文系と理系
文系(ぶんけい)と理系(りけい)とは、主に高等教育(あるいはその準備段階としての中等教育最後期)において学問を大まかに二分類する際に用いられる用語である。それぞれ文科系(ぶんかけい)、理科系(りかけい)とも呼ばれ、両者を合わせて文理(ぶんり)という。
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概要
伝統的に、文系とは主に人間の活動を研究の対象とする学問(主に人文科学と社会科学に分類される)の系統とされ、理系とは主に自然界を研究の対象とする学問(およそ自然科学に分類される)の系統とされてきた。しかし現在では、研究対象よりもむしろ課題解決のために用いる手法で分類されることが多い。たとえば金融工学や社会工学は、研究対象こそ「人間の活動」であるが、研究対象をほとんど同じくする経済学や社会学とは異なり一般には理系とみなされる。
個別の学問分野がいずれに属するのかについては、文系的と捉えられることが多い学問、理系的と捉えられることが多い学問を参照のこと。
有意な成果や果実を得るためには総合的な知見や能力が重要であるため、実際のところは、研究の現場において研究者自身が文理の別を強く意識する機会はなく、自分の専門分野がどちらに属するかをことさらに強調することもない。ただ自らの興味や社会の要請に従って、扱う問題をあらゆる手法の中から適切なものを選んで解決した結果、用いた手法がたまたま「文系的」であったか「理系的」であったかという違いに過ぎない。
しかしながら、教育現場では便宜上、生徒・学生を文系と理系に分けて扱うことが多く、高等教育の普及につれてその区別を知る者が大半を占めるようになった。どちらの分野も直接的であれ間接的であれ社会において重要な役割を果たしているが、実際には社会でしばしば「文系」「理系」の区別は利用され、そこに属する者の性向や思想信条、男女比、年収に有意な差があるなどと論じられることがある。
文系と理系とを特徴づける性質
細胞生物学者の太田次郎が「どうも、文科と理科というのは、(中略)旧制高校時代にはそれなりにはっきりしていたが、しだいにその区別がぼやけてきたような感じがする」[1]と述べているように、近年では昔に比べると文系・理系のそれぞれに特有の性質というのが明確ではなくなってきている。しかしながら、それでもなお、依然として文系・理系の区別は社会にも教育・研究の現場にも根強く残っている。ここでは、いまだ失われていない文理それぞれの特徴を洗い出し、見ていく。
数理科学の応用
一般に、理系の学問は数学との親和性が高いため、「理数系」と呼ばれる場合もある。物理学や計算機科学はまさしくその代表であるし、化学や生物学のように数学とはかけ離れているように思える分野も、実際には数学と密接に関連する物理学を基礎として成り立っており、突き詰めて研究していけばやがては物理学、あるいは数学上の問題に帰着する(生物物理学なる分野も存在する)。高分子化学や分子生物学は純粋数学、とりわけ幾何学、解析学等の研究成果を直接応用する(特に分子生物学に対する位相幾何学の貢献は計り知れない)し、ナビエ-ストークス方程式のような非線型微分方程式の研究が進めば気象学や工学など幅広い分野を刺激するだろう。また理系分野全体にわたって種々の統計手法は重視される。一方で、法学や文学、歴史学等は、まだ数学・物理学との密接な関係が見出されておらず、政治学や言語学においても、数理的手法の応用は(増えつつあるが)まだまだ限定的である。このように、数学や物理学との繋がりの深さは理系分野に特徴的である。
ただし、同じ理系であっても、全分野で一様に高度な数学を用いるとは限らない。工学博士の森博嗣は、解剖学者の養老孟司と対談した際、「総じていえば、実験科学に高度な数学は不要でした」と述べ[2]、たとえば自身の専門であるコンクリートの研究においては「研究の六割方は実験」「微積分も不要」「文系の人でもできる作業」などと発言した[2]。しかしその後
「どうしてその強度が発現するのか」が研究者の視点であって、そうなると数学が必要になります。 — 森博嗣による発言[3]、『文系の壁―理系の対話で人間社会をとらえ直す』(養老孟司、PHP新書、2015)24頁
とも述べ、実験科学においても突き詰めて研究していけば数学が必要になることも認めている。
また、後に述べるように、文系分野における数学・物理学の活用は皆無ではない。それら例外については文系的と捉えられることが多い学問を参照のこと。
業績評価の違い
太田次郎は、研究業績の評価について、文理間では大きな違いがあると指摘している。いわく、
理工系では、ふつう論文第一主義である。オリジナルな研究論文を、いつ、何編、発表したかが問題であって、その他の業績は付随的にしか扱われない。たとえば、その専門分野で一般に認められている著書を書いたにしても、あまり評価されないことが少なくない。啓蒙書や専門向きのテキストなどは、業績としてはノー・カウントにされることが多い。先端の研究をまとめた総説にしても、論文ほどには認められない。 — 太田次郎、『文科の発想・理科の発想』(講談社現代新書、1981)15頁
とのことであり、少なくとも理工系においては「一次情報第一主義」がとられているという。また、理系の多くの分野は、研究に際して高額な実験器具や測定器具があったほうが有利であり[4]、そのための研究費は論文数にほぼ比例して支給されるので、研究費を求める理系の研究者はとにかくたくさんの論文を量産しなければならない[5]。 一方、文系においては事情はかなり異なる。太田によれば、
この点は、文科系とはたいへん違うように思われる。大学の同僚に聞いてみると、文科系では、著書は論文より大きな評価を受けるのがふつうの由である。(中略)研究の集大成的な著書の方が価値が高いと考えられるようである。 — 太田次郎、『文科の発想・理科の発想』(講談社現代新書、1981)15頁、中略は引用者
とのことであり、論文をこまめに発表することは「悪いとは言われない」[6]が、基本的に業績評価の中心は総説であって、むしろ論文のほうが業績評価においてマイナーな扱いを受けることさえあるという。
論文様式の違い
1973年にノーベル医学・生理学賞を受賞したローレンツ(動物行動学者)の論文について、太田は「きわめて文科的な表現の仕方」[7]と評している。なぜなら、
彼の著書や論文には、図や表がほとんどなく、気の短い人には耐えがたいと思えるほど、淡々と観察結果とそれに基づく自分の考えが記されている。 — 太田次郎、『文科の発想・理科の発想』(講談社現代新書、1981)18頁
からだという。当時生物学の最先端であった分子生物学の専門家からは、観察結果のみを図や表を用いて簡潔にまとめ、考察も極力排したような論文が好まれる傾向にあり、[7]また理系の他の分野についても
理工系の論文の大部分は、単なるデータの報告に過ぎず、それから著者の考え方や人間像を推測するのは、とうてい無理であり、また初めからこんなことは問題となっていないということができよう。 — 太田次郎、『文科の発想・理科の発想』(講談社現代新書、1981)19頁
などといわれるように、ほとんど考察の無い図表のみの論文が多い。このように、論文の様式も文理では大きく違うものである。
研究適齢期
理系の研究者の場合、一般に若い頃の方が画期的な成果を出しやすい。数学者の広中平祐が「数学は、若いうちにやらないと駄目である」[8]と発言したように、数学や理論物理学の分野では、二十代がピークとされ、三十代半ばを過ぎると新たな成果は稀になる。顕著な業績をあげた学者というのは、三十歳くらいですでに傑出していることが多い。[8]
数学や理論物理学ほどではないものの、実験科学の分野でも、アイデアは若いときに出て、その後はそれを実証したり、さらに幅を広げるという人生を送ってきた研究者が多い。[9]
一方、文系の学問の場合は必ずしもそうではないという。太田次郎によれば、
基本的な文献や資料を調べて、研究を進め、さらに集大成して、初めて一つの業績となる分野もあるように思われる。また、長期間の学習を重ねて、ものを見る眼がしだいに養成される分野もあるであろう。 — 太田次郎、『文科の発想・理科の発想』(講談社現代新書、1981)80頁
とのことで、「どうも、理科系と文科系では、一般に勝負の速さに違いがあるように感じている」[9]という。
歴史と現状
歴史
学問を文系と理系に分けることの起源がおそらく日本にあるということは、多くの論者が指摘しているところである。太田次郎は、文系と理系の区別について、「おそらくその起源は、旧制高校の制度にあると思われる」と述べた。[10]山梨大学講師(当時)で理学博士の藤井康男によれば、「おそらくわが国だけの分け方ではないかと思う」[11]とのことである。また藤井は、「外国の事情をよく調べたことはないのだが、」[12]とことわったうえで、「外人と話してみてわかることは、彼らは文科とか理科とかをあまり口にしないということである」[12]とも述べている。
どうも外国では、この文科、理科というものの区別が日本ほどはっきりしていないような気がする。少なくともそういった名前の分け方はないようである。 — 藤井康男、『文科的理科の時代 新・学問のすすめ』(福武書店、1982)12頁
日本においては、第2次・高等学校令(大正7年勅令第389号)の第8条に「高等学校高等科を分ちて文科及理科とす」(原文は平仮名部分がカタカナ)という規定があった。明治中期から第二次世界大戦降伏前は、旧制高等学校は、旧制大学で教育を受けるための準備教育を行う場としての位置づけが大きかった。高等学校の高等科においては、学修する外国語(英語およびドイツ語が大半)によって、「文科甲類」「文科乙類」「理科甲類」「理科乙類」などに分け、「文科」「理科」のどちらで学んだのか、学んだ外国語は何であったかによって、旧制大学で学ぶ専攻分野を大きく左右した[11]。
東京工業大学教授で社会学が専門の橋爪大三郎によれば、学問を文系と理系とに区別することの本来の動機は、予算がかかる学問の学生数を制限することだという。
そもそもこんな区別があるのは、発展途上国の特徴である。黒板とノートがあればすむ文系にくらべ、理系は実験設備に金がかかるので、明治時代の日本は、学生数をしぼらざるをえなかった。そこで数学の試験をし、文系/理系をふり分けることにした。入試問題が別々なので、その前の段階で文系/理系を選択しなければならない。 — 橋爪大三郎、『橋爪大三郎の社会学講義2』(夏目書房、1997)63頁
近代の日本において、大学教育に対する準備教育の課程を「文科」と「理科」に区分したことは、現代における文系と理系の区分に事実上引き継がれている。現代において文系を文科系と、理系を理科系と呼ぶのは、旧制高等学校の区分けの名残である。「系」の語が付与されているのは、「文科」「理科」という学科組織に基づく分類によっていないからである(なお、現代においても「高等学校」および「中等教育学校の後期課程」に「理数科」という学科があり、この場合、「理数科」を卒業した場合は、「理数科卒業」となる。ただし、文系の学部・学科・課程への入学制限は、一切ない)。
現状
専門教育の準備段階において
ひとりの人間の発達史において、文系・理系の区分が初めて明確に意識されるようになるのは、一般には大学受験に備える高校の高学年からである。[10]しかしながら、大学受験という一回のチャンスに人生が大きく影響されるという考えが根強い日本では、幼いころから「この子は算数や理科が得意だから理系」「この子は社会や国語を好むから文系」などと言われるようである。[10](後述)
旧制高校の廃止に伴い「文科」「理科」のあからさまな区分を廃した現代の日本の大学では、入学試験を学部単位、学科単位あるいは専攻単位といった細かい区分のもと行うことが多く、それぞれ入試科目や試験制度をきめ細やかに設定することも多い。とはいえ、文系学問を専攻する学部・学科どうし、理系学問を専攻する学部・学科どうしでそれぞれ比較すると、多少の差異はあれども入試科目のパターンはそれぞれ似通っていることが多い。国公立大学の個別試験や私立大学の入学試験では、文系ならば英語、国語の2教科を必須とした上で数学、地理歴史(大学によっては公民も選択可能)のいずれか1科目から選択させることが一般的であり、理系ならば英語、数学の2教科を必須とした上で理科のうちいずれか1~2科目を選択させることが一般的である。国公立大学の入学試験にはこのほかに大学入試センター試験の受験が必須とされるが、ここでも文系は地理歴史と公民を合わせて2科目受験することが要求される一方理系は1科目で許されたり、同様に理科に関しても文系は理系よりも科目数ないしは試験範囲を少なくして良いなど、入試科目構成が文理それぞれで定型化してしまっている現状がある。
このような事情もあって、「高等学校」および「中等教育学校の後期課程」などにおいて、大学進学を希望する生徒が授業を履修する際には、大学の入学者選抜に対応するために、生徒の希望学部・学科・専攻の入試科目に応じて、生徒の履修科目が文系型または理系型になるように、教員や保護者が指導することが慣習化[13]し、学習塾もこれを受けた事業を展開している。
文系と理系に分かれるさい、最大の要因となるのは数学の得手・不得手である。[14]「理系」分野へ進学を希望する場合、入学試験科目の一つに数学が課せられることが多い反面、「文系」では数学が選択できないか、選択できても必須でない大学が圧倒的に多く、また数学を必須とする大学でも文系の場合には配点が低めに設定されている。このことから「数学が出来ないから理系をやめて文系を目指そう」と考える者が少なくない[15]。一方、理系の大学入試で国語が独立科目として必須とされる例は東京大学、京都大学などほんのわずかしかなく、選択できるのもごくごく一部の私立大学のみにとどまっている。数学と地理歴史の選択制をとっている入試が多い文系に比べると、理系の入試は科目選択の幅が小さく、見方を変えればそれは苦手科目を抱えてしまった際の逃げ道が少ないということにもなる。
理系の入試においてほぼ必ず数学が課せられている現状に対しては、太田次郎による次のような批判がある。
演算が不得意であっても、空間感覚がすぐれていたり、言語に対する感覚がすぐれている人は少なくない。そんな人が、入試でふるい分けられて、理科系へ進めないのは、残念なことである。 — 太田次郎、『文科の発想・理科の発想』(講談社現代新書、1981)99頁
京都大学経済学部のように、入学試験を文系受験生用と理系受験生用に分け、それぞれ異なる科目構成で行う大学・学部も存在する[16]。
専門教育において
旧制高等学校は、戦後になって新制大学教養部として大学に組み込まれた。多くの大学で教養部が廃止された現在においても、その名残から文系と理系のどちらかに大学教育の内容を分ける習慣がある。多くの大学では、1・2年次の教養科目の選択パターンが文系学部同士・理系学部同士でそれぞれ酷似していたり、必修授業の一部を文系学部全体・理系学部全体の合同で行ったりする。また法科大学院には理系学部出身者を優先的に入学させる「理系枠」なるものがあるなど、専門課程を過ぎても「文系」「理系」の括りは何かにつけて付いて回る。
しかしながら西欧圏では、学問分野は基本的に自然科学・人文科学・社会科学の3つに大別される。文系と理系は、日本の歴史的な事情によって形成された便宜的な分類である。実際に事物を深く学修・研究しようとすると、文系と理系という二者択一の区分法に、限界が見て取られることは多い。太田次郎は
どうも、文科系と理科系という分け方は、あまりに粗雑であるし、その分け方にもとづいて、高校や大学で教育が行われるというのは、現代的でないように思われる。もっとカリキュラムを多様化して、様々な選択ができるようにした方が、現在の学問により適合するであろう。 — 太田次郎、『文科の発想・理科の発想』(講談社現代新書、1981)99頁
と指摘している。医・歯・薬学は厚生労働省の医療政策との兼ね合いから定員が制限され、大学独自に増員できないため割合としては僅かである。
学位(修士号・博士号)取得状況とその扱い
日本では理系のほうが文系に比べて修士・博士課程に進学する割合が高く、博士号取得者の8割が理系である。これは卒業後の就職・採用事情と大きく関係しており、理科系は研究室の教員の紹介が中心となるのに対して文科系には研究職の募集が極端に少なく、経理や営業現場でのOJTを重視する傾向にあるためと見られる。文系とされる博士号取得者は欧米には多数存在する一方で、日本では付与条件や取得状況が極端に厳しく、これが海外留学生の受け入れにおいてしばしば問題とされる[17]。
専門化と学際化
旧制高校には全寮制のところが多く、しかも文系と理系の学生がひとまとまりに同居する形であった[18][19]ため、文系・理系の学生たちは最低限の知識を共有することができ[19]、互いの交流を通して「全人的な影響」[20]を受け、「文科と理科のカオスなかに若い燃えたぎる生命が打ち込まれ、陶冶され、そして磨かれてい」[21]った。ところが、旧制高校は「エリート教育だから」という理由で戦後の学制改革により廃止され[19]、学生運動対策として学生寮もどんどん壊された[19]結果として、現在の大学が輩出する人材は戦前に比べて文系・理系のどちらかへとより偏り、後述のごとき「会社人間」が蔓延することにつながっている[19]。
近代以後、学問各分野における専門知識の増大により、自然科学・社会科学・人文科学などの異なる分類の学問間のみならず、同じ分類にされている学問内においても研究の相互理解が困難になりつつある。このような状況は、最近はじまったことではなく20世紀当初からあったとC. P. スノーは “The two cultures and a second look” の中で述べている。
また専門化と同時に隣接分野の融合(学際化)も起こっており、言うなれば「○○系寄りの□□系」、「□□系寄りの○○系」といった分野も存在するため、これが同一学問系内における更なる乖離を生み出している。
学際化が文系と理系にまたがると文理融合(ぶんりゆうごう)と呼ぶ。また、そのような分野が文系・理系の両方にわたることを強調して学際系と呼称することもある。なお、工学的知見と文系諸学問の知見の双方が扱われる分野を「文工融合(ぶんこうゆうごう)」と呼ぶ者もいるが、あまり普及した言葉とは言えない。
社会とのかかわり
文系・理系の区別は、社会生活にも大きな影響を与えている。橋爪大三郎によれば、大学が社会へ送り出す人材が文系と理系とに専門化されることにより、個の力が弱まり、大組織中心の社会が形成されるという。
会社に就職してから、理系の人間は研究所や現場で新製品の開発にたずさわり、文系の人間は営業・経理・人事・総務・労務など、製品の販売や会社の管理にたずさわる。手分けをして会社を支えましょうという、予定調和なのだ。知識が偏っているから、独立しようにも一人では何もできない。会社を飛び出してベンチャービジネスを起こそうというタイプの人間は、だからほとんどいなくなる。文系/理系の区別は、卒業生の知識を偏らせ、会社に依存させるための仕組みなのである。 — 橋爪大三郎、『橋爪大三郎の社会学講義2』(夏目書房、1997)64頁
技術系の最高資格である技術士一次試験での共通科目受験免除の条件の一つとして理科系の学部学科卒が挙げられている。またNASAの宇宙飛行士に応募するためには理系出身でなくてはならない。
過去には太平洋戦争末期に行われた学徒出陣において、理科系学生には技術要員として徴兵猶予が継続された一方、文科系学生は士官候補生として動員された。
文系と理系とをめぐる観念的な印象
学問の分類として生じた文理の区別は、時として、それぞれに属する「人間」の区別に転用されることがある。「文系の人」と「理系の人」に対して持つイメージは人によってさまざまだが、中には広く一般に定着しているものもある。しかしそれらはどうしてもステレオタイプに陥りがちで、扱いには万全の注意を要する。ここでは文系論・理系論の執筆に特に熱心とみられる識者の意見を中心にとりあげ、各論者に対する誤解の生じぬよう、前後の文脈をできるだけ排さず慎重に見ていく。
数学のできない「普通の」文系、それ以外の「特殊な」理系
世間でいうところの「文系の人」とは、「理数系科目、とりわけ数学が嫌いな人、苦手な人」とされており、対する「理系の人」とは、「理数系科目、とりわけ数学が嫌いではない人、苦手ではない人」であるとされている。[22][23]
森博嗣によれば、文系に進んだ人の多くは、子供のころにひとたび算数・数学で躓くと「自分は算数には向いていない」[24]「数学なんてものは無意味なものだ」[25]と決めつけ、自分を守るために、無意識のうちに算数や数学から自分を少しずつ撤退させていったと考えられる。[25]応用物理学者の志村史夫によれば、自分が「文科系の人」であるか「理科系の人」であるかは、学校でそのように思わされた結果の「自認」でしかなく[26]、自ら進んでそのような分類に飛び込んでいったのではなく学科の成績によってそのように分類されただけなのだ、という[22]。
本節冒頭に示したような定義によれば、たとえば専攻している学問が理工系であっても、その人が「理系の人」であるとは限らない。志村によれば、理工系学生の中にも数学や物理が嫌いあるいは苦手という学生は少なくない。[27]森もまた、理系の学生が数学などの能力に限界を感じたときに「自分は文系なのかな」と意識し始めると述べている。[28]
両論者はともに「理系の人」とは「文系の人」に属さない者(いってみれば「その他」あるいは「補集合」)であるとの認識を持っているが、なかでも志村は、
自分のことを「理科系」だと意識(自認)する人よりも、自分のことを「文科系」だと意識(自認)する人の方が多いような気がします。 — 志村史夫、『文系?理系?―人生を豊かにするヒント』(ちくまプリマ―新書、2009)9頁
と、世の中は「文科系の人」が大半を占めていると主張したうえで、志村の専門である物理学を例にとり
「物理は難しい」ということが、確かに、日本の“社会通念”になっているようですので、「物理はやさしい」などといったら「ヘンなヤツ、嫌なヤツ」と思われてしまうのを恐れる — 志村史夫、『文系?理系?―人生を豊かにするヒント』(ちくまプリマ―新書、2009)63~64頁
という傾向が日本の学生たちの間にあることを指摘し、日本において「理科系の人」(すなわち、理数科目が不得意ではない人)が「文科系の人」から特殊な存在として見られていることを示した。
森博嗣は、文系の人間は数学や物理から逃避する傾向にあるが、理系の人間は特に国語や社会科から逃避しているわけではないと述べている。[23]理系の人の多くは、単に「ものを覚える」という勉強が面倒なのでやらないだけで、「やる気になれば、いつでもできるもの」と考えているので決して苦手意識を持ってはいないのだという。[28]そのうえで、次のような興味深い指摘をしている。
文系の人が「理系の人間は変わっている」と思っているほど、理系の人は「文系の人間は変わっている」とは考えない。文系と理系を意識するのも、文系の人のほうが多いはずだ。 — 森博嗣、『科学的とはどういう意味か』(幻冬舎新書、2011)31頁
一方、物理学の博士号を持つサイエンスライターの竹内薫は、これに関して森とは別の考えを持っているようである。竹内は「理系に属する人間には、自分が理系であるというだけで文系に属する人間を見下す者が多い」と指摘している。[29]そのような人間は、文系人間こそが異質な存在であると考えているか、もしくは自分自身が異質な者であることを強く意識したうえでそれを逆手に取って優越感に浸っていると考えられ、いずれにせよ森の主張には沿わない。
文系は優雅、理系は律儀
文系・理系間のイメージの違いというものは、つい最近になって生じたものではない。たとえば、一般に文系の人間は、理系の人間に比べると「暇そう」な印象を持たれているようであるが、それは今も昔も大きくは変わらないものであった。旧制高校から東京大学理学部へ進んだ太田次郎は、旧制高校時代を次のように述懐している。
一般に、文科生は、文学や哲学の書物を読みあさり、授業に出席する時間も少なく、当時の言葉でいう「だべっている」時間が多かった。それに対して、理科の学生は、こつこつ勉強する時間が長かった。(中略)したがって、比較的時間にゆとりのある文科生の方がいわゆる教養書を読んでいて、優雅さと共に深みがあった。 — 太田次郎、『文科の発想・理科の発想』(講談社現代新書、1981)9~10頁、中略は引用者
「理科系は実験があるからさぼるわけにはいかない」というのは、理科系の学生が文科系の学生の優雅な生活を羨ましがりながら発する言葉である。 — 太田次郎、『文科の発想・理科の発想』(講談社現代新書、1981)136頁
藤井康男は、太田によるこの論評について「読んでいて笑い出した」[30]と心からの賛同を表明したうえで、次のように呼応した。
なんとなく文科系の人はひげを生やしていて、声もどす低くて、大人っぽくて、女なんかも早く知っていて、影があって、世間を知らないわれわれ理科の理屈づくめのひよこに比べたらえらく大人の感じがした。 — 藤井康男、『文科的理科の時代 新・学問のすすめ』(福武書店、1982)13頁
理科系の連中は、その間に呻吟しながらドイツ語の単語を暗記したり、微分積分の解法に頭を悩ましたり、いろいろと忙しかったのではないかという気がする。 — 藤井康男、『文科的理科の時代 新・学問のすすめ』(福武書店、1982)14頁
文系学生には理系学生に比べて自由に使える時間が多く、それゆえに遊びがちであることは、竹内薫らも指摘しているとおりである。[31]しかし太田によれば、これはなにも学生に限った話ではない。教員や研究者(学者)にも同様の傾向がみられるという。
文科系の学者は、優雅な反面、不精な人が少なくないので、律儀で几帳面な理科系の人から見れば、(後略) — 太田次郎、『文科の発想・理科の発想』(講談社現代新書、1981)20頁、後略は引用者
学生だけでなく、教官の方もそうである。実験的な研究を進めようとすれば、大学にいなければならない。文科系の教官のように、講義のない日は、悠然と自宅の書斎にいるというわけにはいかない。(中略)理科の人は、きちんと研究室へ出かけるので、考え方も律儀になり易いのかも知れない。 — 太田次郎、『文科の発想・理科の発想』(講談社現代新書、1981)137~138頁、中略は引用者
このほかにも太田は「文科系の人々には、一般に整理嫌いであるか整理が得意ではない傾向が強い」[32]とも述べたうえで、「文系の人間=優雅で不精」、「理系の人間=律儀で几帳面」という対比を強調している。
さらに太田は、理系の学生や研究者が文系のそれらと比べて律儀になりやすい理由も分析している。その理由とはすなわち「理系の研究者はコンスタントに論文を出し続けることが要求される」ということであって、これにより「もともと律儀の人がますますこまめになってくる」[5]のだという。さらに太田によれば、理系分野においてこのような基準で業績評価が行われている現状は、大学教官を単なる「論文かせぎ」[5]に走らせ、私生活を犠牲にしてでも「最終電車まで研究室で実験を続けたり、しばしば研究室の中で仮宿泊をしたり、涙ぐましい追われるような生活を続け」[5]ることを強いる。よって、理科系の人間には気分的な余裕がなく、文科系ほどに優雅ではないのだという。
文系は言葉で考える
森博嗣は、養老孟司との対談において、「文系の人は『人間は言葉で考えている』と思っているようだが、僕は言葉で考えていない。思考の大部分は映像で、数字を扱う場合は座標や形で考える。」[33]などと前置きしたうえで、
文系の人は、自分のわからないことを言葉で解決しようとします。たとえば、独楽は回っているから倒れない、自転車は走っているから倒れない、ということを「理屈」だと思い込んで納得し、それで解決済みにしてしまう。回っている物がなぜ倒れないのか、走っているとなぜ倒れないのかは考えようとしません。 — 森博嗣による発言、『文系の壁―理系の対話で人間社会をとらえ直す』(養老孟司、PHP新書、2015)30頁
と述べ、文系は物事を言葉で割り切る傾向にあるとした。
森は直後に「文系を非難しているわけではない」と釈明し、「多くの社会的活動では、言葉で割り切った方が処理は速いでしょうし、相手も同じ文系なら説得しやすいのでしょう」と分析を添えている。[34]
文系は前提の吟味をしない
養老孟司は、森博嗣との対談において、「特に日本の文系に言えることですが、彼らは前提の吟味をしませんね」[35]と発言している。それに続く発言では、
僕は弁護士に、「憲法違反と言うけれど、そもそも憲法の前提は何でしょう」と尋ねたんです。ところが、弁護士は「憲法の前提なんて考えたこともない」と言う。憲法のない状態から憲法を作ったからには、何のために憲法を作るのかという前提があったはずなんです。だけど、日本ではそれを吟味しようとしません。 — 養老孟司による発言、『文系の壁―理系の対話で人間社会をとらえ直す』(養老孟司、PHP新書、2015)35頁
として、法を扱う専門家たる弁護士が法の前提を理解していないことを引き合いに出しながら「前提をきちんと把握する」[36]ことの重要性を訴えている。
複雑系や自然哲学などを専門とする博士(学術)[37]の鈴木健は、社会科学の問題を人間の細胞の話から論ずるようになったことの動機として
これまでの社会科学は見えない前提のもとに議論を積み重ねてきていますが、僕はこれに違和感がありました。当然、政治哲学や経済思想は、既存の前提を破壊して新たな土台を築こうとしていますが、それすらも何らかの前提のもとに成り立っているわけです。 — 鈴木健による発言、『文系の壁―理系の対話で人間社会をとらえ直す』(養老孟司、PHP新書、2015)120頁
と述べ、社会科学の前提をとことん追求していくともはや社会科学の外にその前提を求めなければならないと指摘している。
理系は会話下手
竹内薫は、「誰もが大体同じ」[38]く持っている理系人間のマイナスイメージとして、「コミュニケーションが下手」「会話に専門用語がバンバン出てくる」などを挙げた[38]。竹内によれば、文系人間は「幅広く色々なものに興味があり、会話の引き出しも多い」[38]ため、「色々な話に対応でき、自分から話題を振ることもできる」[38]という基本的なコミュニケーション能力[38]を備えているが、一方で理系人間は、「専門分野に特化し」[38]「一つのことを突き詰めている」[38]ために引き出しが少なく[38]、「喋ること、書くことなど、コミュニケーションを最初から諦めている人が多い」[39]うえに、さもなければ「相手が関心のないことを延々と話す」[40]のだという。
毎日新聞科学環境部による『理系白書』(2006年刊)は、二十代のある理系学生が、研究室でスキー合宿に出かけた際、たまたまリフトで隣り合ったスキー客に、師事する教授の名を片っ端から挙げて自慢したが、その客は誰一人として知らなかったという話に続けて、「研究室がすべて」の世界に生きていたという彼自身による悔悟を紹介した。[41]また、薬学の博士号を持つ小説家の瀬名秀明は、大学院時代を振り返り「実験室に何時間いるかで評価される雰囲気もあった」と研究室にこもりがちであったことを指摘したうえで、研究費の獲得や社会に向けての情報発信は教授の仕事なので「若い研究者たちは、必要に迫られない限り、外との付き合いをせずに済む。それで世界が完結するんです。」と述べた。[42]このように、理系の若い研究者は専ら研究室・実験室に軸足を置いた生活を送っており、専門家同士の交流が人間関係のすべてとなっているために、非専門家との交流に慣れていないのだという。
理系男子は結婚できない
さらに竹内は、理系の男性は「女性に対して奥手が多い」[40]とまで言い切り、
コミュニケーション能力が低いからか、相手を喜ばせてあげようというサービス精神が少ない気がするのだ。理系に進む女性が少ないので、普段から接し慣れていないというのもあるかもしれない。 — 竹内薫、『理系バカと文系バカ』(PHP新書、2009)74頁
と述べた。理系に進む女性が少ないために、会話の引き出しが少なく専門の話しかできない理系男性と話を合わせられる女性が少なく、結局理系男性は女性と会話できないのだという。[43]
『理系白書』においても、理系男性の結婚の問題が取り上げられている。ある理系研究者Aは、大学院修士課程修了までの6年間、同級生に女性が一人もいなかった。[44]29歳でポスドクとして渡米する時点では婚約者がいたが、「恋愛に関して経験不足だった」せいでうまくいかなかったという。[45]外資系企業に勤めるエンジニアBは、「およそ女性が喜びそうなものには興味がない」と語り、30人の職場に独身女性が2人しかいないことから「恋愛に限っていえば、理系は損」と断言した。[44]
『理系白書』によれば、結婚情報サービス大手の「ツヴァイ」における男性個人会員のうち、「事務系会社員」や「公務員」はそれぞれ15%程度しかいないが、「技術系会社員」は40%もおり、「彼らの焦りを映しているようにも見える」という。[46]しかし、「ツヴァイ」アドバイザーの女性によると、理系男性は総じて女性たちからのウケが良くないらしく、「初デートから、難しい専門の話ばかり」などと戸惑われるという。[47]
『理系白書』は、理系人が結婚できない原因として、単に学校や職場に女性が少ないことだけでなく、「適齢期」には大学院生もしくは身分の不安定なポスドクであることが多いことも挙げた。[48]
理系にはオタクが多い
『理系白書』によれば、「理系人をオタクと同じようなイメージでとらえる人がいる」とのことである。[49]ここでいうオタクとは、「数学オタク」や「機械オタク」の意味ではなく、サブカルチャーに精通し、アニメやゲームなどのキャラクター産業を大量に消費する者を指している。
しかし、毎日新聞が取材した限りでは、秋葉原の大手フィギュアショップ「海洋堂」に入り浸る客のうち、文系・理系のどちらが多いのかは確認できなかったという。[50]利用客の一人は毎日新聞の取材に対し「フィギュアのファンに文系も理系も関係ない」と語った。[49]
東京大学で「オタク文化」の講義を担当したという評論家の岡田斗司夫は、
文系のオタクもいれば、理系のオタクもいる。ただ、文系の人はオタクであることに気後れして、自分がそうであることを隠すんですね。理系の人は隠すという発想がない。 — 岡田斗司夫による発言、『理系白書 この国を静かに支える人たち』(毎日新聞科学環境部、講談社文庫、2006)134頁
と述べ、「だから理系が目立つのではないか」と推測する。[51]東京大学の学生に関していえば、1年生においては「アニメオタク」の数に文理差はないが、文系の人は学年が上がるごとに「社会性みたいなものを身につけて」[51]オタク仲間から離れていくという。
しかし岡田によれば、理系の生活とオタク的趣味は相性がいいという。
研究室での実験に拘束されると、自分の自由時間は毎日、深夜から明け方までということになりがちだ。おもしろいテレビ番組はないし、友人ともおしゃべりできない。その点、自分一人で没頭できる趣味は、理系の生活パターンにとって自然で、都合がいいというわけだ。 — 岡田斗司夫による発言を毎日新聞科学環境部がまとめたもの、『理系白書 この国を静かに支える人たち』(毎日新聞科学環境部、講談社文庫、2006)134頁
男子は理系、女子は文系
小学校高学年から思春期にかけて、男の子は算数(数学)・理科が、女の子は英語・国語が得意、あるいは好きだとするイメージがある[52][53]。実際、国内の多くの大学では理系学部は入学者・在籍者に占める女子の比率が有意に低く、同じ理系学部内での比較においても生物学系・農学系・医歯薬系学科より物理学系・機械系・電気電子系学科の女子比率が明らかに低い[54]。このような現状が「女子は文系科目のほうをより得意とする」とするイメージを増強している可能性はある。
文系人気・理系人気
文理選択は将来の学部選択・専門分化を通じて職業選択に影響する。特に医師・歯科医師・薬剤師・建築士など資格取得に学歴を要求するような職業は、たいてい人気が高いこともあり大学入学の1~2年前からすでに準備していなければならない。したがって、本人の学問に対する興味そのものよりも、本人の希望する職業、あるいは親が子供につかせたい職業によって文理選択を決める(決められる)場合が往々にしてある。それゆえに文理選択の全体的な傾向は、選択時の経済状況や経済予測、技術革新や流行等に影響を受けるとされる。
一般に、「不況になると理系が人気になる」とされている。代々木ゼミナール進学情報・指導部本部長(当時)の坂口幸世は、理・工学部志望者が減少して1995年頃に最少となり、そこから増加し2002年までに減少前の水準に戻った(代ゼミ調べ)ことについて、
長引く不況の中、理系学部出身者は専門的知識で勝負でき、就職にも有利だとして見直されている。学生は世情に敏感ですよ — 坂口幸世による発言、『理系白書 この国を静かに支える人たち』(毎日新聞科学環境部、講談社、2003)94頁
と分析している。
文系人気・理系人気は時代とともに変わりゆくので、需給のバランスもまた変わる。後の章で述べるように、平均収入や生涯賃金は文系と理系との間に有意な差があることが多く、時に優劣を逆転させながら、時代の流れによる需給バランスの変化に伴い連続的に変化してきた。それが原因となって逆に、文系人気・理系人気の波が加速・減速することもある。すなわち、文理選択の時点での文理別平均収入や生涯賃金予測を参考にして文理選択する者もいるわけである。
たとえば、理系の生涯賃金の平均が文系より5000万円近く低いとする1998年の調査もあり[55]、これが理系離れの原因だと主張する言説が往々にして見受けられる。一方で2009年のデータを元に2011年3月に公表された調査報告では、46歳男性では理系出身者の平均所得が600.99万円で文系559.02万円を上回るとされた[56]。この違いについて、IT産業の興隆などにより理系出身社長・取締役が増えたことやバブル期の調査データには銀行・証券会社など給料が製造業より高くこれが文系理系の差に反映されていたとの分析がある[57]。
文理別・学部別収入に関する調査
日本
収入に関する統計には、文理別・学部別・偏差値別・男女別の様々な統計が出されている。
- 天野郁夫著『旧制専門学校』(大正6年)には、高学歴社員の処遇として、日本郵船の初任給が掲載されている(日本郵船は当時の就職したい企業1位であった)。それによると、東京帝国大学工学部の初任給が45円。東京帝国大学法学部が40円。東京高等商業学校が35~40円。慶応義塾・早稲田が30円。という具合である。当時は大学や学部によって賃金が変わることが一般的であった。[58]
- 前田一著『サラリマン物語』(昭和3年)には、出版前年の昭和2年の実績と見られる有名企業の初任給一覧が出ている。たとえば、三菱合資では、帝大工90円、帝大法80円、商大80円、商大専門部と早慶、神戸高商75円、地方高等商業と中央、法政、明治65~70円、私大専門部、50~60円、中学程度35円である。[59]この時代は、大卒就職率約30%という不況の時代でもあり、『大学は出たけれど』などの映画が作られたほどの就職難であった。また、当時(昭和5年)の東京帝国大学の就職率は、医学部94.7%、工学部82.3%、農学部79.4%、理学部70.2%、経済学部39.2%、文学部37.3%、法学部32.1%である。[60]
- 松繁寿和らは1998年に、ある国立大の理系学部と文系学部を一つずつ選んで、調査用紙を郵送し、その時点での年収などをたずねた。この統計調査をもとに毎日新聞の記者が計算したところによると、生涯賃金の差がおよそ5000万ほど文系学部の卒業生が高くなった。[61]
- 2009年のキャリコネの調査によると、理系の大学の出身者は、平均年収が638.9万円。これに対して文系は、551万円だった。学部別の年収だと、工学部661.1万円、理学部616.1万円、法学部615.3万円、経済学部608.3万円、商学部・経営学部604.3万円、薬学部551.4万円、農学部526.3万円、社会学部464.9万円、文学部409.5万円である。また、東京大学出身者の学部別平均年収は、理学部1381.3万円、法学部1158.7、工学部1057.6万円、経済学部923.8万円、農学部700.5万円であった。[62]
- 2010年の慶応大学の調査では、男性の平均年収は文系が559万円だったのに対し、理系は601万円で、42万円高かった。 女性も文系203万円に対し、理系は260万円で57万円高かった。 年代別比較では、理系男子は、国立大出身なら35歳で文系男子よりも100万円弱ほど高く、60歳では150万円以上高かった。国立大以外の理系は35歳までは文系より低いが、40歳ではほぼ同じ、45歳では追い抜いていた。 また、役職員に就いている正社員の割合も文系は20.3%に対し、理系は35.0%。会社の経営者の割合も文系1.3%に対して、理系2.1%とわずかに高かった。[63]
- 2010年の京都大学と同志社大学の調査では、文系の平均年収約583万円に対し、理系は約682万円だった。格差は年齢と共に広がり、25歳では理系が文系より約60万円多く、60歳では約168万円に拡大していた。このほか、サンプルをもとに40歳時のモデル年収を推計したところ、理系男性が約717万円、文系男性が約680万円だった一方、理系女性が約498万円、文系女性が約402万円と男性の方が約220~280万円も高く、男女間の賃金格差が浮き彫りとなった。また、出身学部をベネッセコーポレーションによる大学難易度別にA(偏差値60以上)、B(50~59)、C(50未満)に分けたところ、同じ難易度ではいずれも理系が高く、最も高いのはAの理系。Bの理系はAの文系の平均を下回ったものの、Aの文系でも受験で数学を選択しなかった人の平均よりは高かった。[64]
- 2011年の浦坂純子と西村和雄の調査では、慶応義塾大学パネル調査共同研究拠点の「日本家計パネル調査(JHPS)」のデータを分析して、文理別に国立・非国立大卒の年収を調べている。それによると、所得の順位は、国立理系男子、非国立理系男子、国立文系男子、非国立文系男子の順となっている。また、偏差値別の分析では、高偏差値理系男子、高偏差値文系男子、中偏差値理系男子、中偏差値文系男子の順となっている。しかし、50歳以降になると高偏差値文系男子は、中偏差値理系男子に所得で追い越されてしまう。これは、文系の賃金カーブのピークが50歳であり、以降は賃金が下がっていくのに比べ、理系の賃金カーブは50歳以降も上昇するためと考えられる。[65]
- 2011年の経済産業研究所の調査では、理系学部出身者の平均所得は文系学部出身者より約130万円高く、そのうち高校時代に物理が得意だった人が最も高所得である。平均所得は全体が552万円だったのに対し、理系学部出身者は637万円、文系学部出身者は510万円であった。理系学部出身者の平均所得は、高校時代に得意だった理科科目別では物理681万円、地学647万円、化学620万円、生物549万円の順だった。[66]また、同調査では、同志社大経済学部の八木匡らによって、得意科目別と年収の調査についても調べられている。それによると、文系、理系を合わせた大卒就業者約1万人(平均年齢43歳)の得意科目と平均所得(年収)の関係を調べると、数学が得意な人の所得が約620万円と最も高く、2番目は理科が得意な人の約608万円だった。数学が得意な人と国語が得意な人とでは、約183万円の差があった。
- 2011年に「週刊東洋経済」が「DODA」の協力を得て転職サービス登録者の調査を基に推計したところ、生涯年収は理系で2.25億円に対し、文系は2.10億円足らず。1500万円以上の差がついた。その理由として、DODA編集長の美濃啓貴は「モノ作りのできる技術者は営業職に就けるが、文系出身の営業マンは専門的な知識や経験がないので技術者にはなれない」と、職業選択の幅の違いを指摘している[67]。
- 2011年に株式会社アイ・キューが行った調査によると、営業職の学歴・文理別平均年収は、国公立大院卒/理系 682.00万円、国公立大学/理系 676.30万円、私立大学/理系 617.91万円、私立大院卒/理系 617.39万円、国公立大学/文系 584.53万円、海外大学院 583.33万円、私立大学/文系 543.61万円、専門・短大・高専・各種学校 503.86万円、国公立大院卒/文系 502.83万円、私立大院卒/文系 490.00万円、高校 486.71万円、海外大学 482.76万円の順であった。[68]
海外
- アメリカ合衆国における専攻別平均年収では、もっとも高いグループが、石油工学、航空工学、化学工学を初めとした工学分野、続いて高いのが数学を多用する応用数学、物理学、経済学などであり、逆に低いのは、教育分野、芸術分野、そして神学などの趣味的分野となっている。統計としては、Payscale社が調査した、学部卒でフルタイムで勤務している人の2年後の給料、15年後の給料の中央値を出身学科別にまとめたものがある。それによると、上位5つの年収は、Petroleum Engineering $157,000、Aerospace Engineering $108,000、Chemical Engineering $108,000、Electrical Engineering $104,000、Nuclear Engineering $104,000 である。下位5つの年収は、Culinary Arts $50,600、Athletic Training $45,700、Social Work $44,900、Elementary Education $44,400、Child and Family Studies $38,400となっている。[69]
政治における文系と理系
日本
政界
日本の政党では自民党と公明党に「文系」出身者が多く、旧民主党と共産党と社民党に比較的「理系」出身者が多い。
共産党委員長経験者では不破哲三、志位和夫が理系出身であり、民主党代表経験者では、鳩山由紀夫、菅直人が理系出身である。しかし、戦後の日本では自民党が政権を担っていた時期が長かったこともあって、結果的に戦後首相のほとんどが「文系(特に、法学部・経済学部)」から輩出されているなど文系優位が常識化していた。
2009年の政権交代に伴い民主党代表の鳩山由紀夫(東京大学工学部卒)が首相になった。これにより戦後初の「大学教育における理系」(工学部)出身の首相が誕生した事になる。この事についてはマスコミでも取り上げられ、話題を集めた[70]。その後に組閣された鳩山由紀夫内閣でも理工系出身者が多く(首相、副首相、内閣官房長官、文部科学大臣)、川端達夫文部科学大臣自身が経団連との会談で「お理工(お利口)内閣」という冗談を述べるなど、政界でもある程度の認識として存在している様である。
鳩山内閣が総辞職し、その後を引き継いで菅直人が民主党代表、及び首相となった。これにより、日本初の東京工業大学卒の首相が誕生した。
官界
1871年の工部省報告書において既に「事務官僚に比べて技術官僚は、その地位を卑ふし」[71]と記されているように、中央官庁では古くから文系出身者が実権を握ってきた。総務省総務審議官を務める東京大学教授(当時)の月尾嘉男は、その理由を「日本は役所が法律を作っているため」としている[71]。
自民党資料によれば、2001年7月現在、国家公務員I種試験の合格者のうち理系出身者は55%を占めるが、審議官級ポストの占有率は19%、局長級は13%であり、次官級は3%にまで落ち込む。[72]このデータは霞が関において理系出身者が昇進しづらいことを如実に示している。
キャリア官僚は、国家公務員1種試験の受験科目によって事務官と技官に分けられる(出身学部で分けられているわけではない)。[73]この区分は1946年に出された勅令の名残であって、現在では実質的な意味はないとされる[73]が、理系出身者の多い技官は、文系出身者の多い事務官と比べて昇進や昇給のスピードが遅いという[72]。1997年、政府の行政改革会議中間とりまとめにおいて「事務系職員は一括採用し、8年程度で省庁間異動を行う。技官の採用・配属などは原則としてその分野に固定する」という文言が盛り込まれたことで技官の不遇が明文化された。[74]なお、2001年12月に閣議決定された公務員制度改革大綱においては「採用試験区分(中略)に基づく画一的・硬直的な人事管理が一般的に見られ」と改めて指摘され、そのうえで「国家行政組織法の一部を改正する法律(昭和25年法律第139号)附則第2項に基づく官の制度(事務官・技官等の別)は廃止する」と記された。[75]
自民党の自見庄三郎衆議院議員は、エイズや病原性大腸菌O157の被害拡大はこの不合理な制度によって招かれたと指摘する。
科学や技術を分かっている技官の課長には決定権がなく、よく分からない事務官の局長が意思決定権を握っているからだ — 自見庄三郎による発言、『理系白書 この国を静かに支える人たち』(毎日新聞科学環境部、講談社、2003)20頁
毎日新聞社が2002年3月に行ったアンケートでは、現職官僚70人(文系出身者54人、理系出身者16人)のうち35人(うち理系出身者10人)が「昇進に関して文理格差がある」と答え、そのうちのほとんどは「文系有利」と回答した。[76]「収入に関して文理格差がある」と回答した者は全体では17人にとどまったが、うち理系は8人もいた。[76]このように、理系官僚は文系官僚に比べて、地位や収入など実利的な面で何らかの不満を抱えている者が多いことがわかる。しかしその一方で、「仕事や生活に対する満足度」に関しては、文理格差があると答えた理系官僚は1人しかいなかった。[77]理系官僚は、仕事において自分の能力を十分に発揮できるとか、自分に向いた仕事・自分の好きな仕事をできるという点で[77]充実を感じているようである。
海外
中華人民共和国では地方の省長・党委書記・市長などは80%以上が理工系であり[78]、江沢民・胡錦濤・習近平といった中国共産党の総書記など執行部は「理工系」出身者で占められており[79]、同じ社会主義国のソ連でも多くの指導者が工学や理学の習得を経て、ソ連共産党政治局のメンバーは89%がエンジニアだった[80]。これは社会主義の唯物論、科学的社会主義に基づいた発想であるが、そうした社会主義の創始者達(マルクス、レーニン、毛沢東)は哲学や経済学などを専門としていた。
1979年から1990年までイギリスの首相を務めたマーガレット・サッチャーは、オックスフォード大学で化学を学んだ。
2005年からドイツの首相を務めるアンゲラ・メルケルは、1973年にカールマルクス・ライプツィヒ大学(現ライプツィヒ大学)で物理学を専攻し、東ベルリンの科学アカデミーで理論物理学の研究を行っていた。
2005年から2013年までイランの大統領を務めたマフムード・アフマディーネジャードは、土木技術者だった。
2013年から2017年まで韓国大統領を務めた朴槿恵は、西江大学校で電子工学を学んだ。国会議員時代の2008年には、韓国の理科離れを問題にしてきたことが評価され、KAISTから名誉博士号が授与されており[81]、その際に「国家の存亡は理工系にかかっている」と述べた[82]。
文系的と捉えられることが多い学問
ただし、経営学・経済学・社会学・言語学・心理学・デザイン学には高度な数学的・統計学的解析を伴うものも多く、たとえば東京理科大学には文理融合型の経営学をうたった経営学部が1993年に設置されている。さらに近年では経済物理学という新分野の開拓や、言語学研究における脳波解析の活用、音楽における音響工学の応用などにより、人文科学・社会科学と物理学との距離が縮まっている。政治学や国際関係論の研究にはゲーム理論等の応用数学的アプローチが用いられることがあり、公共政策大学院には実際に数学の授業が開講している。
一方、地理学は地球科学と密接な関係を持ち、特に自然地理学や地図学は理系の学問と位置づけられることも多い。考古学も放射性炭素年代測定など理化学的検査の必要が年々増加しているため、やはり数学や理科が重要視される傾向にある[83]。
心理学は脳科学や神経科学との関連が密であり、人間の行動や認知を扱う基礎心理学は認知科学の諸分野と親和性がある。臨床心理学は精神医学と関連する部分も多い。福祉関係分野では医療に関する知識も必要となる。また、家政学は、自らを「総合科学」と定義(詳細は同項を参照)しているように、医学寄りの学問である栄養学や、理系寄りの分野である児童発達学、被服材料学をも内包する。
哲学は歴史的に自然科学の影響を強く受けてきた。集合論をはじめとする数学基礎論の発達は、哲学が紀元前から武器としてきた「論理」に確かな拠り所を与えたし、量子力学の勃興は、それまでの宇宙観を大きく揺るがすものとして哲学の幅広い分野を刺激してきた。他方、臓器移植や脳死の概念、あるいは多様な生殖補助医療の出現は哲学に生命倫理への深い考察を要求した。
理系的と捉えられることが多い学問
農学、工学には経営学、経済学、地域研究などの社会科学との複合野がある。例として金融工学や経営工学、農業経済学がある。
デザイン学、生物学・医学には哲学・倫理学が密接にかかわり、とりわけ精神医学は文系に属するとされる心理学と深く関わっている。情報学には社会学と近縁な分野がある。また文系と同様、理系分野にも自身の歴史を扱う分野がそれぞれ存在する(「○○学史」「○○史」と呼ばれる)。
建築学は概ね理系の範疇に入るとされているが、建築学科の設置学部は工学部のみにとどまらず、建築デザインなどデザインや美術の範疇に入る部分も多い。また、農学の範疇に入るとされている造園学もランドスケープデザイン学・環境デザイン学として、それらを学ぶことができる学科自体が文理双方で多岐にわたって設置されている。
また日本では大学入試センター試験における地学科目の試験がほかの理科科目に比べて易しいため文系受験生からの人気が高く、一方で理系出身者の中には高等学校時代も通算し地球科学や天文学を全く学んでいない者も多い[84]ため、当該分野の知識・理解が文系出身者のほうが優れているという逆転現象がみられる。なお、地質学等の研究や土木工学の中でも河川工学方面の研究などでは、過去の自然災害を調べるため古文献にあたることもある。
脚注
- ↑ 『文科の発想・理科の発想』(太田次郎、講談社現代新書、1981)196頁、中略は引用者
- ↑ 2.0 2.1 『文系の壁―理系の対話で人間社会をとらえ直す』(養老孟司、PHP新書、2015)24頁。フックやファラデーが正規の数学教育を受けずに物理学者として顕著な業績をあげたという話題から転じて。
- ↑ 引用文中の「その強度」とは、実験によって得られたコンクリート強度のことを指している。
- ↑ 『文科の発想・理科の発想』(太田次郎、講談社現代新書、1981)140頁
- ↑ 5.0 5.1 5.2 5.3 『文科の発想・理科の発想』(太田次郎、講談社現代新書、1981)16頁
- ↑ 『文科の発想・理科の発想』(太田次郎、講談社現代新書、1981)15頁
- ↑ 7.0 7.1 『文科の発想・理科の発想』(太田次郎、講談社現代新書、1981)18頁
- ↑ 8.0 8.1 『文科の発想・理科の発想』(太田次郎、講談社現代新書、1981)79頁
- ↑ 9.0 9.1 『文科の発想・理科の発想』(太田次郎、講談社現代新書、1981)80頁
- ↑ 10.0 10.1 10.2 『文科の発想・理科の発想』(太田次郎著・講談社現代新書)8ページ
- ↑ 11.0 11.1 『文科的理科の時代』(藤井康男著・福武書店、1982)11頁
- ↑ 12.0 12.1 『文科的理科の時代 新・学問のすすめ』(藤井康男、福武書店、1982)12頁
- ↑ 進学校でなくても、普通科高校では生徒を文系・理系に分け、課目選択の型を決めてしまっていることが多い
- ↑ 『文科の発想・理科の発想』(太田次郎、講談社現代新書、1981)96頁
- ↑ 『文系?理系?―人生を豊かにするヒント』(志村史夫、ちくまプリマ―新書、2009)52頁
- ↑ 京都大学一般入試学生募集要項 - 2017年11月6日閲覧。リンク先PDFファイルを参照のこと
- ↑ 第96回参議院文教委員会 宮之原貞光
- ↑ 『文科的理科の時代』(藤井康男著・福武書店、1982)32頁
- ↑ 19.0 19.1 19.2 19.3 19.4 『橋爪大三郎の社会学講義2』(橋爪大三郎、夏目書房、1997)64頁
- ↑ 『文科的理科の時代』(藤井康男著・福武書店、1982)34頁
- ↑ 『文科的理科の時代』(藤井康男著・福武書店、1982)35頁
- ↑ 22.0 22.1 『文系?理系?―人生を豊かにするヒント』(志村史夫、ちくまプリマ―新書、2009)11頁
- ↑ 23.0 23.1 『科学的とはどういう意味か』(森博嗣、幻冬舎新書、2011)30頁
- ↑ 『科学的とはどういう意味か』(森博嗣、幻冬舎新書、2011)28頁
- ↑ 25.0 25.1 『科学的とはどういう意味か』(森博嗣、幻冬舎新書、2011)46頁
- ↑ 『文系?理系?―人生を豊かにするヒント』(志村史夫、ちくまプリマ―新書、2009)9頁
- ↑ 『文系?理系?―人生を豊かにするヒント』(志村史夫、ちくまプリマ―新書、2009)13頁
- ↑ 28.0 28.1 『科学的とはどういう意味か』(森博嗣、幻冬舎新書、2011)31頁
- ↑ 『理系バカと文系バカ』(竹内薫、PHP新書、2009)94頁
- ↑ 『文科的理科の時代 新・学問のすすめ』(藤井康男、福武書店、1982)13頁
- ↑ 『理系バカと文系バカ』(竹内薫、PHP新書、2009)108~109頁
- ↑ 『文科の発想・理科の発想』(太田次郎、講談社現代新書、1981)56頁
- ↑ 『文系の壁―理系の対話で人間社会をとらえ直す』(養老孟司、PHP新書、2015)19頁
- ↑ 『文系の壁―理系の対話で人間社会をとらえ直す』(養老孟司、PHP新書、2015)31頁
- ↑ 『文系の壁―理系の対話で人間社会をとらえ直す』(養老孟司、PHP新書、2015)35頁
- ↑ 『文系の壁―理系の対話で人間社会をとらえ直す』(養老孟司、PHP新書、2015)36頁
- ↑ 『文系の壁―理系の対話で人間社会をとらえ直す』(養老孟司、PHP新書、2015)113頁
- ↑ 38.0 38.1 38.2 38.3 38.4 38.5 38.6 38.7 『理系バカと文系バカ』(竹内薫、PHP新書、2009)70頁
- ↑ 『理系バカと文系バカ』(竹内薫、PHP新書、2009)71頁
- ↑ 40.0 40.1 『理系バカと文系バカ』(竹内薫、PHP新書、2009)74頁
- ↑ 『理系白書 この国を静かに支える人たち』(毎日新聞科学環境部、講談社文庫、2006)139頁
- ↑ 『理系白書 この国を静かに支える人たち』(毎日新聞科学環境部、講談社文庫、2006)140頁
- ↑ 『理系バカと文系バカ』(竹内薫、PHP新書、2009)75頁
- ↑ 44.0 44.1 『理系白書 この国を静かに支える人たち』(毎日新聞科学環境部、講談社文庫、2006)125頁
- ↑ 『理系白書 この国を静かに支える人たち』(毎日新聞科学環境部、講談社文庫、2006)124~125頁
- ↑ 『理系白書 この国を静かに支える人たち』(毎日新聞科学環境部、講談社文庫、2006)126頁
- ↑ 『理系白書 この国を静かに支える人たち』(毎日新聞科学環境部、講談社文庫、2006)127頁
- ↑ 『理系白書 この国を静かに支える人たち』(毎日新聞科学環境部、講談社文庫、2006)127~128頁
- ↑ 49.0 49.1 『理系白書 この国を静かに支える人たち』(毎日新聞科学環境部、講談社文庫、2006)132頁
- ↑ 『理系白書 この国を静かに支える人たち』(毎日新聞科学環境部、講談社文庫、2006)133頁
- ↑ 51.0 51.1 『理系白書 この国を静かに支える人たち』(毎日新聞科学環境部、講談社文庫、2006)134頁
- ↑ この傾向について第140回参議院労働委員会 笹野貞子『女子学生の大学を受ける専攻は、だんだん社会科学系や理科系が多くなったとは言っても、まだまだ女性は文系、男性は理系という考え方で大学の専攻をいたします。』の発言がある。
- ↑ 第168回衆議院青少年問題に関する特別委員会 布村幸彦(文部科学省大臣官房審議官)も同様の趣旨での発言あり。
- ↑ 例えば東京大学の全学部学生に占める女子の割合は2割前後であり、大学当局としては3割を当面の目標としているが、学部学生に占める女子の割合が3割を超えているのは文学部・教育学部のみで、最下位クラスの理学部・工学部は依然として1割強で推移している。
- ↑ 大谷・松繁・梅崎「卒業生の所得とキャリアに関する学部間比較」
- ↑ 「理系出身者と文系出身者の年収比較」経済産業研究所2011.3[1]
- ↑ J-CAST会社ウォッチ「やっぱり「理系」の方が「文系」より高給だった」2011.3.21[2]
- ↑ 『旧制専門学校』天野郁夫著 日経新書 p154
- ↑ 『サラリマン物語』(昭和3年)前田一著 東洋経済出版部
- ↑ 帝国大学年鑑 (帝大新聞社)
- ↑ 「文系理系の生涯賃金格差は5000万円」~さらば工学部
- ↑ 理系は損か? 文系は損か? 学部別での年収格差を分析
- ↑ 「文系より理系が高収入で出世する 慶大などの約3500人分析で判明」(産経ニュース 2010/12/09)
- ↑ 「理系は文系より年収が100万円高い」 京大など調査 (朝日新聞 2010/8/24)
- ↑ 理系出身者と文系出身者の年収比較-JHPSデータに基づく分析結果-(経済産業研究所)
- ↑ 物理が得意な理系、高所得 平均681万円、科目間でも格差 経済産業研究所(産経ニュース 2011/10/21)
- ↑ 「週刊東洋経済」(2011.3.19号)
- ↑ 学歴・文理別年収ランキング
- ↑ Salary:a fixed regular payment, typically paid on a monthly or biweekly basis but often expressed as an annual sum.
- ↑ 世界にも多い「理系首脳」=ドイツ、中国、イラン…−鳩山氏は工学博士(時事通信)
- ↑ 71.0 71.1 『理系白書 この国を静かに支える人たち』(毎日新聞科学環境部、講談社、2003)20頁
- ↑ 72.0 72.1 『理系白書 この国を静かに支える人たち』(毎日新聞科学環境部、講談社、2003)18頁
- ↑ 73.0 73.1 『理系白書 この国を静かに支える人たち』(毎日新聞科学環境部、講談社、2003)17頁
- ↑ 5.関連諸制度の改革方向 - 首相官邸ホームページ、2015年12月12日閲覧。第2部 [詳細版]委員の意見の整理<Ⅱ 内閣の危機管理機能の強化に関する意見集約<第1部 中間整理<行政改革会議の「中間整理」について<行政改革会議より。
- ↑ 公務員制度改革大綱 - 首相官邸ホームページ、2015年12月12日閲覧
- ↑ 76.0 76.1 『理系白書 この国を静かに支える人たち』(毎日新聞科学環境部、講談社、2003)21頁
- ↑ 77.0 77.1 『理系白書 この国を静かに支える人たち』(毎日新聞科学環境部、講談社、2003)22頁
- ↑ “なぜ中国の指導者はエンジニアリングの学位を持ち、アメリカの指導者は法律の学位を持っているのか?”. GIGAZINE. (2016年3月1日) . 2016閲覧.
- ↑ 岩田勝雄「新執行部体制下の中国の課題 Ⅰ 」立命館大学、2003年5月。
- ↑ Graham, Loren R. The Ghost of the Executed Engineer: Technology and the Fall of the Soviet Union. Cambridge: Harvard University Press, 1993. 74
- ↑ “KAISTで名誉理学博士号受ける朴槿恵氏”. 中央日報. (2008年2月20日) . 2018閲覧.
- ↑ “朴槿恵氏、KAISTから初の名誉博士号”. innolife. (2008年3月1日) . 2018閲覧.
- ↑ ただし、日本の考古学研究者には数学・理科の素養が乏しい者が多く、理系研究者からは「単に外部委託した分析結果を理解もせずに利用しているだけ」という批判も多い。
- ↑ 理系大学入試で地学を使える大学・学部は限られているためほとんどの受験生は地学以外の科目で受験する。また多くの大学では物理学・化学は必修である一方、地球科学に関しては授業自体が開講していないか、開講していても選択履修とされているところが多い。それゆえ、地球科学を履修しないと卒業できないという大学・学科は少ない。