなかったことも事態発生の遠因である可能性も提示している[23][24]。
脚注
注釈
- ↑ 国が管理し空港別収支の公表対象となっている25空港中、新潟空港の営業損益は2006年度・2007年度が2年連続でワースト3位、2008年度もワースト5位となっている
- ↑ 同年萬代橋の架け替え工事が竣工したのを記念し、朝日新聞社の社有機による記念飛行を行うため急遽建設されたが、元々地盤が軟弱で、且つ葦原を地ならししただけの簡易な構造であったため着陸事故が発生し、実質十数日間稼働したのみで閉鎖された。
- ↑ この際の液状化現象は、世界で初めて映像として記録された。
- ↑ ウラジオストク線、ハバロフスク線は元々アエロフロートが運航していたものをウラジオストク航空とダリアビア航空の2社へ移譲させたものだが、その後ダリアビア航空が運航停止となった為、2路線ともウラジオストク航空が運航していた。またイルクーツク空港への路線も運航されていたが、2006年を最後に休航している(運航開始当初はアエロフロートが、後年はシベリア航空が運航)。
- ↑ 新潟空港発着の極東ロシア2路線が搭乗率低下に至った理由としては、成田線の開設によって首都圏からのビジネス利用客が漸減した事が最も大きいとされる。加えて利用客の中でも大きなウェイトを占めていた、極東ロシアからの中古自動車バイヤーの搭乗数が減少した事も要因として挙げられる。極東ロシアでは1990年代以降、日本からの輸入中古車が重宝されていたが、ロシア政府が2009年(平成21年)1月に中古輸入車の関税引き上げ策を施行した事によって、新潟市周辺の中古車業者との商談・車両調達を目的に来日していた彼らの搭乗数も減少。結果、日ロ間の輸出総台数は引き上げ策施行前の1割程度まで激減している。
- ↑ ジェイエアの機材・乗務員で運航
- ↑ ANAウイングスの機材・乗務員で運航
- ↑ 8.0 8.1 1971年に小松~新潟~丘珠間の定期路線開設。1979年に新潟~丘珠間休止。1979年に小松~新潟間休止。
- ↑ 後年は東亜国内航空(のちの日本エアシステム、現在の日本航空グループ)が運航していた。
- ↑ なお、このときの管制指示に対する副操縦士の復唱は前後逆になっていたが、これは一般的に許容範囲内であり、既に滑走路10全体の使用許可は発信済みだったことから、指示の復唱順により「着陸滑走中の交差滑走路の横断許可」などと乗務員が誤解していることは管制官の想像の範囲外であったと事故調査報告書は認定している。
出典
- ↑ 新潟空港の制限表面図 - 国土交通省 東京航空局
- ↑ 新潟日報 夕刊連載企画「新潟空港事始め」(1993年11月8日 - 11月19日掲載)。ターミナルビル3階の「PRルーム」には、当時の紙面を模したパネルが掲出されている。
- ↑ “航空自衛隊航空救難団の沿革”. 航空自衛隊航空救難団. . 2013閲覧.
- ↑ 4.0 4.1 4.2 4.3 4.4 4.5 4.6 4.7 資料15 新潟県の主な国際交流の動き(昭和30(1955)年以降) (PDF) (新潟県「国際交流概要」)
- ↑ 新潟空港、3月30日からターミナルビルの閉館時間を変更 FlyTeam 2014年3月24日付
- ↑ 空港課(新潟県)
- ↑ 新潟空港 (PDF) (国土交通省)
- ↑ 8.0 8.1 8.2 8.3 8.4 8.5 8.6 8.7 8.8 8.9 新潟県における航空旅客の分布・流動パターン (PDF) (「東北地理 Vol.43 (1991)」pp.276-286収録、上越教育大学)
- ↑ 新潟県:平成25年度の新潟空港利用状況
- ↑ primamedia.ru(2012年6月8日付、同年6月14日閲覧、ロシア語)
- ↑ sakhalife.ru ヤクーツク航空の経営計画について - SakhaLife(2012年8月17日付、同年9月11日閲覧、ロシア語)
- ↑ 平成25年度 新潟-ウラジオストク・ハバロフスク線のチャーター便運航について - 新潟県 交通政策局空港課、2012年12月18日付、2013年1月24日閲覧。(2013年3月14日時点のアーカイブ)
- ↑ 新潟-ロシア極東線のチャーター便運航について - 新潟県(2013年12月12日更新)2014年7月18日閲覧
- ↑ 交通アクセス - 新潟空港整備推進協議会事務局
- ↑ 第120回国会 予算委員会第七分科会 第3号(1991年3月13日) - 国会会議録検索システム(国立国会図書館) ※星野行男の発言。
- ↑ 【佐藤浩雄議員】 (PDF)(平成16年12月新潟県議会一般質問)
- ↑ 平成19年度 新潟空港のアクセス改善の検討状況と改善の方向性等について(概要) (PDF) - 新潟空港アクセス改善検討委員会(新潟県)
- ↑ 新潟空港アクセスの改善 - 新潟県
- ↑ にいがた交通戦略プラン - 新潟市
- ↑ 新たな交通システム - 新潟市
- ↑ 新潟空港乗入れの高速バスを増便します(報道発表資料) - 新潟県 交通政策局空港課(2012年3月2日付)
- ↑ “新潟空港 再開も欠航便相次ぐ”. NHK. . 2013閲覧.
- ↑ 23.0 23.1 航空事故/航空重大インシデントの概要
- ↑ 24.0 24.1 航空重大インシデント調査報告書
- ↑ “新潟空港 再開も欠航便相次ぐ”. NHK. . 2013閲覧.
- ↑ Airliners.net
関連項目
外部リンク
- 新潟空港 - 新潟空港整備推進協議会
- 新潟空港ビルディング株式会社
- 国土交通省北陸地方整備局 新潟港湾・空港整備事務所
- 新潟空港供用規程 (PDF)